3.星落とす男
“星落とす男”がわたしの町へやってきた。
彼は旅人で、人の集まるところに立ち寄っては、歌や踊りを披露してくれるのだ。
たった一人のその公演の素晴らしさに、観客だけでなく、空の星々も魅了され、彼に近づきたくて落ちてきてしまう。彼の通ったあとには流れ星が沢山降り注ぐのだ。
だから、彼は“星落とす男”と呼ばれている。
世界がぐちゃぐちゃになった今、外を出歩く人は少なくなった。人々はすっかり塞ぎこんで、辛うじて残った建物に篭りきりになっている。便利なものは殆ど動かなくなってしまった。まるで歴史を遡ってしまったみたいだ、と両親は嘆いた。
大人たちはみんなつまらない。世界が滅ぶまで、あの日までは幸せだったと言うばかりで新しいことを始めようとはしないのだ。そんな中で“星落とす男”の来訪はわたしの胸を高鳴らせた。
待ち望んだ“星落とす男”は小柄な青年だった。和泉三月と名乗った彼はわたしよりも随分年上だというのに子どもみたいに人懐こく歯を見せて笑う人だった。わたしはすぐに三月さんが好きになった。
案内役を買って出たわたしは、自分の住む小さな町を彼に紹介しながら、彼を独り占めできる幸福を噛みしめていた。崩壊した街から使えるものを掻き集めて暮らしている、人が集まっただけの場所に観光名所などないし、案内する場所と言ってもみんなが寝床にしている建物と、格好だけの広場、それに水が確保できる場所。それくらいだ。最低限の場所を見て回った後、足を止めたわたしに三月さんは言った。
「ガイドさん、おしゃべりに付き合ってくれないか? きみのよく行く場所に連れていってよ」
彼の荷物は少ない。ギターが一本、それと大きなリュックに最低限のものが入っているだけ。小柄なのに、重たい 荷物を軽々背負って、彼はわたしの遊び場所まで着いて来てくれた。
歩きながら彼のことを見つめる。格好は草臥れていたけれど、目がらんらんと光っていて、魅力的な顔をしていた。 小さいころは女の子と間違えられていそうだ。きらびやかな装飾品だって似合いそうなのに、彼が大切そうに首からぶら下げているのは大きな魚の鱗だ。
「ねえ、三月さんはどうして旅をしているの」
わたしの問いに三月さんは歯を見せて笑う。
「オレ、昔はアイドルだったんだ。きみは、アイドリッシュセブンって知ってる?」
わたしは首を横に振る。あの日より前のことはもう、ほとんど覚えていなかった。
「そっか。オレたちは人を笑顔にするのが仕事で、オレは、自分たちを応援してくれる人たちが笑ってくれるのがなにより好きだった。あの頃の仲間たちはみんな、どこに行ったのかわからなくなっちまったけど、それでもきっと、みんなどこかで誰かのために歌ってんだろうなあ」
彼は自身の旅の目的についてゆっくりと話し出した。わたしは勝手に彼のかつてのメンバーの顔を想像した。
三月さんの歌は人を笑顔にする力があったから、その仕事は彼にとって天職だったのだろう。彼のような人たちが7人もいれば、どれだけの人がしあわせになれるのか。
7人の歌を聴いてみたかった、と言えば三月さんはわたしの頭を撫でてくれた。
「聴かせてやりたかったなあ。でかいホールでスポットライトを浴びて、お客さんが色とりどりのライトを振ってくれるんだ。ステージの上は暑くてたまんねえのに、胸の中はもっと熱くて、わくわくして、心臓がはしゃぐんだ。ずっと、ずーっと、この7人で歌い踊り続けていたいって、思ったよ」
彼は熱のこもった口調で懐かしそうに語った。恥ずかしそうに「長々喋ってごめんな」と言ったけれど、わたしは彼の話をもっと聞きたくて続きを強請った。
「今じゃオレひとりになっちゃったけどさあ、世の中がこんな状態になって、自分にできることっていったら、これくらいしか思いつかなくて。それが、旅の理由」
アイドルは、こんなにきれいに笑う人たちばかりなのだろうか。
「……あとは、人探しかな」
癖なのだろう。首に掛かるネックレスに手が触れる。近くで見れば青い鱗はうっすらと光を帯びているように見えた。素材は薄く向こう側が透けている。
「それは、なに?」
三月さんは首から革ひもを外して、わたしに鱗を近づけて見せてくれた。
「お守りさ。人魚の鱗なんだって。オレの弟がくれたんだ」
あいつもきっと、どこかでうまくやってるんだろう、と独りごちた三月さんは空を見上げた。もうそろそろ、日が落ちる。
「へへ、長話を聞いてくれたお礼に、きみのために一曲歌わせてよ」
ギターを取り出した三月さんの提案に、わたしは勢いよく頷いた。彼の歌を独り占めできるだなんて、とんでもない贅沢だ。
町のはずれ、建物の残骸が所々に残る空き地は子どもたちの遊び場になっていた。三月さんは動かなくなった自動車のボンネットに腰掛ける。わたしは持っていたランタンを車のミラーに引っ掛けて、壊れたキャリーバックを観客席代わりにした。
歌い出した三月さんの声は、やさしい。もちろん、歌もギターも上手なのだけれど、演奏が丁寧なのか、広い空き地にギターの音が響いて、被さるように三月さんの歌が乗る。「大切な人のそばにいたかった」そんな気持ちが乗せられた曲は恋の歌なのだろう。聴いていると懐かしくて胸が痛くなる。昔を懐かしく思う程長く生きている訳でもないのに、心臓がぎゅうぎゅう締め付けられる。そんな聴衆の気持ちを知ってか、三月さんの歌声は力強くなっていく。
「大丈夫だよ」「ここにいてもいいんだよ」と伝えてくれているみたいで、夜空の星が落ちてくる気持ちも分かる。彼の傍はあたたかい。空を彩る星々も彼の光に惹かれてしまうのだろう。
三月さんは息を切らして歌う。本来は7人で歌っていた曲なのだろう。汗をかいて、ギターをかき鳴らして、必死なのにその表情は清々しい。一生懸命って、彼のようなことを言うのだ。思わず握りしめていた手が痛んで、力を緩めるとなぜだか泣けてきた。
はらはら涙を零すわたしを見て、三月さんはギターを弾く手を止めてしまった。ああ、演奏を止めるつもりは無かったのに。
「わあ」
演奏が止まって、三月さんがリュックからハンカチを見つけ出した時、夜空の星が一斉に降り注いだ。彼のための、星屑のスポットライト。彼の歌のファンになった星たちは流星群になって夜を照らす。それはあまりにも幻想的な光景だった。
「きれい……」
ころころと地面に星が落ちてくる。五角形の星はまだ中心部が燃えていて、足元に転がっていても発光している。ランタンの灯りよりもずっと眩しい星の光で彼の周りは昼間みたいに明るくなった。
「あはは、眩しいな」
わたしにハンカチを差し出して、三月さんは転がる星を拾った。
「……星を、集めているんですか?」
「人探しをしてるって言ったろ? オレの大事な人は、随分前に星になっちまったんだ」
夜空には、星がいくつあるのだろう。途方もない数の星の中から彼の大切な人を見つけるのは難しいことだろうと、わたしにもわかった。
「三月さんの声は、夜空にしっかり届いているんだから、大事な人にも、きっと会えますよ」
気休めだと彼もわかっただろう。それでも彼はありがとう、と言った。
三月さんの旅は続く。夜空に浮かぶ星を全て落とすつもりで歌っていれば、いずれ彼は大切な人と再会できるだろう。その頃には、彼のファンになった星の光で、陸は随分明るくなっているはずだ。街灯は必要なくなる。
彼と、彼の大切な人をあたたかく照らす星の光の中で、三月さんが満足そうに笑っているのは、とても素敵な光景だろうと思った。
夜空の星を落とし切る彼の最後の舞台の時は、ぜひ、一番前で拍手をしたい。
「わたし、すっかり三月さんのファンになっちゃった」
泪でくしゃくしゃの顔でそう伝えると、三月さんは太陽みたいに笑った。
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