Lightning at midday

日が大きく傾き始めた頃。
鬼道邸の一室には、2つの人影があった。

ひとつは言わずもがな、部屋の主である鬼道。そしてもうひとつは、あの後招かれた円堂である。
そこに織乃の姿はない。彼女も円堂とともに屋敷に招かれたのだが、走り回っていたせいで汗や土埃で汚れてしまった姿を使用人たちに見咎められ、あっと言う間にバスルームに連行されてしまったのだ。

たった今まで、ソファの後ろに座り込んでいた鬼道と話していた円堂は、膝を延ばして小首を傾げる。

「そっかー……俺、サッカーバカだったのか……」
「……自覚がなかったというのも、おかしな話だな」

鬼道は呆れたように小さく笑って、立ち上がった。
握りしめてしまったせいで少しだけ皺の寄った古いサッカー雑誌を、彼は指先でそっとなぞる。

「……なぁ鬼道。お前、1人で何でもしようとしないで、もうちょっと周りに頼った方が良いんじゃないか?」
「何?」

「御鏡がさ、」眉を顰める鬼道に、円堂は続けた。

「自分じゃ、お前を助けれないって言ってた」
「……御鏡が」

小さく返して、鬼道は思い出すようにそっと俯く。

自分を見つめ、苦しげな表情をしていた織乃。
彼女は、良く言えば思慮深く、悪く言えば考えすぎるような面を持っている。だから今回もきっと、色々なことを考えたのだろう。
どうすれば、鬼道のプライドを傷つけずに済むのか。どんな言葉を掛ければ、慰めることが出来るのか──恐らく、それが出来なかった故に「助けれない」という言葉が彼女の口から飛び出したのだ。

終わったなんて言わないで──と、絞り出すような声を頭で反芻し、鬼道は浅く溜め息を吐く。
隣では、円堂が考え込むような顔で頭を掻き毟っていた。

「いや、でも今は仮にもライバルチームなんだから、頼りすぎもダメなのかな? あー、でもなぁ……どう言えば良いんだろ!」
「いや……言いたいことは、大体分かる。……それにしても、根本的なところは変わっていないんだな、御鏡は」

「何が?」コテンと首を傾ける円堂に、鬼道はふと遠くを見る。

「何かあると、すぐに自分に非があるように思ってしまう──あいつの悪癖だな」

周りを深く見る目も考える能力も、それが関わると全て裏目に出てしまう。
いつも他人のことばかり優先して、自分のことは二の次で。なのに、1度決めたことはなかなか曲げない。

「……だけどその分、誰よりも優しかった」

きっとそれも、今も変わらないのだろう。
脳内に1年生の頃の織乃を思い描いた鬼道は、再度溜め息を吐く。周りを頼った方が良いのは、彼女も同じなのではないかと。

「何か……鬼道はよく見てるんだな、御鏡のこと!」
「……そうか?」

今度は鬼道が首を傾げた。
よく見ていると言われても、これが彼女に対する自分のイメージそのものなのだから、あまり実感が湧かない。

「まぁ……何かと危なっかしくて目を離せないところもあったが、それは昔の春奈と同じだな」
「妹みたいな?」

鬼道がこくりと頷いたその時、扉が控えめにノックされた。

「お……お待たせしました……」

開いた扉の隙間から、髪を下ろした織乃がひょっこりと頭を覗かせる。
出で立ちは制服ではなく、代わりに少し草臥れたな男物のワイシャツと、小綺麗なズボンを履いていた。

「御鏡、どうしたんだその服?」
「えと、シャワー借りてる間に制服が洗濯されちゃって……乾くまで代わりにって」

織乃はもぞもぞと動きにくそうにしながら遠慮がちに部屋に入ると、その服に見覚えのあった鬼道は少し表情をひきつらせる。
頭垂れる彼女の後ろで、使用人が数名、ニコニコとしながらやってきた。

「せっかくですので、そちらのお友達もどうぞ」
「え? いや俺は別にだいじょ……あ、ちょ、ちょっとー!?」

ずるずると引きずられていくように、使用人たちに連れて行かれる円堂。
鬼道と織乃は同様にポカンとした後、顔を見合わせた。

一拍間を空けた後、先に目を反らしたのは織乃の方である。
自分のつま先を一心に見つめながら、織乃はパクパクと口を動かした。

「鬼道さん、あの……」
「……とりあえず、座れ」

鬼道は緩く息を吐くと、彼女をソファへと誘う。
織乃は一瞬肩を揺らすと、1人分の間隔を空けて鬼道の隣に腰を下ろした。

「……」

沈黙が部屋を満たす。
それを破ったのは、鬼道だった。

「悪かったな、心配かけたみたいで。情けない話だ……試合にも勝てず、仲間にあんな怪我をさせて」
「情けなくなんか……」

ぐっと唇を噛み締めて、織乃は口をつぐむ。
自分が何をどうすれば、彼を救えるのか──当たり障りのない言葉さえ、彼を傷つけてしまうような気がしてならない。
押し黙ってしまった織乃を横目で見ながら鬼道はギュッと眉間に皺を寄せた。

「……お前が気にすることは、何もない」

織乃は彼を振り向く。
鬼道はどこか遠くを見つめたまま、言葉を続けることはなかった。

それから数10分置いて、円堂がふらつきながら戻ってくる。
相変わらずジャージを着ていることから、洗濯されることは断ったらしい。

「御鏡、これ制服だってさ」
「あ、はい……」

受け取った紙袋を覗くと、アイロンを掛けられ綺麗に畳まれた自分の制服が見えた。何から何まで、と少し申し訳ない気分になる。

「──と……ちょっと長居しちゃったな。鬼道、俺そろそろ行くよ」
「じゃあ、私も……服、洗って返しにきますね」

そろそろと立ち上がった織乃を連れ立ち、円堂は扉を開けた。

「(……気にすることは何もない、か)」

仲間なのだから、気にするのは当たり前なのに。それとも鬼道の中では、既に過去のこととして処理されてしまったのだろうか。
「一回学校戻んなきゃ」と小さく円堂が独り言ちる中、織乃はそろりと鬼道の方を振り向く。

「余計な、お世話かもしれないけど……あんまり思い詰めすぎないで下さい──鬼道さん」
「──ああ」

おじゃましました、と言う言葉と共に閉められた扉を見つめ、鬼道は眉を顰めながら呟く。

「……また、悪癖が……」




それから、数日後。
雷門中学校のグラウンドでは、サッカーの練習に勤しむ雷門イレブンの姿があった。

フィールドの端で過去のデータを斜め読みしていた織乃は、ふと聞こえてきた声に眉根を寄せる。
顔を上げると、宍戸のパスが風丸に渡り損ねたところだった。

「……あれ」

顔をしかめ、織乃は一定間隔でバインダーを指先で叩く。
1、2、3と滞りなくタイミングを計るが、2人のタイミングは合わないままだ。

「──御鏡、ちょっとパスの様子を見てほしいんだけど……」
「はい、今丁度……宍戸くん、試しにあとワンテンポ、上げてみて」

困った様子の風丸に言われ、織乃は宍戸に指示を出す。
しかし、その通りに動いても差は僅かになるだけだ。

「(これって……)」

順々に織乃は部員たちを見回す。
ふと、響木がこちらを見て頷いたのが分かった織乃は、彼とマネージャーのいるベンチへ駆け寄った。

「何よ、みんな弛んでるわね」

夏未が不満げに零す。
パスも通らない、ヘディングも合わない、豪炎寺と染岡のドラゴントルネードさえ決まらないのだ。
秋もそれに気が付いているようで、眉根を寄せる。

「──修練場のせいだ」

サングラスの奥にある目を細め、響木が呟く。「どういう意味です?」夏未たちは怪訝な顔をした。

「個人的な技術や体力が、格段に上がったせい……ですか」

険しい顔つきでそれを言ったのは、響木の隣にやってきた織乃だ。
その言葉に3人は顔を見合わせ詳しい説明を求めると、響木は息を吐いた後、ゆっくりと続ける。

「身体能力が向上しても、それを感覚として捉えていない──」

その上、相手の身体能力がどれほど上がったかが感覚的に分からない。だから、タイミングも合わせられない。

「そんな……だってそれじゃあ、バラバラじゃないですか」

バインダーを胸に抱え込んだ秋に、「でも」と春奈が口を挟む。

「タイミングの問題なら、織乃さんなら合わせられるんじゃ?」
「……さっきからやってみてはいるんだけど」

厳しい表情で、織乃はグラウンドを見つめた。
「やはり、難しいか」響木の言葉に、彼女は頷く。

「個々の矯正は可能でも、チーム全体をいっぺんにとなると、ベンチから見てるだけじゃ私の力だけじゃとても」

歯痒そうに俯いた織乃に、春奈も釣られて表情を暗くした。

「──お前たちは、いつも通り振る舞え。それと御鏡は、念のため個人の矯正とそのデータを取って置いてくれ」

マネージャーたちは顔を見合わせ頷く。
次の試合の相手は、鉄壁のディフェンスを誇る千羽山中学校。相手が鉄壁なら、こちらはダイアモンドの攻めをすれば良いと円堂は言ったが、チームプレーがこの状態では、好守もへったくれもない。

「(どうすれば良いんだろう……)」

織乃が用紙に数字を書き込み、顎の先に拳を添えた頃、秋が休憩時間を報せるホイッスルを鳴らした。




次の日の、放課後。
いつもより早めに部活動が終わったその日、織乃は小さな花束を持って先日の病院を訪れていた。

目的は勿論、佐久間と源田の見舞いである。

「悪いな、御鏡」

花束って高いんだろ、と少し茶化すように笑う源田に、織乃は苦笑した。

「──それより、怪我の方はどうですか?」
「まだ、動くことは出来ないな」

そう言って、ベッドに投げ出された足を見つめるのは佐久間だ。
源田もその落ち込んだ声色に表情を固くし、包帯に覆われた自分の手を見つめる。
帝国にいた頃、2人がしばらくサッカーが出来ない状態になった時のことを思い出した織乃は、花瓶に入れようとしていた花をそっと摘んだ。

「……何事も体が資本ですから。しっかり養生して下さいね?」
「ああ、分かってる」

織乃が敢えて明るい声で言ったことに気が付いたのか、2人はそっと表情を和らげて頷く。
そういえば──と、佐久間が思い出したように口を開く。

「御鏡……お前はもう聞いたか?」
「何をですか?」

首を傾げる織乃に、佐久間はまばたきを繰り返す。
源田がそっと佐久間の名前を半ば子供を咎めるような声で呼べば、彼はぱっと口をつぐんだ。

「いや、知らないなら良い。それより、雷門の試合は明後日なんだろ?」

「頑張ってこいよ」と、無理矢理にも見える佐久間の笑顔に、織乃は表情を歪めたが、次の瞬間力強く頷く。
そのまま2人との面会は、検査にやってきた看護婦によって終わりを告げた。

病院を出て商店街行きのバスを待っていた頃、鞄に入れていた携帯が鳴る。響木からの電話である。

『御鏡。お前さん今、どこにいる?』
「え? 隣町の病院前……ですけど」

どうかしたんですか?と尋ねる織乃に、響木は「悪いんだが」と前置きして続けた。

『昨日、頼んだデータがちょっと入り用になってな。店に持ってきて欲しいんだ』
「あ……はい、分かりました」

ぷつりと通話の途切れた携帯を鞄に戻し、そのまま入れてあったファイルを確認する。

「(まだ空欄が残ってるけど……このくらいなら、バスの中でも出来るかな)」

やって来たバスの後部座席に乗り込み、ボールペンを取り出す。
データが完成し織乃が車酔いしかけた頃、丁度バスは停留所に辿り着いた。

織乃は言われた通り、雷雷軒へ向かう。
曇りガラスの引き戸を開けると、丁度響木が冷蔵庫に飲料水をしまっているところだった。

「おお、来たか」
「はい。あ、これがデータです」

差し出された一枚の書類に響木は目を通す。
その間、織乃は何となしにカウンターを見つめると、ふと目をしばたかせた。

「ん、十分だ。ありがとうな、御鏡」
「いえ──響木監督。誰か特別なお客様でも来てたんですか?」

唐突な質問に、響木は一瞬動きを止める。
「……どうしてそう思う?」質問を質問で返され、織乃は戸惑いがちに続けた。

「いえ……カウンターに一個だけ飲み掛けの水があるのに、シンクには丼とかを片付けた様子がなかったから……」

普通の客であれば、飲食店で水だけ飲んで帰るようなことはないだろう。だとすると、ここに来ていたのは食べること以外に目的があった人物になる。

「……ああ。仕事関係で、ちょっとな」

探偵にでもなれるんじゃないか、とからかう様子を見せる響木に苦笑し、織乃は軽く会釈すると雷雷軒を後にした。
ガラガラと閉まった引き戸を見て、響木は小さく溜め息を吐く。

「流石、お墨付きの観察眼だな」




──それから、2日後。
ついに迎えたFF本戦、千羽山との試合の日。

チームのプレイは未だ噛み合わないままで、不安も多々残る中、ベンチでは新たな波紋が広がっていた。

「監督、いい加減にして下さい」
「いや、まだだ。もう1人来る」

風丸の苛立った声に、響木は落ち着いて答える。
試合直前、1人遅れてくる選手がいると、響木が待ったを掛けたのだ。

「もう1人もう1人って……全員揃ってるじゃないですか! ……っておい」

「壁山は!?」染岡の声に、少林が慌ててトイレだと答えた。顔をしかめた風丸が、響木を振り返る。

「すぐ戻ってきます! とにかく、全員いますよ」

それでも、響木は頷かない。審判が困った表情をしながら腕時計を見た。
大会規約により、あと3分以内にフィールドにでないと試合放棄と見なされる──その言葉に、一同がギョッとする。

「どうしましょう、このままじゃ不戦敗に……!」

ジャージの袖を不安げに引いてきた春奈の肩を、織乃は険しい顔つきでそっと支えた。
秋が円堂に説得を頼むも、「監督がまだだって言ってるから、まだなんじゃないか?」と無駄足に終わってしまう。

刻々と迫り来る時間に、顔色が悪くなっていく選手たち。
あと30秒──審判の無慈悲なカウントダウンが、重苦しく響いた。

「響木監督……」

織乃も溜まらず、響木を見つめる。
一体誰が来ると言うのか。秋が叫ぶように言ったとき、響木は不意に顔を上げた。

「──来たな」

聞こえてきたのは、スパイクがリノリウムの床を蹴る音。一同は釣られたようにフィールドの入り口を振り向く。
──そして。

「……え」

織乃の声を皮切りに、雷門イレブンの顔が驚愕に染まる。

フィールドに颯爽と現れたのは──雷門イレブンのユニフォームに身を包み、それに映える青のマントを靡かせた鬼道だった。

「ええええええええッ!?」