An only best person

織乃はライン際に佇んで悩んでいた。

確かに、フローズンスティールとイグナイトスティールとの間に僅かに生まれる一瞬の隙を突けるのは、吹雪を除き──アフロディのスピードだけだ。
しかし突破口が1つしかないと言うことは、そこにリスクが集中すると言うこと。かつて敵だったとは言え、今のアフロディは同じ雷門イレブンの仲間だ。危険を承知でそこへ飛び込もうとする彼を止める理由は十分あるはず。

だが、織乃は彼を止めない。それしか手立てがないのに止められるはずもない。それになにより、織乃はアフロディを──敵だったからこそ、選手としての力を信頼していた。

「隙は約1秒半。……やれますか」
「やってみせるさ」

囁くように尋ねた織乃に、アフロディは微笑みを湛えて頷いてみせる。

さわりと微かに吹いた風に前髪が揺れ、アフロディは少女のような面差しをバーンとガゼルに向けた。
織乃と交わした言葉は少なかったが、そこに込められた思いは、彼を奮い立たせるには十分事足りる。

「さあ──行くよ!!」

走り出したアフロディを、ベンチの吹雪はずっと見つめていた。
ダイアモンドダストとの戦いで現れた彼は、時折こちらへ意味ありげな視線を向けることがあることには吹雪も気付いていた。

そのどれもが、大丈夫≠セと自分に言い聞かせているようで。吹雪はその目を見る度に不安が少し取り除かれていくような気がしたし、それと同時に焦燥感にも駆られるのだ。
もう少し、もう少しでフィールドに戻るから。自分の心に言い続けながら、吹雪はアフロディに思いを託す。抜けた穴を塞いでくれるように、欠けたスピードを補ってくれるように。

「ああっ、弾かれた!」

ベンチから悲鳴が上がる。
イグナイトスティールに弾き飛ばされたアフロディは、直ぐさまボールを拾い再び聳えるディフェンスに立ち向かっていく。
何度も何度も、繰り返し。雷門イレブンを前に進ませるため、彼は足を止めない。

「あのアホ、何考えてんのん!? あんなことしてたら、ほんまにくたばってまうで!」
「あと少し……あと少しなのに……!」

苛々と足を踏み鳴らすリカの隣で、織乃は歯噛みする。
きっと数字にすればコンマ数秒だろう。その僅かなところに辿り着かない。痒いところに手が届かないとは今まさにこの事だった。

やきもきしている間にも、時間は動いている。
何度目かも分からない相手の攻撃に吹き飛んだアフロディに、「あかん、やっぱり見てられへん」とリカが立ち上がった。

「監督、ウチとアフロディを交代や。ウチが代わりに出る!」
「……それは許可出来ません」

フィールドを一心に見つめたまま、瞳子はリカを見もせずに答える。
彼女もこの状況を打破する方法が他にないか探しているのだと、織乃は感覚で理解した。

「あなたの力では、あのディフェンスは破れないわ」
「そうかもしれへんけど、このままやったらアフロディが……!」

いくらフィールドを見つめても選手を観察しても、他の手段は一向に降りてこない。もうこの戦法しか、雷門には残されていないのだ。
ただ瞳子には、味方を切り捨ててでも勝利を目指す=A織乃の持ち合わせていない覚悟がある。

「(でも私には……そんな覚悟はない……!)」

たまらず、リカと共にアフロディを下げるよう瞳子を説得しようとした、その時だった。

「みんな、楽しそうだね」

涼やかな声が、フィールドに反響する。
次の瞬間、頭上から隕石の如く降ってきた黒い球体が、フィールドに追突した。

「うぁっ──!」
「アフロディ!!」

衝撃で生まれた突風に、近くにいたアフロディは勿論ゴッカやボンバまでもその巨体を物ともせず吹き飛ばされる。
仰向けに倒れたアフロディを助け起こしながら、円堂は頭上を仰ぎ見た。

観客席より遙か上。逆立った赤い髪をを風に揺らし、逆光に照らされながら、フィールドを見下ろしている。
目を見開き、円堂は彼の名を叫んだ。

「ヒロト!!」
「やぁ、円堂くん」

にこり、柔らかく笑って、ヒロト──グランは、そこから宙に飛び出した。
重力を感じさせないような体捌きで、彼は柔らかな足音を立て雷門とカオスの間に降り立つ。

「ヒロト……お前、一体何しに」
「ごめんね、円堂くん。今日は君に用があって来たんじゃないんだ」

困ったように円堂に微笑みかけて、グランはカオスを──バーンとガゼルを振り返る。
円堂から背けたその表情には、一切の暖かみがない。

「……何を勝手なことをしているんだ?」

ぶわ、とグランの体から冷気が広がったようなプレッシャーが溢れ出た気がした。
バーンは一瞬固唾を飲んだ後、結んでいた唇を思い切って開く。

「っうるせえ! 俺は認めない……お前がジェネシスに選ばれたことなど!!」
「選ばれた=c…?」

その様子を見つめていた瞳子が、僅かに目を見開いた。
唸るバーンに並び、ガゼルは冷ややかな視線でグランを射貫く。

「我々は証明してみせる……雷門を倒して、誰がジェネシスに相応しいのか!」
「……往生際が悪いな」

グランがそう呟くと同時に、ボールが目映く輝き始めた。
これは、彼らが姿を消す前兆だ。我に返った円堂は、グランに向かって手を伸ばす。

「待て、ヒロト!」

名前を呼んでも、その手は届かず。
グランは振り向き様、申し訳なさそうに目を細めたのを最後に、カオスと共に帝国スタジアムから影も残さずその姿を消した。

「……ヒロト」

円堂が呟くのとほぼ同じく、背後でどしゃりと何かが崩れるような音がした。
ハッとして振り返ると──満身創痍になったアフロディが、フィールドに倒れている。

「アフロディ!!」
「ほれ見い、言わんこっちゃない!!」

ギョッとしながら倒れたアフロディに駆け寄っていく雷門イレブンとマネージャーたち。そんな中、瞳子は1人思考が追いつかないかのように、ただ呆然とグランたちの消えたその空間を見つめていた。




「そうか……やっぱり、アフロディは入院することに」
「はい……」

時間は過ぎ、日も傾き始めた夕方の帝国スタジアムの観客席。
携帯を片手にした織乃は、苦い顔の佐久間に険しい表情で頷いた。

あの後アフロディは古株と円堂に付き添われ、病院へ搬送された。たった今円堂から仲間たちへメールが一斉送信され、彼の怪我が1日2日で治るようなものではないと説明されたのである。

アフロディが搬送された後、瞳子は雷門イレブンに何も告げずふらりと姿を消し、マネージャーたちは彼女に対しいきり立つリカを止める意も込めて、瞳子を探しに雷門中へ戻った。
選手たちもそれぞれ思うところがあるのか、それぞれ好きな時間と手段で雷門中に戻った為、ここにはいない。他の帝国イレブンも、労いの言葉もそこそこに部室へ戻ってしまった。
だから今、織乃の言葉に受け答えするのは佐久間1人である。

せめて後少し、瞳子に進言するのが早かったら何かが変わっていたかもしれないのに。
奥歯を噛み締める織乃に、佐久間は背もたれに体重を掛けながら口を開いた。

「……多分、あいつは後悔してないぞ」
「え?」
「同じ選手だからかな、分かるんだよ。アフロディは雷門の力になれて良かったって、怪我のことも気にしてないと思うんだ」

だからそんな顔するなよ、と佐久間は織乃にはにかんで見せる。
織乃は数度まばたきを繰り返した後、小さく噴き出した。

「何だか佐久間さん、変わりましたね」
「ん、そうか?」
「はい。慰め方が上手になりました」
「……褒めてるんだよな? それは」

褒めてますよ、ちゃんと。
笑いながら答えて、織乃は観客席に腰掛ける。
そんな彼女の横顔を見つめ、佐久間はぽつりと溢した。

「……何度も言うけどさ。変わったよな、御鏡」
「え?」

夕日が傾くごとに、伸びる影が長くなる。
佐久間は織乃から視線を外し、向かいの観客席の辺りをぼんやりと眺めていた。

「前はあんなにおどおどしてて、俺たちと話すのも精一杯だったのに。……今じゃ、こんなに逞しくなって」
「……そりゃあなりますよ。短い時間で、多すぎるくらい色んなことを経験しましたから」

そう何度も否定することも出来ず、織乃はやんわりと肯定する。
影山、世宇子、エイリア学園、真帝国。1年にも満たないこの時間で、彼女は様々なことを経験した。短期間で成長するのに、事欠かない程。

「でも、お人好しの馬鹿で、誰にだって優しくて、叱る時は叱るとこは変わらないよな。ここまで行くと逆に大したもんだ」
「ちょっと……どうしたんですか、佐久間さんいきなり」

褒めてるのか貶してるのか分かりませんよ、と言い掛けた織乃は、次の瞬間口を噤んだ。
いつの間にか、太陽の色によく似た佐久間の隻眼が、心の奥を見透かすようにこちらを射貫いている。

「──そんなお前だから、俺は好きになったんだ」
「…………え?」

びゅわ、と一際大きな風が2人の髪を攫っていく。夕空に散らばった佐久間の銀の髪は、日に透けてとても美しかった。
織乃はパクパクと数回口を動かして、やっとの思い出声を捻り出す。

「……な、何言ってるんです佐久間さん。そんな冗談、らしくな──」
「一世一代の告白を冗談で済まされたら、流石の俺も泣くぞ御鏡」

お別れの時も泣いてたじゃないですか、と織乃は心の中で突っ込んだが、口に出す気にはなれなかった。こちらを見つめる佐久間の目が、本気だったからだ。
しかし、それでも信じられない。あの佐久間が自分を好いている。出会った当時はこちらを睨み付け、敵視すらしていた彼が。

沸騰しそうな頭で呆然とする織乃に構わず、佐久間は続ける。

「……あんまり深く考えるなよ。俺は今、お前に振ってもらうために告白してるんだ」
「え?」

深く考えるなと言われても、無理な相談だ。性分にしろ状況にしろ、一言一句が頭を掻き混ぜていく。佐久間は何を悟ったか、仕方ないやつだな、と呟いた。

「俺はさ、御鏡から見るとデカい弟みたいなもんで、まともに男扱いされたことなかったろ」
「そ、そんなことは……」

言われてみると、あったような気もする。言葉尻を濁した織乃に、佐久間はジト目になる。

「だから……あの時のお前の言葉で、多分俺の気持ちは報われた。認めるのと同時に、諦めがついたんだ」
「あの時?」
「真帝国戦が終わってからさ、お前、俺に言っただろ」

『男の子≠フ気持ちは、女の子≠ノは分かりませんから』

そうだ。あの瞬間佐久間は確かに、僅かに晴れやかな顔で微笑んだのだ。

「ずっと自分の気持ちを認めたくなかったけどさ。あの言葉で全部ちゃらになったよ」

織乃を見下ろし、佐久間は微笑む。
あの時と同じ表情で。

「御鏡。俺はお前のことが、好きだった」

もう一度、強い風が吹き抜ける。

織乃は笑みを浮かべる佐久間に一瞬息を飲んだ後、ぐっと唇を噛み締めた。
好きだった、と言われた。過去形だ。きっともう既に、佐久間の中で諦めはついているのだろう。

だが、振ってもらうために告白をする──彼がそう言うなら、自分も答えなければならない。嘘偽りのない、誰にも言ったことのない気持ちを。

「──ごめんなさい、佐久間さん」

佐久間はずっと、本人の言う通り、大きな弟に近い存在だった。強情っ張りで、サッカーが大好きで、強くなりたくて、時には理不尽な言い分を突きつけられた。
けれど、それでも織乃も彼のことが好きだった。弱音を吐く子供のような姿も、可愛らしいペンギンに喜ぶ顔も、サッカーや仲間たちに対する真摯な心も、全部引っくるめて。
佐久間と言う『友人』が、大好きだった。

「私、」

だけどそれ以上に、側にいたい人がいる。支えたい人がいる。
そしてそれは、佐久間ではない。

「好きな人が、いるんです」

つう、と目から熱い涙が流れ落ちた。泣いてはいけないと分かってはいたが、それでも耐え切れない。振る側の自分がこんな風に泣くなど許されないだろうに、佐久間は困ったように笑っている。
お前が泣いてどうするんだ、と少し乱暴に拭われた涙に、殊更胸が締め付けられる思いだった。

「うん。ありがとうな、御鏡。これで全部、踏ん切りがついた」
「そう、ですか」

振られたと言うのに、佐久間は本当に嬉しそうに、晴れやかに笑っている。それだけが織乃に取っても救いだった。

「あいつも……幸せもんだよ。お前にここまで大事に想ってもらえるんだから」
「はい、…………え?」

思わず頷きかけて、織乃は耳を疑う。
今、佐久間は何と言ったか。まるで、織乃の好きな人が誰なのか、見当がついているような言い草だった。
目の合った彼は、少しだけ目を丸くした後に、「やっぱりか」と笑いそびれたように眉をひしゃげる。

「あ、の、佐久間さん。あ、あいつとは一体誰のことやら」
「今更とぼけなくても良いって。御鏡の好きなやつって、鬼道なんだろ?」

織乃は今度こそ頭が爆発すると思った。
いや、実際爆発したのかもしれない。大丈夫か、と佐久間が本気で心配している。

「えっ、なっ、なん、なんで」
「見てれば分かる……って言いたいとこだけどな。ほとんどフィーリングに近いんだよ」

佐久間は少し、悔しそうに眉根を寄せた。

我を忘れた鬼道を追いかけ、潜水艇上のフィールドに飛び込んできた織乃のことを思い出す。
自身の憎しみと憤りにまみれたボールを受けた鬼道を守るように、織乃は佐久間と相対した。あの時の佐久間は少なくとも完全な正気を保っておらず、下手をすれば織乃にも凶刃を向けただろう。
それを分かっていながらも、織乃は鬼道の前から頑として退かなかった。

その時、佐久間は直感で感じたのだ。自分の知らない間に固く築き上げられた2人の絆が、仲間に対する感情の他に、もっと違う何かが含まれていることを。

あの2人はお互いに同じ気持ちを向けている。そして恐らく厄介なことに、双方それに気付いていない。

「……流石に、そこまで面倒見る気にはなれないな」
「え? え?」

何が何だか分からずに、織乃は首をずっと傾げている。佐久間は悪戯っぽく笑った。
まだしばらくは、そうしていれば良い。そうでないと、寂しくなるのは自分なのだから。

「(ああ、でも、良かった)」

鬼道なら、織乃をきっと守ってくれる。織乃なら、鬼道をきっと支えてくれる。
感情の差や違いはあれど、織乃も鬼道も同じくらい大切で大好きな仲間であることに変わりは無い。
彼女が彼を、彼が彼女を好きになってくれて良かった。佐久間は心の底からそう思える自分が誇らしかった。

「……気温が下がってきたな。お前もそろそろ雷門に戻った方が良い」
「あ、はい……佐久間さん、無理矢理話題逸らそうとしてません?」
「してないしてない」

からから笑って、佐久間は織乃の腕を引いて立ち上がらせる。
掴んだぬくもりに、もう胸はときめかない。笑顔に顔が熱くなることもきっとない。

佐久間の1年近くに及ぶ片想いは、織乃と言うたった1人の観客に見守られながら、緩やかにその幕を下ろした。