What was forgotten

一面に広がる暗闇。足下から差し込む青白い光に色白の肌を照らされながら、そこに佇んでいたグランはゆっくりと後ろを振り返る。

「──何か用かい、ウルビダ」
「何故カオスのゲームを中断した」

ウルビダと呼ばれた青い髪の少女は、間を空けず険しい顔つきでグランに問うた。
グランは直ぐさま合点が言ったのか、ああ、と呟いて肩を竦める。

「バーンとガゼルに、引き際を教えてあげただけさ」
「ジェネシスのキャプテンならば、目立った行動は控えるべきではないのか?」

刺すようなウルビダの視線は無くならない。寧ろ、より一層鋭さを増していく。
それを意にも介さず、グランは深い緑色をした瞳で彼女を捉え、目を細める。口元は笑っているのに、酷く冷たい目をしていた。

「……逆だよ。ジェネシスのキャプテンだからこそ、秩序を守ったんだ。エイリア学園が存在する意味は、全てジェネシスにあると言うことをね」

こつ、こつ、と足音を響かせ、グランは闇の中に消えていく。
その姿が見えなくなるのを見送って、ウルビダは長く細く、息を吐き出した。

「秩序とはな……」

閉じた瞼の裏に、ある風景が蘇る。グランに付いて、雷門イレブンと対面したときの記憶だ。
その中にいた、マネージャー。青い顔で、苦痛に耐えるように表情を歪めていた彼女のことを脳裏に描く。

「……ここには、来てくれるなよ。織乃──」




「……それ、どういうこと?」

同時刻、雷門中学校。夕日に照らされる中、帝国学園から戻ってくるなり衝撃的な話を聞いた織乃は、唖然とした様子で春奈に問いかける。
春奈は身悶えしながら、必死に言葉を探しているようだった。

「どうも何も……言葉通りで、私も訳が分かりませんっ!」
「音無さん、落ち着いて……あっ」

春奈を宥めていた秋が、ハッと後ろを振り返る。
円堂と吹雪だ。きっと吹雪もアフロディの見舞いに行って、そのまま2人で戻ってきたのだろう。
円堂は遠目からでも秋たちの様子がおかしいことに気がついたのか、足を速め3人の元へ戻ってきた。

「どうした?」
「ジェネシスのグランが来たの……!」

「何ッ!?」大きく目を見開くなり、円堂は弾かれたように走り出す。
その背中へ秋は慌てて付け足した。

「あっ、今はもう帰っちゃって……でもその時彼、瞳子監督のこと、姉さんって呼んでたの!」
「姉さんだって!?」

ぎゅっと足を止め、円堂は振り返る。目を丸く見開き開いた口が塞がらない様子は、先程の織乃と一緒だった。

「とにかく、こっちよ!」
「あ──ああ!」

秋たちに連れ立たれ円堂と吹雪は校門を潜る。
そこからすぐ、キャラバンを留めてある校舎前に、瞳子はいた。
その手前には、夏未や他の仲間たちが厳しい表情で並んでいる。一触即発。正にそんな雰囲気だった。

「監督!」
「おう、円堂。やっと来たな!」

真っ先に振り向いたリカは、円堂の腕を掴み前へと押しやる。瞳子がグランに姉さんと呼ばれた件は既に全員に報されており、リカも大分頭に血が上っているらしい。

「こいつ、スパイやスパイ! そうに決まっとる!」
「スパイ……!?」

信じられない気持ちで、円堂は瞳子を見た。
瞳子は雷門イレブンから批難にも似た目を一身に受けながらも、俯き、口を割ろうとしない。

「(瞳子監督が、あの人のお姉さん)」

周りの仲間たちが次々と瞳子に言及するの声が聞こえる中、織乃はぼんやりと彼女を見つめていた。
初め春奈に聞いた時は驚きはしたが、それ以上のショックは訪れない。まるで、そうあるのが自然なことであるように受け止めている自分がいる。

鴉の濡れ羽色の髪と、真っ赤な炎のような髪。黒曜石のような瞳と、エメラルドのような瞳。
似ているところはないはずなのに、彼女がグランに姉さんと呼ばれることが、とても当たり前のように感じた。

「……本当に、あいつの姉さんなんですか」

やがて落ち着きを取り戻した円堂が、仲間たちを鎮め瞳子へ向き直る。
瞳子は一考し、詰めていた息を吐き出すと、崩れた前髪を掻き上げ耳に掛けた。

「……確かに私は、あなたたちに隠していることが沢山ある。でも、もう少し待ってほしいの」

間を空ける。言葉を続けるべきか、迷ったのだろう。そして答えが決まったのか、彼女は再び口を開く。

「エイリア学園は、ただの宇宙人ではないわ」
「え……?」

それはまるで、エイリア学園の詳細を知っているかのような口振りだった。
最強の11人を集めるために、響木が自分の代わりに連れてきたのが瞳子だ。けれど、瞳子がエイリア学園に関して何か知っているようなことは、響木は一度も言っていない。
それはつまり、彼女がここで初めて、誰にも明かさなかったことを話したと言うことだ。

「みんなには、私と一緒に富士山麓に行ってほしいの。……そこで全てを話すわ」
「富士山麓……?」
「何で富士山なんですか!?」

塔子が声を上げたが、それも当然のことだろう。あまりに脈絡がなさ過ぎる。
それでも、そこをエイリア学園と結びつける必要があるとするなら、理由はひとつだ。

「そこに、宇宙人がいる……」
「!!」

呟くように言った鬼道に、何人かが息を飲み込む。
瞳子は最後に雷門イレブンの顔を見回すと、踵を返しながらこう告げた。

「出発は、明日の朝8時。それまでに準備を整えておいて」

向けられた背中が、遠く離れていく。
やっと言葉を取り戻したのは、瞳子の姿が視界から消えた頃だった。

「そんなん、信用出来ひん……!」

まず聞こえたのは、歯を食い縛り、悔しげに呟いたリカの声。重たい沈黙の中、独り言ちるように一之瀬が口を開く。

「結局監督は、俺たちの質問には何も答えなかった」

それは、今まで何とか縋り付いてきた物に手を振り払われたかのような、絶望に濡れた声だった。

「俺だって、今回の戦いには疑問が一杯あった。それでも付いてきたのは、エイリア学園の攻撃で傷付いたみんなの思いに応えたかったからだ。今日のカオス戦でだって、アフロディが倒れてる」
「一之瀬くん……」

微かな声で秋が一之瀬の名前を呼んだが、一之瀬はそれに反応を示さない。
それほどまでに今の彼は、悲しみ、怒っている。どうしようも無い、ぶつけようの無い感情に、臍を噛んでいる。

「だけど監督には……みんなの思いは何も届いていない……!」
「──俺も、一之瀬と同じだぜ。もう我慢の限界だ」

「鬼道はどうよ?」軽く手を挙げて見せた土門が、隣の鬼道を見下ろした。
鬼道はいつものように眉根を寄せたまま、落ち着き払った様子で答える。

「どっちに転ぶにしても、判断材料が少なすぎる」
「……らしい答えだよ」

少し呆れも交え、土門は苦笑した。感情に任せて事を判断するなど、確かに鬼道にはあり得ない行動だ。
──しかし、周りがどう言おうと、円堂の心は初めから決まっていた。

「悩むことなんかない。エイリア学園の全てが分かるんだぜ。行くしかないだろ」
「円堂くん」

夏未が円堂の背中に咎めるような視線を向ける。しかし、円堂は怯まない。

「監督が勝つことに拘って俺たちを引っ張って来たのは、きっと訳があると思ってた。その答えは、富士山にあるんだよ! 行こうぜ、みんな!」
「待て、円堂」

力強く、仲間たちを引っ張っていこうとする円堂の言葉を鬼道が遮った。
鬼道は変わらぬ表情で、説教をするような声音で続ける。

「俺は、一之瀬が戸惑うのも分かる。一緒に行くかどうかは、それぞれに決めてもらおう」
「だけど……!」
「みんなには考える時間が必要だ」

語気を強められたことで、円堂も頭が冷えたのだろう。一瞬口を噤み、息を整えて表情を落ち着かせた。

「…… そうか。そうだな、今夜一晩あるもんな」
「どんなに時間をもらっても、答えは同じだよ」

「俺は降りる」つっけんどんに、一之瀬は俯いたまま言った。その決意は固いのだろう、表情は依然として険しいままである。

「何で監督は話せないんだ? 隠してたって、何も良いことなんかないだろ」
「……結局、信じた俺たちがバカだったってことでしょ」

不思議そうに疑問を口にした綱海に、ぼそりと木暮が呟いた。母を信じ、結果独りぼっちになってしまった彼の言葉には、嫌な説得力がある。

「本当にそうかしら」

しかしそんな中夏未が発したのは、いつものように凜とした声だった。
仲間たちを見回し、夏未は言い聞かせるように言葉を紡いでいく。

「今までの試合を思い出して。監督の采配は、いつも私たちの勝利を第一に考えた的確なものばかりだったわ。本当に、信用する価値はないの?」
「そりゃあ、そうだけど……」

それでも、彼らにはもう2択しか残されていない。
瞳子を信じるか、信じないか。
これまで何度も彼女の指示に反抗してきたことはあったが、きっとそれもこれが最後だ。

「豪炎寺くんの時も、憎まれ役になってでも豪炎寺くんにチームを離れるよう言ったのは、彼と彼の妹さんを守るためだったでしょう?」
「そうだな……俺は、監督を信じる」

エイリア学園から隠れていた時の苦渋を思い出したか、豪炎寺が小さく頷く。
あの時瞳子に頭を下げたのは、確かに自分や妹である夕香が救われたからだ。その恩はまだしっかり覚えている。

「僕も行くよ」

次に声を上げたのは、今まで一言も喋っていなかった吹雪だ。
首に巻いた草臥れたマフラーを握りしめ、吹雪は震えそうになる声を絞り出す。

「行くしかないんだ……こんなところで、立ち止まりたくない」

決意を決める者、逡巡する者。口々に拠り所を求め彷徨う声が飛び交う中、1人鬼道は踵を返す。

「……みんな頭を冷やそう。俺も考える」

マントを靡かせ校門を潜った鬼道を筆頭に、1人、また1人と仲間たちはその場を去って行く。
ただ2人、残った秋と夏未は顔を見合わせると、円堂の背中に視線を送った。

「……良いの?」
「…………俺は、みんなを信じてる」




すっかり日も落ちた時間帯、織乃は1人河川敷をとぼとぼと歩いていた。
家には既に、今日一度帰ることを報せてある。それでもすぐに帰宅する気になれないのは、彼女の心が酷くざわついていたからだ。

「(何だろう、これ)」

ツキツキとこめかみが痛む。エイリア学園の選手たちと顔を合わせた時に起こる頭痛によく似た痛み。
グランが雷門に来たと聞いたからだろうか。しかし、そうではない気がする。もっと、根本的な何か。頭の奥深くに根ざす物が、首を擡げているような。

先程から降り始めた雨は、慌てて取り出した折りたたみ傘を容赦なく叩いている。

「……あれ?」

ふいに織乃は足を止めた。
河川敷に掛かる橋の下。影になったそこで、見知った顔がぽつんと蹲っているのが見える。

「吹雪さん! どうしたんですか、そんなところで──」

慌てて階段を駆け下りて、吹雪の元へ辿り着いた織乃はハタと足を止めた。
こちらに気が付いた吹雪は、じろりと織乃を睨み付けている。重たく湿った、金色の目。すっと息を吸い込んだ織乃は、改めて彼の元へ歩み寄る。

「──君は、アツヤくん?」
「……何でそう思うんだよ」
「喋り方も、目つきも違うもの。……前は、気が付けなかったけどね」

鞄から使ってないタオルを取り出した織乃は、吹雪の──アツヤの頭にそれを被せて、湿気った髪の水分を拭き取っていく。
やめろ、とアツヤはもごもごと言ったが、それきり大した反抗はしなかった。

「吹雪さんは、どうしたの?」
「眠ってる。……考えるのに疲れて、塞ぎ込んでる」

顔をしかめ、つっけんどんにアツヤは答える。どうやら自分が来るまでの間に、何かあったらしい。
織乃はアツヤの隣に腰を降ろすと、小さく口を開いた。

「あのね……ずっと聞きたかったことがあるんだ」
「……何だよ」

アツヤはジト目で織乃を睨み付ける。いつもの吹雪であれば有り得ない反応に、織乃は苦笑する。
出来れば、今から口にする言葉が、今心の奥底で塞ぎ込んでいる吹雪士郎に届くように願って。

「アツヤくん、サッカーは11人いるんだよ。どうして君たちは2人だけで──独りぼっちで戦おうとしてるの?」
「っ、あぁ?」
「その悔しさも、悲しさも。その感情は全部吹雪士郎さんの物だよ。君が1人で背負う物じゃないし、……少しずつなら、私たちにも分け合える」

そうでしょう? ──確かめるような息遣いに、アツヤは歯を食い縛った。
慈しむような目は、かつての母の温もりを思い出させる。それが悲しくて、暖かくて、嫌だった。
今まで守ってきた物が崩れていってしまいそうで。

「……っ何だよ、説教臭いこと言いやがって」

すっくと立ち上がり、アツヤは頭からジャージをすっぽりと被る。
そのままその場を立ち去ろうとする彼に、織乃も思わず立ち上がった。

「戻ったらちゃんと着替えて暖かくしなきゃ、ダメだよ!」
「うるせえ! ……母さんみたいなこと言うなっ」

一喝して、アツヤは水を跳ねながら走り去っていく。
織乃はだらりと手を下ろすと、そっと息を吐き出した。

もう長いこと、吹雪とはまともに会話をしていなかった。相手は彼本人ではなかったが、どうしても吹雪が1人でどれだけの物を抱え込もうとしているのか──明日を迎える前に、どうしても知りたかったのだ。

前の彼女なら、例えそれがどんなに大事なことであっても躊躇して、1歩踏み出せなかったかもしれない。
けれど今は、自分の思いを口にする勇気を、佐久間から学んだから。

「──あーっ! いたいた、お姉ちゃーーん!」
「……良樹?」

遠くから雨音に混じり聞こえてきた幼い声に顔を上げると、土手の上からこちらに向かって大きく手を振る双子の姿があった。

「2人とも、迎えに来てくれたの?」
「うん! だってお姉ちゃん今日しか帰ってこれないんでしょ?」
「早く会った方が良いと思って!」

それぞれ違う色、同じデザインの雨合羽と傘を持った双子は、久し振りに会う姉に嬉しそうにじゃれついてくる。

「帰ろー、お姉ちゃん! お母さんと大兄ちゃん、待ってるよ」
「昨日ね、お母さんがお姉ちゃんのまだ出してない荷物見つけたの!」
「俺たち、勝手に中身見てないよ。偉い? 偉い?」
「うん、偉い偉い」

はしゃぎながら水溜まりを跳ねて歩く弟たちに、織乃は緩く破顔した。
明日何があるのかは分からない。もしかすると、とんでもないことが起きるかもしれない。
仲間が──鬼道が危険に晒される可能性を考えるとどうしても足は竦むが、今だけはそれを忘れることは罪にはならないだろう。




「ごちそうさま」
「はい、お粗末様。明日も早いんでしょう? ゆっくり休みなさい」
「うん、ありがとう」

久し振りに母の暖かい手料理を食べて、満ち足りた気分で織乃は自室に入った。
自分が旅に出てからも定期的に母が掃除してくれているのか、物の配置は変わらないが埃はあまり積もっていない。

「……あ。これかな」

織乃は直ぐさま、机に置いてある小さな古い段ボール箱を見つけた。
転勤の多かった御鏡家では、こうして後々開け損ねた荷物が見つかることが多い。今回もその口だろう。

ガムテープを破り、中身を覗き込む。入っていたのは、色とりどりの封筒の束だった。

「これは……小学生の頃の手紙かな? だからしばらく見つからなかったんだ」

独り言ちて、織乃は取りだした封筒の束をゆっくり広げ始める。
麗華、みちよ、リカ、冬花──見知った名前が連なるのを眺めていた中、ふいに封筒を捲る手が止まった。

「……八神玲名?」

覚えの無い名前に、織乃は思わず電灯に封筒を照らす。
中身を取り出すと、少し拙い字で、それでも必死に書いたであろう文章が長々と詰め込まれている。
それも、1通や2通では無い。少なくとも10以上。『八神玲名』と言う少女からの手紙が、段ボールの底に敷き詰められていた。

「(おかしいな、こんなに手紙のやりとりをしてるなら、忘れるなんて事そうそうないはずなのに)」

──気付くと、収まっていた頭痛がまた復活している。
ズキンズキンと頭の中心から響くような痛みに耐えながら、織乃は衝動的に少女からの手紙を読んでいった。

『織乃へ。きょうから1ねんせいになりました。ランドセルはおさがりだけどまっかでかわいいです』

『園のグラウンドがキレイになりました。リュウジたちも嬉しそう。織乃も一緒にサッカー出来れば良いのに』

『お姉ちゃんが中学校をそつぎょうしました。高校生のせいふくを着たお姉ちゃんはかっこいいです』

1通1通、読み進める毎に少女が歳を重ねていくのが分かる。
けれど不思議だ。今初めて読んだはずの手紙なのに、もう何年も前に目を通した気がする。

やがて織乃はとうとう、恐らく1番新しい──最後の手紙に手を伸ばした。

『織乃へ。突然だけど、あなたへ手紙を書くのはこれで最後になります。もっと色んなことを話したかったけど、もうあなたに関わっちゃいけないから。あなたを巻き込みたくないから、 私たちのことは忘れてください。 ごめんね、織乃』

──紙の端に、丸い染みと不自然な皺が寄っている。書きながら泣いてしまったのか、それとも読んでいた自分が泣いてしまったのか、それは分からない。
ただこの手紙に、押さえようのない悲しみが込められていることは確かだった。

「……ん?」

ふいに織乃は、その封筒に便箋以外に何か薄くて固い物が入っていることに気が付いた。傾けて中身を取り出すと、広げた掌に──紫色に輝く、プラスチックの板のような物が転がり落ちる。

「何──これ」

ずきん。一際大きく、頭痛が頭を揺らす。石は尚も怪しく輝き、目が離せない。

「(私……この石を、この光を、どこかで)」

ずきん、ずきん、止めどなく続く痛みは、警告だ。だが、体が動かない。
思い出すべき物がある、忘れてはいけなかった物がある。それが──この石に、籠もっている気がした。

『こっちにおいで、あそぼうよ!』

脳裏で覚えのない小さな子供の声が蘇ると同時に、手の中の石にピキリと亀裂が走る。
その瞬間、織乃の意識は唐突に、ブツリと途切れた。