Promise beyond a time

少し窮屈な車の助手席。チャイルドシートに座らされた織乃は、ぼんやりと窓の外を流れる景色を眺めていた。
目の前を横切っていくのは、草木の緑ばかり。うねる道が、ここが山道だと語っている。

『──さぁ、着いたぞ』

運転席の父親が、そう言ってハンドルを切った。
車が停まったのは、木々に囲まれた場所に佇む大きな平屋。
門には木製の表札が掛かっている。この施設の名前は、『おひさまえん』──ここで仲良くなった友達が教えてくれた名前を思い出しながら、織乃はそわそわと中を窺った。

父親が、自分の手を引いてその門を潜る。
チャイムを鳴らして少しすると、ガラガラと引き戸を開けて、セーラー服に身を包んだ長い黒髪の少女が出てきた。

『こんにちわ。父さんは、いつもの部屋にいらっしゃいます』
『ありがとう、瞳子ちゃん』

父親に名を呼ばれ会釈された彼女は、織乃に目を落とし久し振りね、と小首を傾げる。
「あなたは、こっちね」瞳子は父親を見送りこちらを見下ろすと、にこりと微笑んで自分の手を引いた。

瞳子は自分の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。
歩きながら忙しなく視線をあちこちにやると、目に付くのは自分と同じくらいの年であろう子供の姿。

テレビの前に大人しく座り、年にそぐわない時代劇に没頭するのは、砂木沼治。先日遊びに来た際、「年上には敬語を使うものだ」と身につけたばかりの知識を披露して、半ば押しつけられる形で織乃もそれに倣うことになったのは記憶に新しい。
その脇で、欠伸をかみ殺す白い髪の少年と特徴的なお団子頭の少女は、瀬方隆一郎と皇マキ。マキはよく織乃にくっついてじゃれてくるが、今はまだ彼女の存在に気付いていないらしく、うとうと微睡んでいる。
そして庭先で、土埃で汚れるのも構わずサッカーに興じる鮮やかな髪の色をした少年少女たち。ボールが次々と誰某に渡り目が追いつかない。たった今シュートを決めて飛び跳ねたのは、緑川リュウジだ。

『──あ、きた!』

ふいにそのうちの1人──明るい青色の髪を靡かせた玲名が、こちらに気付き顔を綻ばせる。
彼女は今まで追いかけていたサッカーボールを放り出すと、パタパタと駆け寄ってきた。

『まってたんだよ! きょうはなにしてあそぶ?』

玲名は自分の手を取って楽しげに笑う。思わずつられて微笑むと、彼女は更に嬉しそうな顔をした。

『そーだ。きょうはブランコしよ! おとうさんがこのまえ、あたらしくしてくれたの!』

玲名は織乃の手を引いて走り出す。少し目を丸くした瞳子が、「転ばないようにね」と言ったのが聞こえた。

キィ、と片方のブランコが風に揺れる。もう片方には、先客がいた。真っ赤な髪をした、大人しそうな少年。基山ヒロトだった。
彼はぼんやりと庭を眺めていたが、やがてこちらにやって来た自分たちを見て少し微笑む。

『あ……こんにちは、ひさしぶりだね。ブランコ、つかうの?』
『う、ううん。だいじょうぶ。わたし、ヒロトくんのあとでいい』

立ち上がったヒロトに慌てて言うと、ヒロトは少しだけ困ったように笑った。

『じゃあ、ふたりのりすればいいよ!』

それを見ていた玲名は明るく笑って、ぽんとブランコに腰を降ろす。
「ふたりのり、したことないの」と織乃が眉を下げると、彼女もまた残念そうに顔をゆがめた。

『しょーがないなぁ。じゃあ、さきにれんしゅうしよ。ね、てつだって!』
『え、ぼくも?』

他に誰がいるの、と玲名が顔をしかめると、ヒロトは慌てたように首を振る。玲名はこの園のリーダーのような存在なのだ。
ごめんね、と何となく申し訳なくなって謝ると、ヒロトは一瞬キョトンと目を丸くしたが、その後にっこりと嬉しそうに笑った。

『ううん。ぼくもいっしょにあそびたかったから、いいよ』

「まずはたちこぎからね!」玲名は忙しない様子で、織乃をブランコの板に立たせる。
怖いよ、と思わず呟くと、ヒロトが「大丈夫だよ」とその背中に手を添えた。

『じゃあ、おすよ?』
『せーのっ』

きぃっ、と一際大きな音を立ててブランコが宙に浮く。
浮遊感に小さな悲鳴を上げた織乃に、玲名は彼女の背中を押しながら大きく笑った。

『だいじょうぶだって! てぇはなしたらダメだよ、織乃!』
『あ〜っ、織乃きてる! ずるい、マキもいっしょにあそぶ!』
『ああ、マキ、あぶないあぶない』

目の前まで飛び込んできたマキに、ヒロトと玲名は慌ててブランコを留めた。勢いに躓き、少し前のめりになってブランコから落ちかけた織乃に、マキが抱き着く。

『きゅうにでてきちゃあぶないよ、マキちゃん』
『まったくだ。おまえはもうすこしおちつきをもて』

ぽんぽんとマキの背中を叩く織乃の隣に、いつの間にやって来たのか治がマキに注意する。そして織乃の肩を叩き、歳にそぐわず大人びた笑みを見せた。

『久しぶりだな、織乃。いつ来た?』
『さ、さっき……』
『ちがう、このあいだ教えたろう』
『あ、さっき、です』

よし、と満足そうに治は頷いて、マキを抱き上げる。
どうやらマキは裸足のまま外に飛び出してきたようで、小さな足は既に砂埃で汚れていた。

『マキ、あそびに行くときはくつをはけ。瞳子さんにも言われたろう』
『はーい』

頬を膨らませ、治に抱きかかえられたままマキは屋内へ戻って行く。
それを見送っていると、騒ぎを聞きつけたリュウジが織乃たちの元へ駆け寄ってきた。

『織乃ちゃんだ! いつあそびにきたの!?』
『えっと、さっき、だよ』
『ちょっと、リュウジ! 織乃はきょうはわたしとあそぶんだから、じゃましないで!』

リュウジを押しやり、玲名は織乃を守るように前へ出る。
「いーじゃん、べつに!」負けじとリュウジが玲名の肩を押すと、あっという間に取っ組み合いの喧嘩が始まった。

『あ、う、け、けんかはダメだよ……』
『ほうっておいてもだいじょうぶだよ。いつものことだから』

呆れたように言って、ヒロトは織乃の手を引き安全な場所まで誘導してくれる。
連れてこられたのは、瞳子が腰掛けていた縁側だった。

『あら、玲名はまた喧嘩?』

最早この園の日常茶飯事なのか、瞳子はのんびりとお茶を啜っている。
「あなたたちも飲む?」確認を取り、2人が頷いたのを見ると、瞳子は小さく笑って台所へ歩いて行った。

『織乃ちゃんが、もっとたくさんあそびにこられたらいいのにな』

そしたら父さんも家に居てくれるのに。足をぷらぷらと浮かせながら、ヒロトは小さく呟く。

自分たちが父と呼ぶこのおひさま園の園長は、ここ静岡以外にもいくつか違う養護施設を管理している。
その傍ら自身の会社の経営もあるため、園長は滅多におひさま園には来られない。あるとすれば、それは子供たちの様子を見に来てくれる時か、ジャーナリストである織乃の父から取材の依頼があった時くらいだった。

『うん……わたしも、もっとあそびたい、けど。はるになったら、またおひっこし、しなくちゃならないから……』
『どこにいくんだっけ?』
『んっと、きゅうしゅう…? の、ナントカってところ』
『とおい?』
『たぶん』

そっかぁ、とヒロトは空を見上げる。
ピーヒョロロ、と大きな鳥が頭上を輪を描き飛んで行くのが見えた。

『だったら、手紙を書けばいいんじゃない?』

そこへ、ジュースとお菓子をお盆に乗せた瞳子が台所から戻ってくる。
てがみ、と反復して顔を見合わせた2人の元に、リュウジを打ち負かした玲名が走り込んできた。

『はいはいはいっ! わたしがみんなのだいひょーで織乃にてがみかく!』
『あら、1人はダメよ玲名。みんなで書かなくちゃ』
『やーだーっ』

ねっ、と玲名は織乃の手を握って詰め寄る。
その勢いに気圧され首を傾げながらも、玲名の手を握り返した。

『……みんなのことも、かいてくれる?』
『かく!』
『れいなちゃんのこともヒロトくんのこともリュウジくんたちのこともひとみこおねえさんのことも、ぜんぶ?』
『ぜんぶかくよ!』

玲名は織乃の手を握ったまま激しく縦に振り回す。
織乃はやっと、嬉しそうに笑った。

『じゃあ、わたしもかく。れいなちゃんにおてがみ、たくさん』
『うん! やくそくねっ』

指切りを交わす2人に、それを眺める瞳子とヒロトは微笑んでいる。
部屋の奥から戻って、こちらに気が付き手を振って来た父の隣には、優しい面差しのおひさま園の園長が佇んでいた。




──ピピピッ、ピピピッ。

「ん、……?」

瞼を突き刺す白い光に、織乃はゆっくりと目を開けた。鞄から半分はみ出した携帯電話のアラームは、尚も鳴り続けている。

「今のは──」

アラームを消し、織乃は改めて自分の状態を確認した。
ベッドのシーツには皺が寄り、服は制服のまま。枕元と机の上には、古い手紙が散らばっている。

「(今のは、夢……違う、そうじゃない)」

コクリと息を飲み込み、織乃は掌を覗き込んだ。
頭の中でバラバラだったピースがはまっていく。長らく忘れていたものが、色鮮やかに蘇る。
手の中で砕け散った紫色の欠片は日の光に反射してキラキラと輝き 、既にあの淡い光は放っていない。

何故、レーゼやデザームたちに、既視感のような懐かしい感覚を覚えたのか。何故、玲名と名乗る少女があれを最後の手紙にしたのか。
全てを理解した織乃は、立ち上がる。昨日まで所在なく彷徨っていた心は、既に目指すべき場所を見つけていた。

「行かなくちゃ」

シャツと下着を新しい物に取り替えて、織乃は身支度を手短に済ませなるべく音を立てないよう階下に降りていく。
今日は日曜日。時刻は朝7時手前、弟たちや母はまだ眠っているだろう。行ってきます、と誰もいない玄関に小さな声を響かせて、織乃は家を出た。

日の昇ったばかりの空気はまだ少し冷たく、霧が足下を覆っている。
視界の悪い中、織乃は雷門を目指し静かな道を走り抜けた。

校門を潜り、キャラバンを通り過ぎて中庭へ直行する。不思議と、彼女がそこにいる気がしたから。
そしてその予感は、的中する。

「……御鏡さん。早いわね、まだ時間まで1時間近くあるわよ」
「──確かめたいことが、あったんです」

突然現れた織乃に、瞳子は僅かに驚いたようだった。腰掛けていた石段からほんの少し腰を浮かし、彼女は織乃を見つめる。
息を整え、織乃はスカートのポケットに手を入れた。行き掛けにねじ込まれたそれは、皺が寄ってしまっている。

「瞳子、監督……この手紙の送り主に、覚えがありますよね?」
「手紙……?」

織乃からあの手紙を受け取った瞳子は、封筒の裏面を見て目を見開いた。
無言で中身を取り出し、目を通す。信じられないものを見るように、確認するように、何度も。

やがて瞳子はハッと顔を上げると、織乃の面差しを凝視する。
そしてしばらくすると、彼女は長い息を吐き出して便箋を封筒に仕舞う。

「そう……やっぱり、あなただったのね。御鏡さん──織乃、ちゃん」
「……じゃあ、やっぱり」

瞳子お姉さんなんですね。織乃の震える声に、瞳子はしっかりと頷いた。

織乃は以前、あれと似たような夢を見たことがあった。あの時はすぐに忘れてしまったが、今回ははっきりと細部まで覚えている。
それが、あれはただの夢なんかではなく、全て織乃が6歳の頃──実際に体験したことだから。

「けれど、どうして今まで忘れていたの……?」
「その封筒に、小さい石が入ってたんです。紫色に光る、おかしな石……多分、それのせいです」

瞬間、瞳子の顔が強張る。
「もう、粉々に砕けちゃったけど」言い足すと、瞳子の肩から少しだけ力が抜けるのが分かった。
織乃は険しいままの表情で瞳子を見つめる。

「教えて下さい、瞳子お姉さん。玲名ちゃんたちに……おひさま園のみんなに、何があったんですか?」
「……本当は、あちらに着いてから全員に話すつもりだったのだけれど」

「あなたには話しておくべきね」と独り言ちた瞳子は、僅かに辛そうに表情を歪めながら語り出した。
1つ2つ、真実が紐解かれるにつれ、織乃は信じられない気持ちで一杯になる。有り得ない、と思った。そんなことが実際に起こりえることなど。

けれど瞳子の目はどこまでも真剣で、それが紛れもない事実なのだと思い知らされる。
やがて粗方話し終えた瞳子は、息を吐くとじっと織乃の瞳を覗き込んだ。

「──彼らは、あの人に心酔しているわ。最悪、私たちのしようとしていることは、偽善と取られてしまうかもしれない」
「偽善だって構いません」

間髪入れず、織乃は答える。
確固たる意思を持って、瞳子を見つめ返す。彼女がずっと独りで背負ってきた責務と罪悪感を感じながら。

「今のあの子たちはもう、私のことを忘れてるかもしれない。だけど、あの頃私たちは確かに友達だったんです」

握りしめた手紙に入っていたあの石。巻き込みたくないから忘れて欲しいと願った彼女は、どんな思いでこの手紙をポストに入れたのだろう。

傲りかもしれない、迷惑かもしれない。けれど、織乃は彼女の優しさに報いたかった。
友達が道を踏み外しそうになった時、それを止めたいと思うのは当たり前のことだから。

「私は、みんながエイリアを倒せるよう全力を尽くします。それが、玲名ちゃんたちを救う為になるのなら」

ひゅる、と朝の冷たい風が2人の間を吹き抜ける。
崩れた前髪を耳に掛けながら、瞳子はぎゅっと目を強く瞑る。少しだけ口角を上げた彼女の声は、僅かに震えているようだった。

「──ありがとう、織乃ちゃん」

そろそろみんなも来る頃だから、と瞳子は踵を返す。あの頃とても大きく見えた背中は、今見ると何てことのない、1人の女性の背中でしかない。
円堂たちは、この事実を知ればどう思うだろう。彼女を責めるだろうか、それとも自分と一緒に、この背中を支えてくれるだろうか。
その答えは、当たり前のようにするりと出てくる。

「(待ってて、玲名ちゃん)」

今再び、約束を交わす時が近付こうとしていた。