Eye of a typhoon

くるり、とシャープペンシルを手の中で回しては、紙の上をこつこつと叩く。
もうこの動作も何度目だろうか。書いては消してを繰り返し草臥れた紙を睨んだ織乃は、やがて長い溜息を吐き出した。

「──やっぱりこうするしかない、か」

机に置いた時計は、既に深夜0時を差している。そろそろ眠らなければ明日の作業に支障が出てしまう。
ペンを走らせた紙をじっと見つめ、それをクリップボードに挟んで鞄に入れたその時だった。

「! 電話……?」

マナーモードにしたままだった携帯が、ローテーブルの上で小さく震えている。
画面を覗き込むと、予期せぬ相手から着信が来ているのが分かった。

「もしもし……どうしたんですか、夏未さん?」




──翌日、朝7時半。

「完成したか。大分悩んだようだな」
「はい」

部室にて緊張した面持ちでクリップボードを響木に手渡した織乃は、固唾を飲んで彼が紙を1枚1枚丁寧に捲るのを見守る。
ふむ、と髭を小さく揺らした響木は、頷きながらクリップボードを織乃に返した。

「結構だ。これで進めてくれ」
「はい。ありがとうございます」

手元に戻ったクリップボードに目を落とし、紙に連なる名前をそっと撫でる。
あの、と遠慮がちに声を掛けた織乃に、響木は視線だけそちらに向けた。

「私、しつこいくらい考え抜いて、このチーム分けを作りました。でもみんなは、──鬼道さんや佐久間さんは、きっと」
「納得しないだろうな。チーム分け云々の前に、この人選に。だが、俺はこの決定を覆すつもりはないぞ」

「お前さんも分かってるんだろう?」諭すような声に、織乃は眉根を寄せて俯く。
──分かっている。きっとチーム内で衝突が起きることは避けられない。けれど、これはひとつのショック療法でもある。あれは、彼が呪縛から逃れるための爆弾だ。

「無論、あいつの実力は本物だ。それだけは忘れるなよ、御鏡」
「──はい」

ならば心を鬼にするしかない。1番傷が浅いのは、織乃だけなのだから。

「……ごほっ」

決意を改にしたところで、ふいに響木が小さく咳き込んだ。
目を丸くした織乃の前で、響木は先程よりも苦しそうに背中を丸めて咳を繰り返している。

「ひ、響木監督? 大丈夫ですか?」
「っ……ああ、すまん。どうも最近喉の調子が悪くてな」

そう言えば時折、胸の辺りを擦っているところを見掛ける気がする。ご自愛して下さいね、と背中を擦る織乃に、響木はどこか力無く笑った。

「響木監督! もうすぐ時間ですよ」

夏未が部室の扉を開けたのは、丁度響木の咳が落ち着いた頃だった。そうか、と頷いた響木に続いて、織乃は部室の外へ足を踏み出す。夏未と一瞬目が合うと、2人は小さく頷き合った。
今日は日曜日だ。どの部活動も休みで生徒のほとんどいない学校は、静かで穏やかな時間が流れている。そんな中で、これからとても大きな事が始まろうとしているなど誰も想像しないだろう。
それはきっと、彼らにとっても。

「みんな、揃っているか?」
「監督!」

体育館の開け放たれた扉から登場した響木とマネージャーたちに、集められた選手たちが挙って駈け寄ってくる。
──いや、全員ではない。ハッと息を飲んだ織乃の視線の先で、影から姿を現した彼≠ヘニヤリと笑って抱えていたボールを軽く放り投げた。

「っ!」

風を切って背中に飛来した存在に気付いた鬼道が、振り向き様そのボールを蹴り返す。
戻ってきたそれを受け止めたのは、今回の件で台風の目になるであろうその人だった。

「不動……!?」
「な、何であいつがここにいんだよ!?」

表情を強張らせた鬼道に続き以前辛酸を嘗めさせられた染岡が食って掛かるが、彼──不動は周囲の反応を楽しむかのように鼻で笑う。

「不動、何の真似だ!?」
「挨拶だよ、挨拶。シャレのわかんねーヤツ」

「響木監督! まさかあいつも……!」首を竦める不動に絶句した鬼道が響木を振り返ったが、彼はそれに答えることなく体育館に集まった少年たちの顔を見回す。
ここには雷門の選手だけでなく、帝国や木戸川清州、かつての旅の仲間や敵、そして自分が各地を回り見つけてきた少年たちが集結している。誰も彼もが、厳選に厳選を重ねた選手たちだ。

「──良いか良く聞け。お前たちは、日本代表候補の強化選手たちだ!」
「日本代表……? 一体何の?」

首を傾げた円堂が尋ねる。それも当然のことで、彼らには今日ここに集められた目的は一切聞かせていないのだ。それも全て、これからする戦いを公平な物にするためである。
少年たちがやきもきするほどたっぷりと間を空けて、響木は口を開いた。

「今年から、FFの世界大会──フットボールフロンティアインターナショナル=A通称FFIが開催される。少年サッカー世界一を決める大会だ」

お前たちは、その代表候補なんだ──重く、しかし誇らしい言葉が、痛いほどに静まりかえった体育館に響き渡る。

「せかい……」

呆然とした誰かの呟きが、その沈黙を裂く。次の瞬間、喜びに肩を震わした円堂がひゅうっと大きく息を吸い込んだ。

「すげーぞみんな! 次は世界だ!!」
「おーーッ!!」

それを皮切りに、体育館は爆発したかのように賑やかさを取り戻した。地区と戦い全国と戦い、ついに世界に挑戦するのだ。これに心が躍らない選手がいるわけがない。
興奮に息巻く少年たちを「まあ落ち着け!」と一旦宥め、響木は言葉を続ける。

「いいか、あくまでこの22人は候補だ。この中から16人に絞り込む!」

響木に視線を向けられ、頷いたのは彼のサイドに控えていた秋と織乃だ。2人は視線を交わすと、互いにクリップボードを手にして1歩前へ進み出る。

「まず11人づつ、2つのチームに分けます。その2チームにより2日後、日本代表選手選考試合を行います」
「……では、メンバー編成発表します!」

張り詰めた面持ちの織乃から、1人ずつ名前が呼ばれていく。Aチーム、Bチーム。円堂から始まり最後の1人が呼ばれた頃には、彼らも大分落ち着きを取り戻したようだった。
けれど、予想通り剣呑な雰囲気を醸し出す一角に、織乃は胃が痛むのを感じた。

「どーぞよろしく、鬼道クン」
「黙れッ!」

鬼道と同じBチームに振り分けられたのは、因縁の相手でもある不動だ。目を細めて声を掛けてきた不動に、鬼道が何か答えるよりも先に佐久間が噛み付いていく。

「ご不満のようだけどさぁ、俺だって響木監督に認められてここに来てるんだぜ」
「……分かっている」

口ではそう言っているものの、その表情は明らかに納得している風ではない。
今にも地団駄を踏みそうな程その整った顔をこれでもかと歪めた佐久間は、勢いよく織乃を振り返った。

「〜〜っ御鏡! 何で俺がAチームなんだよ!?」
「バランスよく選手を振り分けた結果ですよ、佐久間さん」

ああ、やはり最初に反発するのは彼だったか。そんなことを思いながら、織乃は努めて冷静に返答する。
互いの気持ちを伝え合い、吹っ切れた2人の関係は、以前と比べると遠慮なくものを言い合える男女関係のない友人同士になっていた。

「だからって……!」
「……お前がチーム分けを考えたのか、御鏡」

鬼道の静かな声音に、織乃の肩が一瞬揺れ動く。決して責めるような声ではない。だが、彼女の決心を揺るがせるような重たい声だ。
彼からそっと視線を外して、そうです、と織乃は頷いた。

「本人の言う通り、不動さんも実力を認められた上でここにいます。そこに私情を挟めば、公平とは言えなくなってしまうから」
「ほーら、こいつの方がまだ聞き分けが良いじゃねーか。なぁ、佐久間?」
「ぐぅ……!」

不躾に肩に掛かった不動の腕をぺち、と払って、織乃は鬼道の視線を感じながら1歩退く。
「何だあいつ、いちいち嫌味だな」と、沖縄から綱海と共に招集された土方が鬼道のフォローに回ったが、鬼道は眉根を寄せて唇を引き結んだだけだった。

一触即発のBチームの方を窺いつつ円堂は響木を見る。チーム分けは織乃の言う通り公平を考えての結果かもしれないが、不動をここに呼んだ時点で不和が生まれることは響木にも容易に想像出来たはずだ。
それを何故。円堂の疑問を込めた視線には応えず、響木は三度口を開く。

「円堂、鬼道。お前たちがそれぞれのキャプテンだ。いいな?」
「はい!」
「……はい」

勢いに差違はあれど、返ってきた返事に満足げに頷いた響木は、こちらに注目する少年たちの顔を順繰りに見回した。

「試合は2日後。ひとりひとりの能力を見るために、連携技は禁止とする。持てる力の全てを出してぶつかれ!」
「はい!!」

必要なことを言い終えた響木は、「2日後を楽しみにしてるぞ」と言い置いて、体育館を後にする。
指導者のいなくなった後は、子供の時間だ。途端思い出したように賑やかになった集団に、秋が大きな声を掛ける。

「それじゃあ今からユニフォームを配布しまーす! それから、Aチームのマネージャーは私が務めるので、何かあったら聞いて下さい!」
「Bチームのマネージャーは私がやらせていただきますので、よろしくお願いします!」

それぞれ秋と織乃は声を上げたが、ユニフォームに興奮した彼らから返ってきたのは分かっているのかいないのか判別が付けづらい生返事ばかりだ。
そこで、あれ? と疑問を口にしたのはBチームになった立向居である。

「木野さんがAチーム、御鏡さんがBチームのマネージャーなんですよね。音無さんや雷門さんは……?」
「ああ、春奈ちゃんは今回広報とか裏方の仕事を請け負って貰ってるの。2日間だけのものだし……夏未さんは、……ちょっと事情があって、不参加」

正確に言えば、海外留学≠セ。今夜の飛行機で日本から発つらしい。
その話は、昨晩夏未本人から電話で聞いたばかりだった。彼女は特に理由は話してくれなかったが、この時期、しかもFFIの件を知っている上で留学を決めたと言うことは、何か深い訳があるのだろう。
円堂や秋には、中々踏ん切りが付かないらしくまだ伝えていないそうだ。そんな彼女は今、その場で着替えようとしている円堂に「更衣室に行きなさい!」と声を荒らげている。

「──それで、私たちが練習に使う場所ですが、帝国のグラウンドをお借りすることになりました」
「えっ、いつの間にそんな話を付けたんだ?」

聞いてないぞ、と佐久間は眉根を寄せたが、聞かせないようにしていたのだから当たり前だ。そうでなくては今日まで秘密にしていた意味がない。

「こっそり辺見さんにお願いしたんです。そしたら、2軍の使ってた場所を使えるようにしてくれるって」
「2軍のグラウンドか……確かにあそこなら、長いこと使い余していたから丁度良いだろう」

いつもの冷静さを取り戻したらしい鬼道が、納得したように頷く。
影山が一度逮捕されてから、帝国イレブンの2軍からは選手がいなくなった。去年の時点で人が少なかった上、理事長が逮捕されたと言うことで親の心配を気にした残った選手たちはそれぞれ自主退部するに至ったのだ。

「……それに、あそこなら落ち着いてプレー出来るんじゃないかと思って」

そこに、ほんの少しの私情を混ぜる。織乃も長い時間葛藤して、考え抜いてこのチームを組んだのだ。不動のことを1番気にするであろう鬼道には、少しでも精神の負担を減らしてやりたかった。ある意味、罪滅ぼしでもある。

「御鏡、」
「っさあ、そうと決まれば早速出発しましょう! 古株さんがバスで待ってますよ!」

織乃の気遣いを察した鬼道が声を掛けようとした直後、気恥ずかしさからかやや上擦った声を上げて手を叩いた。

「ほら、佐久間さんも何を我が物顔でここにいるんですか。Aチームはあっちです!」
「ああっ、止めろ御鏡!」

「俺だってBチームが良かった!」と悲鳴にも似た声を上げながら、佐久間はAチームの壁山や松野に回収されていく。
自分でしたことの結果とは言え、やはりまだまだ不安要素は山積みだ。溜息を吐いた織乃の背中を、鬼道が静かにじっと見つめていた。