Certain thing

「うーん……」

運動部棟の脇、サッカー部の部室にて。少し気難しい表情でうなり声を上げたのは、円堂である。
4日後に控えたFF準決勝。その相手が、以前豪炎寺が在籍していた木戸川清修に決まったのだ。

「もし俺が転校して違うチームに入ったとして、雷門中と戦うとしたらやっぱりやだな……」

そんなことを珍しく覇気のない表情で呟くのは染岡だ。
仄暗い影を落とす円堂たちに、春奈と秋、そして織乃は声を潜めて額を寄せ合う。

「やっぱり、豪炎寺くんが気がかりになってるよね……」
「元チームメイトですしねぇ」
「豪炎寺さんも、少し気にかかってるみたい……」

そっとそちらに目を向ければ豪炎寺が靴紐を堅く結びなおして立ち上がったところだった。

「どこが相手だろうと関係ない。サッカーはサッカーだ」

あくまでクールにと言い放つ彼に、まるで自分に言い聞かせてるようだ、と織乃は心の中で独り言ちた。

「……そうだな! サッカーはサッカーだ!」

明るい雰囲気を取り戻し、豪炎寺を追って部室を飛び出した円堂に、染岡がやれやれと言うように溜め息を吐きながら着いて行く。

「……私たちが色々言っても仕方ないですね」
「そうね……」
「じゃ、行きますか」

タオルにドリンクの入った籠とバインダーとビデオカメラを抱え、3人もまた部室を後にする。
グラウンドでは、ポジションに着いた円堂たちが早くもミニゲーム式の練習を行っていた。

「──よし! ダイレクトで裏に通してシュートだ!」

行くぞ! と鬼道の指示が飛ぶのと同時に、一之瀬の蹴り上げたボールが土門の頭上を飛び越し、染岡へ渡る。
予測を誤った円堂は途中地面に右手を着いて体勢を立て直し逆方向へ飛んだが、それでも間に合わずボールは彼のグローブを掠ってゴールネットを揺らした。

「OK! ナイスシュートだ」
「それより今のダイレクト! バッチリだったぜ!!」
「やっぱり凄いや、一之瀬のボールコントロールは」

染岡や土門の賞賛に、一之瀬は照れたように笑ってお決まりのポーズを取っている。
そんな彼らを見て、春奈がほっとしたように口を開いた。

「もうすっかり溶け込んでいますね! 一之瀬さん」

その言葉に、小さく秋が笑う。
「みんな、サッカーで分かり合えるから」ふわりと吹いた風が、彼女たちの髪を浚った。

「──パスが繋がれば、気持ちも繋がるのよ」

ちょっと羨ましいなぁ──ぼんやりとどこか一点を見つめ、秋は呟く。
その視線が円堂の方を向いていることに気が付いて、春奈と織乃は顔を見合わせ小さく笑い合った。

それからしばらくすれば、いつものように休憩時間が始まる。
「ちょっと聞いて!」タオルを全員に配り終わったところで、今まで校内にいた夏未がベンチにやって来た。

その手には1枚の書類が握り締められている。Aブロック準決勝の結果が届いたのだ。
和やかだった空気が一気に張り詰める。

「決勝進出は、世宇子中よ!」
「世宇子中か……!」

拳を握った円堂が、「やはり来たか」と眉間に皺を寄せる鬼道を勢いよく振り返った。

「鬼道、決勝ではもう一度、世宇子中と戦うんだろ!? 準決勝は絶対に負けられないぞ!」
「ああ、勿論だ!」

力強く答える鬼道に、織乃もつられてバインダーを強く抱きかかえる。
円堂が拳を高く突き上げイレブンを鼓舞すると、各々ポジションの練習へと戻って行った。

「御鏡」
「はいっ」

ふと鬼道に名前を呼ばれ、織乃は表情を引き締めたままぐるりと振り返る。
「木戸川のデータはどうだ」そう問われ、彼女は頷いてバインダーに挟んだ紙を捲った。

「これが、各選手用のデータと……こっちが春奈ちゃんのデータを元に纏めた物です」
「ああ」

並んでベンチに腰を降ろし、2枚の書類を上から順にザッと目を通す。
鬼道の頭には、昨年木戸川と戦った際のデータが残っている。織乃はそれを念頭に置いて、各欄を指で追いながら口を開いた。

「木戸川のプレイスタイルは、去年と比べて攻めに貪欲なものになってるようなので──守備の確認を徹底するに越したことはないと思います」
「なら……こちらの攻撃は、カウンターが主体になるか。うちのツートップ以外も、攻撃に回る機会が多くなるかもしれないな」

MFにも後で指示しておこう、と鬼道は顎の先を摘みながら頷く。
「それから」織乃が続けて指をさしたのは、相手DFの選手である。

「この、西垣って人。去年のデータにはいなかったんですけど……準決勝までの試合を見ると、かなり能力の高い選手みたいです」
「……中々、手強い相手になりそうだな」

ふっとニヒルに笑い、鬼道はバインダーを返し立ち上がる。
「──鬼道さん」やや掠れた声に振り返ると、織乃が真剣な眼差しでこちらを見上げていた。

「……勝ちましょうね。絶対勝って──世宇子と、戦いましょうね」
「──当然だ」

鬼道は再三、力強く頷く。




そして数時間して、部活の終わった後。
グラウンドには既に、自主練に残った部員と後片付けをするマネージャーしかいない。

「それじゃ先輩、私はお先に!」

コーンを片付け終わった春奈が手を降りながら校門を出て行けば、秋がそれに応える。
織乃はボールを磨いていた手を止め、傍らに佇んでいた夏未を見上げた。

「雷門さん、どうかしました?」

「何だかぼんやりしてますけど」彼女の言葉に、夏未はえっと驚いたように振り返る。

「あ──いいえ。何でもないのよ」

だから大丈夫。夏未はそう言って微笑むと、踵を返して校内の方へ歩いて行ってしまった。

「……ほんとかな」

呟いて、ボール磨きを再開する。
部室の籠にそれを放り込み、秋と一緒に制服に着替えてグラウンドへ戻ると、丁度忙しない足音が聞こえてきた。

「た、たっ! 大変ですー!!」

バタバタと全速力で駈けてきたのは、先に帰った筈の宍戸である。
「どうしたんだ一体」風丸が眉根を寄せると、宍戸は息を整えながら叫ぶように言った。

「きゃ、キャプテンが……キャプテンが、他校の奴らと喧嘩を……っ」

はぁ!? ──と、風丸と土門の絶叫がユニゾンする。
変な頭の奴らと一触即発の雰囲気だった、と宍戸が付け加えると、秋の顔色が青を通り越して白くなった。

「喧嘩……円堂くんが、けん……っど、どうしよう織乃ちゃん! 円堂くんが、試合がっ」
「お、落ち着いて秋ちゃん!」

青ざめて涙目になり、震える秋を宥めながらも、織乃は表情を引き締める。

「とにかく、私たちも行きましょう!」
「だな……! 織乃ちゃんなら止められるだろうし」
「変な期待寄せないで下さい土門さん! 出来るけど!」
「あ、やっぱり?」

「言ってる場合か!」風丸の上擦った鶴の一声で、その場にいた部員たちは慌てて円堂たちの向かったと言う河川敷へ走った。




「──いた!」

初めに声を上げたのは、先頭を切っていた風丸である。
河川敷のグラウンドには、フィールドの脇に硬い表情をした豪炎寺と鬼道の姿。そしてボールを抱えた円堂と、赤いユニフォームを着た3人組が対峙している。織乃はその特徴のある後ろ姿に、眉根を寄せた。

「(あれは、木戸川の……?)」

「喧嘩はマズいぞ円堂!」焦って上擦りがちになった声で風丸が制止を掛けながら階段を降りていくと、円堂は怪訝な顔をした。

「んぇっ。ケンカ?」
「え? 違うのか?」

土門や一之瀬が首を傾げると、円堂は誰がそんなことをと半ば呆れたような顔になる。

「だって、やってやるーとかついて来いとか!」

物凄く喧嘩になりそうな感じだったじゃないですか、と宍戸が語尾を尻すぼみにすると、円堂は一瞬ポカンとした後、驚いたような顔をしながら抱えていたボールを少し掲げた。

「サッカーの勝負だよ、サッカーの!」
「えっ……サッカーの……?」

一瞬、沈黙が降りる。
真っ先に口を開いたのは、先程とは違う意味で肩を震わした秋だった。

「もぉ!! 慌てちゃったじゃないの!!」
「ホント、人騒がせだこと」

宍戸に対し唇を尖らす秋を一之瀬が宥める矢先、少し遠方から聞き覚えのある声。
見ると、階段手前に止まった黒塗りの車の前に、夏未が立っていた。どうやら宍戸の声を聞きつけて、先回りしていたようである。

まぁ、いつものことだけどね──夏未はやや厳しい言葉を向けるが、その表情は穏やかだ。
つまらなさそうな顔をする円堂に、彼女は今度こそ厳しい声色になる。

「学園を預かる身としては当然です。それに不祥事を起こしたら、みんなの大好きなサッカーが出来なくなるのよ?」

木戸川清修の皆さんも、トラブルは嫌でしょう? ──夏未の余裕を含んだ声に、3兄弟の長男・武方勝がオレンジ色のサングラスを押し上げた。
自分たちは挨拶に来ただけだ。挑んできたのはそっちだ──と、その敢えて神経を逆撫でするような声色に、織乃たちの表情は険しくなる。

「さて、ギャラリーも増えたことだしィ?」
「見せてやるぜ──」
「武方3兄弟、最強の必殺技を!」

台詞が一言一句違わないあたりは流石3つ子と言うべきか。
長男・勝がドリブルしたボールを高く蹴り上げ、次男・努がまた違う方向へ蹴りつける。そして三男・友が最後に大きくボールを蹴り落とした。

「トライアングル──Z!!」

叫び、ポーズを取るのと同時に巻き起こる爆発。
円堂は拳を振りかぶる。

「爆熱パンチ!!」

しかし。
勢いをつけたボールは止まることなく円堂の顔面にぶつかり、そのまま彼を吹き飛ばすとゴールネットに突き刺さった。

「円堂くん!」

秋が悲鳴のような声を上げる。
どしゃりと倒れた円堂を見下ろし、武方たちはせせら笑った。

状況が状況なら、一々ポーズを取らなければ話が進められないのかと突っ込んだところだろう。
しかしそれが出来るのは誰もいない。皆一様に、トライアングルZのその威力に圧倒されていたのだ。

「世宇子中を倒して全国1になるのは──俺たち武方三兄弟の木戸川清修だッ!!」

片膝を突いて起き上がりながら、円堂は奥歯を噛み締める。
正に一触即発の険悪な雰囲気が漂う中、3人を探しに来たらしい木戸川の監督の乱入により、事態は一時収束した。




それから、アメリカ時代の仲間だったという、織乃と鬼道の目をつけた相手DF──二階堂監督と連れ立ちやってきた、西垣と話をしたいという秋たちを河川敷に残し、織乃を含めた六人は雷雷軒にやって来ていた。

「御鏡、お前帰らなくても良かったのか?」

ラーメンを啜りながら、尋ねるのは円堂である。
織乃は自分のミニラーメンを冷ましながら、頷いた。

「今日、みんな家を空けてるので」

夕飯を作る手間が省けました、と織乃は麺を口に含む。その答えに、円堂の向かいに座っていた鬼道が首を傾げる。

「みんな……? 兄弟全員か?」
「はい。大樹は部活の合宿で、双子は祖父母の家にお泊まりなので」

「冬樹さんは?」尋ねる鬼道に、兄はあのままイタリアです、と返す織乃。
会話の内容に着いて行けず小首を傾げる円堂たちに、彼女は苦笑した。

「まぁ、そのへんの話は追々……監督、お冷や貰って良いですか?」

タプタプと、透明なコップに水が注ぎ込まれる音がする。
鬼道がふと箸を置いた。

「問題は、あのパワーとスピードをどうするかだが……」
「トライアングルZか?」

苦い顔をする風丸に、あんな凄い技見たことないですよ、と口を挟む宍戸。

「今まで対戦した中で、最強のシュートじゃないか?」
「ああ。単純なパワーの比較なら、帝国のデスゾーンより強力かもしれない」

店内に少々沈鬱とした沈黙が降りると、それまで丼を傾ける勢いでズルズルとラーメンを啜っていた円堂が顔を上げた。

「大丈夫! 今日は初めてだったから驚いただけさ」

試合では絶対止めてみせる!と意気込む円堂に「すごい自信ですね」と織乃が零す。
本当に出来るのか、とやや心配そうな色を声に纏わせる風丸に対し、鬼道が顔を上げる。それはさながら研究者のような表情だった。

「根拠はあるのか?」
「死に物狂いで練習する!」

間髪入れず返ってきた答えは、いつもと同じパターンである。
風丸や宍戸は椅子から崩れ落ち、鬼道たちも思わず肩を落として顔をひきつらせた。

「物凄く単純な理屈だな……」
「ん、そうか? でも、御鏡もそう思わないか? 勝つには特訓あるのみ!」

「ふぁい?」唐突に話を振られた織乃は、慌てて口の中を空にする。
一息吐いたところで、織乃は箸を置いて控えめに述べた。

「確かに、特訓も大事ですけど……やりすぎは毒ですよ、円堂さん」
「う」

手厳しい意見に、円堂はぐっと口元を結ぶ。
織乃は頭の中に木戸川のデータを並べ連ねながら、更に続けた。

「でも、どんな屈強なチームでも、どこかに穴はありますから……突破口は必ずある筈です」

無限の壁もそうだったしな──とポツリと零したのは豪炎寺。
ふと、今まで傍観を決め込んでいた厨房の響木が顔を上げた。

「だが、円堂の言うことも間違っている訳ではないぞ」

確信めいた声色に、全員の箸が止まる。
響木は順に、その顔を見回した。

「サッカーの中で、絶対に嘘をつかないものが一つだけある」

なんだと思う?という問いにすぐ答えられる者はいない。
一拍置き、響木は髭を震わせた。

「練習だ。練習で得たものしか、試合には出てこない」
「……確かに、それは正論ですね」

その考えに、納得したように頷く鬼道。
明日から特訓だ!といつもの調子で意気込む円堂の丼は、汁の1滴も残っていない。

FF準決勝まで、あと4日。
豪炎寺はコップに口を付けながら、曇った表情でどこか一点を見つめていた。