Cursed director
「よーし、繋いでくぞー!」
円堂を筆頭に、抜けるような青空にイナズマジャパンたちの声が響く。
昨日は久遠の厳しい特訓と心無い言葉に気持ちが揺らいだが、それしきで折れる心の持ち主はここにはいないだろう。
「──おや。御鏡さん、いつものモバイルはどうしたんです?」
「えっ?」
昨日の心配もこれで杞憂に終われば良いのだが──そんなことを考えている織乃に、ふとハンディカムを回していた目金がそんなことを言ってきた。
そう言えば、と春奈や秋も織乃の方に目を向ける。ベンチに腰掛ける彼女の膝には、すっかりお馴染みになっていた筈の空色ボディのモバイルではなく、以前使っていた金属製のクリップボードが抱えられていた。
「う……じ、実は昨日、故障しまして……」
「えっ、故障!?」
「短い期間でかなり使い込んでましたもんね」
得心が行ったように頷く春奈に、織乃は曖昧に笑う。
昨日の夕方のことだ。フィディオたちから貰ったDVDを再生し終え、こうしてはいられないと中身を取り出そうとしたところ、モバイルは不穏な音を立てたかと思うと次の瞬間うんともすんとも言わなくなってしまった。
あまりにひどいタイミングに目眩すら覚えたが、故障してしまったものは仕方がない。今日の午後、練習が終わり次第理事長から聞いた店に修理に出すつもりだった。
「良いぞ、2人とも!」
大きな円堂の声に、我に返る。
円堂からのスローイングでボールを受け取った鬼道が、風丸にパスを出している。青い髪を靡かせ駈ける風丸は、最近より一層足が速くなっているように見えた。
久遠の厳しい指示は昨日と変わらないが、全体の雰囲気は良い。この調子ならチームワークも早めに整うのではないか、と期待した矢先だった。
「チッ……調子に乗りやがって」
小さく毒突き、不動が走り出す。
背後から忍び寄り、不意を突いたスライディングは風丸に直撃し、受け身を取り損ねた風丸は地面に勢いよく倒れ込んだ。
「風丸!」
「大丈夫だ、円堂! ……ッ」
目を見開き一歩踏み出した円堂に風丸は気丈に返すが、体を強く打ち付けたのだろう。倒れたまま一瞬苦しげに顔を歪める。
呻く風丸を助け起こしながら、鬼道が不動の背中を睨み付けて吠えた。
「不動! 今のはわざと後ろから──」
「良いぞ不動! ナイスチャージだ」
諫める鬼道の言葉を、鋭い声が遮る。
選手たちは信じられないような目で、声の主──それまでミニゲームを静観していた久遠を振り返った。久遠は至極当たり前のことを言ったかのような変わらぬ表情で、依然としてそこに佇んでいる。
鬼道はしばし言葉を失っていたが、やがて顔を顰めて久遠や不動から視線を外す。不動はちらりと鬼道を一瞥し、小馬鹿にしたように肩を竦めた。
「今のはどう見たって……!」
「音無さん」
小声で憤慨する春奈の肩を秋が叩き、そっと頭を振る。
ハッと春奈が冬花の方を見ると、冬花は物憂げに父の横顔を見詰めて春奈の声は聞こえていないようだった。
「う、うう〜っ……!」
彼女がいる手前で父親の愚痴を吐くわけにもいかず、春奈はバタバタと足を動かす。それに苦笑する秋、埃が立ちますよ、と顔を顰める目金を視界に留めたまま、織乃はそっと誰にも気付かれないように溜息を吐いた。
「──よし、分かった。じゃあ、明後日までに修理するよ。時間は午後の……そっちの用事が終わり次第で構わないから」
「はい、よろしくお願いします」
時計の針は進み、午後7時半。
練習を終え、粗方の仕事を片付けた織乃は夕食後、理事長から指定された店──商店街の模型店に来ていた。勿論、壊れたモバイルを修理して貰う為だ。
人好きしそうな快活な笑みを浮かべた店主に見送られ、行きよりも少し身軽になった織乃は今日何度目かも分からない溜息を吐く。
不動のプレーは、あれからも相変わらずだった。選考試合前には極力控えていたらしい乱暴なプレーは悉く鬼道の琴線に触れる辺り、そこも踏まえてわざとやっているのではないかと疑わざるを得ない。
しかも、久遠はそれを注意せず場合によっては褒める始末で、あれでは周りの反感は募るばかりだろう。
「(でも──)」
歩きながら、山間に沈む夕日に目を細める。
あれ≠見た今なら分かる。久遠が彼らに厳しく当たる理由も、織乃に視野を広げろと言った意味も。
今のイナズマジャパンでは、世界どころかアジアのトップにも届かない。そんなレベルで、彼らは足踏みをしている最中なのだ。
「(何でこのタイミングで壊れちゃったんだろう、ホントにもう!)」
彼らにあの試合の様子を見せれば、少なくとも久遠の言わんとすることは理解出来るはずだ。こればかりは自分の運の無さを呪うしかない。
肩を落とし、アーケードの出口に差し掛かったところだった。
「──御鏡!」
「はいっ!?」
突然呼び止められた織乃は反射的に声を返しながら、声の主を探して振り返る。
暖簾を降ろした雷雷軒の前に、白い前掛けを付けた響木が立っている。ちょいちょいと手招きされるがまま、織乃は響木に駆け寄った。
「響木さん! どうしたんですか?」
「なに、お前に頼み事があってな。近い内に連絡を入れるつもりだったんだが、丁度良かった」
中で話そう、と響木にいざなわれて中に入ると、片付けは既に終わった後のようで店内はがらんとしている。
いつもこの時間帯が一番盛況な雷雷軒にしては珍しい早仕舞いだ。そんなことを考えている間に、響木は手近な椅子を引いてどっかりと腰を降ろした。
「なぁ、御鏡よ。お前さん、マネージャーから転向する気はないか」
「っえ?」
しばしの沈黙の後、響木から飛び出したのはそんな言葉だった。織乃は数度目を瞬いた後、どういうことですか、と眦を下げる。
まさか、自分では選手のサポートとして力が足りないから、目金と同じ記録係になれと言いたいのだろうか。卑屈な考えに耽りかける織乃に、響木は言葉を続けた。
「お前は一介のマネージャーに収まっておくよりも、トレーナーとしての方がその力を生かせるんじゃないかと前々から思っていたんだ」
「私が、トレーナーに……?」
ああ、と響木は深く頷いた。仕事疲れのせいか、響木はどことなくいつもの覇気がないように見える。
それでも言葉の端々に籠もる力は強く、重たい。彼は本気で織乃をイナズマジャパンのトレーナーに据えることを考えているのだろう。
「勿論スポーツトレーナーになるには資格が必要だから、あくまで真似事≠ノしか過ぎん。それでも、現状維持よりもずっと良い影響力になる」
「……もしかして、フィジカルコーチの件もそれを考えて話されたんですか?」
「ああ。何にせよ、お前は恐らくそのどちらにも正確には当てはまらないんだがな」
そこで響木は歯を見せてカラカラと笑う。織乃も釣られ、ほんの少し表情を緩めた。
それで、と響木は笑いを収め、織乃に流眄を向ける。
「問題は、お前自身がどう考えているかだが……」
「…………私、は」
きゅっと眉根を寄せて、織乃はスカートの端を握り締めた。
──今まで、何度自分の無力さを呪っただろう。鬼道から自分を卑下するな、無力だと思うなと叱咤され、その考えが緩和されたのは確かだ。
けれど、それでも時折考えてしまうのだ。これまでの戦いで、もっと自分に出来ることはなかったのだろうかと。
「…………私、もっと鬼道さんたちの力になりたい。でも、その為に何をすれば良いか、ハッキリ分からなくて」
フィディオから送られてきた試合の映像は、織乃のこれまでの常識を容易く崩し、そして覚悟を後押しするには十分なものだった。
──やらなければいけない。彼らが世界と対等に戦うためにも、未知の世界を恐れてはならない。織乃は俯かせていた面差しを上げて、響木を見詰め返した。
「響木さん、教えて下さい。真似事でも何でも、……私が、みんなの力になれる方法を」
「──お前ならそう言うと思ったよ」
にぃ、と響木が髭の奥で口唇を持ち上げるのが分かる。
彼は立ち上がると、裏口の扉を開けてそこから大きな声を掛けた。
「おい、ちょっと戻ってこい!」
「……?」
どうやら裏手に人を待たせていたようだ。しばしして、バタバタと忙しない足音の後、「はい!」と体育会系の返事が返ってくる。
その声に、織乃はハテと首を傾げた。どうも聞き覚えのある声だ。
「御鏡。お前にはまず、こいつをサッカー選手の体に鍛え上げて欲しい」
「……はい?」
裏口から入ってきた長身の人影と目が合う。
途端、ポカンと口を開けた双方は、響木を見上げて声を揃えた。
「──え!?」
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合宿3日目、日もとっぷりと暮れた午後。
グラウンドには疲労からくるもの以外の、何かピリピリとした空気が漂っている。
その場で息を整え、俯き加減の選手たちをざっと見回して、久遠が声を張り上げた。
「今日の練習は終了だ。──冬花、協会本部に資料を取りに行く。お前も着いてきなさい」
「はい、お父さん」
踵を返した久遠に頷いた冬花が、また後で、とマネージャー陣に軽く会釈して走り去って行く。
2人の姿が校門の向こうに消えた瞬間、ずしゃ、と何かが倒れる音がする。驚いて振り向くと、壁山が仰向けになってひっくり返っていた。
「だ、大丈夫でヤンスか壁山!」
「うう……もう動けないッス…………」
「壁山、せめて食堂まで自力で頑張れ! 飯食えばちったぁ元気になるだろ?」
俺たちじゃお前の体は運んでやれねぇからよ、と綱海と栗松が協力しながらぐったりしている壁山を支えて構内に戻っていく。
恐らくここ2日で1番厳しい指導を受けたのは壁山だろう。特に走りに関して久遠は一層妥協を許さず、元々足の遅い彼は精神的にもかなり堪えたようだ。
一足先に戻った3人は目金に任せ、残った3人のマネージャーは手早くタオルとジャグを配っていく。
「リュウジくん」
「! 織乃ちゃん」
一瞬躊躇して、織乃は緑川に声を掛けた。緑川は僅かに居心地悪そうに目を伏せて、ありがとう、とタオルを受け取る。
「リュウジくん、調子悪いなら言ってね。他の人に当たったりしたらダメだよ」
「わ、分かってる。大丈夫だよ……」
大丈夫に見えないからわざわざ言ったのだ。織乃は顔を顰め、自分から目を逸らす緑川を観察する。
昨日、不動の行動を皮切りにしたかのように、緑川の様子もおかしくなった。チームメイトに敵対意識を持っているように見えるのだ。
FFIには試合ごとに代表選手を入れ替えることが出来る、選手起用の特別ルールがある。それを知っているからこそ、緑川は焦っているのだろう。他よりも劣るものがあっては許されない。それは星の使徒を演じていた頃の名残なのか、それとも元来の負けず嫌いのせいなのか、焦燥が態度に出てしまっている。
「はい。鬼道さんも」
「ああ……」
そそくさと構内に駆け戻る緑川を溜息交じりに見送って、織乃は次に鬼道に声を掛けた。
練習中、彼が声を張り上げる回数は円堂のそれと同じくらいだろう。そしてその大半が、不動のラフプレーに対する苦言である。
当の不動は既に秋の籠から自分のタオルとジャグをかすめ取り、とうに構内に戻っている。彼ともその内話をした方が良いのだろうが、今は鬼道の方を優先したかった。
「大丈夫……では、ないですね」
「……そう見えるなら、俺もまだまだと言うことだな」
ジャグを傾け、小首を傾げる織乃に鬼道は疲れたように苦笑する。いつもの切り返しにも覇気がない。織乃は心が痛む思いだった。
「……キツかったら言って下さいね、鬼道さん。私に出来ることなら、何でもしますから」
「…………何でも、な」
一瞬眉を跳ね上げて、鬼道はより一層深い溜息を吐く。それがあまりにも疲労困憊したもので、織乃は益々首を傾げた。
──その時だ。
「…………あの! ご相談しておきたいことがあるんです!」
緩み始めた空気を切り裂くような、切羽詰まった声が響く。春奈の声だ。
キョトンとした一同の視線を受け、春奈はこくりと小さく喉を鳴らしたのち、ゆっくりと口を開く。
「久遠監督の、ことなんですけど──」
「──えっ? 久遠監督がサッカー部を潰した!?」
「間違いありません。サッカー協会の資料室で見つけたんです!」
場所を移し、食堂。
全員が揃った目の前で春奈が真剣な顔で切り出したのは、今はここにいない久遠の経歴についてだった。
「サッカー協会?」そう言えば昼頃、休憩の合間に2人はどこか行っていたようだった。けれど関係者以外立ち入り禁止の場所に何故、と首を傾げた秋に、明らかに焦った様子の目金がまぁ色々ありまして、ともごもご答える。
そのやりとりも気にせず、春奈は固い声で続けた。
「久遠監督は10年前、桜咲木中の監督をやっていたみたいなんです」
「桜咲木中……?」
聞いたことのない学校だ、と首を捻る風丸に、「近年はFFにも出ていませんからね」と目金が注釈を加える。
「桜咲木中はその年、FFの予選を大量得点差で勝ち進んでいたんです──」
当時の資料によれば、桜咲木イレブンは能力の高い選手の集まった統率の取れた良いチームだったらしい。その年の最有力優勝候補でもあったそうだ。
ところが、である。春奈は視線を落とし、言いにくそうに話す。
「決勝戦の前になって、久遠監督が事件を起こしたらしいんです。それが原因で、チームは決勝を棄権……久遠監督も、それから表舞台から姿を消したって」
「何だって?」
険しい声を上げて、円堂が瞠目する。他の仲間たちも、不動でさえも僅かに片眉を持ち上げて、春奈の話に耳を疑った。
確固たる証拠はないんです、と春奈は首を横に振りはするが、彼女自身も今日までの久遠の行動を思い返してのことだろう、明らかな不信感がその目に宿っている。
「詳しくは記述がなくて分からなかったんですけど……あと、桜咲木中の監督にに関する情報を調べていたら、変な噂が出てきたんです」
「噂……?」
一度言葉を切り、春奈は短く息を吸い込む。一瞬顔を顰めて、彼女は言い放った。
──久遠道也は、呪われた監督≠ネのだと。
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4日目の朝。
それぞれがやりきれない思いを抱えながら迎えた朝練に、足りないものがあることに気付いたのは秋だった。
「どうしたんだ、秋?」
「うん……」
背後を気にしながらグラウンドに出てきた秋に、円堂が首を傾げる。
秋は合宿所──2階端、カーテンの閉じた壁山に宛がわれた部屋の窓を見上げながら言った。
「壁山くん、いくらノックしても返事がないの……」
「練習、始まっちゃうでヤンス」
ぴくりと肩を動かした円堂を、心配そうな顔で栗松が見上げる。
テクニカルエリアでは既に久遠が待ち構えている。そちらを一瞥し、一転笑顔になった円堂は栗松の肩を叩きながら仲間たちを振り返った。
「寝坊でもしたのかな! 俺、ちょっと行ってくるよ」
「あ、円堂くん……!」
そのまま秋の制止を聞かず、円堂は構内に走って行く。遠ざかる足音に秋は中途半端に上げた手を下ろし、俯いた。
「壁山くんは昨日の時点でかなりまいってたみたいですからねぇ……」
「このまま部屋から出てこないんじゃないの?」
「こら、木暮くん!」ぼそりと呟いた木暮の耳を春奈が引っ張り、その場は一時的に騒がしくなる。
周囲が一抹の不安や焦燥が入り交じりながら賑やかになる中、1人静かに合宿所を見上げる織乃にそっと鬼道が歩み寄った。
「珍しいな。こんな時にお前が毅然としているのは」
「……もう、鬼道さん。私、そんなに毎回慌てるほど、もう気弱じゃないんですよ?」
わざと憤慨したように腰に手を当ててこちらを覗き込んだ織乃に、鬼道は肩を竦める。
一息吐いて、織乃は小さく言った。
「確かに、後押しは必要かもしれません。でも、自力で立ち上がらなくちゃ──この先に着いて行けなくなる」
「……御鏡?」
どこか何か決意した表情を浮かべる織乃の横顔に、鬼道は眉を顰める。
苦笑した彼女が何でもありません、と答えると、丁度円堂が戻ってきた。後方には鼻を赤くした壁山も着いてきている。
「悪いな、待たせちゃって! さっ、練習始めようぜ!」
「はいでヤンス!」
円堂や栗松に挟まれてフィールドに出る壁山の背中を見詰め、大丈夫なのかしら、と冬花が思案顔になる。
「大丈夫よ、きっと」円堂の言葉の影響力を知っている秋は、壁山が出てきた時点で心配はほとんどなくなったのだろう。そう返して穏やかに微笑んだ。
「良いぞ、壁山ー!」
ゴール前で円堂が腕を振り上げる。
DFでも、前へ、前へ。必死に足を動かしてドリブルする壁山は、ぐっと歯を食い縛って走り続けた。
「ううっ……! 負けないッス! 俺、サッカー大好きッスから……!」
「頑張れ、壁山くん!」
前のめりに走った壁山が、栗松と木暮を振り切って前線に飛び出していく。
久遠に対する不安や不信感はまだ消えはしないだろう。しかしそれでも、彼らに立ち止まっている暇はない。アジア予選の組み合わせが発表されるのは、明日の夜なのだ。
「(私も、頑張らなくちゃ。鬼道さんたちの力になる為に……!)」
決意を固くし、織乃は冷たいクリップボードを抱きかかえる。
声を張り上げ、縦横無尽に走り続ける選手たちを、ベンチに腰を降ろした久遠が冷静に観察していた。
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