Boxed fight
時刻は午後8時。ここ数日のスケジュールにならえば本来なら夕食を終え、自由時間を迎えて人も疎らになっている筈の食堂は、今日ばかりは張り詰めた緊張で満たされていた。
真剣な表情で彼らが見ているのは、食堂に一台据えられた大きなテレビだ。各々が席に着くなり落ち着かない風に佇むなりしてそれを見守る中、画面が切り替わる。
『──全国のサッカーファンの皆様、こんばんは。今夜は皆様もお待ちかね、第1回FFIアジア予選、組み合わせ抽選会の模様をお送りします』
ついに始まった。流れるアナウンサーの声と色鮮やかなオープニングに、ほんの少しイナズマジャパンはざわめいた。
次々と映像が切り替わり、カメラは各チームの監督の相貌を映し出す。その内、数秒間映ったいつもと変わらぬ様子の久遠に、織乃は隣にいる冬花が少し身動ぎしたのが分かった。カメラは真っ新なトーナメント表を映し、アナウンサーの大会に関しての説明がBGMのように流れている。
FFIは全世界を5つのエリアに分けて予選を行い、各エリアの優勝チームがライオコット島に集結、世界一の座を賭けて決勝ラウンドを戦うFFの世界大会だ。
アジア地区の予選には、日本を含め8カ国が参加している。韓国、オーストラリア、カタール、サウジアラビア──次々と国名が挙がりトーナメント表が埋まっていく中、ついに久遠がステージに上がり抽選を引く。
『イナズマジャパン、1−A』
「1−A、って言うと……」
「……オーストラリア代表、ビッグウェイブス≠セな」
遠目に映るトーナメント表に円堂が目を凝らすより早く、難しい顔をした鬼道が答えた。
ビッグウェイブスはFFIの話題が上がる以前から組まれていたチームで、アジア地区優勝候補の1つでもある。
「いきなり優勝候補か……」
「ああ……だが相手にとって不足はない」
顎の先を抓み呟く豪炎寺に、真っ直ぐとテレビを見つめたまま鬼道が言った。画面は既に各チームの監督に意気込みなどを尋ねるインタビューのコーナーに変わっている。
うずうずと口元を綻ばせた円堂は、相手の強さや評判はお構いなしなのだろう、満面の笑みを浮かべ勢いよく立ち上がった。
「よーし! オーストラリア戦に向けて、明日から特訓だぁ!!」
「おーッ!」
拳を突き上げた円堂に倣い、1年生たちも同じように拳を突き上げる。良い意味でもいつもと変わらない様子に、マネージャーたちも頬を綻ばせて顔を見合わせた。
──しかし、円堂たちの熱い意気込みは、彼≠フ言葉により打ち砕かれることとなる。
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「──えっ?」
次の日、早朝。いざ練習だと勇んでグラウンドへ出ようとした円堂たちを、久遠が引き留めた。
そして放たれた指示に、円堂は目をくりくりと丸くして戸惑う。けれど、久遠の意思は変わらなかった。
「これは命令だ。オーストラリア戦までの2日間、合宿所から出ることも許さない」
「それってつまり、練習禁止……?」
あんぐりと口を開けて、円堂は久遠を凝視する。
言葉を失ってしまった円堂を軽く押しのけて、鬼道が険しい表情で声を上げた。
「久遠監督、俺たちは日本代表に招集されたばかりで、チームとして完成していません。この2日間は、チームの連携を深めるために使うべきです!」
「監督は私だ。命令には従ってもらう」
語気を強めた久遠の有無を言わさぬ鋭い眼光に、鬼道は眉間に皺を寄せて唇を噛む。
久遠は鬼道が黙ったのを見計らったのか、「私からの指示は以上だ」と締めくくると、踵を返し廊下の向こうへと姿を消す。
その場には、ただ呆然とその背中を見送ることしか出来ないイナズマジャパンたちの姿があった。
「互いの個室の行き来は自由、だけど合宿所から出ることは許されない……って、つまり外出禁止ってことですよね?」
「う〜ん、そうだね……」
ざくざくと大量の野菜を切る音が響く。
昼食に使う食材の下拵えをしながら難しい顔で言った春奈に、織乃もまた困った表情で頷いた。
「監督はどうして練習禁止なんて言ったんでしょう。もしかして、今のままでも十分強い! ってことを暗に伝えたかったとか……?」
「それはないかなぁ」
期待の籠もった言葉をあっさりと否定されて、春奈はがっくりと肩を落とす。ここ数日、織乃にサッカーの話を振るとどうも辛口の意見が返ってくることが多い気がした。
「(でも……困ったな、外に出れないとなると、あの特訓メニューもまた色々と調整しないと……)」
心の中でぼやいて、織乃が流していたシンクの水を止めたその時である。
「──監督、練習させて下さい。オーストラリア戦は、このチームでの初めての公式試合なんです」
「個人のレベルアップの為にも……!」
ふいに、扉の向こうから鬼道や緑川のどこか切羽詰まった声が聞こえてくる。織乃と春奈は顔を見合わせると、扉の隙間からそっと顔を出して廊下を窺った。
そこにはいつの間に1階に降りてきたのだろう、円堂たちが顔を揃えて久遠と対面していた。久遠は自室から持ち出したらしい椅子をわざわざ廊下に置いて、彼らの脱走を阻止できる階段の傍に陣取っている。
「アジア予選は、負けたらその時点で敗退決定なんですよ……!?」
いつになく懇願するような声音の鬼道に対しても、久遠は一貫して無言を貫いている。まるで彼らの声など聞こえていないかのように文庫本のページを捲る彼に、鬼道が苛立ったのが遠目からでも分かった。
「……っあなたには桜咲木中サッカー部を事件に巻き込んだ過去がある。イナズマジャパンも潰すつもりなんですか」
核心に触れる問いに、鬼道、と誰かがハッと諫める声がする。
ぺら、とページを捲る音が一瞬止まった。
「──私の判断に背くことは許さない。従わない者は、チームから外れてもらう」
「……っ」
その声には、一切の動揺も陰りも感じられない。
取り付く島もない答えに、鬼道は言葉を詰まらせぐっと唇を噛む。
しばらく戸惑いがちに視線を巡らせ、失礼しました、と踵を返した円堂を先頭に彼らは曖昧に頭を下げてぞろぞろとその場を後にする。
そして何事も無かったように読書を再開した久遠に、織乃と春奈はそっと頭を廊下から引っ込めた。
「……ひどくないですか、あんな言い方! 大体、何で外に出ちゃ行けないのか理由も教えてくれないのに……!」
扉がぴたりと閉じたのを確認した瞬間、春奈は地団駄を踏んで憤慨する。相手が兄だった分、余計に腹が立ったのだろう。
勿論、織乃も久遠の言い方に何も感じなかったわけではない。彼は小学校に勤めている時から厳しい人だった。相手が中学生になっただけ対応がきつく見えるのも当然だろう。
「(でも、どうして久遠監督は、ああまでして練習をさせないようにしてるんだろう……?)」
顎を摘まみ、考え込んでいた織乃はハタと思考を止める。何か肝心なところを履き違えている気がしたのだ。
「──お待たせ! ごめんね、任せちゃって」
「あっ、お2人ともお帰りなさい!」
その時丁度ランドリー室から戻ってきた秋と冬花の登場によって、織乃の考え事のとっかかりは消えてなくなる。
自分たちは何か勘違いをしているのではないか。それをまた思い出したのは、昼食が終わってしばらくしてからだった。
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「はぁ〜〜……練習したい……」
時計の針は進み、12時半。
いつもより少しばかり静かな昼食が進む中、気落ちした円堂の大きな溜息が響く。
「俺もッス。お腹減らないから食欲ないッス」
「そ、そうなの……?」
そう返す壁山の皿には山のようなミートスパゲッティが盛られていて、今し方彼にその2杯目を盛った秋が困惑気味に首を傾げる。ただ、いつものペースなら今頃3杯目を食べ終えていることを考えれば確かに食欲がないと言えばないのだろう。
「──ごちそーさん」
がたん、と椅子が動く音がしたと同時に立ち上がったのは飛鷹だった。
カウンターに使用したプレートを戻し、そのまま食堂を出ようとする飛鷹を風丸が思わずと言った風に呼び止める。
「飛鷹、もう部屋に戻るのか?」
「どうしようと俺の勝手だ」
「それはそうだが……」突き放すような言い様に、風丸も特に理由が見付からないのか言い淀んでしまう。その様子を横目に見た壁山と栗松が、ボソボソと呟き合った。
「何かヤな感じッス」
「でヤンス」
「…………」
それが聞こたのだろう、肩越しに鋭い眼光を寄越した飛鷹に、たちまち竦み上がった2人は視線を逸らし慌ててスパゲッティを掻き込む。
それを見かねたのか、次に立ち上がったのは円堂だった。いつもと変わらない人好きする笑顔で、笑顔は臆さず彼に話し掛ける。
「飛鷹。少し話さないか? 俺たち、お前のことまだ何も知らないからさ」
「……キャプテン。ありがたい話ですが、俺は知ってもらうほど大した人間じゃありません」
飛鷹は先程よりも丁寧に言葉を返すと、失礼します、と軽く会釈して今度こそ食堂を後にする。
よく分からない奴だな、と風丸たちが首を捻る中、織乃はキッチンでの作業を中断してそっと食堂から出た。
「──飛鷹さん!」
「!」
数歩大きく足を踏み出せば、飛鷹の背中にはすぐ追いついた。半身を振り向かせた飛鷹に、織乃はポケットから取りだしたものを手渡す。
節くれ立った手に乗ったのは、四つ折りにされたメモだ。飛鷹はすぐに中身を確認する前に、「これは?」と織乃に視線を向ける。
「前に渡したメニューを室内用に組み直しました。この内容なら、外じゃなくても出来ますから」
「……分かりました。ありがとうございます」
説明に納得したのか、メモをポケットに仕舞うと小さく会釈して部屋に戻っていく。
飛鷹はあんな風貌や喋り方をしてはいるが、それなりに真面目で律儀だ。響木から彼のことを頼まれなければ織乃もそれを知ることはなかっただろう。
お前にはまず、こいつをサッカー選手の体に鍛え上げて欲しい──そんな言葉と共に、響木から改めて飛鷹を紹介されたのは昨日のことだ。
彼はやはり、サッカーに関しては完全に素人だったらしい。長年の喧嘩で培った強力なキック力は鍛えれば大きな戦力になるだろうが、ドリブルをするにもシュート打つにも、その経験が裏目に出てボールが上手く扱えない。
今まで感じてきた違和感はこれだったのだと、織乃はようやくそれで得心が言った。響木がつらつらと一介のマネージャーに自分の事情を打ち明けたことに驚いたのだろう、その時の飛鷹は心なしかショックを受けたような顔をしていたが。
『お前は円堂や鬼道たちの成長に力を貸してきたが、一から選手を鍛えたことはないだろう。御鏡にとっても飛鷹に取っても、これは良い機会だと俺は思う』
勿論実戦での知識なんかは俺自身が教えるつもりだが、寄る年波がな──響木はそう言って、わざとらしく腰を叩いていた。
閑話休題。飛鷹は自分が素人であること、それを克服するために地道な特訓を重ねていることを他の選手たちには知られたくないらしい。
年下の目もある中、格好が付かないからと言うのが大半の理由だろう。織乃もそれを汲んで、飛鷹との細かいやり取りはなるべく先程のようにメモで行うことにしている。
「──おや? そんなところに立ってどうしたました、御鏡さん」
「わっ!? ……あ、め、目金さん」
秋たちに気取られる前に戻ろう。そう考えていた矢先にふいに後ろから声を掛けられ、危うく跳び上がりそうになった織乃は目を見開いたまま振り返る。
そこには昼前からどこぞへ出掛けていたらしい目金が、1枚のメディアケースをを片手に首を傾げていた。
「ああ、いえ……それより、どこに行ってたんです? 大事な任務がどうのこうの言ってましたよね」
「ええ、ええ! 今からそれを皆さんの前で発表するところです!」
ふふん、と目金は鼻高々に胸を聳やかしてそう答えると、意気揚々と食堂の扉を開ける。
「みなさ〜ん!! オーストラリア代表の情報を入手しましたよ!」
「えっ?」
声高に言いながら登場した目金に、驚いた全員の目が一斉にこちらを向いた。
次にその手にしっかと掲げられたメディアケースに視線が集中し、食堂はにわかに騒がしくなる。
「おおっ、やるじゃねーか!」
「ふふふ……! 僕の情報収集能力、お見せしましょう!」
手を叩いて立ち上がったのは綱海だ。ゴトゴトと椅子をテレビの前に移動させる彼に釣られ、他の仲間たちもいそいそと同じように椅子を移動させる。
勿体振った風にデッキにディスクをセットした目金が、仰々しい台詞と共に再生ボタンを押した。
「──彼らがオーストラリア代表、ビッグウェイブスです」
画面に映し出されたのは、黄色と緑を基調にしたユニフォームを纏った選手たちだ。見るからに健康そうな小麦色の肌は、彼らがどれだけ長い時間熱い太陽の下で練習を重ねてきたか物語っている。
中でも目立つのが、センターサークル付近に立ち後方の仲間へ笑顔を向けている少年だ。風に靡くブロンドの髪と宝石をはめ込んだような碧色の瞳が太陽の光に輝き、一層その存在感を際立たせている。
「この人がビッグウェイブスのキャプテン、ニース・ドルフィンさんですね」
「なるほど、噂に違わぬ中々のイケメンですね」
織乃の加えた注釈に、一体どこの噂を嗅ぎ付けたというのか、納得した風に呟く春奈に前方にいた鬼道の眉間に若干皺が寄った。
カメラは先程からビッグウェイブスがストレッチしているシーンばかりを映している。
「どんなプレーをするんだ……?」
いよいよカメラがボールが収めた。ここからが本編だ。誰もが──不動ですら遠目に──食い入るようにテレビを見つめた。キックオフのホイッスルが鳴り響き、画面は移り変わる。
──次にテレビが映したのは画面一杯に広がる白い砂浜と青い空、ビーチバレーに興じる選手たちと黄色い声を上げる女性だった。
「……だぁッ!!」
途端、テレビに最も近い位置にいた椅子に掛けた勢が勢いよく椅子から転げ落ちていく。
よろよろと起き上がりながら、キャッキャウフフとマリンスポーツを楽しむビッグウェイブスを円堂が震える手で指差す。
「目金……何だこれ……?」
「流石に国と国との戦い……代表チームの情報を手に入れるのは難しくなっています」
大袈裟に溜息を吐き、眼鏡のブリッジを押し上げながらテレビの前に仁王立ちした目金は、堂々とした様子で画面を指した。
「ですが! この目金、それで諦める男ではありません! プレーは無理でも、海で遊ぶシーンを手に入れてきました!!」
──時間にして3秒ほどだろうか。方々から呆れ返った溜息が食堂一杯に広がっていく。見る意味ねえじゃん、と冷静な不動の呟きにも、誰も反論できない。
「それって、役立たず……」
「ほげぁッ」
そして真顔で毒を零した冬花に、ついに目金はその場に崩れ落ちてしまった。
すっかり意気消沈してしまった選手たちに、秋と春奈は顔を見合わせ頷き合うとそっと1歩前へ進み出る。
「あのね、映像ではないけど……私たちが見つけた情報もあるの」
「え……なんだ?」
疲れた表情で円堂たちが振り返る。2人は視線を交わすと、まず先に春奈が口を開いた。
「ビッグウェイブスは、海の男たちらしいんです」
「海?」
海と言うワードにいち早く反応したのは綱海だ。
細められた目は訝しげでもあり、逆に大きな波を目の前にした時のように押さえられない好奇心で光っている。
「海で心と体を鍛え上げたチーム……特に首尾が固く、相手の攻撃を完全に封じてしまう未知の戦術があるらしいです」
「へぇ……! 面白えじゃねーか」
それ以外のことは分からなかったんだけど、と秋は眉を寄せたが、少なくとも先程の映像よりは余程有意義な情報だったのだろう。それまで気疲れしていた彼らの表情が、一斉に好戦的に色付いた。
「攻撃を完全に封じる……」
「どんな戦術かは分かりませんが、それを破らないと勝つことは難しいようですね」
「聞けば聞くほど、じっとしていられない! 練習しなくっちゃ!!」
「あっ、円堂くん!?」叫んだ円堂に秋も思わず声を上げたが、時既に遅し。円堂はあっと言う間に走り去ってしまう。
──その数秒後、彼女の予想通り久遠に進路を阻まれた円堂が、肩を落としてすごすごと食堂に戻ってきたのは言うまでもない。
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