VS.Big waves

あれから選手たちは、マネージャーが夕飯に呼びに来るまでそれぞれの自室に籠もって特訓に明け暮れていた。

彼らがどんな特訓に勤しんでいたのかは分からない。けれど、壁に残るボールの跡や散らかった部屋の様子から、どれほどそれに熱中していたのかは察することが出来る。ただ、壁山がうっかり自室と木暮の部屋を隔てる壁を破壊した件に関しては、秋と織乃が渾々と説教するはめになってしまったのだが。
その一方で、夕飯直前に身体中から潮の香りを漂わせ髪もパリパリになってこっそりと帰ってきた綱海は、誰が聞いても外で──海でどんな特訓をしていたのか最後まで答えようとせずはぐらかすばかりで、夕食中もずっと難しい顔をしていた。

ただひたすら暇を持て余していた1日目と違い、その日の午後は飛ぶように時間が過ぎた。
そしてとうとう、次の日。




『いよいよこの日がやって参りました! 第1回、フットボールフロンティアインターナショナル、アジア地区予選がついに始まります!!』

抜けるような青空に浮かぶ、チームエンブレムのプリントされた飛行船。大きな音と共に鳴り響く空砲。
会場を揺らさんばかりの歓声に負けないように張り上げた実況者の声が痛いほどに鼓膜を刺激するが、それは決して不快なものではなく、高揚した気分を更に高めこれから始まる激闘を予感させる。

「ううっ、緊張して来ました……!」

フィールドが見える位置、ピッチの出入り口で控えていると、春奈が腕に立った鳥肌を押さえるようにして擦った。
選手たちは既に他のチームと並び整列し、その開幕を今か今かと待ち構えている。逞しいその背中を見つめ、織乃は小脇に抱えたモバイルをそっと撫でた。

──修理に出していたモバイルを受け取りに行ったのは昨晩のこと。響木に相談したいこともあり、遅い時間ながらも仕事を終わらせてすぐ駆け足で商店街に向かったのである。
モバイルは新品同様で返ってきた。ただ1つ問題を挙げるとすれば、入れっぱなしだったフィディオたちからのDVDが真っ二つになって戻ってきたことだろうか。
曰く、修理の最中で工具がぶつかって割れてしまったらしい。あの時の店長の平謝りようは頭がもげてしまうのではないかと言う勢いだった。

「(あの試合、一度でも見て貰いたかったんだけどな……)」

吐きかけた溜息を寸でのところで口の中に押し止め、織乃は視線を上げた。
今更過ぎてしまったことを気にしてもどうしようもない。ピッチでは、会場に上がった財前総理が開会宣言を始めている。

『──少年たちの祭典。世界最強のサッカーチームはどこなのか』

若き国のリーダーは、ゆっくりと期待と興奮に満ちた瞳で自分を見上げる子供たちの顔を俯瞰した。
そして彼の目は一瞬、イナズマジャパンの並ぶ列へ留まる。
円堂と目が合ったその瞬間、彼は確かに一瞬、誰にも分からないほど小さく微笑んだ。

『フットボールフロンティアインターナショナル。それぞれの国の威信を賭けた、熱く燃える試合を、素晴らしいプレーを期待します!』

よく通る声で彼が開会宣言を終えると、会場は割れんばかりの歓声に包まれる。
整列した各チームの選手たちがピッチから捌けていくのを確認し、久遠がいつもと変わらぬ表情でマネージャーたちを振り返った。

「……行くぞ。準備は出来ているな」
「はいっ!」

返事をするマネージャーたちの声にも力が籠もる。意気揚々と頷き、彼女たちもまたピッチに足を踏み入れた。
テクニカルエリアには既にイナズマジャパンの面々が勢揃いしている。皆思い思いの覚悟と闘志を旨に、今にも走り出しそうなほどうずうずしているのがよく分かった。

織乃は歩きながら、ちらりと対岸のテクニカルエリアを見遣る。
そちらにも既に対戦相手であるビックウェイブスの選手たちが揃い、真剣な面持ちで監督の指示を聞いている。日に焼けた小麦色の肌、日本人とは芯から違う大きな体付き。中には小柄な選手も混じっているが、あのユニフォームの下にはしなやかに鍛えられた筋肉が隠れているのだろう。

次に彼女は、イナズマジャパンの面々へ視線を戻す。モバイルに入っている一番新しいデータは、選考試合に取ったものだ。代表が決まってからのデータはほとんど入っていないに等しい。

「(練習らしい練習が出来たのも、結局初日だけだった……この試合、何がどうなるか分からない)」

秋たちと並びベンチの前に控えると、入れ替わりにデータを確認していた久遠がバインダーを片手に選手たちの前へ立つ。

「スターティングイレブンを発表する」

それまでややざわついていた選考たちの様子が、その一言でがらりと変わった。
溢れる闘志はそのままに、唇を真一文字に結び、背筋をピンと伸ばし、久遠の指示を待つ。数瞬置いて、久遠は改めて口を開いた。

「FW……豪炎寺、吹雪、基山」
「はい!!」

力強く声を張り上げ、3人が頷く。

「MF……鬼道、風丸、緑川」
「はい!」

ひく、と不動の眉が分かり易く歪む。

「DF……壁山、綱海、土方、木暮」
「ハイッ!!」

後ろは任せろ、と胸を叩くのは綱海と土方の沖縄組だ。

「そしてゴールキーパー、兼ゲームキャプテンは……円堂」
「……はい!」

そして最後に名前を呼ばれた円堂が、力一杯頷いてみせる。
結局最後まで点呼されず不満そうに眉間に皺を寄せていた不動が、真顔に戻りながら「ふん、分かってねえなァ」とぼやいたが、久遠は全く歯牙にも掛けずベンチへと戻った。

「──勝つぞ、みんな! 勝って世界に行くんだ!!」
「おお!!」

円陣を解いた円堂たちが、フィールドへ駆け込んでいく。
その背中を見つめ、秋がギュッと自身の手を祈るように握り締めた。

「(頑張って、みんな……!)」

天高く届く歓声を、鋭いホイッスルの音が容赦なく切り裂いていく。
キックオフはイナズマジャパンからだ。吹雪のバックパスを受け取り、鬼道が駆け出す。それを確認し、吹雪と豪炎寺は前線へと走った。

膝に置いた手でスカートを握り、織乃は食い入るようにフィールドの選手たちを見つめる。
あの3人はエイリア学園と戦っていた頃の実戦経験がある。2日間の練習がなくとも、彼らなら連携が上手く取り合えるはずだ。

「(問題はここから……!)」

攻め込んできた豪炎寺たちに対し、ビッグウェイブスのキャプテンであるニースが周囲の仲間たちにアイコンタクトを送る。

「何だ──!?」

それを受け、ニースに続き猛進した3人は一息にボールを持った鬼道を取り囲んだ。
だが、ただマークするだけではない。4人はマークから逃れようとする鬼道、そして仲間同士で常に一定の距離を保ち、四角い陣形を崩さないまま次々とボールへ足を伸ばす。

「(くっ……前後左右、完全にパスコースを防がれている! まさか、これが……!)」

視線を巡らせても、仲間の姿はすぐにビッグウェイブスたちの向こうに隠れてしまう。その上、ボールを奪おうとする足が四方から襲い掛かり、考える暇すら与えない。

「《ボックスロック・ディフェンス》……!」

目に見えて焦りを浮かべる鬼道に、ニースが整った顔立ちを歪ませ不敵に笑った。

「成る程……あれが、一度囲まれると二度と抜け出せない攻撃を完全に封じると噂される必殺タクティクスですか」
「感心してる場合じゃありませんよ!」

目金に噛み付きながらも、お兄ちゃんがあんなに苦戦するなんて、と春奈が表情を歪ませる。
あの状態では、前線で待つ豪炎寺たちも後方で控える風丸たちも手が出せない。どうにか突破口を、と目を凝らす織乃の視界の端に、ふと不動の横顔が入った。

「──不動さん……何か、気付いてます?」
「あ? …………さぁ、どうだろうな」

頬杖を突いてフィールドを見る不動は、先程までの不機嫌な様子とは打って変わってどこか楽しそうに口元を持ち上げている。
小さく、秋たちに聞こえないような声で尋ねれば、予想通り人を食ったような言葉が返ってきた。
元より彼から答えを貰えるとは思っていなかった。ほくそ笑みこちらを一瞥した不動に、そうですか、と短く返して、織乃はフィールドに視線を戻す。

四方からバラバラに攻め立てられ、ついに鬼道の足からボールが離れた。
包囲網を飛び越えたボールはイナズマジャパン陣内へと転がり込み、咄嗟にDFラインから綱海と土方が飛び出していく。

「ああっ!」
「ぶつかっちゃった……!」

ボールを押さえる目前でクラッシュしてしまったDF2人に、マネージャーたちから短い悲鳴が上がる。衝撃は激しかったようだが、特に怪我はないらしい。
互いに顔をしかめながらも謝り合う綱海たちにホッと息を吐く間もなく、零れたボールを拾ったビッグウェイブスのFW、ジョーが手薄になったイナズマジャパンの防壁を突破した。

「行くぞ……! メガロドン!!」
「正義の鉄拳ッ!!」

巨大鮫のオーラを纏い突進してきたシュートと、円堂の正義の鉄拳が激突する。
一瞬2つの力は拮抗したが、ややあってジョーのメガロドンは円堂を押しのけ、イナズマジャパンのゴールに突き刺さった。

『ゴォーールッ!! ビッグウェイブス、先取点ですッ!!』

マイクで拡大された実況のけたたましい声、イナズマジャパン側の観客席から溢れる落胆、ビッグウェイブス側の観客席から燃え上がるような歓声が一斉に響き、ピッチは一気にカオスになる。

「こんな簡単に、点取られるなんて……」
「久遠監督の言うとおりだったッス……」

呆然と呟いた彼らは、ちらりとテクニカルエリアで仁王立ちする久遠を見た。彼は腕を組んだまま、変わらず険しい表情でフィールドを見たままだ。
お前たちの力など、世界に比べれば吹けば飛ぶ紙切れのようなものだ──その言葉は確かに正しかった。けれど、鬼道はまだどこか納得し切れない。

「(さっきの土方と綱海のミスはポジショニングを練習をしていれば防げたはずだ。あの失点も、特訓をしていればあるいは……監督が練習禁止にしなければ……!)」

だが、今更そんなことを言って何になると言うのだろう。
鬼道が奥歯を噛み締め、仲間たちが険しい顔をしているその一方で、それまで尻餅を突いていた円堂がゆっくりと立ち上がった。

「──すごいな!」
「えっ?」

突然上がった感嘆の声に、仲間たちはハッと顔を上げ円堂に視線を向ける。
円堂は声に違わずきらきらとした表情で目を輝かせていた。

「こんなすごい奴らとやれるなんて、燃えてきた!!」

なっ、と同意を求める円堂に返ってくる言葉はない。その代わり、冷静さを取り戻した彼らは目で頷く。

「強い敵ほど燃えるなんて、キャプテンらしいッス!」
「……ああ。この闘志に、どれだけ勇気をもらってきたか」

大きく息を吸い込めば、熱い空気と芝生の香りが肺を満たす。円堂は1点先制されたことも気にならないかのように、大きく声を張り上げた。

「みんな! 試合は始まったばかりだ。まずは1点、追いつこうぜ!!」
「おーーッ!!」

再び沸き立った戦意を胸に、イナズマジャパンたちは拳を天へ突き上げる。
試合再開だ。ホイッスルが鳴るのと同時に豪炎寺がドリブルで前線へ飛び出していく。
仲間たちと目配せを交わしたニースが叫んだ。

「《ボックスロック・ディフェンス》!!」

ニースを入れた4人の選手が一斉に豪炎寺を取り囲んだ。先程鬼道もやられた必殺タクティクス。豪炎寺はボールをキープしながら考えを巡らせる。前へ行こうとすれば2人が、後ろへ向かえばもう2人が進路を阻む。

「(前後左右ともパスコースは塞がれている。だったら──!)」

ボックスロック・ディフェンスから逃れるには最早空中に逃れるしか道はない。視線を巡らせ、豪炎寺は素早く膝を曲げるとそのままバネのように跳躍した。
だが、空中へ跳び上がった豪炎寺の顔に影が差す──ニースだ。この考えさえ読んでいた。いや、これもタクティクスの範疇なのだろう。
ニースは動揺した様子もなく、体勢を僅かに崩した豪炎寺からボールを奪い、そのままイナズマジャパン陣内へと進入した。

「止めるぞ!!」

風丸の凜々しい声が響く。前方には2人、残りの2人にチェックを受けるジョーを確認し、ニースは咄嗟に逆方向にいたリーフへボールを送り出す。
放たれたそのままダイレクトシュートに円堂が飛びつきセーブすると、仲間たちが一斉に安堵の溜息を吐いた。

「やはり、そう上手くは行かないか……!」

小さくぼやき、鬼道は難しい表情でフィールドを一望する。
突破口を見出す間もなく、ボックスロック・ディフェンスはそれからもイナズマジャパンの動きを制限した。
その度にボールは奪われ、ゴールまで攻め込まれ、円堂は次々と繰り出されるシュートを何とか防いでいく。これでは完全に防戦一方だ。テクニカルエリアの仲間たちにも、一部を除き焦りが滲んでいく。

その時、ふいにそれまでじっと佇んでいた久遠が大きく声を張り上げた。

「──まだ気付かないのか!!」
「!?」

ボールを追っていたイナズマジャパンの選手たちが、その声にギョッとしながら振り返る。
久遠は相変わらずの険しい表情で、しかしよく通る真っ直ぐな声で、自身の胸を差しながら言った。

「箱の鍵≠ヘ、お前たちの中にある!」

助言と思しき突然の言葉に、選手たちもマネージャーたちも困惑する。
久遠はそれ以上言葉を掛けるつもりはないのか、再び腕を組み唇を引き結んで黙りの姿勢を取った。

「箱の、鍵……?」
「何のことだ?」

疑問に思っても、時間は止まらない。選手たちは走りながら久遠の言葉を反芻する。
選手たちに比べまだ思考に余裕がある織乃は考えた。
箱の鍵。自室でやらざるを得なかった特訓。そしてビッグウェイブスのあの四角いフォーメーション。一つ一つのキーワードを組み合わせた彼女の脳裏に、はたと1つの閃きが降りる。

「もしかして……」
「えっ?」

どうしたの織乃ちゃん、と冬花が尋ねたその時、何度目かになるボックスロック・ディフェンスが鬼道を取り囲んだ。

「(どこへ向かおうと2人掛かりで行く手を阻む戦術! まるで、箱の中に閉じ込められているような……)」

圧迫するようなディフェンスに、鬼道の額に汗が滲む。
その時、突然テクニカルエリアから聞こえてきた切羽詰まった声が彼の鼓膜を揺らした。

「箱の中≠ナす鬼道さん!! 昨日の練習を思い出して!!」
「──!」

見なくても分かる。今のは織乃の声だ。それと同時に天恵のように理解した。久遠の助言の答えを。

「──!! これは……!」

鬼道の動きがにわかに鋭くなる。素早いボール捌きで妨害を的確にすり抜ける彼に、ニースは思わず目を見張った。
ボックスロック・ディフェンスは先程と変わらない綿密さで鬼道を攻めていると言うのに、彼は狭いスペースで鮮やかなコントロールで軽やかにボールをキープし続けているのだ。

「ッもっと激しく行け!!」

ここで初めてビッグウェイブスたちに動揺が走った。この一瞬で、完璧だった今までのプレーに亀裂が入ったのを鬼道は見逃さない。

「(あの特訓がここで生かされている……!)」

狭い自室で1人、壁や吊した紙を敵に見立て跳ね返るボールを捌いて費やした1日。箱の中≠ナボールをキープする特訓。あれがなければこのプレーは出来なかったはずだ。

「何を手こずっている!!」

目に焦りを浮かべたニースが声を荒げる。ボールを奪おうと躍起になった選手たちが、互いの動きを読み切れずぶつかった。

「ここだッ!!」

開いた空白を通し、鋭いパスが豪炎寺へ届く。前半も終盤に差し掛かり、初めてボックスロック・ディフェンスを崩したのである。

「バカな!!」
「良いぞ、鬼道ーー!!」

目を見開くニースの隣を颯爽と走り抜けた鬼道に、円堂が腕を振り回し声援を送る。
明らかに動揺しているビッグウェイブスたちの反応を後目に、鬼道は一瞬テクニカルエリアを──久遠を肩越しに振り返ったのが見えた。

「どうして? お兄ちゃんの動きが急に良くなった……!」
「昨日はみんな、ほぼ半日ずっと狭い部屋の中で特訓してたでしょ? あれがあの必殺タクティクスを破るイメージトレーニングになったんだと思う」

目を見張る春奈たちに、織乃は改めて考えを言葉にしながら久遠の背中に視線を向ける。
きっと、彼は必殺タクティクスの内容を事前に調べて知っていたのだ。だからこそ外出を禁止して、限られた部屋の中で練習するように仕向けた。
織乃の中で引っ掛かっていたのはこれだったのである。久遠は今まで外出禁止と言えど、一度も練習禁止≠ニは言わなかった。

何にせよ、今の鬼道の動きは仲間たちにも久遠の言葉を理解させるには十分だっただろう。
豪炎寺を追ったビッグウェイブスのDFたちが、覇気を取り戻し今度は豪炎寺を取り囲んだ。

「一度破ったくらいで良い気になるなよ!!」

相手は頭に血が昇っている。その要素も手伝い、精密さを欠いたボックスロック・ディフェンスの包囲網は先程よりもずっと緩い。
豪炎寺もまた鮮やかなボール捌きで包囲網を突破すると、それまで沈みがちだった観客席がワッと沸いた。イナズマジャパンはボックスロック・ディフェンスを完全に攻略したのだ。

「……お前たち、準備しておけ!」
「! は、はい!」

ふいにベンチを振り返った久遠が、虎丸や栗松たちに声を掛ける。
依然として厳しい久遠の横顔を見上げ、立向居は疑問を覚えた。ボックスロック・ディフェンスは最早脅威ではない。なのに、何故彼はまだ警戒を解かないのか。

ロベルトは太陽の光に眼鏡のレンズを煌めかせ、不敵な笑みを崩さない。フィールドの外での戦い──監督同士の読み合いはまだ始まったばかりだと言わんばかりに。