Trivial anxiety
ビッグウェイブスとの試合から丸2日が経った。
イナズマジャパンの選手たちは、次の試合へ向けて今日も練習を続けている。
「連携もかなりスムーズになってきましたね!」
「ぶっつけ本番で試合した時はどうなるかと思ったけど……なんとかなって良かった」
綱海と土方の2人がかりのチェックを掻い潜った虎丸と、そのパスを受けてシュートを打った豪炎寺のやりとりを見て感心する春奈に、安堵の色を浮かべ織乃が続ける。まだやりとりのぎこちないところが残っているのは確かだが、最初に比べればかなりの進化だ。
だが、まだこの状態では世界の強豪たちには及ばない。
ここから更にレベルアップするには、まず何が必要か──考えを巡らしていた織乃の視界に、ふと校舎から出てきた久遠の姿が入った。
フィールドを駆け回っていた選手たちも、その姿に気付きそれぞれ立ち止まる。
久遠はライン際で立ち止まり一同を見回すと、大きな声を発した。
「全員集合!!」
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慌ただしくクールダウンを終え、ジャージに着替え食堂へ招集された選手らとマネージャーたちを前に、久遠は口火を切る。
「FFI──アジア予選、第2試合の相手が決まった。カタール代表、『デザートライオン』だ」
「デザートライオン……」
真剣な表情で、円堂はその名前を反復する。デザートライオン──砂漠の獅子。「強そうな名前でヤンス」と呟いた栗松の隣で、壁山が控えめに質問した。
「どんなチームなんスか?」
「このチームの特徴は、疲れ知らずの体力と、当たり負けしない足腰の強さを備えていることだそうです」
その問いに答えたのは、久遠ではなく春奈だ。愛用のパソコンを操りながら、公式ホームページにある紹介文を読み上げる。それを横から覗き込んで、織乃が久遠を見上げる。
「彼らと戦うためには、基礎体力と身体能力の強化が必要ですね」
「カタール戦までに、この2点を徹底的に鍛えること。いいな」
はい、と食堂一杯に張り詰めた声が響く。確執が消えた今、彼の言葉に何ら疑念を抱く者はいない。
「午後からは自主練だ。細かいメニューが必要であれば、御鏡の指示を仰ぐこと。御鏡もそれでいいな」
「は、はいっ!」
「私はこれから本部の方に用事がある。冬花、手伝ってくれ」
「はい、お父さん」
小さく頷いた久遠は食堂を後にし、マネージャーたちに軽く手を振った冬花も小走りでそれに着いていく。
一転緊張がある程度抜けた食堂に、さて、と円堂が椅子を引いた音がやけに響いた。
「とは言っても……どんな練習をすれば良いんだろう?」
「そんなもん、徹底的に走り込むしかねーだろ」
難しい顔で首を捻る円堂に、何を言っているんだと言わんばかりに綱海が力強くテーブルを叩く。
「走って走って走りまくって、強い足腰を身に着けりゃいいんだ!」
「そうッスかねぇ……」と難色を示すのはチーム内でも特に走るのが苦手な壁山だ。前回のビッグウェイブスから前線に出ることも増えはしたが、やはりまだ走り込みには苦手意識があるらしい。
溜め息を吐く壁山に視線を送り、鬼道が春奈の隣にいた織乃に話題を振る。
「他に何か思い付くか?」
「そうですね……相手の特色を考えると、走り込みも重要だとは思います」
仕入れられる情報がこれしかない以上、これが唯一の対策だ。織乃としてはただ走るだけと言うのは効率が悪いとは思わなくもないが、夏未が去って以降イナビカリ修練場は整備中で閉鎖しているし、他に良い案も思い付かない。
「……そうだな、それで行こう!」
「単純だが、それが1番か……」
しばらく考え込み、やがて綱海の案に賛同した円堂が頷き、鬼道もそれに同調する。他の仲間たちも異論はないらしく、壁山の溜め息は深くなったが特に異議を唱えるものはいなかった。
それなら早速今からグラウンドに、と立ち上がろうとした円堂を、ふいに慌てたような声が遮る。
「あのー、すいません。申し訳ないんですが、俺、これで失礼します!」
それはいつの間にか帰り支度を整えていた虎丸だった。
「えっ? ああ……」虚を突かれながらも反射的に頷いた円堂や驚いた仲間たちに失礼します、と頭を下げて、虎丸は慌ただしく食堂を出ていく。
「……あいつ、またでヤンスか?」
バタバタと足音が遠ざかっていくのを見送って、ふと栗松が不満げに溢す。
「何であいつだけ、いつも途中で帰っちまうんだ?」
「さぁ……何でだろうな?」
綱海が呟く疑問に答えられる者はいない。チームが結成されてからずっと続いている虎丸の早退の理由は、今もなお誰も知らないのだ。
中には栗松のように、その待遇を不満に持つものもいるだろう。眼鏡のフレームを押し上げた目金が、微妙な雰囲気を切り裂くかのごとく高らかに提案した。
「ここは、調査すべきかと!」
「えっ?」
「わっかりましたぁ!!」
目を白黒させた織乃の目の前に割り込み、勢いで目金を突き飛ばした春奈が突然身を翻す。
傍らにいた秋の手をがっしり掴み、彼女は目を爛々と輝かせながら円堂を振り返った。
「任せてください、私たちで虎丸くんのことを調べてみます! 何か分かったら連絡しますねー!」
「あ、ああ……」
その怒濤の勢いに、円堂も押され気味に頷いた。「織乃さん、あとはよろしくお願いします!」と織乃に一礼し、春奈は秋を引っ張って元気良く食堂から飛び出していく。
「さあっ、行きましょう先輩!」
「わ、私も!?」
「ま、待って〜!」秋の悲鳴にも似た声はあっという間に遠ざかり、食堂に再び静寂が訪れた。
「……嵐みてーな奴だな、おい」
「…………」
不動の皮肉にも、流石の鬼道もただ俯くしかない。カチリと時計の針が音を立てて動いたのを切欠に我に返った円堂が、ハッとしたように立ち上がる。
「とりあえず、特訓の方針は決まったな! 午後はグラウンドで走り込みだ!」
「ううっ、やっぱりそうなるンスよね……」
項垂れた壁山を筆頭に、選手たちはぞろぞろと食堂から出ていく。床に膝を突いたままの目金が、織乃の足元で地を這うような溜め息を漏らした。
「うう、こういう時こそ僕の出番だと思ったのに……」
「まぁまぁ……今回は縁がなかったと言うことで。さ、私たちも行きましょう」
織乃も今更些細なことを理由に落ち込む目金をわざわざ慰めることはしない。彼の腕を掴み、よいしょと立ち上がらせると急いで選手たちに続いてグラウンドに出ていく。勿論、ドリンクとタオルを入れた篭を持っていくのは忘れない。
時計が正午を回ったこともあり、外の気温は午前中よりも更に上がったようだった。
日陰から足を踏み出すと、太陽光にじわりと額に汗が滲み出す。織乃はそっと頭上を見上げ、制服のリボンをほんの少しだけ緩めた。
「それじゃー、走り込み開始します!」
ぴ、と短くホイッスルを鳴らすと、選手たちが一斉に走り出す。
織乃はベンチに腰掛けてモバイルの蓋を開くと、前回の走り込みの記録を呼び出した。
各選手1人ずつ、1周に掛かった時間を計測する。久遠のからの指示もある為、イナズマキャラバンで旅をしていた頃のように一人一人細かいデータを収集する時間はない。しかし、いつかは必要になるものだ。織乃は近い内にデータ収集の時間を設けられるよう久遠に打診することを心に決める。
ざくざくとスパイクがグラウンドの土を蹴る音が響く。織乃は時折校門の方へ目を向けるが、春奈や秋が帰ってくる気配はない。
それからしばらく、炎天下の中で走り込みは続いた。選手たちの顔色を伺い、再度短くホイッスルを鳴らす。
「──はい、終了! 午後練はおしまいでーす!」
「うう……あ、暑い……」
「走り込みって、結構大変ッス……」
額から流れてくる汗と暑さに顔を歪める選手たちに、織乃は手早くタオルとジャグを渡していく。雪国育ちの吹雪などは特に辛そうだ。逆に元気一杯なのは、暑さに慣れている綱海や土方くらいのものだろう。
「……あれ?」
篭にワンセット、配り終えていないタオルとジャグに気付いて首を傾げる。辺りを見回すのとほぼ同時に、ふと円堂の声が聞こえた。
「緑川、特訓は終わりだぞ!?」
「! リュウジくん?」
振り向くと、ベンチを通り過ぎて走り続ける緑川の背中が遠ざかっていくのが見える。円堂の声は大きく響いたが、彼が足を止める気配はない。
「(このチーム、仲間でありライバル……レギュラーの座は絶対に渡さない!!)」
走り続ける緑川がそんなことを思っているとは露知らず、円堂は「どうしたんだあいつ?」と首を捻った。
織乃は揺れる黄緑のポニーテールと篭を一瞬見比べて軽く溜め息を吐くと、声を張り上げた。
「リュウジくーん! 続けるのは構わないけど、ちゃんと休憩してねー!?」
「……分かったー! 」
今度の声は聞こえたらしい緑川は、スピードを緩めないまま振り返らずにそう答える。大丈夫かな、と眉根を寄せる織乃の肩を、苦笑気味のヒロトが叩いた。
「大丈夫、少ししたら俺も様子を見に来てみるよ」
「うん……よろしくね、ヒロトくん」
「ここに置いとくからね」と最後にもう一声掛けながら、ベンチに緑川の分のジャグとタオルを置いた織乃は、後ろ髪を引かれながらも校舎に戻る。
選手たちと別れ、食堂のシンクで空になったジャグを洗いながら織乃は思案した。
緑川は小さい頃、何かと負けず嫌いな性格だった。それが今も変わっていないのなら、恐らく彼は仲間たちに強いライバル意識を持っているのだろう。
ライバル意識があること自体は良いことだ。互いに切磋琢磨し合えば、より強い選手になれる。だが、それが過剰であれば、周りとの不和に繋がりかねない。
「(下手したら、今の鬼道さんと不動さんみたいな関係になる人が出てくるかも……ヒロトくんが上手くフォローしてくれると良いんだけど)」
大勢の人間が集まればどこかに軋轢が生まれるのは仕方のないことではある。だが、それが少しでも減ればいいと願うのも当たり前のことだ。
だからまずは、春奈たちが虎丸の一件を解決してくれれば──と考えたところで、思わず溜め息が漏れる。
「大丈夫かなぁ……」
「何がだ?」
靴が軽くリノリウムの床を擦る音、それと同時に聞こえてきた声に織乃は「ひょわあ!!」と悲鳴を上げる。咄嗟に顔をそちらに向けると、彼女の声に釣られて驚いたらしい鬼道がやや強張った顔をして立っていた。
「お前はよく叫ぶな……」
「すっ、すいません。えと、どうかしましたか?」
キュ、とシンクの水を止めて手の水滴をタオルで拭った織乃に、鬼道は思い出したように──実際、一瞬忘れていたのかもしれないが──ああ、と言葉を続ける。
「円堂からの伝言だ。しばらく休憩した後、外周に行ってくるから夕飯の時間に少し遅れるかもしれないと」
「ああ、はい。分かりました」
一瞬壁に掛かっている時計を見上げて、織乃は頷いた。
時刻は現在16時。秋と春奈、それに冬花がいつ戻ってくるか分からない以上、早めに夕飯の下拵えをしておくに越したことはないだろう。
冷蔵庫を開けて中身を確認する織乃に、鬼道が申し訳なさそうに言った。
「悪いな、御鏡。春奈が木野まで連れていってしまったから、お前に負担が掛かって……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ほら、大量の食事を作るのは慣れてますし」
「ああ、そうだったな」
思い出すことがあったのだろう、鬼道は目をしばたいた後、そっと口角を上げる。その思考を悟ってか、織乃も悪戯っ子のように笑った。
「……今日の夕食はどんな手筈になっているんだ?」
「──カレーにしようかと。唐揚げでもつけましょうか?」
顔を見合わせ、ややあってお互いに小さく噴き出す。
「よくこんな細かい会話覚えてますね」と感心した様子で織乃が言えば、鬼道は数瞬戸惑った後で、こう続けた。
「ああ──流石に全てではないが、お前が帝国にいた頃のことはよく覚えている。……中々、楽しい毎日だったからな」
「鬼道さん……」
当時はいつも難しい顔か影山譲りの悪い笑顔ばかりしか見せていなかったのに、内心ではそんなことを思っていたなんて。うっかり感動してしまった織乃は、潤んだ瞳で鬼道を見つめた。
その目から逃れるようにそっぽを向いた鬼道は居住まいを正すようにゴホンと空咳をすると、顔を横に向けたまま視線だけ織乃に投げ掛ける。
「まぁ……何だ。色々と問題は多いが、今の生活もお前のお陰で毎日充実している。……ありがとう、御鏡」
「えっ? え、えへへ……改めてそう言われると、何だか照れますね」
「……マネージャー業だけに限った話ではないんだがな」
顔を赤らめ、恥ずかしそうにはにかんだ織乃に鬼道はボソリと付け足した。
「はい?」その声を聞き取った彼女が何か言いましたか、首を傾げると、鬼道は一瞬まごついて組んでいた腕を更にぎゅっと締める。
「なぁ、御鏡。俺は──」
「織乃ちゃん、いる? 救急箱ってどこに……」
鬼道が声を発したのと、食堂に緑川を伴ったヒロトがやって来たのはほぼ一緒だった。
2人は織乃のそばにひきつった顔の鬼道が立っていることに気付くと、あっと短く声を揃えて居心地悪そうに顔を見合わせる。
「救急箱? 救急箱なら、事務室にあるけど……リュウジくん、怪我したの?」
「えっ? あ、ああ、うん。ちょっと転んで擦りむいちゃって」
「分かった。取ってくるから、傷口だけ洗ってそこで待っててね!」
そう言うと、織乃は慌ただしい足音を立て食堂から走り去っていく。
パタパタと足音が十分遠ざかり、緑川に肩を貸していたヒロトがちらりと唇を引き結んでいる鬼道を見やった。
「えっと……お邪魔しちゃったかな」
「…………何の話か分からんな」
「(背中から哀愁を感じる……)」
触らぬ神に祟りなし。肩を落とし気味にその場を去った鬼道に、2人は内心手を合わせる。
それから数時間後。
織乃の携帯に、『調査完了です!』という件名で春奈からのメールが来たのは、丁度彼女が大量の夕飯を作り終えた頃だった。
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