Way of a dream is a thorn
からりと晴れた空の下、イナズマジャパンは5日後に控えたアジア予選決勝戦に向けて今日も練習に勤しんでいる。
「飛鷹さん、確実に上手くなってきてますよね!」
ドリブルで前線へと駆け上がっていく飛鷹を眺めながら、そんな感想を溢すのは春奈だ。確かに彼女の言う通り、飛鷹のプレーは覚束無さも大分鳴りを潜め、初日と比べるとかなり成長ししたのが見てとれる。短期間でここまで仕上がったのも、恐らく元の運動神経が良いせいだろう。
流石響木監督が選んだだけのことはありますね、と感心する春奈に、目金が小さく鼻を鳴らした。
「ま、少しは期待できるようになってきたんじゃないですか?」
眼鏡を押し上げ上から目線な意見を述べる彼の実力を知っている秋や春奈は、何とも言えない曖昧な苦笑いを浮かべる。
その一方で、マネージャーたちの輪から離れた織乃は、吹雪と土方の連携必殺技を仕上げるのに四苦八苦していた。
「どりゃああ!!」
辺りを振動させんばかりの雄叫びを上げた土方のシュートを、吹雪がシュートチェインでゴールに叩き込む。言葉にすれば簡単だが、実際にやるのと数値の上で成功率を考えるのとでは訳が違う。
円堂の指先を掠めてゴールポストを越えていくボールに、汗を拭った2人は悔しげに顔をしかめた。
「まだダメか……」
「……織乃ちゃん、どう思う?」
ボールを拾って戻ってきた織乃に、息を整えた吹雪が尋ねる。うーん、としばらく唸った織乃は、先程見たシュートのシーンを思い出しながら見解を述べた。
「多分……土方さんの蹴ったボールのスピードが、吹雪さんの足の速さに追い付けてないんだと思います。そのせいでタイミングにズレが出てるんですよ」
「そうか……」
口許を押さえて吹雪は考え込む。土方はディフェンダー故に、フィジカル面は高いがシュートに関してはどうしても吹雪の能力に劣ってしまう。
それなら、と吹雪は1つ案を挙げた。
「僕がワンテンポ遅れて走り出すのはどうかな? それならボールとのスピードも今より合わせやすくなるかもしれない」
「おっし、じゃあもう1回やってみるか! 御鏡、頼んだぜ」
「はい!」
大きく頷き合った2人は、再びフィールドに駆け込んでいく。その様子をモニタリングすべくモバイルを構えた織乃は、ふともう片側のゴールで練習している豪炎寺と虎丸に視線をやった。
「(あの2人も、どこかで一度妥協点が出来れば完成に近付けると思うんだけど……)」
豪炎寺と虎丸が連携技の練習を始めたのは、つい2日前のこと。織乃もその2日間、ほとんど付きっきりで特訓に付き合っていたが、必殺技は2人の納得するレベルには達しなかった。
織乃が今日になって吹雪と土方の練習に付き合っているのは、豪炎寺の意見があってのことである。
『俺たちの課題点は分かっているから、あとはただ練習あるのみだ。だから御鏡、今日は吹雪たちに協力してやってくれ』
大丈夫、必殺技は必ず完成させてみせる──そう宣言した豪炎寺の表情は、どこか切羽詰まっているようにも見えた。
ストイックな彼のことだ、例え一時的なものであっても妥協することなど決して良しとしないだろう。だが、それを差し引いてもここ数日の豪炎寺はどこか様子がおかしいように思える。
それは織乃よりも彼と付き合いが長い円堂や秋も勘付いているらしかったが、本人が何も言わない以上静観するしかないのかもしれない。
「織乃ちゃーん、行くよー!」
「あっ……はーい!」
彼女が意識を目の前へ戻した次の瞬間、視界の端で炎を纏ったシュートがあらぬ方向へと赤い直線を描いた。
日が少し傾いた午後3時。休憩時間を迎えた選手たちは、それぞれタオルやドリンクを手に酷使した体を休める。
「順調に仕上がってきているみたいだな」
織乃のモバイルを覗き込むようにして改善点を話し合っていると、練習中の様子を見ていたらしい鬼道が吹雪と土方に話しかけてきた。
おうよ、と力強く頷いた土方は、快活に笑いながら吹雪の肩を叩く。
「あと一息ってとこだな。な、吹雪!」
「うん!」
「この連携必殺技が完成すれば、得点力アップ間違いなしだ!」
会話を聞いていた円堂が口を挟めば、2人も明るい調子で相槌を打つ。織乃もまた画面を目で追いながら緩く笑みを浮かべた。
「この調子ならきっと決勝戦までには完成しますよ。頑張りましょう!」
「おう!」
勿論、本番に間に合わせるのは当然だが、欲を言えば精練する時間も欲しい。ならば次回の練習メニューもまた少し考える必要があるだろう。織乃がデータを睨み、スケジュールを考え始めたその時だった。
「円堂くーん!」
「ん?」
パタパタと足音を立て、構内で雑務を片付けていた秋がグラウンドへ走ってくる。その手には白い紙か何かが握られており、彼女は階段を降りながら言う。
「手紙が来てるわよ!」
「手紙?」
円堂へ手渡されたのは、無地の封筒だ。表を見ても裏を見ても、宛名も差出人も書いていないその手紙に、円堂は怪訝そうに首を傾げながら封を開ける。
「誰からでヤンスかね?」
「ま、円堂じゃファンレターってこたぁねえだろうけどな」
「あんたの場合はもっとないけどね? うっしっしっし!」
お互い様だろうが、と顔をしかめた綱海が木暮の丸い頬をつねる。だが、周囲のそんな様子にも円堂は反応を示さず、目を皿のようにしてじっと紙面に注目したままだ。
やがて彼の異変に気付いた仲間たちも笑みを引っ込め、円堂の方を窺う。
「どうしたの?」
「この、手紙……」
秋が声を掛けると、円堂は呆然と呟く。一体何事かと紙面を覗き込んだ立向居と栗松が、目を丸くして声を上げた。
「この字は……!」
「キャプテンの特訓ノートと同じ字でヤンス!」
紙面一杯に書き殴られていたのは、確かに円堂が後生大切にしている特訓ノートと同じ字のように見えた。円堂は紙を裏返してみたが、それ以外に文章は見受けられない。
横から手紙の字を見つめ、鬼道が思案するように呟いた。
「と言うことは……この手紙は大介さんから?」
「でも、円堂のお祖父さんはもうずっと昔に亡くなって……」
咄嗟に風丸が言い返した通り、円堂大介は彼らが生まれる前にはもう亡くなっているはずである。その大介本人から孫へ手紙が届くとは到底思えない。
「でも、そんな人からの手紙が届くなんてこと……」
やや青ざめた顔色の織乃の独り言染みた言葉に、全員押し黙った。
仮にかつて大介からこの手紙を預かっていた人物がいたとする。だが、この手紙はその割に新品同様であり、そもそも差出人を明記していないことが疑問に残る。
だが、肝心の内容は円堂にしか解読できない。食い入るように手紙を見つめる円堂に、秋が尋ねた。
「何て書いてあるの?」
「『頂上で待ってる』って……」
頂上、と秋はぼんやりとその単語を繰り返す。彼女が意味を考える間もなく、春奈と鬼道が真っ先に答えを導き出した。
「それって、FFIのってことですか?」
「世界大会に参加するどこかのチームに、大介さんが関わっていると言うことか……?」
2人の言葉に、仲間たちはどよめいて顔を見合わせた。口に出さずとも、全員が互いに言わんとすることを察している。
亡くなっているはずの人間から、どうやってそんなタイムリーな手紙が届くのか──だが、親族の円堂の前でその議論をするのは憚られた。
「罠かもしれませんね」
「罠?」
ざわめきの中で響いたのは、目金の剣呑な声だった。
仲間たちの視線を受けて、「こうは考えられませんか」と彼は主張する。
「どこかのチームが、円堂くんを動揺させるためにわざとお祖父さんの字を真似て……」
「それはないです!!」
それを遮ったのは、珍しく声を荒らげた立向居だった。遠回しに大介が侮辱されたような気になったのだろう、虚を突かれた風な目金に対し、彼は眉尻を吊り上げて続ける。
「俺、ノートは何度も見せてもらってますから!! これは絶対、円堂さんのお祖父さんです!!」
「っじゃあ聞きますけどね! 死んだ人がどうやって手紙を出すって言うんですか!?」
「落ち着いて2人とも!」口論がヒートアップし始めた2人を、慌てて1年生たちや綱海、土方が止めに掛かる。そんな仲間たちの諍いと手紙とを見比べ、唇を引き結んでいた円堂は大きく鼻から息を吸った。
「──まぁ、考えても仕方ないか!」
「えっ?」
その一言で、取っ組み合いの喧嘩になり掛けていた口論は水を打ったようになった。一気に注目を引き付けた円堂は、そのまま笑顔でこう続ける。
「もしこの手紙が何かの間違いなら、それはそれだけのことだし……本物なら、FFI世界大会に行けば、会えるってことだしさ!」
「それは、そうかもしれないが……」
あくまでもポジティブな円堂の発言に、風丸が眉を下げる。しかし円堂は、それに対し「大丈夫だって!」と一言で返すと、手紙を畳みベンチの上に置いた。
「それより特訓だ! 今は決勝戦のことだけ考えようぜ!」
再開するぞ! と円堂がグラウンドに駆け出すと、釣られた1年生たちが慌ててその後を追う。
他の仲間たちもしばし顔を見合わせ肩を竦めると、それに続いた。マネージャーたちは、そんな彼らの──円堂の横顔を見て、気遣わしげに呟く。
「あんな風に言ってはいますけど……大丈夫なんですかね、円堂さん」
「うん……本人がああ言ってるなら、あんまり追求しない方が良いのかもしれないわね……」
「……」
「──冬花さん?」
その中で1人、先程から不自然な程じっと押し黙っている冬花に気付き、織乃は彼女の顔を覗き込む。ハッと肩を揺らした冬花は、「な、なに?」と尋ね返した。
「いえ……何だか具合が悪そうに見えて。大丈夫ですか?」
「え、ええ……うん、平気。ごめんなさい、ぼんやりしてて」
平気なら良いんですけど──と、織乃は小首を傾げながらも再びモバイルを抱えて吹雪と土方の元へ小走りに駆けていく。
冬花は一瞬顔を伏せると、そっと円堂の横顔を見つめた。
「(どうして……どうして私は、あの字を知っているんだろう)」
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:
その2日後のこと。
朝の練習を始める時間帯、全員が玄関先に揃っているのを確認していると、階上からバタバタと忙しない足音が聞こえてきた。
「み、みなさーーん!!」
「ん?」
足がもつれそうになりながら階段を駈け降りてきたのは目金だ。どうした、と円堂が尋ねると、彼は急ブレーキを掛けて立ち止まる。
「決勝の相手が決まりましたよ!!」
「!」
その一言で、和やかな雰囲気は消え周囲は一気に緊張感に包まれた。そう言えば、と呟くのは土方だ。
「今日は韓国とサウジアラビアの準決勝の日だな」
「で、どっちが勝ったんだ? 韓国か、サウジアラビアか?」
緊張した面持ちで、風丸が話の続きを促す。
目金は息を整えてたっぷり間を空けると、にやりと口角を持ち上げた。
「──皆さんは、どちらだと思いますか?」
「だーッ、もうじれってぇな! どっちでもいいからさっさと言えよ!」
演技掛かった口調で勿体ぶる目金に、耐え性のない綱海が真っ先に食って掛かる。あまりの勢いに仰け反った目金は、そのままの体勢で言った。
「か、韓国です! しかも、4対0の完勝です……!」
──4対0。大きな点数の差に、選手たちは一瞬ざわついた。だが、すぐさまその動揺は鳴りを潜める。
「そうか、韓国か……」
ニタリと笑みを浮かべた鬼道は、この展開を予想していたのだろう。何せ韓国は今大会の優勝候補と呼ばれるチームなのだ。他の選手たちの間にも動揺はなく、寧ろ試合を楽しみにしているのが窺える。それは彼らがこれまでの荒波に揉まれた結果、成長した証拠でもあった。
「相手にとって不足はねーぜ!」
「円堂!」
どこかを眺めて呆けていた円堂に、風丸が声を掛ける。
円堂はハッと顔を正面に向け仲間たちの視線を一身に集めていることに気付くと、気付けのように自身の頬を叩いた。
「──ああ! そうと決まればみんな、早速必殺技の特訓だ!」
「おーっ!」
一部を除くほぼ全員分の拳が高く上がり、円堂を先頭にイナズマジャパンたちはグラウンドへ走り出す。
正しくは、走り出そうとした=B
「その必要はない」
「えっ」
背後から聞こえた冷めた声に、踏み出した足がたたらを踏む。
揃って振り向くと、そこにいたのはやはり久遠だった。いつものように腕を組み、にこりともせずに仁王立ちしている。
「監督……?」
「今日から練習メニューを変更する。ついてこい」
そう言って、久遠は踵を返すと外へと向かう。選手たちは困惑の隠せない表情を浮かべながら、反射的にそれに従う。
「メニューの変更か……御鏡、何か聞いているか?」
「いえ……」
久遠の作る練習メニューは、織乃のまとめたデータを元に組み上げられることも多い。けれど今回は織乃も完全にノータッチだ。尋ねてきた鬼道に、織乃は首を横に振る。
正面玄関を出て階段を降りれば、いつも使っているグラウンドはすぐそこだ。しかし彼らの目の前に広がったのは、いつものグラウンドではなかった。
「決勝戦までの3日間は、ここで練習してもらう」
「えっ……!?」
フィールドの白線から内側をくり貫かれた地面。日の光を反射して鈍く輝く表面。恐る恐る穴の中へ指を挿し込んだ栗松が、あっと声を上げる。
「これは……泥でヤンス!」
「ええ!?」
眼前一杯に広がっていたのは、言うなれば泥のフィールドだった。大方子供たちが寝ている昨晩の間に工事をしたのだろうが、あまりのビフォーアフター振りに全員開いた口が塞がらない。
「どういうことですか? こんな泥の中で練習をしろなんて……」
「それより、必殺技の特訓をすべきじゃないですか? 吹雪たちの連携必殺技だって、もう少しで完成するんです」
矢継ぎ早に意見を出す鬼道や風丸を、久遠は「必殺技の特訓は必要ない」と一刀両断した。でも、と食い下がる選手たちに、久遠はついに苛立ったように眼尻を吊り上げる。
「お前たちは言われたとおりにしていればいい。──何をしている? 早くしろ!」
強い口調に表情を固くした一同であったが、やはり泥沼を前にすると尻込みしてしまう。今まで砂浜や雪上で特訓したことのある選手たちも、今回ばかりは話が別だ。
誰が一番にここへ入るか──そんな空気になりつつある中、最初に動いたのは豪炎寺だった。
「ご、豪炎寺さん?」
「……」
虎丸の反射的な制止も聞かず、豪炎寺は泥沼へ足を踏み入れる。
抱えていたボールを足元に落とせば、落ちた衝撃で胸元にまで泥が飛んできた。けれど彼はそれに一瞬顔をしかめただけで、そのまま泥の中でボールを蹴り始める。
「あっ、円堂くん!」
次にフィールドに踏み込んだのは円堂だった。スパイクは一瞬で中まで泥に侵食され、ぬかるんだ地面に足が取られる。だが──走れないわけではない。
ぐっと顎を引き、円堂は先を行く豪炎寺の背中を追いかけた。
「豪炎寺!」
「! 円堂……」
2人は視線を交わすと、無言のままボールのやりとりを始めた。稲妻マークのエンブレムは既に泥にまみれ、膝まで飛んだ泥水がソックスに染み込む。それも気に留めず真剣にサッカーをする2人を見て、仲間たちも心を決めたようだった。
「……鬼道!」
「ああ……俺たちも行くぞ!」
選手たちが意を決して泥のフィールドへ飛び込んでいくと、マネージャーもようやく事の現状を受け入れるしかないと悟る。顔を見合わせ力強く頷き合う。
「私、かご持ってきます!」
「タオルの予備って倉庫にまだありましたよね?」
「桶に水汲んで来ましょう」
「あ、手伝います……!」
これから3日間、かつてない強敵──もとい洗濯物との格闘を確信した4人は、一斉に校舎に向かって走って行った。
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手洗いで出来る限り泥を落とし、洗った先から洗濯機に放り込み、乾燥機に掛ける。
そんな洗濯物リレーを交代しながら繰り返し、全ての洗濯物を洗い終えたのは夕飯も終わってしばらくしてからのことだった。
「──ふぃ〜っ! やっと終わりましたね!」
「うん……流石にちょっとくたびれちゃった」
春奈と一緒に洗濯物を片付けた織乃は、使った桶を乾かしながら苦笑する。
これがあと2日間続くのかと思うと今から溜め息が出そうだったが、これも選手のためだ。
「じゃあ私、畳んだものから先に戻してくるね」
「はい! 私も次の乾燥が終わったら合流します!」
敬礼のようなポーズを取った春奈に手を振り、かご一杯に洗濯物を詰めた織乃は選手たちの自室へ向かう。
まず始めに向かうのは、かごの中の赤いマントが幅を利かせている鬼道の部屋だ。両手が塞がってノックが出来ないため、織乃は扉を前に声を掛ける。
「鬼道さん、洗濯もの持ってきましたよ。──鬼道さん?」
しかし、返事は返ってこない。夕飯以降に誰かが下に降りた気配はなかったため、留守にしているとは思えないのだが。
「……し、失礼しま〜す……」
何にせよ、このまま立ち往生しているわけにもいくまい。多少行儀が悪いとは分かっていながらも、織乃は足と肘を器用に使って鬼道の部屋の扉を開ける。
真っ先に目に入ったのは、ベッドに投げ出された赤いマント。一瞬倒れているのかと思ったが、よくよく見れば鬼道本人は机に突っ伏して小さな寝息を立てていた。
「(鬼道さん、寝ちゃってる……)」
入った時と同じく、足と肘で静かに扉を閉めて部屋に上がる。ベッドの隅に抱えてきた洗濯物を置いて、織乃はそっと鬼道の顔を覗き込んだ。
これだけ近付いても、鬼道は規則的に背中を上下させるだけで起きる気配がない。彼の手元には、織乃と一緒に纏めた作戦表や春奈たちの集めたデータを印刷した書類が散らばっている。
大方夕飯から戻ってきて、ずっとゲームメイクの為の書類を纏めていたのだろう。加えて今日の慣れないフィールドでの特訓だ。疲れて寝落ちしてしまうのも無理はない。
とは言え、このまま放っておいては風邪を引いてしまう。小さく溜息を吐いて、織乃はかごを脇に置くとベッドの隅で折り畳まれていたタオルケットをそっと鬼道の肩に掛けた。
「頑張り過ぎは体に毒だって、いつも言ってるのに……」
惚れた弱みか、呆れ交じりの声は僅かばかりに甘い色を孕む。
けれど、その瞳は急に冷え切り、悲しげに細められた。
頂上で待ってる。
脳裏に蘇ったのは、円堂への手紙の文面。
みんなが勝ち上がるほど、強くなっていくほど、日に日に大きくなる1つの不安を織乃は自覚している。
「(多分……最初から、分かってた)」
きっと彼らは──彼は、これからもっと遠い人になる。才能を持った人間が行き着く先は、凡人には手の届かない遥か高みなのだ。
強くなって、有名になって、雲の上の人になるまで10年も掛からないだろう。
傍にいたい。そう願っても、叶わなくなる。
「──すき」
どうしようもない寂しさと愛しさが込み上げてきて、気付けばそんな言葉が口を突いていた。
こんな言葉も、今しか言えない。それすら届かない場所に、未来の彼は立っているだろうから。
「どんなに強くなって、遠くへ行ってしまっても、あなたが私を見てくれなくても……手が届かなくなる最後の時まで、好きでいさせてください……」
祈りにも似たその声が震えていたのは、それを言葉にした緊張からか、それとも。
鬼道は変わらず、ゴーグルの下で目を伏せたままピクリとも動かない。織乃は自分の臆病さを情けなく思いながら、呟くように自嘲した。
「……私って、本当に意気地無しだな……」
彼は実父との繋がりだったサッカーと唯一の肉親である妹の春奈、それから共に戦ってきた仲間をとても大事にしている。
自分はその仲間の内の1人。それ以上でも、それ以下でもない。ただのしがないマネージャーだ。
先日の『デート』の件も、彼は心根が優しいから、きっとこちらを気遣ってあんな風に言ってくれただけなのだろう。
高望みは出来ない。結局自分は、そこにいるのがお似合いだ。踵を返し、かごを抱え直した織乃は音を殺して部屋を後にする。
故に、彼女は気付かなかった。
扉が閉まった次の瞬間、部屋の主が椅子をひっくり返さんばかりの勢いで起き上がったことに。
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