Bring a lip near a moon
「えー、それでは! 改めましてー……」
「アジア大会予選突破、おめでとうございま〜〜す!」
パンパンパンパン! ──連続して打ち鳴らされたクラッカーに、小さな紙吹雪が舞う。
それをしばし呆然と見上げていた円堂は、やがて嬉しそうに歯を見せて笑った。
「──ああ! みんなもありがとうな!」
時刻は午後6時、大会終了から既に4時間近く経った。会場にて小一時間ほど取材陣に拘束されたのち、一同は試合とはまた別の疲れでクタクタになりながら合宿所に戻ってきた。
休息を取り、友人や家族からの祝いのメールや電話に応対し、さて夕飯の時間だと食堂に向かった彼らを迎えたのは、マネージャーたちによる小規模ながらも盛大な歓迎だった。
普段均等に並べられているテーブルは真ん中に寄せられ、その上には大皿に乗った大量のおかずが所狭しと並べられている。
「しかし、『夕方まで食堂立ち入り禁止』なんて言うから何事かと思えば……またすごい量のご馳走だな」
「ふっふっふ〜! マネージャー総出の力作ですよ!」
「うちらもおるで!」
目を丸くして感想を漏らす風丸に、胸をそびやかす春奈の後ろからリカと塔子がひょっこりと顔を出す。
「リカ、塔子!」ぱっと表情を輝かせた円堂が、足早に2人の駆け寄った。
「お前らも手伝ってくれたのか?」
「せや! 会場から食堂に直行、そこからず〜っとキッチンで格闘……大変やったで〜?」
「まぁ、秋に手伝い頼まれなかったら、丁度夕飯時にお邪魔する気満々だったけどな」
いらんこと言わんとき、と吠えるリカに塔子は軽く耳を塞いで、「メニュー考えたのも秋と織乃だしな」とキッチンの方を顎でしゃくる。
円堂たちがそちらを見ると、丁度2人は棚から持ち出した紙皿や割り箸を持ってくるところだった。
「いつもなら選手の体を考えたメニューを作ってるんですけど……監督の許可も貰ったので、今日は特別に皆さんの好きなものでまとめてみました!」
「たっぷり作ったから、みんなお腹一杯食べてね!」
「やったッス〜〜!!」
その言葉に真っ先に喜んだのは当然のごとく壁山だ。やはりいつもの健康的なメニューでは、大食漢の彼は物足りなかったのだろう。
「それで……その久遠監督はどこに?」
織乃から紙皿と割り箸を受け取りながら、辺りを見回すのは鬼道だ。
普段から久遠は選手たちの食事が終わった後、冬花が持っていった食事を一人で自室で食べるようにしている。今回もその口なのだろうか。けれど、首を振った冬花はこう答える。
「お父さんは雷雷件に行ってます。自分がいないほうが選手ものびのび出来るだろうって……多分、今頃響木さんと祝杯でも上げてるんじゃないかな……?」
「ふぅん、あの監督にしては珍しい気遣いじゃねーの」
不動が皮肉を言いながら、大皿の唐揚げにそろりと箸を伸ばす。途端、それを目撃した織乃が「こらっ!」とその手を軽く叩いた。
「ダメですよ不動さん、食べるのは乾杯の後!」
「ちっ……面倒くせえな」
「綱海さんもですよ!」
言葉のわりには大人しく戻っていく不動を確認し、織乃が肩越しに振り向けば、綱海はさっと「何のことだ!?」と後ろ手に箸と皿を隠す。
人数分の箸と紙皿が行き渡り、コップに飲み物が注がれる。オレンジジュースを持った円堂の肩を、秋がちょいとつついた。
「さっ、円堂くん。乾杯の音頭とって!」
「んぇっ、俺が?」
「当たり前だろう?」
俺たちのキャプテンなんだから、と隣で豪炎寺が憑き物が落ちたような顔で笑う。
そっか、と嬉しそうに頷いた円堂は軽く咳払いをすると、コップを高々と持ち上げた。
「ええと、それじゃあ──予選突破と世界大会出場を祝って、乾杯!」
「カンパーーイ!」
「いただきま〜す!!」意気盛んな壁山を筆頭に、次々と大皿に箸が伸びていく。
パリッとした海苔の巻かれた一口サイズのお握り、ミートソースとクリームソース、シンプルな塩コショウ味の3種のパスタ。まだ油でうっすらと表面が輝いている揚げ立ての唐揚げに、甘じょっぱいソースをたっぷり纏ったミートボール、肉厚なピーマンの肉詰めに、トロリとした卵で閉じた豚カツ。甘い卵焼きと程よい塩気のだし巻き玉子、シャキシャキの千切り大根とレタスのサラダと、ごろりとしたジャガイモのポテトサラダ、色とりどりの野菜の味噌炒め、エトセトラエトセトラ。
よくもまぁこんなに量を作ったものだと食べる前は感心していた少年たちだったが、いざ食べ始めてしまえばそんな感嘆は心のどこかに押しやられてしまった。
「豚カツうんめ〜〜!!」
「野菜もちゃんと食べなきゃだめよ?」
「おい誰だこの辺の唐揚げに勝手にレモン掛けたヤツ!」
「ヒィィッ!? このお握りわさび入りッス〜〜ッ!!」
「木暮くんっ!!」
「うっしっし〜!」
確かにこの騒がしさは、久遠がいたら起きなかっただろう光景だ。
試合後で空腹だったことも相俟って、数時間がかりで作った大量のおかずたちがどんどんと吸い込まれるように消えていく様はまさに圧巻である。
空になった大皿には直ぐ様追加のおかずが投入され、投入しては空になる。息つく間もない夕食戦争に、先に食事を済ませて良かった、と小さく呟いた冬花に秋も苦笑して頷いた。
「明日の今頃は本戦の会場入りか……何だか信じられないな」
「海外の島でやるんだっけ? 話によると、各チームのイメージ塗装がされた飛行機が用意されるとか……」
「ひ、飛行機……」
「ああ、そう言えば綱海は飛行機好きじゃないんだったか」
おかずが減るのに反比例して、そこかしこで雑談が増えていく。中には飛鷹や不動など、輪から離れている者もいるが、そんな2人には円堂が率先して話し掛けに行き──不動は適当に相槌を打つだけであったが──食堂は絶えることない話し声と笑い声に満たされる。
「──御鏡」
「? どうしました、鬼道さん」
草臥れてしまった紙皿を回収してキッチンのごみ袋にまとめていると、やや密やかな声で名前を呼ばれ織乃は振り返る。カウンター越しに立つ鬼道は、一瞬周囲を窺うように視線をやって、再び織乃の方を見た。
「少し話がある。……いいか?」
「え? はい……分かりました」
汚れた手を軽く洗う。「ちょっと外しますね」と秋に声を掛けると、秋は織乃の後ろで待つ鬼道を見て、ゆっくりとしたまばたきののちニッコリと笑った。
「うん。行ってらっしゃい」
カラカラと静かに食堂の引き戸を閉めると、廊下まで響いていた声が小さくなる。
どこへ行くんですか、と尋ねる織乃に、鬼道はしばらく窓の外を眺めた後、「屋上でも行くか」と答えた。
すっかり日の落ちた廊下は、電灯が付いていても仄かに薄暗さを感じる。鬼道の一歩後ろ、マントを緩く靡かせ進む背中に、織乃は首を傾げた。みんなの輪から離れてまで、一体何の話があるのだろう。
暗い階段をゆっくりと昇り、鬼道が屋上への扉を開ける。
途端、吹き込んできた夜風に髪を靡かせた織乃は、反射的に崩れた前髪を押さえた。
「──月が綺麗だな」
「え? あ……本当だ。綺麗ですね……」
今日は満月だった。夜空を見上げた織乃は、真っ先に視界に入った白く輝く丸い月に一瞬見惚れる。
そう言えば、今日は1日とても天気が良かった。澄み渡った空に瞬く星に、知らずと細く息を吐き出す。
「御鏡、こっちへ」
「は、はい」
いつのまにか、鬼道は柵に寄り掛かるようにして織乃を手招いていた。
いざなわれるがまま歩み寄れば、鬼道は遠くに見える鉄塔広場、そこに聳える鉄塔で輝く稲妻マークを見つめ、何か考え事でもしているかのように唇を真一文字に結んでいる。
「鬼道さん……?」
「…………先に、謝らねばならないことがある」
「はい?」謝るとは。聞き返そうと鬼道を見遣った織乃は、彼がやけに真剣な顔をしているのが分かって口を噤む。月の光と街の光、両方に照らされた彼の様子は夜の闇の中でもよく見えた。
「3日前に、俺の部屋に洗濯物を持ってきてくれただろう?」
「へ? え、ええ……」
あの時は鬼道が机で居眠りをしていたから、仕方なく中に入って洗濯物を置いてきた。起こすのは忍びなかったからそのままにしたのだが、やはり声を掛けるべきだっただろうか。
しかし、鬼道はそれを咎めるつもりではないらしい。ややあって、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。
「あの時、本当は起きていたんだ。いや、起きていたと言うより、お前の声で眼が覚めたと言うべきか」
──一瞬、思考が止まった。固まった織乃を目前に、鬼道は戸惑いがちに続ける。
「狸寝入りするつもりはなかったんだが、起きるに起きれなくてな……その後もしばらく、その事が頭から離れなかった」
「!!」
陸に打ち上げられた魚のごとく口を開閉した織乃は、心臓がドクドクと早鐘を打つのを感じながらも鬼道にどう返すべきか考えあぐねていた。
──だから彼は、試合直前まで様子がおかしかったのか。解決した謎と新たに聳え立った大きな難関に、織乃は息を詰める。
「(……あれ──じゃあ、これは)」
どくん、と一際大きく心臓が鳴ったかと思うと、織乃は体が爪先から頭の天辺まで一気に冷水に浸かったような感覚に陥った。
鬼道は織乃の秘めていた思いに気付いた。彼女が、気付かせてしまった。なら彼は、ここでその思いに答えようとしているのではないか。
誰もいないこの屋上で、誰に見られる心配もないこの空間で。
「──御鏡。俺は……」
「ま、待って下さい!」
鬼道の言葉が続くより先に、織乃は反射的に両手で耳を覆って声を上げていた。
真っ先に拒絶反応を示された鬼道は少なからずショックを受けたのか、何故、と眉間に皺を寄せる。勿論、その問いは耳を塞いだ彼女にはよく聞こえていないのだが。
「あの、き、鬼道さん。わ、私、まだ、心の準備が出来てないので……!」
震える唇で、織乃は必死に声を絞り出す。
心臓は氷のように冷え切っているのに、嫌な音を立て続けている。これから起こるだろう結末に、慟哭している。
──目頭がどんどん熱くなっていく。世界に羽ばたくことが決まった、そんなめでたい日に嬉し涙以外の情けない泣き顔を見られたくないのに。
「1分──いえ、30秒だけでいいから……!」
明日からも今までと変わらず、彼を支える自分でありたい。
思いが届かなくても良いのだ。ただ最後の時まで、近くにいられれば充分だから。だからどうか。
織乃は祈るように、ギュッと目を瞑る。そうしないと、今にも涙が溢れてしまいそうだった。
「…………馬鹿か、お前は」
空気が震えて、塞がれた耳に微かな音が届いた。鬼道が何か言葉を発したことを察した織乃は、ビクンと肩を揺らす。
次の瞬間、突然織乃の耳に張り付いていた両手が強引に剥がされた。そんなことが出来るのは、今ここにたった1人しかいない。
「あ──……え?」
思わず瞼を開けた織乃の目から、堪えきれなかった涙が零れ落ちる。一瞬抵抗しようと動いた手は、目を見開くと同時に静止した。
──鬼道がゴーグルを外している。赤い瞳で、こちらを見つめている。
「御鏡。お前は俺が何とも思っていない人間の言葉で、何日も悩むほど心の弱い男だと思っているのか」
「う」
「仲間だからと言う理由だけで、自分から女子と2人きりで何度も行動を共にすると思っているのか」
「え」
「……月が綺麗だと、ニ度お前に言った覚えがある」
「え、……??」
何だ。彼は何を言っている。織乃はまばたきを繰り返し、首を傾げる。矢継ぎ早に繰り出される問いと目の前の光景に面食らったせいか、涙も止まってしまった。
そこで織乃は、鬼道の顔が赤くなっていることに気が付く。鬼道は彼女の手首を掴む力を緩めると、小さく息を吸い込んだ。
次の瞬間、織乃の呼吸が止まる。
「──全部、お前のことが好きだからだよ。御鏡」
風の音が止む。辺りの雑音が聞こえなくなる。ゆっくりと見開かれた目から、再び熱いものが零れ落ちた。
彼が自分を好きだと言った。祈るように、言い聞かせるように。赤い瞳に宿る光は、一心に織乃を見つめる。
どうか、この気持ちを疑ってくれるなと願うように。
これは夢だろうか──息を潜め、滲んだ視界で鬼道が切なげに目を細めたのが分かる。彼の温かい掌が、涙で濡れた頬をそっと包んだ。
「なぁ、御鏡。もう一度言ってくれないか。今度はちゃんと、正面から聞きたいんだ」
「あ、う……」
体中の血が燃えたぎりそうに熱い。今の自分の顔は、熱した鉄のように真っ赤になっていることだろう。
激しく脈打つ鼓動に唇を震わせて浅い呼吸を繰り返していた織乃は、やがてか細い声で──今の自分に込められるだけの想いを込めて、彼に告げた。
「す、すき──私、鬼道さんのことが好き……! この先も……あなたの傍にいたい……!」
一度は止まった筈の涙が、またボロボロと溢れていく。一瞬だけ目を見開いて、満足そうに笑った鬼道は、「ようやく聞けたな」と噛み締めるように呟く。
彼は宝物を仕舞うように織乃の頬を掌で包み、晴れやかに破顔した。
「──ありがとう、御鏡」
「あ……」
そこでもう、限界だった。それまでようやっと保っていた箍が外れ、織乃は崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまう。
「おい、大丈夫か?」鬼道はそうなることが粗方予想が着いていたのだろう、特に慌てる様子もなく素早く彼女の体を支えた。
「ご、ごめんなさ……え、あれ……これは夢……? 現実……?」
「……唇に噛み付いてやろうか。夢ならそれで醒めるかもしれん」
「!?」
そんなことを言いながら鬼道が真剣な眼でこちらを覗き込むものだから、織乃は爆発するような勢いで顔を真っ赤に染め上げる。
「冗談だ。……今はな」
「じょ、じょうだ……え? 今? ……今は??」
どう言うことですか、と聞くのも恥ずかしい。驚きで涙もまた止まってしまった。
おろおろする織乃の頬を拭って、鬼道はまた笑った。ゴーグルはまだ外したままだ。存外幼い笑顔に、織乃の心臓がまた小さく跳ねる。
「みんなに勘ぐられる前に、戻ろう。報告は……まぁ、いらないか。聞かれた時に答えるくらいで十分だろう」
「は、はい……」
織乃の手を引いて立ち上がらせる鬼道はやけに楽しげだ。サッカーをしている時とはまた少し違う様子に、織乃もやがて戸惑いの表情から微笑みを浮かべて彼の後に続く。
扉を開けると、階下から未だ円堂たちがどんちゃん騒ぎする声が聞こえてくる。顔を見合わせ小さく笑う2人を、月の光が優しく照らしていた。
「明日から、またよろしくな。御鏡」
「……はい、鬼道さん!」
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