Sweet time of the intervals
「えーっと、過去の試合データがこれで全部、個人データが……」
誰もいない部室の中、1枚1枚大量に重なった書類を捲り必要なものを抜き出していく。ようやく半分を数えたところで、織乃は軽く息を吐いて凝り固まった肩を軽く解した。
愛用のモバイルが故障してしまった今、使えるのはアナログな紙媒体だけだ。以前はこの量の書類を相手取っても中々疲れることはなかったのだが、どうやら思っていた以上にデジタルに慣れすぎてしまったらしい。
部室内が僅かに薄暗いこともあり疲れてしょぼつく目頭を押さえていると、後ろで引き戸が開く音がする。
「ここにいたか、御鏡」
「あ、鬼道さん」
振り向くと、そこに立っていたのは鬼道だった。
随分苦労してるな、と片手に数枚の書類を持って後ろ手に引き戸を締めながら鬼道は室内に入ってくる。
「モバイルが壊れたと聞いてな。俺が預かっていた書類も必要だろうと思って、持ってきた」
「うっ……あ、ありがとうございます」
手渡されたのは鬼道が雷門イレブンに参加する直前、響木に言われて纏めた書類だ。
縒れた角や草臥れた紙面から、彼が何度もこれを読み込んだことが見て取れる。
「……毎度毎度、お前には苦労を掛けるな」
「え? どうしたんですか、急に」
突然そんなことを言ってきた鬼道に、織乃は首を捻った。今し方彼はこうして書類を届けに来てくれたわけであるし、寧ろ苦労を掛けたのはこちらの筈だ。
「響木さんから聞いたんだ。不動が代表候補に選ばれた時も、チームに入る時も、お前が俺たちのことを心配していたと」
「!」
俺たち、と言うのは鬼道と佐久間のことを指すのだろう。
織乃は響木と相談した際、不動のことは明確に口に出したわけではない。ということは、余程顔に出ていたということか。織乃は思わず片頬を押さえた。
「御鏡、お前はもう日本代表チームのマネージャーなんだ。……俺たちのことばかり気に病んでいては疲れてしまうぞ」
「……いいえ。そんなことはありません」
足元に視線を止めたまま呻くように言う鬼道に、織乃は頭を振る。
「私は、日本代表チームのマネージャーである前に、鬼道さんの友達でもあるんです。友達の心配くらい、させてください」
「御鏡……」
目を細めて緩やかな笑みを向ける織乃に、鬼道は眉を下げる。申し訳なさの中に滲む隠しきれない喜びに、鬼道は内心溜息を吐きたくなった。
「(全く、やはりこいつはいつも人のことばかりだ)」
でも、この優しさこそが自分が彼女に惹かれた1番の理由なのかもしれない。
そう思うと、いつの間にか手が織乃に向かって伸びていた。
「鬼道さん……?」
「……なら、お前の心配は俺がしてやろう」
辛くなったらいつでも言うと良い、そう告げる鬼道の掌が、彼女の頭を優しく撫でる。
心地よさそうに目を細めそれを享受する織乃の頬がじわりと桃色に染まっているのを見て、鬼道は小さく唾を飲み込んだ。
「……なぁ御鏡、俺は──」
「よっしゃー! 練習するぞーッ!!」
口を開いた矢先、グラウンドの方から響いてきた円堂の声に鬼道はハッと手を引く。
織乃もまた我に返り、慌てて彼から1歩退いた。
「あっ……え、円堂さん、もう練習始めるつもりなんですね。まだちょっと早い時間なのに……」
「そ、そうだな。まぁ、円堂らしいと言えばらしいが」
──彼は今、何を言おうとしていたのだろう。明後日の方向を見ている鬼道の横顔をちらりと窺っても考えていることが分かるはずもない。
それよりも、と織乃は顔を赤くする。何だったのだろうか、今の空気は。甘ったるく暖かい、あの瞬間を思い出すと何故だか頭が沸騰しそうだった。
「──あ、しょ、書類。残りの書類を探さないと……」
「御鏡、せめて脚立を……」
慌てた様子で棚の上の箱につま先立ちで織乃が手を伸ばした、その瞬間だ。鬼道の目に彼女が棚に寄り掛かった拍子に傾いた頭上の段ボール箱が映る。
「おい、御鏡!」
「え? あ──」
──次の瞬間、がたごとん、と大きな音が部室一杯に響いた。
扉越しに、グラウンドの方から円堂やそれに釣られた壁山たちの威勢の良い声が聞こえてくる。
ごろごろと頭の横を転がっていくのは、空っぽのジャグだ。1つ、2つ。3つ目を数える心の余裕はない。
「っ──……き、鬼道さ……」
強かに打ち付けた背中の痛みに顔を顰めながら目を開いた織乃は、自分の心臓が止まったかのような錯覚を覚えた。
鬼道の整った顔が、目と鼻の先にある。文字通り鼻同士がぶつかってしまいそうな距離で、微かに呻いた鬼道がゆっくりと瞼を開けた。
「!!」
普段ゴーグルで隠れた彼の目が、織乃のそれと合うなり零れんばかりに見開かれたのがレンズ越しにも分かる。
頭上に降り注いだ雑品から織乃を守ろうとしてくれたのだろう、覆い被さるような形で──勢い余って押し倒して──身を呈し彼女を助けた鬼道の頭は、その瞬間完全に考えることを放棄していた。
「う、あ」
けれどそれはほんの数秒間のことだった。
織乃の口から不明瞭な音が漏れる。詰めていた互いの吐息が微かに交わった次の瞬間、密着した体が発火したかのようにカッと熱くなった。
「っす、すまない!」
「あ、い、い、いいえ……こちら、こそ……」
茹だっているのではないかと思うほど顔が熱い。織乃はあっちこっちに視線を泳がせた後、恐る恐る鬼道を見遣る。
鬼道もまた頬を赤く染め上げ、それを隠すためなのか片手で顔を覆っている。指先にこつんと当たった散乱するジャグに、織乃はハッと声を上げた。
「あっ……き、鬼道さん、背中! 大丈夫でしたか!?」
「だ、大丈夫だ。問題ない」
マネージャーを庇って怪我をするなんてあってはならない、と顔色を赤くしたり青くしたりと忙しい織乃の言葉に、鬼道はやや食い気味に答える。
やがて練習時間になっても姿が見えないことが気になったのだろう、外から鬼道を呼ぶ声が聞こえてくると、彼はサッと立ち上がった。
「呼ばれてるな……ここは任せて良いか」
「はっ、はい! 勿論!」
元々私が散らかしたようなものだし、と言う声は果たして聞こえたのだろうか。言い終えるより先に踵を返した鬼道はそそくさと立ち去ってしまう。
ぴしゃりと扉が閉じて一拍した後、表で「お兄ちゃん、そんな所で蹲ってどうしたの」と春奈の困惑した声が聞こえてきたのだった。
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