Sweetheart rehearsal
「あっれ〜、おかしいな……」
使い古した段ボールの中身を入れ換えながら首を捻る。備品リストを見比べ、溜め息を吐く背中に声が掛かった。
「どうした? 春奈」
「あ、お兄ちゃん」
段ボールの前にしゃがみ込んでいた春奈は、肩越しに振り返り声を掛けてきた兄を見上げる。
えっとね、と立ち上がり、彼女は備品リストをもう一度上から順に読みながら答えた。なんでも、昨日の試合でアイシングスプレーとテーピングテープを切らしてしまったらしい。
「昨日はいつもより使う頻度が多かったから……出発時間までに買いに行っておかないと」
「お前1人でか?」
「ううん、織乃さんと。今日の買い出し当番だから」
それじゃあまた後でね、と手を振って春奈は織乃がいるだろう資料室へ向かうべく踵を返す。
その背中が曲がり角の向こうへ消える直前、鬼道は考え込むように俯かせていた顔を上げた。
「──春奈!」
合宿所を出るのは午前10時。11時半には搭乗、飛行機で約4時間掛けて本戦会場へと向かうのが本日の日程だ。
現在時刻は8時ジャスト。朝食後、最後のデータチェックをしていた織乃は読み込んでいたファイルを戸棚に戻して大きく伸びをする。
あとは今頃備品チェックをしているだろう春奈の様子を見に行くだけ、とモバイルを小脇に抱えて資料室の引き戸に手を掛けようとした時だ。
「──織乃さぁんッ!!」
「うわぁっ!?」
ズバーン! とけたたましい音を立て引き戸が桟に叩きつけられる。思わず入り口から飛び退いた織乃は、派手な登場をした春奈に目を丸くした。
「ど、ど、どうしたの春奈ちゃん……!」
「あっ、すいません驚かせて! 実は備品で足りない物がいくつか出てきまして、買いに行かないといけないことを報告に来ました!」
敬礼のポーズを取りながら報告する春奈はやけにハイテンションだ。織乃は腕からずり落ち掛けたモバイルを抱え直しながらそっか、と頷く。
「だったら早く買い足しに行かないとね。久遠監督にはもう……」
「はい! 監督にも伝えて、お金も預かっておきました。もう校門前で待ってますよ!」
「うん、わかっ……うん?」
「待ってる?」頷き掛けた織乃は、ハテと首を傾げた。まさか久遠が待っているわけではあるまい。
では誰が、と尋ねる前に春奈は織乃の腕を引き資料室から引っ張り出すと、ついでとばかりにモバイルをその手からするりと抜き取った。
「これは織乃さんのお部屋に置いておきますので! あ、買い物リストももう渡してあるのでご安心を!」
「は、春奈ちゃん? 一体誰が待って……」
ぐいぐいと背中を押され、辿り着いたのは昇降口だ。扉の向こうへ織乃を押しやる寸前、肩越しに見た春奈がニヤリと笑う。
それはそれは、兄によく似た悪い顔で。
「詳しいお話は帰ってきてからじ〜っくり聞かせてもらいますから……ね!」
「……えっ?」
──バタン! 強引に外へ押し出され、背後で扉が閉まる。
振り向いても、春奈の姿は既にガラス戸の向こうから消えている。小さくキャー、とくぐもった声が遠ざかっていくのが僅かに聞こえた。
「な、何なんだろう……」
財布もないバッグもない、完全な手ぶらだ。春奈の言うことを察するに、恐らく必要なものは全て待ち人が持っているのだろうが。
不思議に思いながら校門の方を見た織乃は、目を凝らしてハッとした。門の向こうに、何か赤いものが風に吹かれて見え隠れしている。
「──きっ、鬼道さん!?」
「! 来たか、御鏡」
来たか、と言う辺りどうやら待ち人は鬼道だったらしい。
「どうして鬼道さんが……」と大急ぎ駆け寄って来た織乃に、鬼道は肩に掛けていたエコバッグの紐を手持無沙汰に握って答えた。
「買い出しを代わってもらえるように、俺が春奈に頼んだんだ」
「え、何で……」
「…………約束したからな」
「やくそく?」呆けておうむ返しした織乃は、しばしあってハッと目を見開き頬を赤く染める。先日鬼道と交わした約束を思い出したのだ。
『次にお前が買い出しに行く時は、俺が荷物持ちに着いていこう。……デート、ではないが……その、2人でいれば、本当に何かアイデアが生まれることも、あるかもしれない』
──確かにこれは、デート、ではないけれど。真っ赤な顔で俯いた織乃に、鬼道はコホンと小さく乾咳をして目を逸らした。
「まぁ、何だ……予行練習みたいなものだと思ってくれ」
「よ、予行練習、ですか」
「……いつか本番もあるだろう?」
「は、い……」
顔を赤らめた2人の間を、生温い風が緩く吹き抜けていく。
しかし時間は有限だ。遠くから聞こえてきた車のクラクションで我に返った織乃は、「あっ、買い出し!」と顔を上げた。
「じ、時間なくなっちゃいますね! とりあえずペンギーゴに向かいましょう……!」
「もう開いてるのか?」
「はい、あそこは8時半には開店するので」
行きましょう、と買い出しリストとエコバッグを受け取った織乃はどこかぎこちない動きで商店街へ向かう。その背へ一瞬伸ばし掛けた手を、鬼道はややあってポケットに捩じ込んだ。
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通学、通勤ラッシュも過ぎ、中途半端な時間帯の商店街は人もまばらだ。
ペンギーゴへ向かう道中、織乃は気になっていたことを鬼道に聞いてみる。
「そう言えば……春奈ちゃんに代わってもらったって話してましたけど、何て説明したんですか?」
「ん? ああ、御鏡の買い出しに着いていく約束をしたから、と言っただけ、……だったんだが」
「だが?」
半端に言葉を切った鬼道に、織乃は首を傾げる。鬼道は少し眉間に皺を寄せながら顎を摘まんで考え込むような顔をした。
「いや……そう言えば、それを話した時の春奈の顔に既視感があったような気がしてな。良いことを思い付いた時の顔と言うか」
「(既視感ってそれ鬼道さん自分の顔なのでは)」
それに、その『良いことを思い付いた時の顔』は織乃も見たばかりだ。そして恐らく、春奈がその顔をした理由も見当がつく。
「……鬼道さん、それってもしかしなくても」
「ああ、……バレただろうな。確実に」
仲間たちには聞かれない限り自分たちの関係は伏せておく。ただ、春奈には先に言っておくくらいはした方が良いかもしれない──それが昨晩、食堂へ戻る道すがら話した内容の一部だ。
話す手間が省けたと言えばそれまでだが、織乃は合宿所に戻った後のことを考えると頭を抱えたい気分にもなった。
「……佐久間にも、昨日話した」
「えっ!?」
唐突に話題に上がった名前に、織乃は思わず弾かれたように鬼道を凝視する。
話の流れでな、と鬼道は付け加えた。いわく、昨晩の祝賀会の後にあちらから電話が掛かって来たらしい。
「佐久間が御鏡を好いてることは察していたが……既に振られていたとは思わなかったな」
「うっ」
そのことも話したのか、と織乃は気まずい顔をする。佐久間を振った罪悪感こそ大分薄れてはきたが、改めて話題に上がると何とも言えない気持ちになってしまう。
「この話を聞いたときにあいつ、バカみたいに大きな溜め息を吐いてな」
「は、はい……」
「『付き合うのが遅すぎる』と一喝されたよ」
「うぐぐ」
そう言われましても、と織乃は赤らめた顔を両手で覆う。あれから約3ヶ月、その間特に何の進展もなく、その上織乃本人はそもそも告白するつもりすらなかったのだから佐久間が怒りたくなるのも当然なのかもしれない。
呻く織乃を横目に、鬼道は改めて昨晩の佐久間の言葉を思い出す。
『あのな鬼道……俺はお前が御鏡を好きなことなんてとっくのとうに分かってるんだよ。それが、今日ようやく告白してやっと付き合い始めたって? 遅過ぎるだろ!』
──実はそんな内容だったなどとは口が裂けても言えない。
実際、この3ヶ月の間に鬼道も告白を試みなかったわけではない。ただいくらタイミングを見計らっても、ことごとく邪魔が入り不発に終わっていただけなのだ。
昨日も当の織乃が振られるのではと勘違いしたことで、今回も失敗するのではと一瞬不安になった程である。
鬼道のそんな内心も知らず、織乃は合宿所に戻ってからの春奈の猛攻と、空港で合流する手筈になっている佐久間にどう対応するべきか頭を抱えたままだ。
うんうんと唸る姿に苦笑して「着いたぞ」とペンギーゴの入り口を指差したところで、織乃はようやっと顔を上げた。
「いらっしゃいませー! ──おっ、イナズマジャパンのマネージャーさんじゃないか」
ペンギーゴの店内へ入ると、人好きしそうな笑顔の店長に出迎えられる。
「いつものテープ入荷してますか?」と織乃が尋ねれば、店長は頷いて店の奥へと引っ込んでいった。
「ほう……ここのペンギーゴの中はこんな風になっていたのか」
「あれ、鬼道さん入ったことありませんでしたっけ?」
「ああ。買い出しの荷物持ちに選ばれたことがなかったからな」
雷門イレブンの備品買い出しは、基本的にマネージャーが1人ないし2人、そしてじゃんけんで負けた選手が必要名行くことがルール付けられている。
そう言えば、と織乃は彼が雷門イレブンに入ってから一度もじゃんけんで負けたことがなかったことを思い出した。
「松野さんや豪炎寺さんもですけど、じゃんけん強いですよね」
「ふっ……他の奴らは何を出すか分かりやすいからな」
特に円堂はな、と付け加えられた言葉は否定出来ない。籠にアイシングスプレーを放り込みながら、織乃は苦笑する。
それから少し待つと、店長が小さな箱を抱えて店の奥から戻ってきた。
「はいはい、お待たせ! 数はどうする?」
「5つで。あと、これもお願いします」
「はい、毎度あり!」
店長は手際よくレジに通した商品を用意されたエコバッグに詰めていく。織乃から料金を受け取ったあと、店長はふと「そうだ」と呟いてカウンター下にあったらしいクーラーボックスからスポーツドリンクを2缶取り出した。
「これはおまけにつけといてやろう」
「えっ、良いんですか?」
「ああ!」
世界大会へ向けての餞別だよ、と店長は下手なウインクを飛ばす。
ありがとうございます、と冷えたスポーツドリンクもエコバッグに詰め込んで、2人はペンギーゴを後にした。
「随分と気前の良い店長だったな」
「雷門イレブン開設当時からお世話になってるらしくて……よくこうやっておまけしてくれるんだって、秋ちゃんが言ってました」
言いながら、織乃はちらりと柱に据えられた大時計を見上げる。
鬼道も釣られてそちらを見ると、時計の針は丁度9時を指そうとしているところだった。
「もうそろそろ戻らないといけないな」
「そうですね」
どちらともなく顔を見合わせ、合宿所へ向けて歩き出す。
──ただ、その足取りは行きよりもほんの少しだけ遅い。お互いにそれは分かっているが、気付かない振りをして他愛もない話をしながら歩く。
「(時間……ゆっくり歩いても9時半には着くはず、だし……)」
正直、まだ夢を見ている気分だ。自分が彼を好きでいるままなのが現実で、昨日彼が自分を好きだと言ったことは都合の良い夢なのではないかと。
けれど、昨日よりも少し縮まった距離が──肌で感じる微かな体温が、これが現実だと教えてくれる。油断をすると足取りがふわふわしてしまいそうで、織乃は重たくなったエコバッグの持ち手をぎゅっと掴む。
その時、ふと鬼道が思い出したように立ち止まった。
「? 鬼道さん……?」
「……御鏡、鞄をこっちに」
言って、鬼道は織乃が何か言う前にその手からエコバッグを浚っていく。一拍空けて我に返った織乃は、慌てて手を伸ばした。
「だ、大丈夫ですよ! そのくらい私が……」
「──それで、その手はこっちだ」
バッグを追いかけて伸びた右手を、鬼道の左手が掴む。
瞬間、首が絞まったような声を喉から漏らし言葉を飲み込んだ織乃に、鬼道は彼女の目を見据えて言った。
「合宿所に戻るまでだ。……嫌か?」
「い、や、なわけ……ないですぅ……」
──やっぱりこれは夢かもしれない。手持無沙汰になった左手で真っ赤になった顔を覆った織乃に、鬼道もまた少し頬を赤らめて微笑んだ。
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