Edge of the dark
その日を境に、円堂は鉄塔広場のあのタイヤで練習を始めたようだった。
秋は夏未の言う通り、とことん円堂を見守ることにしたらしく、彼が毎日小傷をこさえて登校して来ることに何も言わない。
豪炎寺たちも今回自分たちの出来ることはないと悟ったらしく、ただいつも通り──円堂と接する。それは、織乃や春奈もまた然り。
詳しい事情を知らない部員たちも、円堂の特訓は日常茶飯事と分かっているからなのか細かいことには突っ込まなかった。
そして、世宇子との試合を5日後に控えたある日。
部活を終え帰宅し、部屋着に着替えた織乃はふと顔を上げた。ベッドの上に放った携帯が震えている。
サブディスプレイを一瞥した織乃は、僅かに表情を引き締めて通話ボタンを押した。
「……はい」
『もしもし──織乃ちゃん』
嗄れた声に、織乃はすっと息を詰める。
電話越しの相手──鬼瓦の、「今、大丈夫か」という問いかけに織乃は、小さくはいと答えた。
『色々と、話しておきたいことが出来てな……直接会えるか』
「大丈夫です。場所は?」
『商店街に、雷雷軒という店があるのは知ってるだろう?』
「それは勿論ですけど」知っているも何も、そこは雷門イレブンの監督である響木が店主を務める店だ。虚を突かれたように織乃は返す。
詳しいことはそこで──鬼瓦は口早に言うと、プツンと通話を切った。
ツー、ツーと音を立てる携帯を見下ろし、織乃は軽く目を伏せる。
また何かあったのか──否、彼が自分に連絡をしてくるのは、必ず何かあった時だ。思い直して、織乃はタンスを開けた。
パイン生地の部屋着から黒のジーパンに履き替え、白いTシャツの上から外出用のパーカーを羽織り、財布と携帯をポケットに突っ込んで階段を駆け下りる。
「大樹! お姉ちゃんちょっと出掛けてくるから、悪いけど晩御飯の用意代わって!」
「え? まぁ、別に良いけど……」
「何があったんだよー!」ソファでテレビを観ていた大樹の声には答えず、織乃は家を飛び出して行った。
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バスを待つような暇はないだろう。そう判断した織乃は自転車を飛ばし、アーケード前の駐輪場にそれを停めて商店街に入る。
ガラガラと引き戸を開けると、雷雷軒には客はおろか、鬼瓦の姿は見えなかった。
戸の開く音に顔を上げた響木が、サングラスの奥でまばたきする。
「ん……御鏡か。1人で来るのは珍しいな。ラーメン食いに来たのか?」
「あ、すいません、響木監督。今日はちょっと、人待ちと言うか……」
再度すいません、と申し訳なさそうにする織乃に、響木はなんの気なしに「まぁ座れ」とカウンター席に彼女を誘った。
大人しくそこに座る織乃を一瞥し、響木は食器洗いを再開する。
「人待ちと言ったが……部員か?」
「いえ、大人の方です」
「大人?」キュッと、シンクの蛇口を捻る音がやけに響いた気がした。
織乃は俯きがちだった顔を上げる。
「監督、鬼瓦さんっていう人と面識は……?」
「ああ……あの人か」
納得したように頷きながら、響木は織乃の前に水の入ったコップを置く。
昔からの知り合いだと答える彼に、織乃はホッとしたように溜め息を吐く。
「しかし、意外だな。あの人とお前さんが知り合いだったとは……」
あの人が部員と知り合ったときは、まだお前は入部していなかった筈だが。そう言って、顎髭を撫でる響木。
「前、お世話になったんです」彼女が返せば、響木は怪訝な顔つきをした。
「……影山関連か」
「──はい」
一口、織乃が水を飲み下す音と、鍋を火にかける音が重なる。
響木はそのまま考え込むように鍋を見つめると、ふと思い出したように口を開いた。
「ところで、円堂たちの練習の様子はどうだ?」
「みんな絶対に優勝するんだって、頑張ってます。……ただ」
「ただ?」響木が顔を上げる。
織乃は水の入ったコップを傾けながら、続けた。
「円堂さんが、ちょっと壁にぶつかってると言うか、新しいキーパー技の完成を目指している最中と言うか」
「壁、か。珍しいな、あいつにそんなことがあるなんざ」
喉の奥で笑う響木と、それに対して笑い事じゃないんですよ──と顔をしかめる織乃。
それから5分は経っただろうか。突然、慌ただしく引き戸が開く。
鬼瓦が来たのか──織乃はそう踏んで振り返ったが、あては外れた。
「監督、氷を下さい!」
「派手にやっちゃって……って、織乃ちゃん?」
顔色を悪くしてそこにいたのは、秋と夏未。その後ろには、鬼道と豪炎寺にサイドから支えられた円堂。
キョトンとする2人よりも、ボロボロになってしまっている円堂に織乃はギョッとした。
「ちょ……何があったんですか?」
「タイヤに……と言うか、俺たちの練習のせいだな。御鏡はどうしてここにいるんだ?」
ふらふらしている円堂を、テーブルに上体を預けるような形で椅子に座らせながら豪炎寺が尋ねる。
織乃は一瞬逡巡すると、「少し用があって」と曖昧に答えた。
よくよく見てみれば、円堂たちはジャージ、秋たちは制服のまま。どうやら部活が終わってそのまま鉄塔広場に向かったらしい。
織乃は溜め息を吐いている秋と夏未を見やる。
「見守るっていう手は、中止ですか……」
「一時的に、ね」
肩を竦めながら答える夏未。響木から受け取った氷嚢を、秋が円堂に手渡した。
「いッ、てて……」バンダナの上から氷嚢を押し当て、円堂は顔をしかめる。
「随分と無茶をしたもんだな」
「無茶じゃないよ! 特訓だよ」
調理を再開した響木が口髭を震わせれば、円堂はそれとは対照的に唇を尖らせた。
「やりすぎは毒って言ったのに」溜め息混じりの織乃の言葉に、円堂はぐっと唸る。
「御鏡からさっき聞いたが……新しいキーパー技に挑戦してるらしいな」
「うん。マジン・ザ・ハンド」
答えた円堂に、響木の肩が僅かに揺れた。
全員、響木の様子に気付き顔をそちらに向ける。
「監督、知ってるの?」小首を傾げる円堂に対し、響木は間を空けて口を開いた。
「──ああ……そうか、お前もついにアレに挑戦を始めたか」
「っ監督は出来た!?」
椅子から立ち上がるほどの勢いで、円堂が食い下がる。
しかし彼が自分にはマスター出来なかった──そう言えば、円堂は途端残念そうな顔で大人しくなった。
「だが、お前ならやれるかもしれない。頑張れよ」
「おう!」
カラリと氷嚢に入った氷が音を立てる。拳を固めた円堂にマネージャー陣が顔を見合わせ口元を緩めたその時、ガラガラと再三店の戸が開いた。
「おいおい、どうしたお揃いで」
「刑事さん?」
「鬼瓦さん!」
円堂と織乃の声が重なる。
一同の不思議そうな視線を一身に受けて、織乃は「あ、う」と視線を泳がせた。
「御鏡、刑事さんと知り合いだったの?」
「えー、っと、その……」
言うべきか、言わざるべきか。どうして良いか分からない織乃の肩を、ポンと鬼瓦が叩く。
「前にちょっと、な」代わりに答えた鬼瓦に織乃はホッとした様子を見せたが、鬼道は少し眉根を寄せた。
「にしても、ひっでぇ格好だな」
「世宇子に勝つにはこのくらい何でもない!」
意気込む円堂に笑う様子を見せながら、鬼瓦は織乃の隣に腰掛ける。
「威勢が良いのは結構だが」彼を一瞥しながら、鬼瓦はスッと目を細めた。
「勝つことに執念を燃やしすぎると、影山みたいになるぞ」
「……影山に?」
首を傾げる円堂や、顔をしかめる鬼道。僅かに目を伏せた夏未を見やり、織乃は鬼瓦のコートの袖を、遠慮がちに引いた。
「鬼瓦さん……」
「いや……ここまで来たら、言うべきと思ってな」
小さく言って、鬼瓦は再び口を開く。
FF開会式の日に、影山が釈放された──そう告げると、鬼道が目を見開き、カタンと椅子が少し浮いた。
「証拠不十分だと──影山は姿をくらましちまった」
「そんな…」
顔を青くして、秋が口を掌で覆う。
次いで、重々しく口を開いたのは夏未だ。
「……刑事さんは、冬海先生に会ったそうよ」
えっ、と声が響く。
織乃も一度、部員たちから耳にしたことがある。元雷門中教師、サッカー部の顧問でありながら、帝国のスパイだった人間──それが冬海。
土門の告発や夏未の対処で雷門中を辞めさせられた彼は、以来姿をくらましていた。
「影山を探す為にな──」
40年前のイナズマイレブンの悲劇から、雷門対帝国戦の鉄骨落下事件まで、一連の不可解な事件を解明するには、影山という男の過去を知るべきだと考えた──鬼瓦は、そこまで言って言葉を切ると、じっと宙を見つめた。
「何か分かったんですか?」
円堂の問いに、鬼瓦は何も答えない。ただ響木が、彼の前に水を置きながら、口を開く。
「……こいつらも知りたがってる。話してやったらどうだ?」
「──そうだな」
緩慢に頷き、鬼瓦は氷を揺らしコップを傾けた。
本当は、雷門のお嬢さんや織乃ちゃんに言うだけに留めるつもりだったが──そう前置きしながら彼はコップをカウンターに置き、指を組む。
大きく息を吐いて、鬼瓦はゆっくりと口火を切った。
「始まりは、50年前の出来事なんだ……」
「え、50年前?」
自分たちの人生とはほど遠い数字に、円堂が目をしばたく。鬼瓦は言葉を切ると、逆に尋ねた。
「影山東吾という選手を知っているか?」
その問いに、秋と夏未、織乃が不思議そうに顔を見合わせる。
首を捻る円堂に対し、豪炎寺が何か思い出したような表情をした。
「……昔、日本サッカー界を代表する選手だったと聞いたことがあります」
豪炎寺の答えに、鬼瓦は頷く。
その傍ら、鬼道が厳しい表情で口を開いた。
「──影山の父親だ」
思わぬ状況に、騒然となる店内。鬼瓦が訥々と、調べ上げたこと──影山の過去に起きたことを、話し出す。
50年前、人気実力共に最高だったサッカー選手、影山東吾。一時は誰もが、その頃のワールドチャンピオンシップに選ばれると疑わなかった。
しかし──円堂大介を中心とする若手の台頭によって、東吾は代表を外されてしまったのだと言う。
「ショックだったんだろうな……──それからの東吾は荒れちまってな、奴が出ると必ず負ける、あいつは疫病神とまで言われる始末だ」
やがて東吾は失踪し、母親は病死。当時子供だった影山は、幼い弟と共に施設に預けられることになった。
それは彼の人生の転機、崩壊──影山の中で、家族を壊したサッカーと勝ちへのこだわりに対する憎しみが膨れ上がっていったのだ。
「……負けることに意味はない=v
「勝つことは絶対、敗者に存在価値はない>氛氓ゥ」
ポツリと顔を歪めて呟いた織乃と鬼道が、視線を交わす。
「影山がよく言っていた言葉だ」溜め息と一緒に吐き出されたような言葉に、鬼瓦は小さく俯いた。
「その為に…沢山の人を苦しめている。──豪炎寺、お前もその1人だ」
鬼瓦に名指しされ、豪炎寺は一瞬訳が分からないような顔をする。
「……妹さんの事故も、奴が関係している可能性がある」
「!!」
豪炎寺が大きく目を見開き、眉間に皺を寄せた。
集まる視線を受けながら、彼はふと首から下げていたチェーンを指で引く。スルリと出てきたスパイクを象ったペンダントは、決勝戦前日に妹からプレゼントされたものだ。
「豪炎寺……」それを握りしめ表情を硬くする豪炎寺に、円堂はぐっと拳を固めた。
「──許せない……! どんな理由があっても、サッカー汚していいわけがない……間違ってる!!」
「……影山は今、どこに?」
怒る円堂のその向かいで、鬼道が慎重に尋ねた。対して鬼瓦は、渋い表情でゆっくり頭を振る。
「まだ分からん。しかし、冬海がおかしなことを言っていてな……」
FFは、プロジェクトZ≠ノ支配されている。影山はサッカーから離れない、今や空から、神にでもなったかのように自分たちを嘲笑っているのだ──と。
「プロジェクトZ……鬼瓦さんが、前に話してくれたものですね?」
「ああ……結局、何のことかはまだ詳しく分からないが。どうやらその計画と、影山が空にいるってのは繋がっているらしい」
そこまで言って鬼瓦は、一気にコップを傾ける。水滴がポタリと、カウンターに落ちた。
「プロジェクトZと、空……何のことだろ」
円堂も首を捻るが、思い当たるようなことはない。鬼瓦は次に、鬼道に視線を寄越した。
「帝国にいたお前には、空と聞いて何か思いつくことはないか?」
「……いえ。俺にはさっぱり……」
鬼道は一瞬考えて、小さく返す。
鬼瓦は首の後ろを乱暴に掻くと、長い溜め息を吐いた。
「何にせよ、まだ情報が少なすぎる。また何か分かったら、お嬢さんか織乃ちゃんに連絡するから」
そう言ってのろのろと立ち上がり、雷雷軒を後にする鬼瓦。
ピシャリと閉まった引き戸を見つめ、一拍して、鬼道が口を開く。
「……御鏡は、どうして鬼瓦刑事と?」
織乃は一瞬押し黙ったが、集まった視線にたじろぎながら再度口を開いた。
「……イタリアへの転勤に、影山さんが噛んでたらしくて。あっちに住んでるとき、鬼瓦さんが捜査の一環で、家に聞き込みに来たんです」
鬼道の座っていた椅子が、音を立てて動いた。
「それで、知り合ったの?」秋の問いに、織乃は頷く。
「でも、彼に目を付けられて家族の誰も怪我するようなことにならなかったのは、不幸中の幸いと言うことかしら……」
「私もそう思います」
イナズマイレブンの事件、雷門対帝国の鉄骨落下事件、そして豪炎寺の妹の事故、理事長の事故。
夏未の言うように、転勤だけで済んだのだからまだ良い方だ。──しかし。
「(影山さんがそうしたのは、私があの時の帝国に悪影響を及ぼすと考えたから──それは分かる)」
だが、何故彼女だけそれほどのことで済んだのだろうか。考え込む織乃の横で、夏未が呟く。
「それにしても……一体何なのかしら、プロジェクトZって……」
今や空から、神にでもなったかのように自分たちを嘲笑っている──鬼道が口に出して反芻するも、答えは出ないままだ。
「(神にでもなったみたいに──)」
織乃はゆっくり、コップに口をつける。瞼を閉じても、何も浮かぶものはない。ただ闇が広がるだけだ。
『──君は、神様はいると思う?』
ふと頭に響く、鈴を転がすような声。
それを言ったのは、誰だったか──織乃は思い出せなかった。
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