Invitation to a ball

開会式から一夜明けた午後1時、昼食を終えた一同は皿の片付いた食堂に揃っていた。
机と椅子からやや離れ、少し開けた部分に当たる壁に嵌め込まれた液晶ディスプレイには、春奈の愛用しているピンク色のノートパソコンに繋がるコードが何本か延びている。
そのディスプレイの脇に並び、書類を抱えた秋は隣に立った織乃と目配せを交わすと、コホンと小さく喉を整えた。

「さて──いよいよ、FFI世界大会よ。みんな分かってると思うけど、もう一度大会のルールを説明します!」

音無さん、と秋が春奈に目をやれば、春奈は小さく頷いてパソコンを操った。コードで画面データが繋がれた液晶ディスプレイに、分かりやすく図解が表れる。

「本選は世界各地の予選を勝ち抜いてきた、10チームで争われます。5チームごと、グループAとグループBの2つに分かれて、グループ内でまずは総当たり戦を行います」

各試合ごとに勝った場合は3点、引き分けは2点、敗北は0点と勝ち点が加算される。
最終的に各グループから勝ち点が多い上位2チームが決勝ラウンドに進出し、その合計4チームで決勝トーナメントが行われるのだ。

「私たちイナズマジャパンはグループAで、他にイタリアのオルフェウス、アルゼンチンのジ・エンパイア、イギリスのナイツオブクィーン、アメリカのユニコーンがいます」
「アメリカ……」

呟いた円堂が、そっと口角を上げる。昨日開会式で顔を合わせた一之瀬と土門のことを思い出したのだろう。

「私たちの初戦は2日後、対戦相手はイギリス代表ナイツオブクィーン。ヨーロッパの中でもトップクラスの実力を持つ強豪よ」
「正直、初戦では当たりたくなかった相手ですね」

口を尖らせて言うのは眼鏡を押し上げた目金だ。
しかし反面、面白そうじゃねえか、と綱海が椅子を大きく揺らして立ち上がる。

「せっかくここまで来たんだ。どうせやるなら、それくらいつえー奴じゃねーと面白くねえからな!」

そうだろ、と息巻いて周囲に同意を求める綱海に、反論を述べる者はない。それもそうだろう、ここで心が折れるようなら、彼らはこんな場所にはいないのだから。

「どうせやるなら強い相手、か」
「よーし、みんな! 全力でぶつかって行くぞぉ!!」

低く笑うような鬼道の呟きを受けて、円堂は拳を振り上げ立ち上がる。
おお、と追随して拳を突き上げる仲間たちを伴って、「そうと決まれば練習だ!」と円堂はグラウンドへ走っていった。

「みんなやる気満々ですね!」
「張り切りすぎて試合前に怪我しないと良いんだけど……」

パソコンを閉じる春奈に、織乃は遠ざかっていく背中を窓から眺めて苦笑する。それではこちらも仕事を始めよう、と食堂を出ようとした時だ。

「ミーティングは終わったか」
「あ、お父さん」

扉を開いて現れたのは、1人自室で作業に当たっていた久遠だった。終わりました、と答える冬花に頷き、彼はその後ろに立っていた秋と織乃に目を向ける。

「木野、御鏡。頼みたいことがある、私の部屋まで来い」
「あ、はい……」

2人は不思議そうに顔を見合わせ、頷く。自室へ戻る久遠を追いかける織乃たちに、「こっちのことは任せてください!」と春奈が手を振った。

「さっき、イギリス代表チームの関係者からこれが届いた」

部屋へ着くなり、差し出された1通の手紙を2人は覗き込む。
「中を見ても……?」尋ねた織乃に久遠が頷くのを確認して、秋は封をしていナイツオブクィーンのシールを慎重に剥がして中身を取り出した。紙面に目を走らせた秋が、驚いたようにまばたきする。

「……親善パーティーへの招待?」
「イギリス代表と日本代表の、ってことですよね」

そうだ、と短く答えて久遠は仕事机に着く。秋と織乃は顔を見合わせ、改めて内容を確認した。
対立する敵チーム同士ではあるが、激しい戦いを勝ち抜いてきた選手として、そしてサッカーを愛する者として、試合の前に是非親睦を深めたい──要約するとそんな内容である。

「監督、どうするんですか?」
「招待は受ける。相手を知るには、良い機会だからな」

何か作業の途中であったのか、久遠はパソコンを立ち上げながらそう言った。
察するに、久遠自身はパーティーに参加する意思はないらしい。彼はメモ帳に何かを走り書きすると、それを織乃に手渡した。

「お前たちには、そこに書いてある店にタキシードとドレスを取りに行って貰いたい。先方にはもう話を通してある」
「あ……分かりました」

渡されたメモにはイギリスエリアのものであろう住所が書かれている。織乃がそれを折り畳んでポケットに入れると、「それじゃあ、失礼します」と秋は久遠に軽く頭を下げた。
廊下に出た2人は、さて、とするべきことを確認する。

「私、一度みんなにこの事を伝えてくるわ。古株さんにも車を出してもらえるようにお願いしてくる」
「じゃあ私、サイズのデータを探して来ますね」

また後で、と2人は別れ、それぞれ小走りで目的地へ向かった。
別国エリアでの親善パーティー。緊張もあるが、聞きなれない単語に気分が少しばかり浮き足立つ。織乃は自室に戻ると、ユニフォームやジャージの発注のために取っておいた選手たちのデータが入った書類をブックエンドから取り出した。

「……久遠監督、ドレスも取ってこいって言ったよね」

ぺらぺらと書類を捲りながら、ぽつりと呟く。
他所行きのややお高いワンピースなどは何度か着たことはあるが、本格的なパーティードレスは着たことがない。果たして自分に合うものがあるだろうか、と不安を覚えるその一方で。

「(ドレス見たら、鬼道さん何て言うかな……)」

ふと無意識の内に浮かんだ思考に織乃はハッとすると、ぶるりと赤らんだ顔を振って書類を小脇に自室を後にした。




時刻は過ぎて、午後5時。
パーティーは6時からの開始だ。選手たちはいつもより早めに練習を切り上げ、秋と織乃が用意してくれた正装へと着替える。

「壁山くん、もっとお腹を引っ込めて!!」
「こ、こうっスか?」

──とは言え、慣れないタキシードに苦戦する者も何人かいるようではあるが。
見慣れぬ自分や仲間たちの正装姿にやや浮き足立っていると、階上から秋の声が降ってきた。

「みんな、用意は出来た?」

ふわりと広がるスカートの裾、控えめながらビジューの煌めく装飾。
ヒールの音を響かせ、見事にドレスアップして登場したマネージャーたちに、小さく歓声の声が上がる。

「うわあ……可愛いです!」
「き、綺麗でヤンス〜!」

真っ先に声を上げた立向居や栗松に、頬を赤らめた春奈があんまりじろじろ見ないで下さいよ、と照れ臭そうに苦笑する。
いつも制服かジャージ姿ばかり見ている選手たちにとってもその姿は新鮮なもので、感心したように綱海が笑った。

「へー、思ったより似合ってんじゃねーか!」
「思ったより=H」

──途端、彼に向けられる冷めきった3人分の視線。
綱海はハッと失言に気付くと、冷や汗を掻きながら慌てて取り繕った。

「わっ、悪い悪い、ついつい思ったこと言っちまってよ!!」
「フォローになってないぞ……」

呆れたようにで呟く鬼道に、綱海の顔色はついに青ざめる。
「フォローが下手だな」と佐久間やヒロトに諌められ縮こまる綱海を横目に、マネージャーたちは諦めた様子で溜め息を吐いた。

「良いですよ〜だ。ちゃんと誉めてくれる人だっているんだから。ね、お兄ちゃん?」
「ああ。よく似合ってるぞ、春奈」

流石お兄ちゃん、と春奈は満足げに笑ったが、元より彼が妹のドレス姿を誉めないわけがないのだ。
しかし、それでも明るいピンク色のドレスは贔屓目なしに彼女によく似合っていた。秋のほんのりグリーン掛かったドレスや、冬花の落ち着いた色合いで纏まった白いドレスも、それぞれ彼女たちをよく引き立てている。

──と、そこで彼らはマネージャーがまだ3人しか姿を現していないことに気が付いた。

「そう言えば、御鏡は……?」
「え? ああ、織乃さんならまだ掛かるから先に降りてて、って言われたんだけど──」




「ど、どうしよう……」

──一方、織乃は自室の姿見を前に途方に暮れていた。
髪型は既にセットした。何となく背中に違和感があってチャックを下ろし、生地の歪んでしまった部分を直したところまでは良かったのだ。

時間は刻一刻と迫っている。こうなればマネージャーの誰かを呼ぶしかない、とよろよろしながら扉に向かったその時だった。

「御鏡、準備は終わったか?」
「はいッ!?」

扉越しに聞こえてきた鬼道の声に、織乃は反射的に返事をする。
「なら、入るぞ」と彼がドアノブに手を掛けたのが分かって、織乃は大慌てで扉に飛びついた。

「ま! ままま待って下さい、鬼道さん!」
「? まだ済んでなかったのか?」
「済んでないと言うか……その、近くにマネージャーの誰かは……?」

みんな下で待っているが、との答えに織乃は呻き声を上げる。

「あの、鬼道さん、マネージャーの誰かを呼んできてもらえませんか……?」
「構わないが……ドレスに何か問題があったのか?」
「い、いえ! ただ、その……せ、背中が」

「背中?」鬼道の声が訝しむようなものに変わる。織乃は情けない気持ちになりながら現状を打ち明けた。

「背中のチャック、が……布を噛んでしまったみたいで」

中途半端な位置で止まったチャックでは、ドレスを脱いで自力で直すと言うことも出来ない。言葉を捻り出した織乃に、鬼道は黙り込む。

一拍して、彼は提案した。

「差し支えなければ、俺が直そう」
「えっ!?」
「春奈を呼べば済む話かもしれないが、……出来れば、一番最初に見たいんだ」

お前のドレス姿──と、照れの滲む鬼道の少し掠れた声に、織乃はカッと顔を赤くする。
蹌踉めきながら扉から離れると、沈黙を肯定と取ったのかドアノブがゆっくりと回った。

「そ、それじゃあ、お願い……します……」

つっかえつっかえ、俯きながら織乃が言うと、扉が開くのが分かった。

視界の端に黒い革靴が入る。そっと顔を上げると、タキシードに身を包んだ鬼道がじっとこちらを見つめて佇んでいた。

「──背中、だったか」
「あ、は、はい」

パタン、と後ろ手に扉を閉めて、一瞬だけ唇を引き結んだ鬼道が尋ねる。織乃は頷いて、戸惑いがちに彼に背中を向けた。

織乃に用意されたのは、薄い黄色のバックレスドレスだ。無防備に晒された白い背中にはしなやかな筋肉が付き、ひとつの傷もない。鬼道は思わず動きを止めて生唾を飲む。

「き、鬼道さん……?」
「っあ、ああ。少し待て」

気を取り直し、鬼道はドレスに付いた小さなチャックを摘まんだ。僅かだが、周りの生地を少しだけ巻き込んでしまっている。こうして目の前にしてしまえば些末な問題だったが、これは織乃ではどうにも出来なかっただろう。

柔らかい生地を傷付けないように、ゆっくりと噛んだ部分から引っ張り出す。そのまま慎重にチャックを上げると、織乃は詰めていた息を吐き出して「ありがとうございます……」と困ったように微笑んで振り返った。

「あー、その、御鏡。そのドレスなんだが、ショールか何か羽織る物は用意されなかったのか?」
「? いえ、このドレス1枚です」
「……そうか……」

この姿の彼女を他の目に晒すのは些か気にくわない。いっそ自分のマントを貸そうかと考えていたところで、あの、と織乃が声を掛けてきた。

「あの、ど、どうでしょうか。何か変なところ、ありませんか……?」

鬼道は改めて、正面から織乃を見た。緩く編み込み、リボンで結われた髪。控えめなレースのあしらわれたドレスは、彼女の雰囲気にも良く合っている。

「──ああ。良く似合っている」

同じ言葉でも、妹に言うのとでは全く違う。言い終えた途端顔を赤くして目を逸らした鬼道に、目をまたたかせた織乃は良かった、と嬉しそうにはにかんだ。

──そういう顔をすると、余計に他の奴らの前に出したくなくなる。顔を覗かせた独占欲を心の奥深くに押し込めて、鬼道は微笑んだ。

「鬼道さんも、その……素敵です。タキシード、久しぶりに見ました」
「ああ、ありがとう」

2人揃って赤くなった顔を見合わせて、小さく笑い合う。あの時と今、比べてみると随分と変わったものだ。
扉を開けた鬼道は、それでは、と恭しく彼女に手を差し出す。

「今回はエスコートさせてくれるだろう?」
「……はい。お願いします」

一瞬キョトンとした織乃は一拍空けて破顔すると、そっとその手に自分の手を重ねて部屋を後にした。

「──あ、来た来た。織乃さーん!」
「ごめんなさい、遅れました!」

階段を踏み外さないよう、鬼道のエスコートを受けながら階段を降りてきた織乃に春奈が手を振る。
階段を降りきった彼女がふう、と息を吐くのを横目に、春奈はニヤリとした笑みを兄に向けて小声で囁いた。

「それで、恋人のドレス姿を見た感想は?」
「……もう本人に伝えた」

何だ、つまんない。春奈はそう言って唇を尖らせたが、目は楽しそうに笑っている。
織乃はと言うと、佐久間やヒロトからドレス姿を褒めそやされて照れ臭そうに笑っている。やはり一番に感想を言えて良かった、と鬼道は内心安堵した。

とにかく、これで出発の準備は整った。秋は改めて辺りを見回し、はたと首を傾げる。

「……あれ? 円堂くんは?」
「そう言えばいないね……」

そこで仲間たちも、ようやく円堂がこの場にいないことに気が付いたらしい。
どうやら円堂の所在は誰も知らない様子で、一体どこへ行ったのかと全員が首を捻っている。
秋はしばし考え込むと、ハッと顔を上げた。

「もしかして──」
「あ、秋ちゃん?」

どこへ、と声を上げる織乃に、秋は玄関へ走りすがら肩越しに振り返り答えた。

「私、円堂くんを呼んでくるわ! みんなは先に会場に行ってて!」

そう言って、秋は慌ただしい足取りで宿福を後にする。
呼び止めるために伸ばしかけた手を引っ込めて、織乃は誰に言うでもなく「どうしましょう?」と困り顔になって呟いた。

「よりによってキャプテンが遅刻、と言うのは問題だが……全員揃って遅れるよりは良いだろう。木野の言う通り、俺たちは先に出発しよう」
「そうだな」

そう結論を出したのは鬼道だ。頷く豪炎寺をはじめ、異存のある者はいないらしい。一同は仕方がないな、とでも言うような顔になりながら、古株の待つキャラバンへと向かうのだった。