Tomtit of capture

フィディオと別れた円堂たちは、まず大通りに戻ってきた。オルフェウスのことは気になるが、今は目下の問題を片付けなければならない。

「ここからは手分けして探そう。何かあってもなくても、1時間したらこの場所で落ち合おうぜ。俺はこっちを探す!」
「ああ、頼んだ」

真っ先に東の路地へ駆けていった円堂を見送ると、それに続き不動が無言で西の路地へとさっさと歩いていく。

鬼道はそちらを一瞥すると、口を真一文字に引き結んで不動の後を追おうとしたが、佐久間が彼を制止する方が早かった。
怪訝な顔をする鬼道に、佐久間は小声で口早に告げる。

「俺が後を着ける。不動が影山と落ち合うかもしれないからな」
「しかし……」
「お前は他を当たってくれ。……御鏡、任せたぞ」

最後に織乃へ視線を投げ掛け、佐久間は鬼道が反論する間もなく不動を追い走り出す。
織乃は曲がり角に消えた2人を煮えきらない気持ちで見送ると、ぶるりと頭を振って鬼道のマントをついと引いた。

「鬼道さん、私たちも行きましょう」
「……ああ……」

奥歯を噛み締め、小さく頷いた鬼道は踵を返し早足で歩き出す。
織乃は急いでそれに続きながら、目の前で揺れる赤色を何とも言えない思いで見つめた。

「(佐久間さんは私に『任せた』って言った……あれは、影山さんを探すことじゃなくて、鬼道さんのことだ)」

彼は今も尚不動のことを疑っている。恐らく鬼道もそうだろう。円堂の言葉であの場は収まったとは言え、2人の心に痼は残ったままだ。

もし本当に不動がもう一度影山に着いたとしたら、そんな状態で影山を見つけたとしてもチームはどうなってしまうのだろう。それはあまりにも想像したくないものだった。

不動は確かに色々と問題のある人間ではある。けれどそれでも、織乃は韓国戦で鬼道と共に協力しチームを勝利に導いた彼を、仲間だと信じていたかった。

渦巻くような不安に駈られている間にも、鬼道との距離はどんどん離れていっている。いつの間にか早足は駆け足になり、鬼道の心の焦りが如実に出ているようだった。

「鬼道さん……ッ」
「──!」

必死に走れど、空いた距離は中々縮まらない。常日頃から鍛えているとは言え、走り回ることが基本であるサッカー選手の鬼道に足で勝つなど土台無理な話だ。
一度止まってもらおうと何とか声を掛けると、鬼道は弾かれたように振り返った。しかし、どうやら織乃の声に応じてのことではなかったらしい。

「……? き、鬼道さん?」
「……影山……!」
「えっ!?」

ぎっ、と鬼道の眦がつり上がったのがゴーグル越しでも分かった。途端、鬼道は織乃とすれ違うように今まで走ってきた道を逆走し始める。

「ちょっ……鬼道さん!?」

赤いマントは左側の細い路地へ。慌ててそれを追いかけた織乃もまた路地へ入ると、鬼道の姿は既に見えなくなっていた。

「そんな……鬼道さん! 鬼道さーん!」

声を上げても建物の合間に反響するだけで、返事が帰ってくる気配はない。

任せた、と言われたばかりだったのに。織乃は苦しげに唇を噛み、仕方なく路地の奥へ進み出す。
路地は蟻の巣のように広がっていたが、一番太い道は一本のようだ。ここから左右に延びる道を確認していけば、彼を見つけられるかもしれない。

左右を忙しなく見回しながら歩いていくと、ふいに視界の端に閃くものがある。織乃は足を止め、左側の更に細い道を振り返った。

「……鬼道さん?」

耳を済ませると、その先から微かだが足音が聞こえる。
高い建物に囲まれた細道はより暗く、先があまり見えない。織乃はごくりと唾を飲むと、きりりと眉をつり上げその道へ踏み込んだ。

「鬼道さーん! どこに行ったんですか!?」

早足でその道を進むと、先程と同じように曲がり角を布のようなものが翻って消えたのが見える。
こちらを突き放さず、しかし決して追い付かせないようなスピードだ。
織乃はふと建物の合間に一本線のように覗く青空を見上げ、足を止めた。

「…………」

そして一呼吸置き、もう一度歩き出す。
しばらく歩くと、少しだけ広い明るい通りに出た。とある路地の行き止まりらしく、右手には建築の修繕用であろう用材や麻袋が積み重なった袋小路がある。大通りからはかなり離れた場所に辿り着いたようで、周囲に人気はない。

織乃は眩しさに一瞬目を細め、立ち止まり──その場で即座にしゃがみ込んだ。

「ぬぉッ──」
「……ッ!」

頭上で空を切る音、聞き慣れない声。織乃は間髪入れず地面に両手を突き、逆立ちの要領で勢い良く地面を蹴る。

「ぐっ!?」

ゴッ、と踵に手応え。苦しげな呻き声と何かが倒れる音。軽く曲げた肘をバネにして着地を決めた彼女は、素早く自分の出てきた路地の方を確認した。

地面には顎を赤く腫らした見知らぬ少年が横たわっている。どうやら今の一撃で失神したらしい。
首に巻いた襟巻きは臙脂色だ。暗闇では鬼道のマントの色とそう見え方は変わらないだろう。

「──全く、情けない。まさか一般人相手に足音を気取られた上、倒されてしまうとは……これは特訓のし直しだな」
「!」

突然降って湧いたような声にハッと振り向くと、いつの間にか袋小路にこれもまた見知らぬ少年が佇んでいる。
こちらも織乃が倒した少年と同じように、臙脂色の襟巻きを身に付けていた。織乃はいつでも走り出せるように腰を落としながら少年を睨み付けた。

「私に何の用っ? まさかあなたたち、影山さんの……!」
「……だとしたら、どうする?」

顔半分を覆う銀髪を揺らし、少年は目を細める。
織乃はゆっくりと身構えると、慎重に呼吸を整えた。

「──あの人の居所を教えてもらう!!」

言うや否や、織乃は少年に向かって走り出す。
空気を切り裂き突き出された拳。少年はそれを最小限の動きで躱すと、すかさず織乃の限界まで伸ばされた腕を掴み、彼女の勢いをそのまま利用して後方へと投げ飛ばした。

「くっ……!」

負けじと前のめりに崩れた体勢から咄嗟に少年とは反対の方向へ体を回転させた織乃は、素早く彼を視界に入れると、その腕がこちらに伸ばされたタイミングに合わせ、空いた脇腹へ後ろ回し蹴りを叩き込む。

「……ッ!!」

少年は一瞬顔を歪めると、バックフリップですかさず織乃から距離を取った。
体勢を整えた織乃は一呼吸すると、憎々しげにこちらを見る少年を果敢に睨み返す。

「(入った、けど浅い……!)」

彼もまた武術を嗜んでいるのだろうか、体捌きがいやに慣れている。下手を打てばこちらがやられてしまうだろう。

「(やられる前にやって、捕まえないと!!)」

織乃がもう一度身構えた次の瞬間、彼女の予想していなかったことが起きた。

──ぼしゅん!
背後から何かが爆発するような音がして、突如として白い煙が視界を遮る。

「うわっ、ぷ!?」

悲鳴を上げる間もなく巻き上がった煙幕に、織乃は思わず口許を押さえて辺りを見回した。
先程昏倒させた少年が目を覚ました気配はなかった。どうやら用材の影に何か仕掛けが施されていたらしい。

「(煙で全然見えない……でも、それはあっちも同じな筈……!)」

ここは一度退却するべきか、それとも気配を頼りに追撃すべきか。
一瞬の逡巡。刹那、後ろからぬぅっと伸びてきた手に両肩を捕まれた彼女は、そのまま地面に勢い良く押し倒された。

「あ痛ッ!! なに──ふぐゥッ!?」
「悪いが、しばらく眠っていてもらうぞ……!」

頭上から聞こえたのは先程とはまた違う少年の声だった。真っ白い視界の中、何者かに背中にのし掛かられた織乃は鼻と口許を布のような物で押さえつけられる。

「ぐぅ、んんんーー!!」

片手は地面に縫い付けられ、抵抗しようと伸ばしたもう片方の手は固い靴底で踏みつけられた。
どうにか膝に力を込めて脱出を試みようとした織乃だったが、段々と体の末端から力が抜けていくのを感じる。
視界は黒く点滅し、頭が回らない。布に薬が染み込んでいるのだ──そう気付いた頃には遅かった。

「(鬼道さん……)」

最後に脳裏に浮かんだのは、暗く沈んだ彼の横顔。
地面の砂を掻く指先もついに感覚がなくなり、織乃はそこで力尽きた。

「──良くやった、コヨーテ」
「ああ。しかし、それなりに強い薬を使ったんだが中々しぶとかったな……ゴリラか何かか、この女は。お前こそ平気か、フォクス」

もろに食らっていただろう、と完全に気を失った少女の背中から降りながら、コヨーテと呼ばれた少年は乱れた襟巻きを正す。
銀髪の少年──フォクスは、回し蹴りを食らった脇腹を軽く押さえ「多分、痣が出来た」と整った顔をしかめた。

「それで……今後はどうする」
「あれ≠フ指示通り、指定の場所に連れていくだけだ。後のことは本人がどうとでもするだろう」

「パピヨンの回収、忘れるなよ」フォクスは思い出したように倒れている仲間を指差すと、気絶した織乃をひょいと俵担ぎして別の路地へと姿を消した。




「どこだ、影山!!」

時間は数分遡り、鬼道は織乃が行ったのとは逆の路地を走り抜けていた。
一瞬だったが、間違いない。あの時すれ違った男は、確かに影山だった。姿が違えど、その纏う空気までは変えられない。

「──待っていたぞ、鬼道!」

ふいに路地に響く低い声。壁にいくつも反響した声は出所を探すのが難しく、鬼道は辺りを素早く見回す。

「影山!! 俺に何の用だ!!」
「それはお前が良く分かっているだろう? お前には私の考え方の全てを伝えたのだからな……!」

そこで鬼道は、まるで今しがた誰かがそこに入ったかのように一つの建物の扉がうっすらと開いているのを見つけた。
急いでそこに駆け寄り、体を扉に着けないように耳を澄ませる。扉一枚隔てた向こうには、確かに人の気配があった。

「何のことだ……!」
「とぼけるのが下手だな。ポーカーフェイスが基本だと教えただろう?」

──確かに、サッカーを教わって間もない頃に教えられた記憶がある。鬼道は眉間に深い皺を寄せた。

「……私のところに戻ってこい、鬼道」
「断る。あなたとは縁を切った……!」

扉の奥で影山が笑う気配がする。何がおかしい、と鬼道は唸るような声を上げる。

「私の手から逃れることが出来ないことは、お前がよく知っているだろう?」
「ッどうしてこんな所にいるんだ。この大会で何を企んでいる! 不動を取り込んで、何をさせるつもりだ!!」

知った風な口振りに、鬼道の我慢はそこで限界を迎える。声を荒らげる彼に、影山は変わらず淡々とした口調で続けた。

「鬼道……常に冷静であれと教えた筈だ。苛立ちは判断を曇らせる」
「……あんたに聞きたいことが沢山ある……!!」

辛うじて声を抑え、鬼道は握り締めた拳を震わせる。
扉越しに、良かろう、と珍しく軽やかな返答が返ってきた。

「ここまでやって来た褒美に1つだけ答えてやろう……」
「っでは、本当の目的は何だ……!!」

一瞬の間が空く。
鬼道はその時、影山があの頃のように口を三日月に曲げて笑う様がありありと想像出来た。

「──復讐だよ。私は日本代表を破壊する」
「……!!」

息を飲み、鬼道は思わずその場から数歩後ずさる。
かつん、と奥から聞こえたのは固い革靴の音。

「私の最高傑作──お前との戦いを楽しみにしているぞ、鬼道……!」
「……ッ影山!!」

扉から気配が遠ざかる。鬼道は半ば体当たりするかのような勢いで扉を開けた。

しかし、そこは藻抜けの空だった。元々景観を整える為だけに存在したのだろう建物の中には家具の1つもなく、今の今まで人がそこにいたことも嘘のような有り様だ。

「くっ──」

玄関であろう扉が、誘うようにキイキイと音を立て開いている。
鬼道がそこへ飛び込むと、扉の先は先程の路地よりも少しばかり広い通りに面していた。
即座に周囲を見渡すが、影山の姿は影も形もない。

『──復讐だよ。私は日本代表を破壊する』

影山の残した言葉が頭にこびりついて離れない。あれは一体どう言う意味だろうか。もしも言葉通りだとしたら──

「鬼道!」
「!!」

考え込む彼の耳にふいに届いたのは円堂の声だった。
顔を上げると、やや疲弊した様子の円堂と不動を見失ったらしい佐久間が鬼道を見つけこちらに歩いてくる。

「こっちはダメだった……お前は?」
「それが……」

彼が今しがたあったことを説明しようとしたその時だ。

ガラリ、と不穏な音に頭上を見上げると──空から大きな木材がいくつも降り注いでくる。

「鬼道ッ!?」

目の前の仲間に落ちてきた木材に、円堂と佐久間はギョッと声を上げ、砂煙に巻かれた鬼道に駆け寄った。

2人は巻き上がった埃を手で払いながら目を凝らす。
がらがらと音を立て崩れる木材の山の合間に、鬼道は変わらずそこに佇んでいた。

「鬼道……!」
「大丈夫か!?」
「……ああ」

良かった、と2人はホッと胸を撫で下ろす。
鬼道は険しい表情で足元の木材を睨み付けた。

「危ないとこだったな……」
「──避ける必要はなかった。動かなければ、俺に当たらないように仕掛けてあったんだ」
「え……?」

そんなことを言う鬼道に、2人は意味が分からないと言った様子で顔を見合わせる。
鬼道は歯を食い縛り、木材を爪先で押し退けながら吐き捨てた。

「脅しだよ……! いつでも潰せると言う……!」
「もしかしてあいつが……?」
「! 会ったのか」

名前を出さずとも、鬼道は無言で頷いた。
そんな、佐久間が顔をしかめたその時、じゃり、と道の先で足音がする。

「何てことだ……みんな、何があったんだ?」
「! フィディオ」

そこにいたのは、先に別れたばかりのフィディオだった。きっとあの後もチームの問題をどうにか解決しようと街を奔走していたのだろう。
フィディオは道に散らばった木材を見て、ハッと声を上げる。

「まさか俺を助けたせいで……鬼道、君まで狙われたのか!?」
「いや……お前を助けたことなど関係ない。あいつが今の俺の力を試したんだ」

「君を試す……?」フィディオが首を傾げると、別の路地から新たな足音が聞こえてきた。
姿を現したのは不動だった。不動は鬼道の足元の木材を見て一瞬目を瞬くと、少し険しい顔つきになる。
不動を睨むような目付きで見た佐久間だったが、それよりも優先すべきことを思い出したのだろう。ところで、と彼は鬼道を振り返った。

「鬼道、御鏡は? 一緒にいたんじゃないのか?」
「! そう言えば、途中から姿が見えなかった。恐らくどこかではぐれて……」

答え掛けた鬼道のマントのフードから、ふと何かがヒラリと地面に落ちる。
「何かマントに引っ掛かってたぞ?」とそれを拾い上げた円堂は、次の瞬間丸い目を殊更大きく見開いた。

「おい……鬼道、これ……!!」
「どうした、──!」




場所を移し、合流した4人はフィディオを含め各々険しくなった顔を突き合わせた。

「君を狙ったのは、影山なのか」
「ああ……顔は見ていないが直接話した。間違いない」
「手段を選ばないやり方は相変わらずだな」

真剣な顔つきで尋ねたフィディオに鬼道が頷くと、過去数度影山によって危険な目に遭わされている円堂が腹立たしげに拳を握り締める。

「……フィディオ。さっきの話だが、やはりお前のチームに俺たちを入れてくれないか」
「えっ?」

鬼道からの提案に、フィディオは「それは願ってもない話だけど」と目をしばたかせる。鬼道の意図を察した円堂が、まさか、と鬼道を見返した。

「チームのメンバーが怪我したことと、俺が狙われたこと……この2つに何か関係があるのかもしれない」
「試合を通して、影山とミスターKの関係が分かるかもしれないと言うことか……!」

4人の会話を、やや距離を置いた場所で不動も聞いている。
彼もまた影山を探しているのは間違いない。それならば諸共、と鬼道は不動も勘定に入れて話していた。

「それに──わざわざこうして人質まで取っていることを考えると、奴はどうあっても俺たちをこのイタリアエリアに留めたいらしいからな」

そう唸るように続け、鬼道は右手に力を込めた。その手の中には、先程拾った紙切れ──1枚のポラロイド写真が握り締められている。

そこに写っているのは、力なく地面に伏した織乃の姿だった。

これを見るに特に何か怪我をしているようには見受けられないが、その顔はいつもより青白く感じる。
その道のプロでない限り大抵の人間を打ち負かせると豪語する彼女のことだ。恐らく何かしらの卑劣な罠に掛かり影山の手に落ちてしまったのだろう。

「……分かった。仲間に相談してみるよ」
「ああ。よろしく頼む」

力強く頷いたフィディオに、鬼道は小さく頭を下げる。

この件に友人を巻き込みたくない──あの時織乃はそう言っていたが、鬼道たちの推測が正しければ、既に全てが手遅れだったのだ。

世界大会に紛れ込む足掛かりを得た影山が、どんな手段で日本代表を破壊しようと考えているのかは分からない。
暗闇の中で小さな光を探して彷徨い歩くかのような不安は、自身を奮い立たせる鬼道の足枷のようだった。

「(何にせよ、あいつの思い通りにさせるわけには行かない。待っていろ御鏡、必ずお前を助け出す……!)」

深く息を吐き出して、鬼道は皺の寄ったポラロイド写真を小さく折り畳むと、不安を押さえるように乱暴にポケットに突っ込んだ。