Rear of the darkness
「織乃ちゃん、こっちの洗濯物は干し終わったよ」
「あ、私の方も丁度終わるところです」
抜けるような青空の下、織乃と冬花は協力してせっせと大量の洗濯物を干していた。
イタリアエリアでの一悶着から数日、織乃の手首や頬に残った傷も大分薄くなった。額にうっすらと浮かんだ汗を掌で拭い、一面に広がるタオルやシーツを見上げた織乃はよし、と満足げに息を漏らす。
「今日も良い天気で良かった。ライオコット島の気候はほんと安定してますね」
「うん。たまに雨が恋しくなるくらい」
晴れ渡る空はこの島に滞在するサッカー少年たちにとっても最大の味方だ。グラウンドからは、今日も今日とてイナズマジャパンが練習に勤しむ声が響いている。
「そろそろ私たちも行きましょうか」
「そうね」
空になった洗濯籠を合宿所に戻し、2人は駆け足でグラウンドへ向かう。テクニカルエリアへ入ると、先に仕事を始めていた秋と春奈がこちらに気付いて手を振った。
「みんな頑張ってますね」
「ええ! アルゼンチン戦での負けが、逆にチームの一体感を強めてくれたみたい」
選手たちを眺め、笑みを浮かべた冬花に秋が嬉しそうに頷く。
一時はどうなることかと思ったが、あの気合いの入りようなら負けを引き摺って練習に支障を来すことも無さそうだ。
「とは言え、油断は出来ませんね。もしもあと1敗したら、他のチームの勝敗にもよるけど予選突破は難しくなってしまうし……」
「これ以上負けられないってことですね……」
「うん──でも、大丈夫」
物憂げに呟く織乃に返したのは、意外なことに冬花だった。マネージャー3人の少し驚いたような視線を受け、彼女は頬を綻ばせる。
「守くんたちを見ていたら、そんな気がするんです」
「──そうね。冬花さんの言う通り!」
選手を支えるマネージャーが弱気になっては、支えられるものも支えられないだろう。私たちも頑張りましょ、と膝を叩いた秋に、3人は大きく頷いた。
「(ただ、目下の不安要素は……)」
──と、そこで織乃は視界の端にちらついた薄い色彩にはたと目を向ける。
「ん? あれって……」
栗松の受け損ねたボールがラインの外へと転がって、丁度グラウンドへ降りてきた人影がそれを受け止めた。
すまないでヤンス、とボールから視線を上げた栗松は、ぽかんと口を開ける。
「──久しぶりだね」
「ふ、吹雪さん!」
膨らんだエナメルバッグを肩に掛け、現れたのは日本に残してきた吹雪だった。
ここに来ての思わぬ再会に、パッと顔を喜色に染めた円堂を筆頭に仲間たちが吹雪に駆け寄っていく。
「怪我はもう良いのか?」
「うん! すっかり治ったよ」
にっこりと微笑む吹雪に、「良かったなぁ」と円堂はホッとした様子で目尻を下げた。
そして、ピタリと目を見張って首を傾げる。
怪我の治った吹雪がこのライオコット島まで単身来たと言うことは、目的は1つしかあり得ない。
「てことは……」
「うん。久遠監督に呼ばれたんだ。代表に復帰しろって」
笑みに堪えきれない戦いへの期待を滲ませて頷いた吹雪に、円堂たちは一斉に目を輝かせた。
「そうか!」
「吹雪さんが戻ってきてくれたら、イナズマジャパンはもっと強くなるッス!」
わっと仲間たちが喜びに沸き立つその一方で、織乃の表情は僅かに険しい。
その心を代弁するかのように、不動が呆れた様子で鼻を鳴らした。
「喜んでる場合かよ。吹雪が代表に戻るってことは、誰かが落とされるってことだぜ」
「あっ──」
その言葉を聞いた途端、周囲は静まり返り緊張感に包まれる。
試合に出られる人数は、控えも含めて決まっている。ここに吹雪が戻れば、定員数を一名超えてしまうのだ。
そうなれば、大会のルール上彼の代わりに抜けなければならない選手が出るのは自明である。
「その通りだ」
背後から近付く足音に一同がハッとそちらを振り向くと、そこには久遠が佇んでいた。
いつもの通りの鉄面皮で、彼は冷静に告げる。
「吹雪に変わって代表から外れるのは──栗松だ」
「……!」
「栗松ッスか!?」
久遠の下した判断に、下級生たちに動揺が走る。栗松は薄く口を開いたものの、何も言わない。
無言で俯く栗松を横目に、でも、と最初に声を大きくしたのは壁山だ。
「監督! 栗松はアルゼンチン戦ですごく頑張ったッス!」
「俺が魔王・ザ・ハンドを完成させることが出来たのも、栗松の協力があったからです……!」
「そうですよ、本当なんです!」
壁山の抗議に続き、立向居と春奈が声を上げる。
しかし当然のことながら、それを聞いて意見を曲げる久遠ではない。
「これは世界を勝ち抜くための判断だ。既に決定したことを、変えるつもりはない。栗松、帰国の準備をしろ」
「監督……!」
淡々と答え、踵を返した久遠は壁山たちの懇願に耳を貸すことなく合宿所へと戻っていく。
離れていく背中を呆然と見つめて、壁山が声に焦りを滲ませ友人を見やる。
「栗松、お前からも頼むッス!」
「──やめろ!」
栗松が口を開く前に、声を荒らげたのは険しい顔をした染岡だった。
ギクリと肩を揺らした後輩たちに、染岡はボールを抱え遠くのゴールを睨むように見つめている。
「栗松に必要なのは同情じゃねえ……とっとと日本に帰ることだ」
「……!」
突き放すようなその言葉に、後輩たちは言葉を失う。それを振り切るように、「練習始めようぜ!」と染岡はフィールドに走って行った。
「染岡さん、どうしてそんなに冷たいこと言うんスか……?」
「染岡だから言えるのさ」
不満げに小さく零した壁山に、ぽつりと言ったのは円堂だ。1人練習を再開する染岡の姿を遠目に、彼は真剣な顔付きで続ける。
「染岡は、アジア予選代表に選ばれなかったろ。スゴく悔しかったと思う……でも、諦めないで必死に練習して、そしてレベルアップした。それが監督に認められたからこそ、代表に呼ばれたんだ」
唇を噛み締めていた栗松は、そっと顔を上げて染岡の後ろ姿を見つめた。
彼は元々、仲間を優しく慰めることはあまり出来ない気質の人間だ。その代わり、厳しい言葉で発破を掛けて背中を押して、前を向かせる。
──時間を1秒でも無駄にするな。早く日本へ帰って特訓をして来い。染岡が言外に語った言葉を察した栗松は、大きく頷いた。
「分かったでヤンス──俺もレベルアップして戻ってくるでヤンス!」
不安そうな顔で見てくる壁山たちに、「心配しなくても大丈夫でヤンス!」と栗松は笑顔を見せる。
そんな様子を眺めていた織乃は、そっと眉根を寄せて彼らから視線を外した。
久遠の判断は正しい。単に吹雪との能力を比較しただけの話ではない──栗松は、アルゼンチン戦で足を痛めている。
本人は隠しているようだが、数日経てど回復の兆しが見えないとなるとこの先の試合を熟していくのは非常に危険だろう。だからこそ、久遠は彼を代表から降ろしたのだ。
時間は待ってくれない、栗松の思いは吹雪が継いでいく。彼らはそうやって前に進んでいく。
──その日の夕方、栗松はイナズマジェットに乗って日本へと戻って行った。
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翌日の午前中、織乃は単身チームを離れてウミヘビスタジアムへ訪れていた。その手には、昨日フィディオから送られてきたイタリア対イギリス戦のチケットが握られている。
織乃が1人でウミヘビスタジアムへ向かうと聞いた鬼道と佐久間の顔たるや、昔の彼女であれば縮こまっていただろうと言うほどのものだった。
「本当に1人で行くのか。もしまた何かあったら……」
「大丈夫です、今度は絶対に背後取られないようにしますから」
「背後取られなきゃどうにでもなるみたいな言い方やめろ!」
行くならせめて一緒に、と鬼気迫る表情で迫る鬼道たちに、織乃たちは困った顔で首を振り続ける。
そもそも、フィディオから貰ったチケットは1枚。選手と言えどチケットがなければ会場には入れないし、調べたところ当日券も既に売り切れてしまったらしい。
「本人が平気だって言ってんだ、行かせりゃ良いじゃねえか。どうせ何かあったところでこないだみたいに自力でどうにかするだろ」
「ほら、不動さんもこう言ってるじゃないですか。私なら問題ありません! それに、敵チームの試合を間近で分析出来るまたとないチャンスなんですよ?」
間近と言っても、それなりに距離はあるけれど──と言う部分は呑み込んで、不動からの思わぬ援護を受けつつ言い返すと、2人はついに折れたようだった。
見送りの時の鬼道たちの恨みがましさすら感じる顔を思い出し、織乃は溜息を吐く。
2人の心配は最もだったが、織乃にも譲れない理由がある。それは、チケットと一緒に同封されたフィディオからの短い手紙にあった。
『俺はまだ、あの人の多くを知らない。だから、今回の試合であの人のことをちゃんと見極めたいと思ってる』
あの人≠ニは、言わずもがな影山のことである。
あんなことがあっても尚、フィディオはまだ影山の中に希望を見出そうとしているのだ。
「あの人の多くを知らない、か……」
よくよく考えれば、それは織乃も同じかもしれない。
影山による悪行の数々は身を持って体験していても、それは彼の人となりを全て知っていると言うには足りないだろう。
だから織乃も、知るべきだと思ったのだ。織乃にとって影山は強大な敵であり、そして──
「……っ」
──ぐわん、と鼓膜を揺らした歓声に織乃はハッと思考の海から我に返る。
試合は既に始まっており、フィールドでは既に選手たちがボールの奪い合いを繰り広げていた。
ナイツオブクイーンは、イナズマジャパンと戦った時よりも格段に強くなっている。
対し、怪我も完治し選手の揃ったオルフェウスは中々苦戦しているようだった。
以前中継で別チームとの試合を観たときと変わらない戦法、陣形を取っているところを見る辺り、彼らは影山の指示を受けていないのかもしれない。
「(当たり前と言えば当たり前か……)」
怪我人まで出るような事態を引き起こした新監督を、どうして信用など出来ようか。影山のしたことを思えば、フィディオの思考は仲間たちにとっては相容れないものだろう。
試合は序盤から無敵の槍によってペースを乱されたオルフェウスが、1点を奪われた状態で前半を終える。
このまま行けば、オルフェウスは間違いなく負けてしまうだろう。
「フィディオさん……」
織乃の小さな呟きは、周囲の雑音に呑み込まれていく。
ふと、カメラがオルフェウスのテクニカルエリアを注視した。流石に音までは拾えないが──影山が、何か喋っているようだ。
ハーフタイムを終え、後半戦が始まる。
そこからオルフェウスは防戦一方から一転、ナイツオブクイーンを押し込み始めた。
前半からの劇的なまでの戦況の変化に、観客たちが一気に沸き立つ。その中にいて、織乃は1人冷静に試合を見つめていた。
「(影山さんが何かしたんだ)」
──思い返してみると、影山が直接試合を行っているフィールドに赴いて選手に指示を出しているところを見るのは初めてではないだろうか。
ふと頭に過った何気ない考えを振り払い、織乃は試合に集中する。
恐らく影山の策であろう戦法に切り替えたオルフェウスは、まずは1点を奪い返し、ナイツオブクイーンを徐々に追い詰めていく。前半と後半とでは、まるで別のチームのようだ。
やがてフィディオが2点目のシュートを決めて、オルフェウスは見事逆転勝利を収めた。
「…………」
歓声の沸き上がった観客席で、表情を引き締めた織乃は膝に置いた拳をギュッと握り締めた。
「──フィディオさん!」
試合を終え、帰路に着く観客たちの流れから外れて選手の控え室に繋がる道を早足で進んでいた織乃は、前方に目的の人物が佇んでいるのを見つけてそちらに駆け寄った。
「シキノ! 来てくれたんだね」
「ええ──まずは、おめでとうございます」
どこか硬い表情の織乃に、うん、と頷くフィディオの顔も少し曇っている。
「……どうでしたか? 実際、影山さんの戦術で戦って」
「正直……謎が深まるだけだったよ。あの人はサッカーを……勝つ方法を知っている。本当にサッカーを憎んでいるのか、疑ってしまうくらいだ」
眉根を寄せて、フィディオは呟くように答えた。
だから、と顔を上げた彼は、決意の籠もった目で織乃を見る。
「俺は、もっとあの人を知る必要がある。ミスターKが、サッカーをどう思っているのか……知らなくちゃならないんだ」
最後の声は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
それじゃあまた、と軽く手を振ったフィディオを見送って、織乃は足下に視線を落とす。
率いて間もないチームの力をあそこまで引き出す、指導者としての圧倒的な能力の高さ。鬼道たちが師と仰いでいただけのことはあると言うことだ。
影山が、サッカーをどう思っているのか。
フィディオは、織乃や鬼道たちが怒りや憎しみで見ようとしなかった影山の心の裏側に、足を踏み入れようとしているのかもしれない。
誰もいなくなった静かな廊下に、織乃が緩やかに息を吐き出す音が小さく響いた。
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