Challenge from god

一定の間隔で、薄いピンク色の指先がバインダーを叩く。升目の描かれたレポート用紙に数字を1つ2つ書き込んで、織乃は顔をフィールドに戻した。

「──カズくん! あと一歩早く跳べる?」

声を張り上げれば、ボールを小脇に抱えて鬼道の隣に並んだ一之瀬が「やってみるよ!」と返す。

「ツインブーストも、完成間近ですね!」
「うん。多分、今日中には出来ると思う」

ビデオカメラを選手たちに順々に向けながら言う春奈に、織乃は微笑んだ。
皇帝ペンギン2号は既に完成し、ツインブーストは今のところ──パワーの方はやはり元々の相方だった佐久間がFWだったこともあり元祖の方が些か高いが、あの状態なら決勝までに何とかなるだろう。

「円堂くんも、何か少し掴んだみたい」
「この調子で何も起こらなければ良いのだけど……」

昨日のおにぎり効果か否か。練習に励む円堂を遠目から見守る秋と、そっと息を吐く夏未。マネージャーたちは顔を見合わせた。

「……大丈夫よ、きっと」

大きく息を吸い、秋は不安を吐き出すように言う。
遠くから聞こえた鬼道と一之瀬の声に慌てて駈けていった織乃の背中を見つめながら、春奈がゆっくりと頷いた。




「──はい。じゃあ、どうぞ」
「よし……」

一之瀬が軽く屈伸をする。その傍らでは鬼道がボールを片足で踏みつけ、さらにその隣では、豪炎寺と染岡が一言二言交わして頷き合った。
「──よしッ!」ゴール前で、大きな深呼吸をした円堂の気合いを入れる声に織乃がそこから3歩程下がり、4人は一斉に走り出す。

豪炎寺と染岡の連携技の確認、鬼道と一之瀬の連携技の確認──それを兼ねた、円堂の特訓。
遠巻きに、他の部員とマネージャーが見守る中、ドラゴントルネードとツインブーストが凄まじい勢いでゴールへと向かっていく。

「よしっ、完成だ!」

フィールドに着地した一之瀬が、ツインブーストの威力に拳を固めたその瞬間──構えをとった円堂の目の前に、影が一つ舞い降りた。

「えっ!?」

唐突にそこに現れたその影は、2本のシュートを右と左──両方の手で、容易く受け止める。

絹糸のような金髪に、真紅の瞳。
その姿を見た瞬間、織乃の頭にフラッシュバックする、ある光景。

『──君は、神様はいると思う?』

去年──まだ帝国サッカー部のマネージャーであった頃。
とても寒い冬の日、突然織乃の前に現れ、突然消えた彼。

「(あの時の……美人電波さん!!)」

名前こそ知らなかったが、そのインパクトを思い出した織乃が眉を顰めるのと、その先にいた鬼道が目を見開いたのはほぼ同時だった。
「──すっげぇ!」しばし呆気にとられていた円堂が、ハッと少年の背中に駆け寄って行く。

「ドラゴントルネードとツインブーストを止めるなんて! お前、スゴいキーパーだな!」
「いや──僕はキーパーではない」

左に持ったボールを器用に指でくるくると回転させながら、彼はふっと笑んだ。

「我がチームのキーパーは、こんなもの指1本で止めてみせるだろう」

こんなもの──女性のように美しい面差しから出たのは、毒を含んだ言葉。染岡と一之瀬の表情が、目に見えて険しくなる。
しかし、彼らよりも先に1歩前に出たのは鬼道だった。いつも寄りがちな眉間の皺を寄り一層深め、拳を固く握りしめて。

「そのチームってのは、世宇子中のことだろう──アフロディ」
「えっ!?」

部員たちのの驚愕の声が重なった。
彼──アフロディはボールの片方を放り投げると、円堂を振り向く。

「……円堂守くんだね? 改めて自己紹介させてもらおう。世宇子中のアフロディだ」

君のことを、影山総帥から聞いている──穏やかな笑顔で放たれた言葉に、あの日雷雷軒にいた6人の顔が強ばった。
鬼道はぐっと奥歯を噛みしめて、アフロディに鋭い視線を向ける。

「やはり──世宇子中には影山がいるのか」
「て……てめぇ、宣戦布告に来やがったな!」

険しい顔のままの鬼道と威嚇するように声を荒げる染岡を、彼は一瞥した。

「宣戦布告か……ふ、ふふ」
「何が可笑しい……!」

怒りを滲ませる染岡に、彼はすっと目を細める。

「宣戦布告というのは、戦うためにするもの。……僕は君たちと戦うつもりはない」

今日はひとつ、用があって来たんだ──そう言って、アフロディは更に笑みを深めた。
段々険しさを増していく顔の円堂──雷門イレブンに言い聞かせるように、彼は続ける。

「君たちは戦わない方が良い。それが君たちのためだ」

怒りを抑えた声音で、何故、と尋ねるのは一之瀬だ。アフロディは、当たり前のことを言うようにさらりと答えた。

「何故? 負けるからさ。神と人間が戦っても、勝敗は見えている」
「自分が神だとでも言うつもりかよ……!?」

「さぁ、どうだろう」歯噛みするような一之瀬に、アフロディは愉快そうに微笑む。
円堂が、低い声で彼に食ってかかった。

「試合は、やってみなくちゃ分からないぞ」
「そうかな?」

林檎は木から落ちる。世の中には、逆らえない事実と言うものがある──彼は尚も笑みを絶やさず、そう続ける。

「それは、そこにいる鬼道有人くんが、一番知っている」
「……ッ!!」

目を見開き、一歩前へ出ようとした鬼道の肩を、豪炎寺が押し止めた。
彼は鬼道が静かに怒りに震えるのを知ってか知らずか、薄い笑みを湛えたまま更に言った。

「だから練習も止めたまえ。神と人間の間の溝は、練習では埋められるものじゃないよ。無駄なことさ」
「うるさい……!!」

アフロディの言葉尻に、滅多に聞く機会のない地を這うような円堂の声が被さった。
練習が無駄だなんて、誰にも言わせない──彼は瞳に怒りを宿して、自分の胸をどんと叩く。

「練習はおにぎりだ! 俺たちの血となり、肉となるんだ!!」

一拍間を空けて、ここで初めて呆気にとられたような顔をしたアフロディは、小さく噴き出した。

「ああ……あっははは! 上手いこと言うね。成る程、練習はおにぎりか……フフッ」
「笑うとこじゃないぞ……!!」

円堂の顔が、輪をかけて険しくなる。アフロディはそれを一瞥すると、ふと真顔になった。

「しょうがないなぁ。……じゃあ、それが無駄な事だと証明してあげるよ!」

その瞬間、右手に持っていたボールをアフロディは大きく蹴り上げ、まばたきした間に中空へと跳躍する。
振り上げられたその足に、豪炎寺や鬼道たちがハッと左右に散った。

矢を射るように鋭く、殺人的な威力で放たれたシュートを、円堂は雄叫びを上げながら受け止める。
しかし──

「円堂!!」

驚愕に染まった豪炎寺と鬼道の声が重なる。
大きく弾かれたボールがどこかへ転がり、吹き飛んでその場に仰向けに倒れた円堂に、選手たちとマネージャーが顔を蒼白にして駆け寄った。

「大丈夫か!!」
「しっかりしなさい!」
「円堂!」

「おい、円堂!」鬼道が彼の上体を抱き起こすと、苦しげな呻き声が漏れる。
円堂は数瞬、まばたきを繰り返すと、奥歯を噛み締めて体を起こした。

「どけよ……っ」

制止の手を振り払い、円堂は鬼道に支えられながら立ち上がり、アフロディを睨みつける。

「来いよ……もう一発! 今の本気じゃないだろ……本気でどんと来いよ!!」

強気な発言をしながらも彼の膝はガクガクと震え、立っているのもやっとの状態だ。
それでも自分を睨み続ける彼に、アフロディはくっと口角を上げる。

「ふ──あっはははは! 面白い、神のボールをカットをしたのは、君が初めてだ。決勝戦が少し、楽しみになってきたよ」

「──あなた」くつくつと喉の奥で笑うアフロディに、目を厳しく光らせた夏未がすっくと立ち上がった。

「さっき、用があって来たと言ったけど。あなたはこれだけの為に……私たちを見下す為だけに、ここへ来たというの?」
「──いや?」

ふと彼は、真紅の目を細めて、パチンと指を鳴らす。
それと同時に、そこからパッと姿を眩ましたアフロディに一同は息を飲む。

そして次の瞬間、彼がいた地点を中心に激しい風が吹き荒れた。

「きゃ……!!」
「なっ、何だ!?」

それに目を瞑る者、あるいは吹き飛ばされる者。
数瞬の後、彼が再び姿を現したのは──風圧に耐えきれず、輪から少し外れたところに後ずさってしまった、織乃の背後だった。

「僕が今日ここに来たのは、彼女を──イオを、手に入れる為だよ」
「……っ!?」

するりと手首を強い力で掴まれ、織乃は息を詰める。
アフロディは驚愕に染まる彼女の表情に対し、にっこりと美しく笑って見せた。

「やぁ。久しぶりだね、イオ。迎えに来たよ」
「む、迎え……!?」

手首を掴まれた状態で、瞠目した織乃は僅かに後退する。
「御鏡!!」鬼道たちが駆け寄ろうと試みるも、それは先と同じ風に阻まれて近付くことが出来ない。

「そう──あの人が、君の力を欲しがっている」
「影山、さんが」

織乃は訝しげに眉根を寄せる。
アフロディは彼女が後退する度、ゆっくりとその距離を詰めた。

「イオ。君は、ここにいるべきじゃない。だって、総帥や僕に選ばれたんだから」
「っい……嫌です、行きません……! それにっ、何ですかさっきから、イオ≠チて……!!」

織乃はじりじりとアフロディから逃れようと手を捩るが、その細い腕のどこに力があるのか、戒めは中々解くことが出来ない。
「ああ、知らないんだね?」アフロディは笑みを深め、更に彼女に近寄った。

「イオ──それはゼウスの恋人、彼が愛した娘の名。そう……君は、神の物になるべき人間だ」

鼻先が付きそうな程の至近距離で、彼は歌うように囁く。遠くには、再度2人に近づこうとしながら、風の障壁に阻害される仲間たちの姿が見える。

「分かるだろう? 君がいるべきは、神の膝元。力無き弱者の側にいるべきではない。そう──彼らや、あの帝国学園のような、ね」

その言葉が発せられた瞬間、彼女の手元からバキリと音がした。

「……力無き弱者=H」

──低い声で、織乃はその言葉を口にする。
その手には、ずっと手にしていたバインダーが、無惨にへし折られた状態で握り締められていた。

織乃はその欠片が足元に散らばっていくのにも構わず、続ける。

「帝国も、雷門のみんなも。──高みを目指す、強い人たちです」

ぎらりと音の聞こえそうな程、織乃は眼光を鋭くして、目の前の真紅を睨み付けた。

「みんなが今まで積み重ねてきたことを、よくも知らずに卑下するような──そんな人に、弱者だなんて言わせない!!」

叩きつけるようなその声が、ビリビリと空気を震撼させる。
「──返事はノーということだね」燃えたぎるような怒りを露わにする織乃に、アフロディは一瞬たじろいだ素振りを見せて目を細めた。

「……離して下さい。さもないと、正当防衛として実力行使をさせてもらいます」
「──そうだね、それが良いみたいだ。総帥は深追いはするなと言ったし……残念だけど、諦めることにしよう」

織乃の手首を離し、アフロディは微笑みながら彼女から遠ざかる。

それじゃあ、決勝戦で──そう言い残すと、彼の姿は吹き荒れる風にまたたいた瞬間、そこから消えていた。

「──御鏡!!」

ハッとしたような鬼道を筆頭に、仲間たちが織乃に駆け寄る。
織乃はボロボロになって地面に落ちたバインダーの亡骸を拾い上げると、力無く微笑んだ。

「大丈夫ですか織乃さん!?」
「うん……私は平気。みんなは……?」

「私たちは大丈夫」秋が心配そうな顔をして、頷いて見せる。

「……見せてみろ」
「うわっ」

ふいに、鬼道が織乃の手を引き寄せた。アフロディに掴まれた方ではなく、バインダーをへし折った方の手。欠片で切ったらしく、その指先からは血がにじみ出ている。

「……あ、あれ」
「! 御鏡?」

慌てて救急箱を取りに行くマネージャーたちをぼんやりと見送ると、織乃はふいに、体から力が抜けていくのを感じた。

「ちょっ……大丈夫か、織乃?」

一之瀬や鬼道に腕を支えられながらも、織乃はその場にへたり込む。
「何か、腰抜けちゃったみたいです……?」答える彼女にほっと息を吐きながら、鬼道はその隣にしゃがみ込んだ。

「久しぶりと言っていたな、あいつは。会ったことがあったのか」
「はい……去年、一度だけ」

あの時は、ただ単純に自分が困っていたから手を貸しただけだけだと思っていたのに。
しかし、あの邂逅が偶然の物なのか計画を見越しての必然なのか、今更それを知る術は無い。
織乃はただ、血で汚れた自分の手を見つめる。

そしてようやく知った、鬼瓦の言っていたプロジェクトZの意味。
世宇子──単純に片仮名に直せば、ギリシア神話の最高神ゼウスに。
その綴りは、『ZEUS』だ。

「──はい、手貸して!」
「え、っあいたただ!?」

「染みます!」悲鳴を上げる織乃に、消毒液なんだから当たり前でしょう、と呆れた顔になる夏未。
次は円堂くんね、と矛先を向けられギョッとする彼を見て、織乃は口を開く。

「……円堂さん、大丈夫ですか」
「え? あっ、ああ! 平気だってこのくらい!」
「あ……いえ、怪我のことではなく」

秋に消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口を抑えられ悲鳴を上げた円堂に、織乃は一拍開けて続けた。

「さっきの……アフロディ、さんの、シュート」
「……ああ」

円堂は小さく答えて、グローブを見つめる。まだ、ビリビリとボールを弾いた痺れが残っている手を握りしめて、彼は頷いた。

「──大丈夫! さっきのボールで、新しい技が見えたような気がするんだ」

「やれるよ、俺たち」そう言って円堂は笑顔を見せたが、如何せん無理をしているようにしか見えない。
織乃は絆創膏の巻かれた指先を一瞥すると、眉根を寄せてそっと目を伏せた。