Unknown encounter
「……ん?」
午前6時20分。毎日の日課である朝の散歩から戻ってきた織乃は、宿福の裏口側にある練習場──そこを囲うフェンスに何かが絡みついているのを見て足を止めた。
「何これ、キュウリ?」
フェンスに複雑に絡みつく蔦に指を引っかけて、織乃は首を捻る。
5つの花弁に分かれた黄色い小さな花と、ちらほらと成りかけている緑の細長い実から見るに、キュウリで間違いはないだろうが。
「(昨日までこんなもの生えてたっけ……て言うか、何でキュウリ??)」
そもそも時期じゃないし。
応える者のいないつっこみが、朝靄の中にぼんやりと溶けていく。やがて考えることを止めた織乃は、いつものルーティーンワークに戻るため宿福へ入っていった。
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「そうだ、聞いてくれよ!」
そんな風に円堂が大きな声を上げたのは、朝食も終わり練習が始まる前までの時間を、食堂に残ったメンバーで雑談をして潰していた時のことだった。
「俺、夜中にカッパを見たんだ!!」
「ええ!?」
「か、カッパぁ?」
円堂のあまりに突飛な話に、一同は目を見開き眉を跳ね上げる。
ああ、と大きく頷いた円堂は、興奮した口調で続けた。
「昨日の夜トイレに行く途中にさ、カタンって音がしたからそっちを振り向いたらじーっとこっちを見てるカッパが……!」
もうビックリしたのなんのって、と円堂がまくし立てるように話すことで、仲間たちは徐々に逆に落ち着きを取り戻していく。
円堂の話が途切れたタイミングで、遠慮がちに声を掛けるのは壁山だ。
「キャプテン、それってホントにカッパだったんスか?」
「えっ?」
その問いに、円堂はポカンと口を丸く開ける。
夜中にトイレに行く途中──つまり、廊下は真夜中のため月明かりしか届かず、かつ円堂が夢現であったと推測される状態。
仲間たちから向けられる疑惑の眼差しに気付いた円堂は、慌てた様子で机を叩いた。
「ほ、ホントだよ! ホントにいたんだったば、カッパが!」
こんな口して、頭にこんなの乗せてて──と身振り手振りを加えて熱弁するキャプテンから、彼らは居たたまれなさそうにそっと目を逸らす。
一拍空け、円堂は苦い表情になって正面に座っていた風丸を縋るような視線をやった。
「……風丸、お前は信じてくれるよね」
「えっ。……あ、うん……」
「鬼道、豪炎寺、立向居!」
煮え切らない返事に、ならばと隣の卓に掛けている3人を振り向けば、立向居は苦笑いし、鬼道や豪炎寺は眉間に皺を寄せて互いに目配せを交わす。
結局誰も本気に取ってくれないことを察した円堂は、堪らず椅子から立ち上がった。
「嘘じゃない、信じてくれよ!」
「円堂くん」
横から掛かった落ち着いた声に円堂がハタとそちらを見ると、ヒロトが幼子を諭すような笑みを浮かべている。
「カッパなんているはずないだろう? カッパって言うのは想像上の動物で、本当にはいないんだよ」
「か、かもしれないけど……」
自分は確かにあの瞬間、人影を見たのだ。正確には、人≠ニはにわかに言い難い何かを、だが。
「でも、夜中に人影を見たのは確かなんですよね? もしもそれがチームの誰かでもなかったとしたら、まさか不審者が……?」
「はは、それこそ考えすぎだって御鏡」
「さ、 みんなそれよりもうすぐ練習の時間よ!」
「えっ、あっ、ちょっ……」
顔をしかめる織乃の背中を綱海が叩き、秋が手を打ち鳴らしたのを皮切りに一同はどやどやと食堂を後にする。
1人ポツンと取り残された円堂は、「あれはカッパじゃなかったのか……」としょんぼりと肩を落とした。
「昨日の夜中にキャプテンとすれ違ったか……? うーん、身に覚えはないけど」
「そうですか……」
練習の合間を縫い、織乃は選手たちに昨晩のことを確認していく。勿論、円堂の言っていたカッパ問題のことは伏せてだが。
「御鏡、やはり考えすぎじゃないのか?」
「円堂のことだからな。大方観葉植物の影を人影と見間違えたんだろう」
「それも、まぁ無くもないとは思うんですけど……」
午前の練習中、終始難しい顔をしていた織乃を気遣い話し掛けてきた鬼道と豪炎寺に、織乃は腕を組んでうーん、と唸り声を上げた。
「……私、正直なところ、合宿所の防犯システムをあまり信用していないんですよね」
恐らくは外観や内装に資金を掛けたためであろう、宿福は世界大会に参加する選手たちの寝泊まりする場所としては、そこまで防犯システムが充実していない。
そう言えばイタリアの合宿所の窓も自力で割れる程度のものだった。普通ああ言った場所の窓は、割れにくい材質を使う物ではないのだろうか。
尚、彼女は過去自分に合金で出来たロボットの体を破壊した経験があることをすっかり忘れている。
「私の勘違いならそれで良いんです。でも、万が一に供えておくに越したことはないでしょう……?」
「それはそうだが……」
思慮深げな顔をして、鬼道は顎に手をやった。
このライオコット島には選手は勿論、各チームのサポーターたちが何百何千と滞在している。
そしてその中に思わず目を覆いたくなるような行動を起こす過激なファンが存在することも、悲しいかな事実なのだ。
「大丈夫です、何かあっても鬼道さんたちのことは私が守ってみせます!」
「……、…………、……頼もしいな」
それはどちらかと言うと恋人である自分の台詞ではないのか。数秒の逡巡の後、最終的に鬼道は鈍い動きで頷く。
笑顔で握り拳を固め去って行く織乃の背中を見送りながら、豪炎寺は溜息を吐く鬼道に横目をやった。
「鬼道……お前、これで良いのか。色々と」
「良くはない。良くはないんだが……豪炎寺、もしもの話だ。もしもお前が御鏡と力勝負をしたとして、勝つ自信はあるか?」
「ないな」
豪炎寺は即答する。
日々の向上心の賜物か、最早人より頭1つどころか3つぶんは飛び抜けた織乃の純粋な戦闘力に敵う者はこのチームにはいないのだ。
そして、鬼道は理知的な人間である。織乃のあの力強い笑顔を前に、男(彼氏)としてのプライドを貫いて虚勢を張るなど彼に出来る筈もない。
最早哀愁すら漂う友の背中を、「午後は一緒に筋トレするか」と豪炎寺は優しく叩くことしか出来なかった。
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午前の練習が終わった頃、どっしん、と大きな音と共に染岡の姿が地面にポッカリ空いた穴に吸い込まれた。
「やーい、引っかかった引っかかった!」
「この……ッ、木暮ェ!!」
木暮のいつもの悪戯に引っかかった染岡が、脱兎の勢いで逃げていく木暮を雄叫びを上げながら追い掛けていく。
そんな光景も今では日常茶飯事なので、それを特に気に留める者はなく「その内飽きて戻ってくるだろう」と一同は宿福に戻っていく。
各々が食堂や自室などに入っていくのを尻目に、織乃は階段を上がり廊下の突き当たりを覗き込んだ。円堂の話に出た場所である。
「(多分、この辺……?)」
窓から見えるのは、普段マネージャーたちが洗濯物を干すのに使っている庭と、フェンスと道を挟んで広がる海と砂浜。
窓の鍵がきちんと掛かっていることを確認した織乃は、ふと足下の違和感に気付いて視線を落とした。
窓のすぐ傍の床がほんの少し湿って、薄い染みを残している。
練習後、外の水道で頭から水を被って汗を流す選手は時々いるにはいるが。
「(でも、今日は合宿所に戻るとき水を浴びた人なんて見てないし……それにこれ、乾き始めて結構時間が経ってるみたい)」
では、どうしてここだけ濡れるような事があったのだろう。
誰かが自室に飲み物を持ち込んだ時に零したのかもしれない、と自分を納得させて、織乃は次に裏口から庭へ──先程覗いた窓の下へと足を運んだ。
壁に取っかかりになるような部分はない。雨樋に続く配水管を伝っていけばあるいは、とも思ったが、それならば地面や壁に足跡の1つでも残っていてもいい筈だろう。
「やっぱり考えすぎなのかなぁ……」
サポーター同士の諍い、過激なファンによる選手へのストーカー行為。長期的な大会ではそんな問題が度々持ち上がるが、この島に来てから今のところそんな話は耳に入ってこない。
そもそも島には至る所に警備員が配備され、何かがあれば直ぐさま対応出来るようになっている。合宿所そのものの防犯が緩めなのもそれが理由の1つでもあるのだろう。
それでも大きな島ひとつ、全部を余すことなく守れるわけがない。どこかに必ず隙は出来るし、ずる賢い人間は必ずそこを突いてくるものだ。
「(……セントラルエリアって防犯グッズ売ってるかな……)」
不安は拭いきれず、かと言ってこのまま何もしないのも落ち着かず、織乃は一先ず出来ることからやっておこうと行動を始めた。
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久遠や響木に合宿所の防犯について相談し、『正面と裏口の扉に錠前を追加する』という案を実行することになった織乃は、早速許可を取り街へと繰り出す。
先日秋たちとショッピングに出掛けたときに知ったのだが、セントラルエリアには基本的にどんな店も揃っているのだ。そうなれば当然鍵と錠前、それを取り付ける為の部品の揃ったホームセンターもある。
「(えっと、工具とかは一応一通り合宿所に備え付けのものがあるから、あとは錠前と金具と……)」
これがあれば大丈夫だろう、と響木が持たせてくれたメモを片手に大工用品コーナーを見て回るが、如何せん織乃もこういった場所は不慣れなので少し目が回ってしまう。
メモと棚を見比べようやっと必要なものを全て揃えたところで、ふいに肩がどん、と何かにぶつかった。
「あっ、すいませ──」
「ん、ああ。悪い」
顔を上げて、織乃は思わずポカンと口を開けてしまう。
そこにいたのは、アルゼンチン代表のテレス・トルーエだった。その腕には何故か大きな鉄板を抱えている。
「て、テレス・トルーエ、さん……」
「あ? 何だあんた、俺のファンか何かか?」
先日の辛酸を思い出して声を漏らした織乃の反応をどう受け取ったのか、「悪いが今はプライベートなんでな」とテレスは肩を竦めた。
「サインだったらまた別日に……」
「え? あ、いえ、違います違います!」
何やら勘違いをしようとしているテレスに、織乃は慌てて首を振る。
「えっと……私、イナズマジャパンのマネージャーで御鏡と言います」
「何だ、ジャパンのチームメイトか」
つまらなさそうに目を細め、テレスは鼻を鳴らした。
そして織乃の持った籠に一瞥をくれ、不思議そうに首を傾げる。
「何でマネージャーがそんないかついモノ買ってんだ? 日曜大工でも始めるのかよ」
「ああいえ、これは合宿所の防犯を強化しようと……と、トルーエさんこそ、その鉄板はどうしたんです?」
「気持ち悪い呼び方するな、テレスでいい」
これのことか、と抱えた鉄板を持ち上げて、テレスは苦い表情になった。
「別に大したことじゃねえ。練習中に蹴ったボールがグラウンド端に置きっぱなしだったバーベキューの鉄板にぶつかってダメになっただけだ」
「け、結構な大惨事じゃないですか……」
「大したことじゃねえって言ったろ」
ちょっと芝生が焦げただけだ、と言うテレスに織乃は顔を引き攣らせる。お国柄なのか性格故なのか、細かいことは気にしない質らしい。
「…………あの、何で着いてくるんです?」
「聞いておきたいことがあったんでな」
会計を終えて出口へ向かう道すがらまで後ろを着いてくるテレスに尋ねると、テレスは真面目くさった表情でそう答えた。
「どうしてエンドウは、あの日試合に来なかった?」
「!」
あの日──アルゼンチン対イナズマジャパン戦があった日のことだろう。
織乃は一瞬唇を噛み締めて、しばし考え込んだ後で口を開いた。
「……トラブルに、巻き込まれたんです。嵌められた、と言う方が正しいですが……間違っても、理由があって敢えて試合に出なかったわけではないです」
「嵌められた?」
織乃の脳裏に、先日交戦した謎の襟巻きの集団が蘇る。
ここまで織乃が円堂の見たと言う謎の人影に過剰に反応するのは、彼らの存在が大きい。
影山と繋がっている、或いは影山と関わりのある誰かと繋がっているあの少年たちが、もしも直接選手たちに手を出してくるようなことがあったら──
「……もう、終わってしまったことです。今更何を言っても言い訳にしかなりませんし、これ以上お話出来るようなことも……」
「ふぅん。まぁ、そうだな」
納得したようなしていないような、そんな感情を鼻っ柱に寄せた皺に乗せて、テレスは小さく頷く。
「じゃあな、ジャパンのマネージャー」
それ以上の会話もなく、ホームセンターを出てテレスが踵を返し、織乃もまた合宿所へ戻ろうとしたその時だった。
「キャアアッ!」
──辺りに突然、絹を裂くような悲鳴が響き渡る。
驚いてそちらを振り向くと、歩道に倒れ込んだ女性と、こちらへ向かって前屈みの体勢で突進してくる男性の姿が見えた。
「ひ、引ったくりー!!」
「引ったくりだぁ? 俺を抜こうなんて良い度胸じゃ──」
「テレスさんこれ持ってて下さい!」
言うが早いか、織乃は鼻息荒く戻ってきたテレスの腕に買い物袋を押しつける。
「ちょっ、オイ!?」そしてテレスの制止が入るより前に、向かってくる男に対して体勢を低くした。
「どけぇッ!!」
叫びながらスピードを緩めず走ってくる男の懐に入るようにして、その両襟を引っ掴む。
そのまま勢いを殺さず真後ろに身を捨て、男の下腹部を蹴り上げた織乃はすかさずその体を頭越しに後方へ投げ飛ばした。
「──ふんっっ!!」
「ぐぇッ!?」
そして追い打ちと言わんばかりに、仰向けに倒れた男の上腕部を両脚で挟んで固定し、親指が上を向くように手首を掴み自分の体に密着させる。
いわゆる腕挫十字固である。
「いでででででぇッ!?」
「テレスさん、早く鞄を!」
「お、おう……!?」
明らかに困惑しているテレスは、それでも織乃の言う通り男の引ったくったらしい鞄をもぎ取って息せき切らし追い付いた被害者へと返した。
そのまま男は通行人の通報により、飛んできた警察に敢えなく連行されていく。
ぺこぺこと頭を下げる女性を見送って、テレスはちらりと自分より大分小柄である筈の織乃を見下ろした。
「……お前、マネージャーって言ったか。選手のガードマンとかでなく?」
「正真正銘、イナズマジャパンのマネージャーです」
テレスに預けた買い物袋を受け取りながら、織乃は思案げに目を伏せる。
やはり、この島には今のようにどんな悪事を働く人間がいるか分かったものではない。
円堂の見たものが見間違えだろうがなんだろうが、合宿所の防犯対策を強化することは決して無駄ではないはずだ。
「試合外で選手に降り掛かる火の粉は出来る限り払いたいと、常々思ってはいますけど」
「……ヒュウ」
短い口笛が風に紛れて消えていく。
あの時のように、またいつ妙なことに巻き込まれるかも分からない。選手たちを守るためにも、自分自身ももっと強くならなければ──織乃がマネージャーの業務とは明らかに逸脱した方向へと決心を固めていたその頃、宿福では。
「──円堂くん、やっぱりカッパはいたんだよ!」
ヒロトと木暮が誰も気付かぬ内に世にも不思議な出来事に巻き込まれ、そしてまた日常に戻ってきたことを、織乃は知る由もなかった。
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