At the end of night

空一杯に響き渡る歓声に包まれるコンドルスタジアム。
オルフェウスから先取点を取ったイナズマジャパンは、今までにない好調な滑り出しに気分が高まっていた。

「あの人たち、気になる言葉を言ってましたね」
「カテナチオカウンターですね。僕も気になっていました」

悔しげに自陣のゴールを見つめるフィディオを見ながら冬花が呟くと、横から目金が口を挟む。

「何なんですか? カテナチオって」
「カテナチオとは、イタリア語で閂……鍵を意味する古い戦術のことです」

首を傾げ尋ねる春奈に、眼鏡のフレームを押し上げながら目金が答える。鍵、と呟いて織乃は目を細め、フィディオの横顔を見つめた。

「(その戦術で対抗しようとしたってこと? そしてそれが不発した……? でも、少し違う気がする。さっきのはまるで……)」

織乃がその違和感を掴む一歩手前でその思考はホイッスルの音で途切れ、オルフェウスのボールで試合が再開される。

「行くぞ、ラファエレ──ラファエレっ?」

声を掛けるフィディオに気付かないように、特攻してくるラファエレに鬼道は怪訝に眉根を寄せた。
先程から、オルフェウスの動きは戦術やチームの意思を感じない。そして、キャプテンであるフィディオも機能していないように見える。

そこまで考えて鬼道は気付く。──バラバラなのだ。チームも、フィディオも、影山も。今のオルフェウスは全てが噛み合っていない。

ならば、と鬼道はマントを翻した。

「染岡、豪炎寺! 左右からプレスを掛けろ!」
「よし!」
「佐久間、風丸! 俺に続け!」
「分かった!」

鬼道の指示を受け、選手たちが動き始める。
それを見て、ラファエレはドリブルする足を速めた。

「突破してやる……!」

正面から向かってきた染岡に、ラファエレはフェイントをいれこれを抜き去って行く。
一瞬虚を突かれた表情になった染岡だったが、その直後にやりと口角を上げた彼の背後から佐久間が飛び出した。

「しまっ──」
「行くぞ!」
「ああ!」

二段構えのディフェンスに不意を突かれたラファエレはボールを奪った佐久間を追い掛け反転するが、ここまでを予測していた鬼道たちの方が行動が早い。

「しまった……! ディフェンスラインを下げろ!」

ドリブルで切り込んでくる佐久間と並走する鬼道と風丸に、声を上げたフィディオに頷いたアンジェロが彼に追従する。
しかし、すれ違ったジャンルカはその場から下がろうとしない。アンジェロは慌てて肩越しに叫んだ。

「何してるんだよ、ジャンルカ!」
「守ってばかりで勝てるかよ……ボールを奪い返す!」
「でも、フィディオはディフェンスラインを下げろって……!」

キャプテンであるフィディオに逆らう意思を見せるジャンルカに、一体何を言っているんだとアンジェロは困惑に目を見開く。

「ミスターKを信じるやつの指示なんて聞けない──行くぞ、ジョルジョ、ベント!」

叫び、頷いたジョルジョとベントを伴いジャンルカは指示に逆らって走り出した。
それを見て、織乃はようやく確信に至る。

「(チームのほとんどが、フィディオさんの指示を無視してる)」

何故他の選手たちがそんなことをしているかは分からない。だが、試合前に聞いたフィディオの言葉から大体の予想はつく。織乃は視界の端に、何を考えているか分からない表情でフィールドを見る影山を捉えた。

しかし勿論、そんな綻びを利用しないほどこちらも甘くはない。瞬時に鬼道と視線を交わした佐久間は、巧みなワンツーパスでジャンルカたちのディフェンスを掻い潜りペナルティエリアに切り込んでいく。

「豪炎寺!」

ゴール前に走り込んだ豪炎寺は完全にフリーだ。
打ち上げられたセンタリングに豪炎寺は加速したが、そこへ中盤からここまで駆け戻っていたフィディオが寸でのところでボールをクリアしていく。
イナズマジャパンの巧みな攻撃からのフィディオの白い流星の異名に違わぬ素早いブロックに観客たちが沸き立つ中、体勢を整えたフィディオはホッとしながらゴールを見やった。

「危なかったな、ブラージ」
「……」

だが、声を掛けてくるフィディオにブラージは無言で背を向ける。
瞠目するフィディオが周囲を見渡すと、仲間たちは一様に渋い顔で目を逸らした。みんな、影山の作戦を遂行しようとする彼に不信感を抱いているのだ。
フィディオは一瞬悲しげに眉根を寄せた後、意を決し口を開く。

「──みんな、聞いてくれ!」

仲間たちの視線がちらりとこちらを向く。言葉を聞くつもりはあるらしい。フィディオはそのまま続けた。

「俺たちのやってきたサッカーをすれば、悔いのない試合が出来るだろう。でも、それでは今のイナズマジャパンには勝てない」
「!」

ブラージの肩がピクリと動く。イナズマジャパンの強さは、先程シュートを受けた彼が一番身を持って知っていた。

フィディオはテクニカルエリアの影山に視線を送りながら言った。

「けど、ミスターK──あの人のサッカーなら、カテナチオカウンターを完成させることが出来れば、必ず勝てる! そのためには、みんなの力が必要なんだ!」
「っどうしてそこまであいつに肩入れする!?」
「そうだ! あいつにされたことを忘れたのか!?」

先日のチームK戦にて、試合前に怪我を負わされた仲間たちが次々と声を荒らげる。
忘れてはいない、と首を振ったフィディオはもう一度仲間たちに正面から向き直った。

「勿論、あの人は自分の犯した罪を償うべきだと思っている。でも、あの人の考えているサッカーは、もしかしたら俺たちを次の次元に導いてくれるかもしれない──そんな予感がするんだ」

影山はどうしようもなく悪で、闇だ。けれどフィディオはその闇の中に、一筋の──目を凝らさなければ見えないほどの、か細く小さな光を見つけている。

「ミスターKが生み出した、必殺タクティクス……あれを完成させるためには、俺たちにも更に高度なプレーが要求される」

気付けば、仲間たちはいつの間にかフィディオの熱弁に聞き入っていた。フィディオがキャプテンに代替わりしてから、ここまで何かを熱く語るのを初めて見たからだ。

「だが、全てが噛み合った時、カテナチオカウンター──そして、究極のサッカーが姿を現すはずなんだ。俺は、それが見てみたい」




「──オルフェウス、何だか揉めていますね」
「うん……あ、終わったみたい」

試合が中断して3分足らず、ゴール前に集まって何かを話し込んでいた風のオルフェウスたちがフィールドに散らばっていく。

「(……あれ?)」

ベンチから見えたフィディオの表情が先程までと少し違う気がして、織乃は目を瞬いた。

試合再開はイナズマジャパンのスローインからだ。ライン際に立った佐久間が、辺りを窺いながらボールを振りかぶる。

「──鬼道!」
「染岡!」

佐久間から受けたボールを、鬼道はダイレクトで染岡へ送り出す。よし、と意気込んで走り出す染岡に、フィディオが鋭い声を上げた。

「アンジェロ!」
「うん!」

指示を受け、アンジェロが小さな体を生かし染岡の足下を縫うようにしてボールをカットしていく。
アンジェロからのパスを受けたフィディオが切り込んでくるのを見て、円堂はゴール前で身構えた。

「来いッ、フィディオ!」
「マモル……!」

瞬間、フィディオの脳裏に昨晩観た映像が蘇る。

「(あの人≠フ高度な動きが俺に出来るだろうか……でも、やるしかない!)」

「行くぞみんな!」仲間たちを連れ、切り込むフィディオに走り出したのは中盤を守っていた風丸だ。

「止める!」
「ラファエレ、アンジェロ! 左右から上がれ──」

フィディオがドリブルしながら指示を出す最中、風丸のスライディングを受けボールはコートの外へと転がっていく。
ダンテのスローボールを受け、再び攻め上がったフィディオはめげずに仲間たちに指示を飛ばした。

「互いに同じ距離を取りつつ、ボールの動きを予測しろ!」
「そんなこと言われても……!」
「特訓を思い出せ! ミスターKの特訓の意味が分かれば、必ず出来る!!」

「ラファエレ!」叫び、フィディオはパスを打ち上げるが距離が遠すぎて繋がらない。
それは一見すれば、ただ動きが噛み合っていないだけの粗雑なプレー。しかし、織乃はその不完全の中にある明確な目的のようなものを感じ取っていた。

「(どんな作戦があろうと、決して負けはしない……! 俺は必ず、影山を倒す!!)」

そして、フィールドの鬼道も同じように警戒を解かないまま悔しげに歯噛みするフィディオの横顔を見つめる。

「鬼道!」

転がったボールを押さえた綱海のパスを受けた鬼道を中心に、イナズマジャパンは再び攻め上がって行く。それを追い掛けるオルフェウスに、影山は低い声で呟いた。

「……やはり、こいつらでは無理だったか」

そんな独り言がフィールドに届くわけもなく、フィディオは必死に前を行く鬼道を追い掛ける。

「(あと少し……あと少しで出来るんだ、ミスターKが考えた必殺タクティクス──俺たちが目指す、究極のサッカーが!)」

走りながら、彼はもう一度昨晩観た映像を思い出した。

「(あの人≠ニ同じ動き──ボールは常に、フォーメーションの中心に!)」

少しずつ、しかし確実にフィディオは鬼道との距離を詰めていく。

──その姿に、影山は自身の記憶の奥底から蘇ったものに目を僅かに見開いた。
ボールを取られたままではあるも、フィディオは走りながら仲間との距離を一定に保つようコントロールしていたのだ。

「周囲ではなく全体を見渡す視野と、強靭なフィジカル……動きながらもフィールドプレイヤーすべての動きを把握したゲームコントロール……常に一歩先を読む戦術眼」

体を捩じり込ませるようにターンして、フィディオは鬼道に仕掛けていく。

「あれは──あれは、影山東吾≠フプレー……!!」

フィディオに重なったのは影山の亡き父、かつての日本代表選手の影。
息を呑んだ影山は我を忘れ、ライン際に駆け寄った。

「そのプレーをやめろッ!! 私の全てを壊した、あの男のプレーなど……!!」
「いいえ、やめません!!」

怒号にも近い影山の叫びに、フィディオは走りながら負けじと声を張り上げる。

「あなたの求めていたサッカーは……あなたの父、影山東吾のプレーが中心になることで完成するのですから!!」
「……!!」

サングラスの奥で見開かれる目に、フィディオがついに鬼道を正面に捉える姿が映った。

「く……っ」
「鬼道! こっちだ──」

言いかけた佐久間の目の前に、すかさずアンジェロがマークに入る。
鬼道は咄嗟に左後方の風丸を振り向いたが、そちらも既にダンテがマークに張り付いていた。

気付けば周囲はオルフェウスの選手たちに包囲されている。それはまるで──錠に鍵を掛けるが如く。

「一瞬で囲まれただと……!?」

行き場を失った鬼道に再びフィディオが突っ込んでいく。踊るような身のこなし、それでいて力強い足取りはやはり、影山東吾のプレー他ならない。

「サッカーを愛する者だからこそ、作り上げることが出来た完璧な必殺タクティクス──これがカテナチオカウンターだ!!」

鬼道から見事にボールを奪ったフィディオは、それを前へ大きく蹴り出す。
最前線にいたラファエレがボールを受け取り、オルフェウスは一瞬で攻撃に転じた。

「絶対に止めて見せる!!」
「フリーズ──ショット!!」

構えた円堂に、凍り付いたフィールドを滑るようにラファエレのシュートが直進していく。
それに飛びかかる円堂だったが、受け止め切れず手を弾いたシュートはそのままゴールに突き刺さった。

「あれがカテナチオカウンター……!」

敵ながら見事としか言えないプレーに、織乃は悔しがる間もなく感嘆する。
あの必殺タクティクスを使えば、あらゆる攻撃を無効にし、攻撃に転じることが出来るだろう。あれを影山が考えたというのか。サッカーを最も忌み嫌った彼が、あんな戦術を──サッカーを愛し、知り尽くしていなければ思い付かないような戦術を。

「(……フィディオさんの言っていた意味、今なら分かる気がする)」

影山のサッカーに対する深すぎる憎しみ。その裏側にあった感情を、フィディオはとうとう掴んだのだ。

「……ミスターK」

息を整え、フィディオはライン際で呆然と佇む影山を見る。

送られてきたDVDの映像は、日本と韓国の親善試合で終わりではなかった。
記録されていたのは、彼が関わった試合のほとんど。その中に映る鬼道のプレーを見て、フィディオは気付いたのだ。

影山の思い描くサッカーの中には、いつも影山東吾がいる。
自分の目指すサッカーを託せるプレイヤー、それを見出したからこそ、彼は鬼道に全てを教え込もうとしていた。そしてデモーニオ・ストラーダにも同じことをしようとしたのだろう。

「あなたは、東吾のサッカーを……そしてサッカーそのものを愛していた。あなたの中にあるのは、俺たちと同じ──サッカーを愛する者の魂だ!!」

フィディオの力強い声が、影山の鼓膜を揺らす。
その声は楔になり、自身の深い闇を穿ち──打ち砕いた。

「……何と言う茶番だ。この世で最も憎んだものを、私は長い間追い求めていたと言うのか」

僅かに項垂れた影山は、独白のように呟く。
認めざるを得ない。自分は影山東吾のサッカーを──父のサッカーを追い求めていたのだ。

父の全盛期。繊細なボールコントロール、豪快なシュート、そこには少年が憧れる全てがあった。
だが影山は彼を、日本代表を落選し自らサッカー選手として落ちぶれて行った父を──自身の理想のサッカーを壊した敗北者を憎んだ。

全てを暴かれた今なら分かる。
自分は悲しく、そして悔しかったのだ。あの光に満ちたサッカーを、見られなくなったことが。求めていたからこそ、二度と手に入らなくなった光を憎み、闇の中を生きるしかなかったのだ。

そして、それに気付かせてくれたのはフィディオだけではない。鬼道、デモーニオ──かつて自分が傷付けた、彼らが気付かせてくれた。

「闇は……終わった」

静かに、影山は涙を流す。それは一瞬のこと過ぎて、誰の目にも止まることはなかった。

「──すまない、円堂。完全にやられた……オルフェウスに」
「鬼道……」

円堂に駆け寄り、鬼道は悔しげに顔を顰める。
フィディオのあのプレーは今までとはまるで違う。あのプレーは、鬼道の見てきた中の記憶には存在しないものだった。
見れば、オルフェウスが影山の元へ駆け寄っていくところだった。

「見てくれましたか、監督! この勢いを生かすべきです。次の指示を!」

サングラスに映る選手たちの目に、最早猜疑心は見えない。影山は選手たちを見下ろし、目を細める。

「……私の父のプレーはもう良い。お前たちはお前たちのプレーをしろ」
「え……?」

まさかそんなことを彼から言われるとは思ってもおらず、オルフェウスの面々はキョトンとめを丸くする。影山はそんな彼らの反応に構わず続けた。

「ラファエレ、前に出るタイミングをワンテンポ早めろ。アンジェロ、スライディングを躊躇するな。ダンテ、もう一歩踏み込んでパスを出せ。更に安定度が増すはずだ」
「は……はい!!」

出されたのは具体的かつ的確な指示。虚を突かれつつも、名指しされた選手は大きく頷く。

「──フィディオ。カテナチオカウンターに綻びがある。中盤から左サイドへの動きの時は注意しろ」
「分かりました!」

フィディオは目を輝かせ、力強く答えた。

「状況は刻一刻と変わる。私はそれに合わせて指示を出す。だが──今のお前たちならば、対応できるはずだ」
「はいっ!」

昨日までの不安も忘れ、選手たちはしっかりと影山の顔を見て頷く。
それを見て、影山はほんの小さく口角を上げた。

「……私も久し振りに本当のサッカーをやってみたくなった」
「ミスターK……」

やっと、彼の口からその言葉を引き出せた。フィディオは感慨深い気持ちで呟く。

「──影山だ」
「!」

しかし、彼はそれを否定する。
不敵に笑って、彼はサングラスを押し上げた。

「影山零治。──それが私の名だ」

監督の意思と選手のプレーが一つになった時、チームは完成し──覚醒する。オルフェウスは、今この瞬間生まれ変わったのだ。

「……それが本当のあなたなのですね」

そのやり取りは、イナズマジャパンの選手たちの目にも見えていた。
鬼道は初めて見る影山の真っ当な笑顔と呼べる表情に、不思議と晴れやかな気分になって呟いた。

「私は勝つぞ鬼道。今度は本当のサッカーでな……!」

緩やかに笑みを零して、鬼道は影山に背を向ける。
──やはりフィディオは凄い男だ。長い間鬼道が知らなかった、知ろうともしなかった影山の闇へ踏み込み、払ってしまった。

だが、問題はここからだ。今までと別次元のプレースタイルを身に着けたフィディオ、過去から解き放たれた影山零治。そして完全なチームとなったオルフェウスが相手となれば、先程までのような試合展開はきっと望めない。

「(奴らに勝つためには……俺がフィディオを超えるしかない!!)」

雲の切れ間から太陽の光が差し込む。鬼道とフィディオを中心に降り注ぐそれは、まるでスポットライトのようだった。