The master key awaken

「ここがスタジアム……?」

試合が始まって少し経った頃。目を覆うように包帯を巻いた1人の小さな少女が、中田に手を引かれながらゆっくりとピッチへと繋がる廊下を歩いていた。

「ああ、そうだ」
「ものすごい人の声……これがおじさんの言ってたサッカー……」

狭い廊下に反響して聞こえる歓声に耳を澄ませながら尋ねると、手を引く中田が答える。
そこから更に足を進めると、歓声がより大きくなる。中田は隣を歩いていたルカと目配せを交わすと、少女の肩を優しく叩いた。

「外すよ。良いかい?」
「うん……」

少女は一瞬唇を引き結び、小さく頷く。
それを確認した中田はゆっくりと、彼女の目を覆う包帯を解いていった。

感じていた頭部の束縛感がなくなったのを確認し、少女はそろりと薄く目を開ける。
瞬間、強い光が一気に差し込んで思わず瞼を降ろしてしまったが、もう一度恐々と目を開けるとうっすらと外の風景が見えてきた。

「──どうだ? 見えるか?」
「うん……まだぼんやりしてるけど」

磨りガラス越しに見ているかのような景色にまばたきを繰り返し、少女はまだ目が見える実感が沸かないのかふわふわとした気持ちで頷く。

「大丈夫だ。そのまま慣れて行けば、じきに見えるようになる」
「うん……!」

ルカと顔を見合わせ微笑んだ中田が言えば、彼女は嬉しそうにピッチを見下ろした。






試合は現在1対1のまま膠着状態が続いている。
今まで五分五分であっただろう天秤は、オルフェウスが進化したことで僅かにあちら側へと傾いた。

「ここは通さないッ!」
「……っ!」

敵陣にドリブルで切り込んだ鬼道の進路へ、フィディオが飛び出してくる。
鬼道は即座に足を切り替えフェイントを掛け突破を試みるも、同点に追い付いたことで余裕が出来たのだろう、フィディオは冷静にその裏を掻きボールを奪っていった。

「ん……?」
「どうしたの、織乃ちゃん」

鬼道を抜き去りゴールへと駈けていくフィディオを、ふと目を細めて見つめた織乃に冬花が小首を傾げる。
いえ、と頭を振った織乃は、フィディオを追い掛ける鬼道に視線を移した。

「(今の動き、何だか……)」

そうこうしている間にフィディオはイナズマジャパンのMFたちを突破して、散らばったDFたちの隙間からロングシュートを打ち込んだ。
円堂はそれをイジゲン・ザ・ハンドで難なく防ぎ、ボールは外へと飛んでいく。

「……虎丸。行くぞ」
「はい!」

フィールドを見渡した久遠が短く言うと、虎丸は表情を引き締め立ち上がった。
現状の打開に虎丸の突破力が必要だと考えたのだろう。ヒロトと入れ替わり、虎丸がフィールドに駈けていく。

「あちらも頻繁に指示を出していますね……」
「ええ……」

そう呟く目金が視線を向けるのはオルフェウスのテクニカルエリアだ。フィディオを呼び寄せ、何か指示を出している影山に織乃は何とも不思議な気持ちになる。
試合中、選手に対しあんな風に指示を出す影山を見るのは初めてだった。

「みんな! 思い切って攻めろ!!」

威勢の良い声と共に、円堂のゴールキックで試合が再開される。ボールを受け取るのは鬼道だ。

「豪炎寺──」

鬼道は前線を振り返るが、それよりも先にオルフェウスがマークに着く方が早い。その周辺にいた染岡や佐久間、風丸にも既にマークが張り付いているのを見て、鬼道は顔を顰めた。

「(DFの反応が見違えるように早くなっている……!)」

パスコースを塞がれ歯噛みする鬼道の脇を、次の瞬間誰かが駆け抜けていく。──虎丸だ。

「ッ虎丸!」
「はい!!」

鬼道からの咄嗟のパスを受け取り、虎丸は一息に敵陣へと切り込んでいく。

「アンジェロ、ジャンルカ、ジョルジョ! 互いの息を合わせろ!」
「おう!!」

直後、鋭い声を上げたフィディオは虎丸の進路へと躍り出る。虎丸の足が止まった瞬間、彼は更に後方へ叫んだ。

「今だ、アントン、オッチョリーノ!」
「……!」

指示に応じ、豪炎寺や染岡のマークについていた二人がフィディオの左右へ駆け戻る。
そして後方にジョルジョとアンジェロが立ちはだかり、虎丸はあっという間に錠≠フ中へ閉じ込められた。

「くそっ……突破してやる!」

虎丸は果敢に脱出を試みるが、それもオルフェウスからすれば予想の内だ。
正面突破してくる虎丸からボールを奪ったフィディオは、そのまま前線のラファエレへそれを蹴り上げる。

「今度はやらせない……!」

眉を吊り上げた吹雪がパスをカットするためにラファエレに向かっていくが、それを視界に入れて尚ラファエレは焦る様子がない。
ふいに彼は余裕の笑みを浮かべフィディオと目配せを交わすと、その場から離れていく。

「何……っ!?」

刹那ボールは軌道を曲げ、吹雪が想定していなかった方向へ──ラファエレが移動した位置へと落ちていった。

「しまった──!」
「フリーズショット!!」

芝生一面が凍り付き、ラファエレの必殺シュートが放たれる。
空気を凍らせながら直進してくるシュートに、ゴールを守るように壁山と飛鷹の2人が飛び出していった。

「止めて見せるッス!! ザ・マウンテン!」

雄叫びを上げた壁山の背後に巨大な山が姿を現す。しかしシュートはこれを打ち砕き、勢いに負けた壁山もまた後ろにゴロゴロと転がっていく。
しかしここまではまだ想定内だ。続けざまに飛鷹が真空魔を放ち、威力の弱まったシュートへ円堂のいかりのてっついが炸裂し得点を防いだ。

「あ、危なかった……」

一連の展開を固唾を呑み見守っていたベンチ陣は、何とか守られたゴールを見てホッと安堵に胸を撫で下ろした。

「急に連携が良くなりましたね」
「まるで別のチームみたい……」

険しい顔で立向居や秋が呟くのを後目に、織乃はじっとフィールドを見つめる。
先の先を呼んだポジショニング、ボールコントロールに置いてもフィディオのプレーは全てが的確だ。
だが、それも仲間との連携があってこそ。そしてあの戦略を考え、創り上げたのが影山なのだ。

「(あれが、影山さんの本気のサッカー……!)」

それからもイナズマジャパンは、オルフェウスを相手に苦戦を強いられた。カテナチオカウンターがある今、不用意に攻め込むことも出来ない。

「(やはりこのままでは駄目だ! 何か手を打たないと……!)」

マントを翻し、鬼道は何とかオルフェウスのディフェンスを掻い潜り中盤の道を切り開く。

「染岡ッ!」
「おう!!」

アンジェロのディフェンスを振り切った染岡へ、鬼道のパスが渡る。DFたちの対応が間に合わない位置だ。フィディオが振り向き様に声を荒らげる。

「ブラージ、来るぞ!!」
「轟け──ドラゴンスレイヤー!!」

咆哮を上げ、青いドラゴンが芝を散らしフィールドを猛進していく。赤い眼光と睨み合ったブラージは勢い良く両腕を振り上げた。

「コロッセオ、ガード!!」

両腕に指揮され、地面から顕現された巨大なコロッセオがゴールを前にその門を閉ざす。
分厚い壁にぶつかったボールを受け止めたブラージに、フィディオは顔をしかめた鬼道に不敵に笑いかけた。

「サイドからのロングシュートは、ブラージには通用しないよ」
「……」

眉根に深い皺を刻み、鬼道はフィディオに背を向ける。
そのままじっとゴールを見つめている豪炎寺の後ろを通る途中、鬼道は声を潜め豪炎寺の肩越しにこう言った。

「……カテナチオカウンターは、ボールを奪う時に人数が集中するため他のスペースが無防備になる。正面からフィディオを突破出来れば……」
「ああ……一気に得点のチャンスが広がるはずだ」

目配せを交わし、2人は小さく頷き合う。

ブラージがボールを蹴り入れ試合が再開された瞬間、アンジェロが受けようとしたそれを速攻で鬼道がインターセプトする。

「豪炎寺ッ!!」

すかさず走って来た豪炎寺にパスが渡れば、オルフェウスも負けじとカテナチオカウンターを発動し、あっという間に豪炎寺を取り囲んだ。

「誰であろうと通しはしない!」
「っ、この動きは──」

一瞬何かに目を見開きながらも、豪炎寺は一か八かで突破を試みる。
しかし、やはりカテナチオカウンターを破ることは出来ない。豪炎寺からボールを奪い、フィディオがボールを打ち上げた。

「ラファエレ!」

パスを受け止めたラファエレは早速イナズマジャパン陣内へ切り込んでいく。が、その動きを予想していたその両脇にすかさず佐久間と風丸が走り込んだ。

「何度もやられてたまるか!!」
「絶対にシュートは打たせない……!!」

距離を詰めてくる2人に、流石のラファエレも進路を変えざるを得ない。「ナメんじゃねえ!」とそこへ綱海も加わり、ラファエレはいよいよコーナー際に追い詰められる。

しかしその時、円堂はふと逆サイドをフィディオが駆け上がってくるのに気付いた。

「……まさか!」

ハッと声を上げた次の瞬間、ラファエレがふいにボールを高く打ち上げる。
綱海たちの頭上を大きく飛び越えたボールは放物線を描き、中空へ身を躍らせたフィディオがそれを受け止めた。

「行くぞっ!!」
「来い!!」

今まで以上の気迫をフィディオから感じ取った円堂は、腕を前へ構え叫んだ。ゴールを正面に捉え、前傾姿勢になったフィディオは脚を高く振り上げる。

「オーディン──ソーード!!」

瞬間、フィディオの脚は眩く輝く光の刃を纏った。
天高く翳された金色の剣はフィールドを割り、円堂に向かって振り下ろされる。

「やらせるか……! イジゲン・ザ・ハンド!!」

ゴールの前に展開させた半球の障壁に、オーディンソードが突き立てられる。力と力がぶつかり合い、ビリビリと空気が震えた直後──円堂の障壁にひびが入った。
次の瞬間、イジゲン・ザ・ハンドを打ち破ったフィディオの必殺シュートがイナズマジャパンのゴールに突き刺さる。

「やった!」

爆発するような歓声を浴びながら、フィディオは小さくガッツポーズした。
円堂はネットの内側に転がるボールを見つめ、呆然と呟く。フィディオと知り合ってしばらく経つが、彼の必殺シュートを受けるのはこれが初めてだった。

「すげえ……なんてパワーだ。これがお前の必殺シュートなのか」
「見せたかったんだ、君にこのシュートを……!」

得点を決めたのとは別に、嬉しそうな笑みを向けるフィディオに円堂も険しい表情を緩め、「次は決めさせないぜ!」と力強い笑顔になる。

とは言え、得点は2対1で押されている状況だ。
カテナチオカウンターの特性は理解した。しかしフィディオに勝てなければ、あの必殺タクティクスは絶対に敗れない。

「どうすればカテナチオカウンターを突破出来るんだ……!」
「……鬼道」

焦燥に歯噛みする鬼道に、しばらく何かを考えていた豪炎寺が低い声で言った。

「フィディオの動きは……お前のプレーと、よく似ている」
「!」




「──ああ、そっか」

ふいに得心の行ったような声で呟いた織乃に、ベンチに掛けたマネージャーたちは不思議そうに彼女の横顔を振り返る。

「不動。行くぞ」
「……」

それが何に対する呟きであったのか尋ねるより早く、久遠の声がそれまで黙ってフィールドを観察していた不動を呼んだ。
不動はこちらを見もしない久遠をちらりと見上げると、ただ不敵な笑みを口唇に乗せて立ち上がる。

「……何か言いたげな顔じゃねえか、御鏡。伝言なら聞いてやるぜ?」

軽く脚を伸ばしながら、不動は全て分かっているような口振りで言って肩越しに織乃を見た。

「じゃあ──ひとつだけ」






ボールがラインの外に出たタイミングで、染岡に替え不動がフィールドに入っていく。
不動は集まったFWとMFの元に駆け寄って鬼道に視線を向けた。

「監督から伝言だ。鬼道が持ち込めってよ」
「!」

届けられた指示に、仲間たちは訝しむように顔を見合わせた。鬼道もまた疑問を隠そうともせず眉を顰める。

「お前も見ていただろう。俺の動きは全てフィディオに読まれてしまう」
「だったら、今度は愛しの御鏡チャンからの伝言だ」

御鏡の? と鬼道は目を眇めた。

「『鬼道さんなら、きっとフィディオさんの動きが読めるはず』……だってよ」
「何……?」
「気が付いてるんじゃねえのか? 奴の動きが自分に似てるってよ」

その指摘は奇しくも豪炎寺と同じものだった。間を置いて鬼道が弾かれたようにテクニカルエリアを振り向くと、目の合った織乃が小さく頷くのが見える。

「……!」

その瞬間、鬼道の脳裏にあるものが蘇った。
それはまだ彼のことを心の底から師と信じ、尊敬していた幼い頃の思い出。

「(あれは俺だったのか。あの人にサッカーを教えられた頃の……)」

不動が指摘した通り、鬼道は心のどこかでフィディオのプレーがかつての自分を想起させることに気が付いていた。
けれどそれに目を向けようとしなかったのは──きっとあの頃の思い出が、自分の中で忌むべきものになってしまったからだろう。

「ま、俺からの伝言は以上だ」
「……ああ」

目を細め、不動はポジションに着きに行く。顔を上げた鬼道の顔に、もう迷いはない。




「──お兄ちゃんとフィディオさんのプレーが似てる?」
「そう」

目を見開く春奈に、織乃はフィールドを見つめたまま頷いた。
ボールを持った不動がドリブルで前線を上げていく。

「カテナチオカウンターは、錠前を掛けるように相手の動きを封じ込めボールを奪う……それを閉じる鍵は、正しくフィディオさん」

「行け、鬼道!!」不動の蹴ったボールが鋭い弾道で鬼道へと渡る。フィディオはそれに一瞬不可解そうに眉根を寄せたが、プレーに差し障ることはない。

「だけど合い鍵があれば、それは破れる。そしてその役目は──鬼道さんにしか出来ない!」

ボールを持った鬼道の周りを、オルフェウスが取り囲む。鬼道の正面に立ちはだかったフィディオが声を荒らげた。

「来い! カテナチオカウンターは破れないぞ!!」
「……勝負だ、フィディオ!!」

気勢を上げ、2人がぶつかり合う。
激しいチャージの応酬とボールの読み合いを繰り広げる鬼道とフィディオに、影山は思わず目を見張った。

「(これは……)」

細かく動くボールの行方を読み、その都度脚を出し合う。フィディオが主導権を奪ったと思えば、次の瞬間鬼道がそれを奪い返す。
あまりの気迫に、周りにいる選手たちはそれを遠巻きに見守るしか出来ない。

そして遂に、その瞬間は訪れた。

「そこだッ!!」

赤いマントが翻り、フィディオを抜き去っていく。
そしてそのまま、鬼道は油断していたオッチョリーノの脇をすり抜けて行った。カテナチオカウンターを破ったのだ。

「〜〜ッよし!!」

ワッと沸き立つ歓声が降り注ぐ中、織乃は思わずガッツポーズをする。マネージャーや控えの選手たちもまた、前線を押し上げる鬼道に歓声を上げる。

「虎丸!」
「はい!」

中盤を駆け上がる鬼道に、豪炎寺と虎丸が前方へ走り出す。フィディオたちが追い掛けてくる気配を背中で感じながら、鬼道は力一杯ボールを蹴り上げた。

「ッ行けえ!!」

しゅるしゅると空を切り、美しい放物線を描いてボールは落下していく。
それを受け止め、虎丸は地面を強く踏み締め身構えた。

「タイガー……!!」
「ストーーム!!」

青空が刹那、煌々と燃え上がる炎に赤く染まる。
空気中の塵をも燃やし尽くし、ブラージの顕現させたコロッセオに牙を突き立てた炎の虎は、見事それを噛み砕いた。

得点を決めたホイッスルが鳴り響く。
2対2の表示に切り替わったスコアボードを見上げて目を輝かした円堂は、いても立ってもいられず鬼道の元へと走って行った。

「やったな、鬼道!」
「ああ……!」

鬼道がチラリとテクニカルエリアに視線を送ると、秋に抱きつく春奈の隣で、両手を握り締めた織乃が笑顔でこちらを見つめている。

──そんな鬼道と、喜ぶイナズマジャパンを遠目にわくわくとした表情を隠し切れていないフィディオの2人の教え子を眺め、影山は細く長い息を吐き出した。

「(父よ。あなたのサッカーを蘇らせた少年たちがここにいる。あなたが絶望したサッカーに、僅かな希望は残っていたのかもしれない……)」

緩く笑むと、もう一度ホイッスルが鳴り響く。前半が終わったのだ。
興奮冷めやらないまま、両チームの選手たちはそれぞれテクニカルエリアに戻っていく。

「同点ッス〜〜〜〜!」
「何より、カテナチオカウンターを破って追いついたことが一番大きいな……!」

しかしまだ喜色は消えず、イナズマジャパンたちは笑顔で互いの健闘を讃え合った。

「後半もこの調子で行けば、必ず勝てるよ!」

力強いヒロトの言葉に、仲間たちが頷く。
けれど、それに応えない者もいた。

「果たしてそうかな」

冷静にそんなことを口にしたのは、カテナチオカウンターを破った鬼道本人である。不思議そうにこちらを振り向く円堂たちに、鬼道は落ち着いた声音で続ける。

「奴らは試合中に、あれほど難易度の高い必殺タクティクスを完成させた。どんな力を秘めているか計り知れないぞ」
「そうか……うん、そうだな」

フィディオのオーディンソードを防げなかったことを思い出したのだろう、円堂は表情を引き締め頷く。
そのまま何とはなしにオルフェウスのテクニカルエリアを窺うと、フィディオたちも似たような顔でまたこちらを見ていた。

「イタリア最強のカテナチオカウンターを破るなんて、スゴイ奴らだね……」
「永遠に最強のものなんてないさ」

感嘆混じりに呟くアンジェロに、フィディオは緩く頭を振る。だが、その表情は油断こそしていないものの、依然として笑顔のままである。

「でも、新たな最強はいつも俺たち自身の中にある。それを見つけるんだ。監督と一緒に……!」

最初の頃はあれ程影山に不信感を抱いていた仲間たちも、その言葉に頷いた。
影山のことはまだ信用出来ない。しかし、彼のサッカーなら信用出来る。フィディオがそれを体を張って教えてくれた。

──その時、ふいにピッチの入場口から、一人の私服姿の少年が出てくる。
真っ直ぐにオルフェウスのテクニカルエリアに歩いて行く少年を見て、円堂たちもまた何事かとそちらを見た。

「……あっ!?」
「どうした、御鏡?」

少年の顔がはっきりと見えると、目を丸く見開いた織乃が思わずと言った風に彼を指差す。
その声が聞こえたのだろう、フィディオたちは振り返り、そこでようやく少年の存在に気が付いた。

「──キャプテン!」
「キャプテン?」

キャプテンはフィディオではないのか。首を傾げる円堂たちの反応とは裏腹に、表情を輝かせたオルフェウスたちは続々と少年に駆け寄っていく。

「ナカタ……ヒデ・ナカタか」
「初めまして、ミスターK」

自分の目の前まで来て足を止め、にこりと小さく笑んだ少年──中田に、影山はサングラスの奥で目を細めた。

「キャプテンでありながら、随分長い間チームを離れていたな」
「チームの為です。でも、自分の考えた以上の成果ですよ──あなたのお陰でね」

「何がどうなってるんだ?」円堂は首を捻って、唯一彼のことを知っているらしい織乃の肩をつついて尋ねる。
織乃は視線を中田に向けたまま、こう答えた。

「中田さんは、イタリアの選手で……普段は各国の貧しい子供たちなんかにサッカーを広め教えるために各国を旅してるんです」

彼については、織乃も知っていることはそれ程多くはない。何せイタリアに住んでいた頃も、中田がフィディオたちと一緒にサッカーをしているのを見る機会はほんの数回しかなかったのだ。
ただ、それでも確信を持って言える。

「……多分、私が知っているサッカー選手の中で、あの人は一番強い」

円堂はハッと目を見開いて、中田の背中を凝視した。

そんな中田が、ふと影山から視線を外しピッチの入場口へ目を向ける。
一同が釣られてそちらを見ると、金髪の少年に手を引かれた幼い少女がピッチへ上がってくるのが見えた。

「ルシェ……どうしてここに」

小さな声で影山が呟く。ルシェ、と呼ばれた少女は何かを探すように辺りを見回している。

「ナカタ、これはどういうことだ。ルシェをここに連れてくるなど!」
「お言葉ですがミスターK、ルシェの願いなんです。目が見えるようになったら、最初にあなたのサッカーを見たいってね」
「だからと言ってこんなところに……!」

中田を問い詰める影山の声色は、明らかに焦りが滲んでいた。それはオルフェウスは勿論、彼をよく知るイナズマジャパンの面々にとっても珍しい様子だった。

「……これが最後なんじゃないですか?」
「何……?」
「今日を最後にあなたの試合は見られなくなる。違いますか?」

「……最後?」中田の言葉を反復し、鬼道は影山を見つめた。影山は唇を引き結んで黙り込んでいる。

「前半の戦いを見て分かりました。あなたはもう過去のあなたではない……今日で全てを償うつもりではないですか」

影山は感情の見えない顔で、無言で中田の言葉を聞いていた。
だが、鬼道には分かる。影山にとっての『沈黙』は、大抵の場合『肯定』なのだ。

「もう自分から逃げることはない──自分の犯した罪からも」

太陽に薄く雲が掛かる。
薄暗がりに包まれるフィールドに、中田の静かな声が響いた。

「あなたはサッカーを潰すために手段を選ばなかった。その手に掛かって多くの選手たちがチャンスを奪われ……ルシェはその策略に巻き込まれ、怪我を負ってしまった。サッカーと何も関係がないと言うのに」

織乃はちらりと小さな少女を窺った。彼女の手を引いていたのはルカだ。やぁ、と空いた手を軽く振ってルカは織乃の視線に応える。

「そのことが心のどこかに引っかかっていたんでしょう。だから病院にいるルシェを見舞ったんですよね。そして彼女の病気の目のことを知った。その手術には、莫大な費用が掛かることも……」

どこか覚束ない足取りで歩いていたルシェが、ふと顔を上げた。自分よりも随分と高い位置にある顔を見上げ、彼女はルカの手から離れていく。

「あなたはルシェの怪我が治った後も、手紙を送り続けた。治療費と共に。どうしてそんなことを?」
「──ただの気まぐれだよ」

軽く目を伏せ、影山は中田に背を向けた。
そうでしょうか、と中田は彼の後頭部を見上げ続ける。

「ルシェのために何かをしてやることで、少しだけ救われていたんじゃないですか。闇の世界に入り込んでしまった、あなた自身の心が」

ルシェの一件を知って、中田は感じたのだ。
影山が心のどこかで、闇の世界を抜け出したがっているのではないかと。
イナズマジャパンは口を挟むことなく、中田と影山の話に耳を傾ける。

「……お前はそんなことを調べるために旅をしていたのか?」
「いえ……旅の途中、偶然知ってしまったこと。俺はそんなお人よしではありませんよ」
「──おじさん?」

ふいに会話に割り込んだ幼い声に、影山はハッと振り向いた。いつの間にか、ルシェが自分の目の前に立っている。

「……ルシェ」
「その声……やっぱりおじさんだ!」

そう言って、ルシェは顔を綻ばせた。
宝石のように輝く瞳に自分の姿が映っているのを見て、影山は目を細める。

「見えるのか」
「うん! おじさんのおかげで私の目、見えるようになったんだよ!」

嬉しそうなルシェの言葉に、鬼道は驚きに目を見開いた。まさかあの影山が、罪滅ぼしのためとは言え人助けをするなど露とも思っていなかったのだ。

「そうか……良かったな」
「おじさん、ありがとう!」

自分に駆け寄りかけた彼女を、影山は手で制す。

「ルシェ。私は君に感謝されるような人間ではない」
「そんなことないよ! おじさんは私に手術を受けさせてくれた……手紙で励ましてくれたもの!」

頬を膨らますルシェに、影山は口を噤む。そんな彼の反応も気にせず、ルシェは花が咲くような笑みを浮かべた。

「おじさん、ありがとう。私、サッカー勉強する。おじさんともっといっぱい話したいから!」

太陽が雲間の間から、ゆっくりと顔を出す。
差し込む光に目を細め、影山はサングラスを押し上げた。

「──私には試合がある。話は後だ」
「うんっ、じゃああとで! 応援してるね、おじさん」

頷いたルシェはもう一度ルカと手を繋ぐと、彼に連れられ影山に手を振りながらピッチを後にする。
そっと中田が見上げた影山の表情は、先程とはまた少し違って見えた。

「──後半の作戦を伝える」
「はい!」

幼子特有の甘さが滲む視線を振り払うように、どこか声を張って言った影山にオルフェウスたちは視線を交わして頷いた。