The light I sought is here
「まさか夏未さんがライオコット島に来てるだなんて思ってもみませんでした……ねえ織乃さん」
「そ、そうだね」
テーブルを布巾で拭きながら話す春奈に、織乃は曖昧な笑みでそう返す。
オルフェウスとの試合の後、鬼瓦と共に突然ピッチにやって来た夏未は挨拶もそこそこに休む暇なくスタジアムを後にした。
きっと夏未にはまだやるべきことがあるのだろう。それが何かは織乃にはまだ分からないが、それ以上に彼女には気になっていることがあった。
『お前を操っていたのは誰だ? お前が40年前バスに細工し、ここまでの全ての陰謀を企んできたとは思えん』
──今までもずっと気になってはいたのだ。これまで影山の企ててきた悪事は、どれも一人で完遂出来る規模のものではない。
帝国学園の総帥として十分な地位と資産を得た後ならともかく、40年前の事件に関しては当時の彼も中学生だ。10代そこらの少年が、そんな大掛かりなことが出来るわけがない。
つまり鬼瓦の言っていた通り、影山に力を与え、闇に引き込んだ人物がいる。そしてその人間は、もしかすると今も彼と繋がりがあるのかもしれない。
「腹減ったッス〜〜……」
「今日の夕飯なにー?」
思考に耽っていると、食堂にやって来た1年生たちの声で現実に引き戻される。
思いの外長い時間考え事に集中していたらしく、いつの間にか食堂にはほとんどの選手が入っていた。誰かが付けたテレビの画面に、午後6時を報せるニュース番組が映し出される。
「──ん」
「どうした、御鏡」
ふいにハッとスカートのポケットを押さえた織乃に、席に着いた鬼道がそちらへ顔を上げる。
「いえ、携帯に着信が……はい、御鏡です」
着信元を確認した織乃は、怪訝そうに眉根を寄せながら仲間の輪から離れ通話ボタンを押した。
『もしもし、鬼瓦だが……織乃ちゃん。今そこに、鬼道はいるかい?』
「はい、いますけど……」
──ふいに、テレビから緊急速報のアラートが響く。
視線をそちらに向けると、ニュースのアナウンサーが手渡された原稿に視線を走らせ口を開くのが見えた。
『速報です。本日、イタリアのチームオルフェウスの監督であるミスターK氏が事故により亡くなりました』
「……え?」
聞こえたのは誰の声だったろう。キャスターは突然舞い込んできたニュースに動揺することなく原稿を読み上げている。
「…………鬼道、さん」
通話の終了した携帯の電源ボタンを押すのも忘れ、織乃は掠れた声で口を開いた。鬼道はテレビ画面を見つめたまま、ピクリとも動かない。
「今、鬼瓦さんが……影山さんが昼間、拘留場の前でトラックに撥ねられたって……」
トラックに撥ねられた影山はその後、病院に搬送されたが数時間後に死亡が確認された──鬼瓦はそこまで話して、織乃の動揺を電話越しに察したのだろう。詳しい話はまた後日、と通話を切った。
ガタン、と大きく椅子を揺らして鬼道が立ち上がる。
弾みで手元にあったコップが倒れて水がテーブルに零れたが、それを指摘する者はいなかった。
「──しばらく、一人にしてくれ」
「お、お兄ちゃ……」
絞り出すように言って、マントを翻した鬼道は早足で食堂を後にする。
番組は既に別のニュースを流し始め、影山の訃報は情報の奔流に流されていく。一同が呆然とする中で、パタパタとテーブルから溢れた水が床に落ちる音が嫌に響いた。
「あのおっさん、碌な死に方しねえだろうな、とは思ってたよ」
夜は深まり、午後9時。静まり返った食堂に不動の独り言のような呟きが響く。はす向かいに座った佐久間は、無言のまま視線を落としていた。
あの後、通夜のような空気の中で影山の話を切り出す者は一人もいなかった。影山のことをよく知らない者ですら、周りの空気に飲まれて口を開くことも出来なかった。
少し遅れて影山の訃報を聞いた響木は長い溜息の後で「そうか」と短く返した後、宿福を出て以来姿を見ていない。
久遠はそんな響木を見送った後、小さく首を振り軽く織乃の肩を叩いてから部屋に戻っていった。元々不器用な性格だ、掛ける言葉が見当たらなかったのだろう。
「さっき、辺見たちからも連絡があったんだ。日本でもニュースがあったらしくてさ……あの人が死んだなんて信じられないって。殺しても死ななそうな人だったから、そう思うのも無理ないよな」
俺もまだ夢でも見てるみたいだ、と佐久間は天井を仰いで呟いた。色々な感情が入り交じりすぎて、今自分がどんな気持ちでいるのかも最早分からない。
「鬼道は……?」
「あれからずっと部屋に籠もったままです」
尋ねた佐久間に、キッチンに立っていた織乃は蛇口を締めながら答えた。
お盆にキッチンラップを掛けたお握りの入った平皿、熱いお茶を淹れた急須とカップを載せて食堂を出ようとする織乃に、不動が剣呑な声を掛ける。
「ほっといてやった方がいいんじゃねーの?」
「……いいえ」
返ってきたのは少し硬い声だった。織乃は2人に背を向けたまま言う。
「どんな言葉も届かないかもしれない、何を言っても救われないかもしれない。それでも……ただ私が、今のあの人を放っておきたくないんです」
最後に肩越しに苦笑を残し、織乃は今度こそ食堂を後にする。一拍置いて、はは、と佐久間が小さく笑うのが聞こえた。
「やっぱり、御鏡は格好いいな」
──ノックを3回。返ってくる声はなく、織乃はドア越しに声を掛ける。
「鬼道さん、御鏡です。……入りますよ」
返事を待たず、織乃は鬼道の私室へ足を踏み入れた。
電気の付いていない部屋は薄暗く、カーテンの開け放されたままの窓から差し込む月明かりでぼんやりと照らされている。
部屋の主は、ベッドの端で両膝を抱えて座り込んでいた。
「……夜食持ってきました。食欲はないかもしれないけど……夕食も食べてないんです、何か少しお腹に入れないと」
「……ああ……」
微かに小さく、くぐもった声が返ってくる。机の上にお盆を置くと、そこに鬼道のゴーグルが放り出されているのに気付いた。
見るべきものをより深く見るための、鬼道のもう1つの目。
授けてくれた人は、もうこの世のどこにもいない。
「……あれだけのことをしてきた人だ。碌な死に方は出来ないだろうなと思っていた」
「……不動さんも、同じこと言ってました」
織乃がこちらを気にしているのを感じ取ったのだろう、俯いたままふいに切り出した鬼道に、織乃は目を細めてそっと彼の隣に腰を降ろす。
「私も……あの人は、いつかしてきたことへの報いを受ける日が来るんじゃないかって、思ってました。こんな突然、こんな形で来るとは思わなかったけど」
「そうだな……」
影山の策謀で傷付いた人間は数知れない。40年前のイナズマイレブンに始まり、円堂の祖父、豪炎寺の妹、夏未の父──選手生命を脅かされた者も沢山いるはずだ。
「……でも……」
ぽつりと織乃は呟く。鬼道はそっと顔を上げた。
「沢山、数え切れない酷いことをした人だったけど……私、影山さんとまた会うことがあったら、1つだけお礼を言いたいことがあったんです」
「お礼……?」
小さく頷いて、織乃は鬼道を見た。月の光に反射する赤い瞳と目が合うと、織乃は笑顔のような泣き顔のような──くしゃりとした複雑な表情になる。
「私にサッカーと関わる機会をくれたこと。鬼道さんたちと、出会わせてくれたこと」
──今日からお前をサッカー部1軍のマネージャーに任命する。
そこにはやはり悪事へ繋がる思惑があって、善意など一欠片もなかったのだけれど。
それでも、あの一言がなければ織乃は帝国サッカー部のマネージャーになることはなかったし、きっと鬼道たちサッカー部の面々とまともに会話することもなく、もしかしたら今でも帝国学園の生徒としてぼんやりと日々を生きていたかもしれない。
漫然と、それでも織乃なりに一生懸命──サッカーと一切の関わりを持つこともなく。
「……たったひとつのお礼も言わせないままいなくなっちゃうなんて、……やっぱり影山さんって、非道い人ですね」
「──ああ、っ……そうだな……」
形の良い眉毛が拉げる。シーツを握り締める拳を包むように手を添えると、ややあってぎこちなく開かれた指が控えめに絡まってくる。
「御鏡……少しの間、肩を、借りても良いか」
「だめです、……なんて、言うと思います?」
困ったような笑みを口唇に乗せて、織乃は俯いた鬼道の頭を抱き寄せた。片手を回した背中は細かく震え、肩口が温くなっていく。
仇敵であり、師であり、そしてもう1人の父である男を想い声を殺して流涕する鬼道に、織乃もまた静かに涙を零した。
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神妙な顔をした鬼瓦が宿福の玄関先に現れたのは、その翌日。朝食を食べてしばらく後のことだった。
「鬼道に渡しておきたいものがあってな」
そう言って彼が鬼道に手渡したのは、ハンカチに包まれた見覚えのあるサングラスだった。所々に入った細かなひびが、強い衝撃を受けたのだと物語っている。
「……ありがとう、ございます」
唇を噛み、小さく頭を下げる鬼道に鬼瓦は眉根を寄せて頷く。彼も40年間影山を追い続けていたのだ、心境も複雑なのだろう。
そこで、円堂はその腕にやけに可愛らしくラッピングされた小箱が抱えられているのに気が付いた。
「鬼瓦さん、それは……?」
「ん、ああ。これは後でイタリアエリアに──」
「すいませーん!」
言い掛けた言葉に誰かの声が重なる。はい、と織乃が慌てて玄関の扉を開けると、そこには昨日戦ったばかりの中田と彼に同行しているルカ、彼に手を繋がれたルシェが立っていた。
「中田さん! どうしたんですか?」
「ルシェを連れて他のエリアを観光してたんだ。せっかく近くに来たから、挨拶しておこうと思って」
そう答えて、中田はルシェに視線を送る。
織乃は昨日、ルシェが影山と話したがっていたことを思い出して一瞬悲しげに目を細めた。
「そう、ですか。……こんにちは、ルシェちゃん。日本エリア、楽しんでいってね」
「うんっ!」
きっと彼らも影山の訃報を知って、しかし小さな子供にいきなり本当のことを伝えるのも憚られ、半ば誤魔化すためにこうやって外に連れ出したのだろう。
中腰に屈んで微笑みかける織乃に、ルシェは元気良く頷く。
「ああ、丁度良かった。中田、これを」
「はい?」
ふと鬼瓦は抱えていた包みを中田に手渡した。中田は反射的に受け取ったそれをしげしげと眺め、「これは?」と首を傾げる。
「影山から、護送される直前に預かった物だ。……彼女へ、手術が成功したお祝いにと」
「!」
ルシェに聞こえないように声を落として答えた鬼瓦に、一同は顔を見合わせた。
ややあって分かりました、と中田が頷くと、鬼瓦は軽く手を振って宿福を後にする。
「……ルシェ、ビーチに行こうか。円堂くんたちもどうだい」
「ん、……ああ、そうだな」
包みに視線を送りながら中田が言うと、円堂と鬼道、織乃は互いに視線を交わして頷いた。
宿福の裏手にあるビーチはいつも人気が少ない。
中田はガゼボに備え付けられたテーブルに包みを置いて、砂浜にしゃがみ込んでヤドカリを観察するルシェを呼び寄せる。
「ルシェ、君にプレゼントだよ。……おじさんからだそうだ」
「おじさんから!? わぁ、何だろう!」
表情を輝かせ、ルシェは包みを解いていく。出てきたのは宝石箱と見紛うような豪奢な装飾が施された小箱だった。
蓋を開くと、可愛らしく──しかしどこか寂しげな小さな音楽が流れ始める。オルゴールだ。
「(……影山総帥)」
鬼道は嬉しそうにオルゴールを眺めるルシェに、固く目を瞑った。彼は一体どんな気持ちでこのオルゴールを選び、そして鬼瓦に預けたのだろう。
遺品になってしまったサングラスを思わず握り締めると、そっと袖を引かれる気配がする。顔を上げると、隣に立った織乃が鬼道のジャージの袖を軽く掴んで悲しげな笑みを浮かべ、オルゴールを見つめていた。
「おじさんにお礼の手紙書こうっと! 今度会えるのいつかなぁ……はやく会いたいなぁ。サッカーのこともいっぱい教えてもらうんだ!」
無邪気に喜ぶルシェに、一同は何も言えなくなってしまう。
すると、オルゴールを見つめていたルシェの緑色の目が、ふと何かに気付いて丸くなった。
「おじさんからの手紙だ!」
「えっ」
そう言って、小さな手が外箱とオルゴールの隙間に隠すように差し込まれていた手紙を取り出す。
オルゴールとは対照的に、模様も何もないシンプルな封筒と便せんだ。中を開き、ルシェは文面に目を落とす。
「ルシェ、何で書いてあるんだい?」
「えっとね……」
尋ねたルカに頷いて、ルシェは手紙をゆっくりと読み上げた。
少し舌っ足らずさの残る声が紡ぐ影山の最後の言葉に、鬼道は薄く唇を開いて吐息を漏らす。
──ルシェ。
その目でしっかりと見て、そして感じて欲しい。
サッカーの素晴らしさを、私が人生の全てを掛けて憎んだ、そして愛した──サッカーと言う物を。
「あの人は、最後の最後で……苦しみから救われたんですね」
「……うん」
ぼんやりと呟いた織乃に、円堂は硬い表情で頷いた。
サッカーへの愛憎で数え切れない人間を傷付けた男。彼は最期、何を思って逝ったのだろう。
ルカに誘われ、ルシェは靴を脱いで砂浜に飛び出していく。
円堂から借りたサッカーボールで戯れるルシェたちを眺めながら、彼らはただ影山という男への言葉にならない感情を抱えて海風に吹かれていた。
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