Calm before a storm
液晶の向こう、抜けるような青空の下で輝く芝生を選手たちが忙しなく駆け回る。
『残り時間は僅か! アメリカ代表ユニコーン、ボールは土門に繋がったァ!』
熱の入った実況の声が、スピーカーに乗って談話室に響く。
テレビに映されているのはアメリカ対アルゼンチンの試合だ。この試合の結果が、イナズマジャパンが決勝トーナメントに進めるかどうかの分水嶺になる。
試合は1対0でジ・エンパイアがリードしているところだ。ボールを持った土門は、そのままどんどん前線を押し上げていく。
土門からのパスを受けたマークはディランと足並みを揃えユニコーンブーストを放つが、やはりテレスのディフェンスを破ることは中々出来ない。
その後もユニコーンは果敢に攻めて行ったが、やはり一之瀬の抜けた穴は大きかったのかあと一歩力が及ばず、試合はジ・エンパイアの勝利で幕を下ろした。
「……ユニコーン、負けちゃったっスよ」
画面が切り替わり、最後の得点シーンをピックアップした映像をぼんやりと眺めながら、壁山が夢から覚めたように口にした。
押し黙って試合中継を観ていたイナズマジャパンの面々は、それぞれ詰めていた息を緩めながら状況を再確認する。
「と言うことは──」
「アメリカに勝ち点が付かない……!」
呟いた立向居と虎丸が顔を見合わせる。
さわさわと仲間たちが浮き足立つ一方で、円堂は少し落ち込んでいる様子だ。
それを一瞥し、鬼道が口を開く。
「──俺たちは前に進む。破れたチームの思いも受けて、進み続けるだけだ。そうだろう、円堂」
最後は俯いていた円堂に言い聞かせるような声色で。思う所はあるだろうが、ああ、と頷いた円堂は真剣な面差しで顎を上げた。
「よし──決勝トーナメント進出だ! 一之瀬や戦ってきたみんなの思いと一緒に、全力の上にも全力で行こう!!」
立ち上がり、仲間たちに檄を飛ばす彼の表情にはもう迷いはない。テレビの中では、テレスと土門たちが清々しい笑顔で握手を交わしていた。
「決勝トーナメントまで残り4日間か……」
グラウンドを走る選手たちを目で追いながら、織乃はポツリと呟く。
久遠は今頃部屋に籠もって新しい練習メニューを考えているところだろう。それを確認した後は選手たちの個々の筋トレのメニューを考えて、希望があれば新たに技の精錬をして、或いは秋たちと食事の献立も相談し直す必要が出てくるかもしれない。
やることは山のようにある。どうかこの4日間、何事もなく無事に試合当日を迎えられますように──顔を顰めて祈りつつ、織乃は時計を確認して練習終了を報せるホイッスルを吹き鳴らした。
「──あ、御鏡!」
「あれ、円堂さん。戻ってたんですね……何です、それ……?」
データをまとめるために織乃が一足先に宿福へ戻ると、玄関には円堂と秋の姿があった。
先程の午前の練習中、秋の携帯電話に土門から一之瀬を見舞うため一足先にアメリカへ戻ると連絡があり、2人は彼を見送りに練習を途中で抜け出していたのだ。
そんな円堂の手に出発前はなかった筈の小振りなジュラルミンケースが下がっているのを見て、織乃は訝しげに首を傾げる。
「御鏡さん、悪いのだけどみんなを談話室に集めてくれる? 大事な話があるの」
「えっ……あれ、夏未さん?」
そこで2人の死角になっていた影から現れたのは、先日別れて以来連絡のなかった夏未だった。
私は監督たちに挨拶してくるから、と夏未は颯爽と2階へ上がっていく。それをポカンと見送って、織乃は何が何だか分からないままひとまずは彼女の言う通り、まだ外にいる選手たちに声を掛けに行った。
「それで、円堂。一体何があったんだ」
「ああ……これを見てくれ」
談話室に仲間たちを集め、全員が見渡せる位置に立った円堂は改まってジュラルミンケースを開く。
その中に納められていたのは古ぼけた、しかし何の変哲もないただのノート。しかし、かつて日本全国を共に旅をした仲間たちは、その表紙に殴り書きされた文字──のように見える──に見覚えがあった。
「それってもしかして……円堂さんのお爺さんのノートですか!?」
ハッと声を上げたのは、円堂に次いでかつてノートに助けられた立向居である。
しかし円堂大介のノートは、福岡で見つかったものも含め円堂が全て所有していたはずだ。それが何故今更、大仰なケースなどに入れられて登場するのだろうか。
口に出さずとも表情で仲間たちがその疑問を持ったことが分かったのだろう、円堂はノートを掲げてこう言った。
「これは冬ッペの記憶を頼りに、夏未が古株さんや理事長に探し出してもらった、じいちゃんの最後のノート≠ネんだ」
「冬花さんの記憶?」
ここに来て冬花の名前が出されるとは思っておらず、マネージャーたちは揃って冬花の方を見る。
「ええ。思い出したの、忘れていた小さい頃の記憶……」
冬花は円堂の持ったノートを見つめながら、ゆっくりと口火を切った。
つい最近まで、幼い頃の記憶の一切を失っていたこと。久遠は本当の父親ではなく、亡くなった実の父親が円堂大介と親交があったこと。失った記憶の中で、実父が大介のノートを持っていたこと──そのお陰で彼女もまた、円堂と同じように大介の文字を解読できることを、流れるように彼女は語る。
聞くに、冬花が過去を思い出したのはレッドマタドールと練習試合をした後。倒れて病院に運ばれたその日かららしい。
道理で退院した後からどことなく雰囲気が変わったはずだ、と織乃たち3人は何とも言えない気持ちで顔を見合わせた。
「それで、冬花……そのノートに見覚え、あるか?」
久遠が確認すると、席を立って隣に並んだ冬花に見やすいよう、円堂はノートを広げて見せる。
慎重にノートの表面をなぞり、冬花は薄く唇を開く。
「これは──確かに、パパが見ていたノート……パパに、『勇気』をくれたノートだわ」
「勇気?」
抽象的な言い方に、円堂は首を傾げる。うん、と頷いた冬花は懐かしそうに目を細めた。
「パパはこのノートを、何度も何度も読み返していたわ。私、パパがこのノートから心の強さを貰えるって言っていたのを覚えてる」
「心の強さか……」
ノートを見る2人は穏やかに微笑むが、周りからすればその内容はさっぱり掴めないままだ。痺れを切らした染岡が、テーブルを指で叩きながら尋ねる。
「で、そのノートに何が書かれてるんだよ?」
「裏ノートにあった究極奥義を超える、超究極奥義とか……!?」
立向居が目を期待に輝かせると、釣られたように下級生たちの視線が熱くなる。しかし円堂はそれに反し首を振った。
「それが──今冬ッぺが言った通りなんだ」
「はぁ? それじゃわかんねーぞ」
「だから、『心』!」
「キャプテン、どういうことなの?」
要領を得ない円堂の答えに、染岡が不満げに首を捻るのを見て吹雪がもう一歩踏み込んで尋ねると、円堂はノートを片手に掲げこう言う。
「技じゃないんだ。ここに来るまでに目を通してみたけど、このノートには必殺技のアイデアは書いてないんだよ。だけど、この中には……俺たちがこれから強くなるために、必要なことが書いてある」
真剣な表情でそう告げる円堂に、仲間たちは不思議そうに顔を見合わせた。
円堂はノートを開き、文面に視線を落とす。そこに大きく、ほとんどのページを使って書かれていたのは、今までのノートとは全く印象の違うものだった。
「『技を生み出す根源は、心の強さである。新たなる技を生み出すには、新たなる心を身に着けること』」
前説を読み上げて、円堂は改めてその内容を口に出す。
仲間たちは口を噤み、静かに耳を傾けた。
心のその1、どんな時も諦めない『ガムシャラガッツ』。
心のその2、どんな敵も恐れない『タチムカウユウキ』。
心のその3、大切なものを守りたいと思う『ソコナシノヤサシサ』。
心のその4、仲間の全てを信じられる『ゼッタイテキシンライ』。
心のその5、どんな事態にも動じない『コオリノレイセイ』。
心のその6、隠された真実を見抜く力『ミヌクシンガン』
心のその7、人の過ちを赦す心の強さ『ユルスツヨサ』。
心のその8、他人の喜びと悲しみを分かつ『ワカチアウナミダ』。
心のその9、高き志を持つ者だけが見る『ハテシナキユメ』。
心のその10、自分の力を信じる心『マヨワナイジシン』。
心のその11、どん底でも消えることのない『センシノホコリ』。
──それがノートに記された、大介の11の言葉。
「……以上!」
そう締めくくり、円堂はノートを閉じる。
一体どんなことが書いてあるのかと固唾を呑んでいた仲間たちは、記されていたという言葉の羅列に首を傾げていた。
「はあ……? 何だそりゃ」
「何か難しいッスね……」
もっと具体的なアドバイスが書かれているのかと思ったのに、と綱海や壁山が拍子抜けしたように頭を掻く。
「どう、思います……?」
「うーーん……大介さんらしい、とも言えるが……」
流石の久遠も困惑気味で響木を見やるが、かつて大介を師と仰いでいた響木もその真意は図りかねるらしい。顎髭を撫で付け眉根を寄せている。
「心を、身に着ける、か……一体どういうことなんだよ、じいちゃん……」
古ぼけたノートの表紙を見つめ、円堂は小さく呟いた。
祖父のノートの内容が分からず頭を捻ったのは一度や二度のことではない。だがそれは、あくまでオノマトペばかりで形成された必殺技の説明を中々解読出来なかったからだ。今回は今までのケースとは全く違う。
『技を生み出す』とあるからには、これもやはり必殺技に関係のあることではあるのだろう。だが、こんな長い文章で記されているのを見るのは円堂も初めてだ。
「それを考えるのも特訓のうち──と言うことじゃないのか?」
ふと、考え込む円堂に豪炎寺がそんなことを口にした。
円堂がそちらを見ると、成る程な、と鬼道が眉を上げて呟く。
「常にこの心を意識し続けていれば、いつでもこの言葉は俺たちの中にある」
「つまり、『身に着ける』ってことだね」
手を打って、得心が行ったらしい吹雪が嬉しそうに頷く。そうなのかな、とノートを見つめる円堂はまだどこか納得していない様子だ。
「……でも、じいちゃんのノートなんだ。今までも力になってきてくれた……今度のノートだってきっと、俺たちの力になる!」
「おう!」
グッと握り拳を作った円堂に、仲間たちは示し合わせたように声を上げる。
ノートの詳しい内容は、今考えても分からない。円堂が「よぉし、午後の特訓だ!」と声を張り上げて談話室を飛び出すと、仲間たちもまたそれに続いていく。一気に静かになった談話室で、顔を見合わせたマネージャーたちは一拍置いて笑みを交わした。
「──冬花さん、あなたのお陰よ」
「え?」
席を立ちながら、ふいに夏未が冬花に声を掛ける。
曰く、彼女は冬花の記憶が戻った後から度々連絡を取り合い、ノートの所在を探していたらしい。
「あなたの記憶がこのチームに新しい力を与える。あの11の言葉が、必殺技にどう繋がっていくのかまだ分からないけど──今日確かに円堂くんたちは11の言葉を聞いた。力にならないはずがないわ」
談話室を出ると、丁度ばたばたと忙しない足音を立てジャージからユニフォームに着替えた円堂が玄関を飛び出していくのが見える。
それを緩やかな笑みで見送る夏未の横顔に、冬花も嬉しそうに微笑んで頷いた。
「さて、それじゃあ私たちも仕事しましょうか!」
「はい! ……ん?」
手を打ち鳴らした秋に頷いた織乃は、ふとポケットの中で携帯が震えたことに気が付く。
どうやら誰かからメールが来たらしい。内容を確認した織乃は目を細め、眉を顰めて──眉間を人差し指で押さえ短く溜息を吐いた。
「織乃ちゃん、どうかしたの?」
「ちょっと……用事が出来まして。ごめんなさい、少し出掛けてくるので後はお願いして良いですか?」
「ええ、大丈夫。行ってらっしゃい」
快く頷く秋たちに、すぐ戻ります、と言って織乃は宿福を後にした。目指すはグラウンドとは逆方向──セントラルエリアの繁華街である。
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「いや〜〜、流石は出来たばっかの観光地。眺めて歩くだけでも楽しいわぁ!」
ご機嫌なデザインのサングラスを煌めかせ、麦わら帽子の大きなブリムの下から黄色い声が上がる。
その手には大量のショッパーがぶら下がり、その傍らには同じくショッパーをいくつも抱えた友人──塔子が呆れた顔で立っていた。
「何が歩くだけで楽しいだ。どうすんだよ、こんなに買って……円堂のとこ行く前にバテちゃうよ?」
「FFI運営委員会に一発電話して、リムジン回してもらえばええやん」
サングラスの奥から目を覗かせて、リカは悪びれなく口角を上げる。
「そしたらこの荷物、ぜぇんぶ運んで貰えて楽ちんやん?」
「それ無茶苦茶すぎ……」
苦笑いの塔子に、何で、とリカは当然のように目をしばたかせた。マスカラをふんだんに塗った睫毛が蝶のように羽ばたく。
「総理ご令嬢の肩書使えばええやろ?」
「何とんでもないワガママを言ってるんですか……」
ふと会話に割り込んできた聞き覚えのある声に、リカはギョッと驚いてそちらを振り向いた。
「織乃! 何であんた、合宿所におると思とったのに……!」
「あたしが連絡したんだよ。リカが暴走しそうだから、案内がてら迎えに来てくれって」
「そういうコトです」
「何やねん暴走て!」とリカは不満げに唇を尖らせたが、2人の手に大量のショッパーがあるのを見て織乃は遅かったみたいですね、と溜息を吐いた。
「せっかく人がサプライズで登場したろうと思ってたのに……」
「ご心配なく、他のみんなにはリカさんたちが来ていることは話していないので」
「まぁ、どっちみち大会関係者以外は合宿所近辺のエリアには勝手に入れないし、誰かしらに連絡取らないとみんなには会えなかったんだけどね」
リカからショッパーの一部を預かりながら織乃が返すと、塔子が少し疲れた風に続ける。リカは眉を跳ね上げて塔子を見た。
「何やそれ、聞いてへんで」
「お前が聞いてなかっだけだろ、ずっとガイドブックに夢中で!」
呆れた声を上げて、塔子は大きな溜息を吐く。道中もリカはいつもの調子だったのだろう、お疲れ様です、と織乃は心の中で塔子に手を合わせた。
「さ、それじゃあ行きましょうか──」
「あーッ、これ良い!」
「リカ〜……」
織乃が日本エリアへ歩を進めようとした瞬間、リカが近くの露店へすっ飛んでいく。織乃は塔子と顔を見合わせ、この短時間で何度目かも分からない溜息を吐いて彼女を追い掛けた。
「おお、よく来たね」
「この島は初めてかな?」
道端に商品を並べている店主は2人組の老人だった。この気温の高い日にも関わらず、暗い色のローブを羽織り小さなサングラスに髭を生やした同じような出で立ちをしている。
「初めてや! せやからまけたって?」
「ええっ!? まだ買うんかい!」
ギョッとする塔子に「ええから見い!」としゃがみ込んだリカは敷布に並んだアクセサリーを摘まみ上げた。どれも手作りのようだ。
「可愛いな〜。なあおっちゃん、これライオコット島の民芸品なんか?」
「そんなところじゃ」
「天と地の交わる場所……あのマグニード山で作られた、由緒正しき品じゃ」
言って、片方の老人が遠くに聳える山を指さす。
そちらを見ると、山の頂上からもうもうと白い煙のようなものが吹き上がっていた。
「マグニード山て?」
「島で一番大きな火山ですね。今みたいに時々火山ガス……水蒸気が吹き上がるんですが、あの辺りはまだ観光整備が途中だとかで、ガイドには載ってないそうです」
「ふぅん? 何か怪しい……」
そんな場所で作った民芸品なんて、如何にも眉唾物だ。織乃の説明に、塔子は小さく呟いて老人たちにジト目を向ける。対し、リカは気にしていない模様で楽しそうに商品を物色し続けていた。
「お前さん方、サッカーが好きなようじゃのう?」
「好き好き、大好きや! 三度のメシよりサッカー愛に溢れとるで!」
「あたしたち、イナズマジャパンの応援に来たんだ!」
サッカーの話題を振られたせいだろう、塔子は一転機嫌を良くして頷く。2人に関してはイナズマジャパンのサポーター用ユニフォームを着ているのだから、そう見られるのも当たり前と言えば当たり前だろう。
「うちらイナズマジャパンを世界一に導く、勝利の女神なんや〜!」
「ほう、『女神』とはな……素晴らしい」
──その瞬間、織乃は老人の声音が少しばかり変わったような気がした。
「女神を名乗るのならば、とっておきの品を見せるとしようか」
「とっておきやて!?」
「そんなこと言って、ふっかけて来るんじゃないの?」
険しい目を向ける塔子に構わず、老人は後ろ手にあった箱からそれぞれ何かを取り出す。
嗄れた掌で差し出されたのは二対の腕輪だった。
一つは白銀色の素材に水色で鳥の翼の意匠が施されたもの。もう一つは紫紺色の素材にグレーで蝙蝠の翼が施されたもの。どちらも特殊な素材を使っているのか、仄かに輝いて見える。
サングラスを押し上げて、リカは目を輝かせた。
「これはライオコット島に古くから伝わるものじゃ」
「サッカーを司る、天と地の王よりの贈り物なのじゃ」
「すっごぉい……光ってるやん……」
リカは腕輪がお気に召したようで、食い入るようにそれを見つめている。一方で塔子は趣味ではないらしく、訝しげに眉を上げてそれを眺めた。
「その名を伝承の鍵≠ニ言う」
「天と地の王の元へ導いてくれるぞ」
「天と地の王……?」
そう言えばこの島には、何か不思議な伝承があると聞いたことがある気がする。
織乃がそれが何か思い出している間に、リカは銀の腕輪を手に取っていた。
「おっちゃん、これ何ぼ!?」
「えっ、買うの!?」
こんな怪しい物を、と信じられない目を向ける塔子に、それならば、とリカはもう一方の腕輪も手に取る。
「あんたはこっち!」
「あ、あたしは良いよ……」
「え〜? じゃ、織乃は?」
「いやぁ、私もちょっと」
つまらんなぁ、と顔を顰め、リカは2つの腕輪を見比べた。どちらを買うか迷っているらしい。
すると、老人たちは髭を震わせ笑うように言った。
「持っていくがよい」
「お代はいらんよ」
「ほんま!?」
パッと顔に喜色を浮かべ、跳び上がらん勢いでリカはその場から立ち上がる。
「うはーっ、幸先ええやん! タダやでタダ!」
「タダより高いものはないって言うよ……」
すっかり呆れた様子の塔子に対し、リカは嬉しそうに笑顔で腕輪を見つめている。余程これが気に入ったようで、以前はもっと派手なアクセサリーを好んでいたのに趣味が変わったのだろうか、と織乃は小首を傾げた。
「んふふ、楽しい旅になりそうな予感がしてきたで! それじゃあおっちゃん、おおきに〜!」
「あっ! こらリカ、置いていくな!」
1つの腕輪は大事そうに自分のポシェットに、もう一方は塔子に押しつけて、リカはスキップでその場から去って行く。
塔子が慌ててそれを追い掛けるのを見て、織乃もまた老人たちに会釈をして踵を返した。
「──ああお嬢さん、待ちなされ」
「はいっ?」
そこでふいに呼び止められ、織乃は反射的に立ち止まる。
やっぱり腕輪代を払ってくれと言われたらどうしよう──芽生えた不安とは裏腹に、老人は懐から新たに何かを取り出した。
「健全な肉体、健全な魂……お前さんにはこの導きの鍵≠ェ似合うだろう」
「へ? あ、ちょっと……!」
不思議なことを言って老人はするりと織乃の手を取ると、その腕が引っ込まれる前に導きの鍵≠ニ呼んだ腕輪をくぐらせる。
それは銅色の素材にゴブレットのような模様が薄く彫られ、その中心に小さな緑色の石が填め込まれた、リカが受け取ったのとはまた少し違う雰囲気の腕輪だった。
「あの、私は結構です──」
「織乃〜っ! 何ちんたらしとるんや、置いてくでぇ!」
遠くでリカが大声で呼んでいる。老人たちは返品は受け付けないとでも言いたげに手を振っており、織乃は逡巡ののち困ったようにもう一度軽く頭を下げて、仕方なくリカたちを追い掛けた。
午後の練習が始まり、小一時間は経った頃。
宿福のグラウンドでは、相変わらずイナズマジャパンが練習に励んでいる。
「行くよ、綱海くん!」
「おうよ──あっ、わりい!」
「どこ蹴ってんだよ!」
吹雪からのパスを蹴り損じた綱海のボールはあらぬ方向へ飛んでいく、パスコースの先にいた染岡は文句を言いながらそれを追い掛けた。
しかし、もうすぐボールに追い付くというその刹那。ボールの落下地点に、突然近くの茂みから人影が飛び出して来た。
「バタフライドリーーム!!」
「うわっ!?」
目の前で広がった蝶の羽に驚いた尻餅を突いた染岡は、ボールを蹴った2人組を目を白黒させながら見上げた。その頭上を、ピンク色の軌跡が駆け抜けていく。
「塔子、リカ──ぐえッ!」
「あ、やば」
2人の出現に驚いた円堂は、シュートを顔面で受け止めてその場に倒れ込む。円堂くん、と悲鳴を上げた秋たちが駆け寄っていくのを見て、塔子とリカは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ごめん円堂! 丁度ボールが飛んできたもんだから、つい」
「ヴん……ら、らいじょうぶ……」
「守くん、鼻血が……」
円堂が壁山に肩を借りてベンチに横になるのを、あちゃあ、とリカは額を押さえながら見送った。そこで、ようやく2人に追い付いた織乃がグラウンドへ駆け込んでくる。
円堂が顔面でシュートをキャッチしたのが遠目からでも見えたのだろう、織乃は少し目を吊り上げていた。
「もうっ、だから入り口から入りましょうって言ったのに」
「だぁって、こっちの方がビックリさせられるやんか!」
「ああ、織乃さんの用事ってリカさんと塔子さんのお迎えだったんですね」
横たわる円堂に冷やしたタオルを渡しながら、納得した春奈が呟く。
こうなっては流石に練習も一時中断となり、2人の周りには仲間たちがぞろぞろと集まってきた。
「それにしても、2人とも久し振りだね!」
「来るんなら連絡寄こせよな」
「それじゃあサプライズにならへんやろ?」
文句を言う綱海に、リカは汗で崩れた化粧を直しながら言い返す。その結果がアレなわけだけど、と木暮が円堂の惨状に目を向けるのを無視して、リカはばっと両手を広げた。
「イナズマジャパン熱血サポーター、ついにサッカーアイランド上陸や!」
「決勝トーナメント進出、おめでとう!」
「うちら、あんたらが優勝できるように発破かけに来たんやで!」
その前に随分と観光を楽しんだようだが。足下に置かれた大量のショッパーを見て、仲間たちは苦笑を漏らす。
そんな中、少し困った顔をした秋がリカに声を掛けた。
「リカさん、あの……一之瀬くんのことだけど……」
「……ああ、分かってる分かってる! こないだなぁ、ダーリンから電話あったんや」
「本当!?」皆まで言うなとでも言いたげに片手を翻すリカに、秋は目を見開いた。
そしてリカは声を落とし、秋だけに聞こえるよう耳打ちする。
「ダーリンな、アメリカをサッカー大国にする夢あるから応援してくれて言うてたで」
はて、と秋はその言葉に目を瞬いた。もしかしたら一之瀬は、リカに手術のことを話していないのではないだろうか。
姿勢を戻し、リカは大袈裟に溜息を吐く。
「しっかしダーリン、女の振り方下手やわ! 夢がどうのこうのって……これって遠回しに日本へは帰らんってことやろ?」
「はぁ……」
ああやっぱり、話していないんだな──と秋は確信した。きっと手術のことを話していたら、リカは今頃アメリカの病院で見舞いに来た土門と鉢合わせていたことだろう。
「でも、ダーリンとの出会いと別れは、うちをもっとイイ女に輝かせるんや〜っ!」
天を仰ぎ、失恋と新たな恋の予感に叫ぶリカの手に、ふと秋は彼女の言葉通り何かが輝いているのを見つけた。
「あら……リカさん、それは?」
「ああ、タダでもろたんや! 塔子も持ってんねんで」
タダ≠フ部分を強調して、見したってや、とリカは塔子を振り仰ぐ。
「だから、あたしは趣味じゃないってばこういうの……」
そう言いながら、塔子は鞄に突っ込んでいたもう一つの腕輪を取り出した。紫紺の腕輪を見て、秋は少し眉根を寄せる。
「私も好みじゃないかも……」
「でしょお?」
それなのにリカはこれが良いって言うんだ、と塔子はリカのセンスを疑うような目を彼女に向けた。
「私はこれ、カッコいいと思うけどなぁ……」
しかし、それを見た春奈はそうは思わなかったらしい。
ちょこちょこと近付いてきた春奈は塔子から腕輪を受け取ると、それを自身の腕にはめて目を輝かせる。
「うん、やっぱりカッコいい!」
「そうかなぁ。まぁ、春奈が良いってんならいいけど……そういや、織乃も最後に何かもらってなかった?」
「あ、はい。もらったというか、押しつけられたと言うか……」
話を振ってきた塔子に頷いて、織乃は腕輪をはめられた右手を軽く挙げた。磨かれた表面にはうっすらと織乃の顔が映っている。
「わぁ、それもステキ! ね、冬花さんも着けてみます?」
「え? 私は……」
冬花も趣味ではないらしく、彼女は円堂の介抱をしながら春奈の提案に困惑の表情を浮かべた。
しかし、腕輪を一度外そうとした春奈はそこで異変に気が付いた。
「あれ……?」
「どうしたんです?」
「と、取れないんです……」
困惑しながら腕輪を引っ張る春奈に、冬花は目を瞬いてベンチから腰を上げた。
見ると、先ほどまである程度の余裕があった腕輪がまるでこの一瞬で一回り小さくなってしまったかのように、がっちりと手首に装着されている。
「え? どうして……」
「リカ、御鏡。そっちは?」
回復した円堂が尋ねると、リカや織乃も嫌な予感に襲われながら同じように腕輪を外そうとするが、やはり外れない。
「ほんまや、うちも全然取れへん……!」
「そんな、さっきまでもっと緩かったのに……」
ちょっと手ェ貸して、とリカは塔子に言って腕輪を引っ張ってもらう。だがやはり、どれだけ力を込めても腕輪はビクともしなかった。
「あのおっさん、とっ捕まえて文句言ったる……!」
「何が伝承の鍵だよ、とんだ不良品じゃん!」
顔をしかめた塔子がぼやくと、夏未がハタとそちらを目を見開いた。
「待って! 今、何て言ったの……?」
「え? だから、不良品──」
「じゃなくて、何とかの鍵って!」
駆け寄ってきた夏未の表情はやけに険しい。何て言ったっけな、と塔子は織乃の方を見ながら記憶を辿る。
「伝承の鍵……天と地の王が、どうのこうのって……」
「サッカーを司る、天と地の王よりの贈り物──って言ってましたね。天と地の王の元へ導くとも……」
「夏未、知ってるのか?」
円堂が尋ねると、夏未は思案気に顎を摘まみながら慎重な声音で答えた。
「もしかするとそれは、ライオコット島に伝わる魔王伝説と関わりがあるかも……」
「ま、魔王伝説?」
円堂たちは飛び出してきたファンタジーな単語に懐疑的な目をしたが、夏未の表情は真剣そのものだ。
ふと遠くの空を見ると、マグニード山の上にいつの間か真っ黒い雲がぽっかりと浮かんでいる。3つの腕輪は陽光を反射して、妖しげに輝いていた。
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