Lost Crossing

その日の夜。いつもなら賑やかな談笑で溢れているはずの談話室は、重たい空気で満たされていた。
響木を心配してあのまま病院に残った円堂と飛鷹は、まだ帰って来ない。

「響木監督、大丈夫ッスかねえ……」

示し合わせたように談話室に集まった子供たちだったが、ぽつりと零された壁山の呟きに、言葉を返す者はいない。
返せないのだ。あの爛々と輝くICUのランプを見てしまえば、無責任に『大丈夫だ』とは言い切れなかった。
ただただ息の詰まるような雰囲気に、リカの大きな溜息だけがいやに耳につく。

──病院の円堂から久遠の携帯に連絡が入ったのは、夕飯を終えてしばらく経ってからのことだった。

「──はい、久遠。……円堂か」

食堂の後片付けをしていたマネージャーたちは、残って書類を眺めていた久遠が鳴り響いた携帯を取って応対したのを見て、反射的に彼に駆け寄った。
マネージャーたちがすぐ後ろで耳をそばだてたことに気付いた久遠は、無言でスピーカーをオンにして会話を続ける。

「それで、響木さんの様子は?」
『はい! ついさっき治療が終わって……意識も戻ったから、とりあえずは先生が一安心だって……!』

電話越しでも分かる嬉しそうな円堂からの連絡を聞いたマネージャーたちは、パッと沈んでいた表情を明るくすると、自室で沈んでいるであろうチームメイトに響木の無事を報せるためバタバタと談話室を飛び出していく。
響木監督の意識が戻ったそうですよぉ!!──階上から聞こえる春奈の大声に、久遠はスピーカーを切って携帯を自分の耳に当て直した。

「分かった、お前たちはこっちへ戻ってこい」
『あ、でもまだ検査とかが残ってるらしくて、俺たちそれが終わるまでここにいて──』
「それは許可できない」

間髪入れず円堂の言葉を拒否すると、不満と不安の混じった声が返ってくる。
久遠は思わず渋い顔をしたが、円堂の気持ちが分からないわけではない。でも、と言い募る円堂を、彼は静かに叱りつけた。

「明日試合があることを忘れたのか? ……何故、今まで響木さんが病気のことを黙っていたのか、よく考えてみるんだな」
『……』

まだ円堂は納得し切れていないようだ。久遠は窓の外を見上げながら、ふとこう続ける。

「響木さんは、お前たちがそこにいることを望んでいるのか? あの人にとっても、世界大会は夢≠ネんだ。……お前たちと同じようにな」

それはいつも厳しい久遠にしては珍しく、優しく穏やかな声音だった。




「──分かりました。すぐ帰ります」

少し冷静さを取り戻して、公衆電話の受話器を戻した円堂は、浮かない足取りでICUのある廊下へ戻る。
すると、廊下には丁度病室へ搬送されようとしている響木が、飛鷹に何かを話しているところだった。

「響木監督!」
「円堂……すまないな、こんなことになっちまって……お前たちの試合は観られそうにない……」

酸素マスクを着けた響木の声はくぐもっていることもあり、掠れて聞き取り辛い。円堂はじっと耳をそばだてながら首を振る。

「良いんですよ。俺たちなら大丈夫ですから!」
「っうす!」

同意を求める円堂の視線に、飛鷹は気合いの入った返事をする。そうか、と響木は小さく髭を震わせた。

「それより、証拠はちゃんと警察に渡しておきましたから。ガルシルドもすぐに捕まって──」
「円堂……」

掠れた声で制されて、円堂は言葉を中途半端に切る。初めてまともに見る響木の目は、いやに鋭かった。

「いいか……どんなに辛い戦いになっても、最後まで諦めるな……勝利の女神は、諦めないヤツが好きらしいからな……」

──それは、どこかで聞いたことのある言葉だった。
目を瞬く円堂が返す言葉を探す間もなく、響木を乗せたストレッチャーは看護師たちに運ばれていく。






翌日、朝食の席はいつもより静かだった。
検査の結果が良ければ、響木の手術が行われる。だが、もしも悪かったら? ──今日が大事な試合だということは分かっているのに、その不安が体を強張らせ、食の進みを遅くする。

「!」

ふいに玄関ホールにある固定電話が鳴り響き、秋が弾かれたように応対に向かう。
しばらくして戻ってきた秋は、食堂にいる全員に聞こえるように声を張り上げてこう言った。

「今、病院から連絡が来たわ! 響木監督の検査の結果も良いから、手術は予定通り行うそうよ……!」

その言葉に、一同は一先ずホッと胸を撫で下ろす。昨日から続いていた心配が、ほんの少しだが軽くなった気がした。

「そうか……」
「上手く行きますよね……?」
「あったりまえだろ! そんなの失敗なんかして溜まるかよ!」

まだ不安そうに零す立向居に、綱海が長椅子を叩いて叱咤する。そうですよね、と立向居は無理くり笑顔を浮かべた。

「如何に大変な手術であろうと、響木監督なら乗り越えられる。そうだろう?」
「……うん!」

鬼道の力強い眼差しを受けて円堂が頷くと、チームメイトにもようやく覇気が戻り始めた。

「よォし、俺たちも絶対勝つぜ!!」
「勝って響木監督に勝利のプレゼントッス!」
「おう!」

気勢を上げる染岡に倣って壁山が拳を振り上げると、それらを皮切りにして食堂に賑やかさが戻ってくる。
何があっても、この試合は勝たねばならない。それまでほとんど手を付けていなかった朝食を一気に掻き込み始める飛鷹を見て不動が薄らと口唇を持ち上げる程に、響木に良い報告を届けるのだと息巻く彼らの雰囲気は明るさを取り戻していた。




太陽が空の頂点に登る頃、準決勝の会場であるウミガメスタジアムは観客たちの熱気と興奮で溢れかえっていた。

「御鏡、ザ・キングダムのデータ分析は?」
「はい! 今朝終わりました!」
「今朝って……」

選手たちは既にピッチに入り、試合の準備を進めている。鬼道の確認に元気良く頷いた織乃に、佐久間はやや呆れた目を向けた。
大方、彼女も響木のことが気になって昨日は作業が進まなかったに違いない。気まずそうに目を泳がせた織乃に、鬼道は一笑する。

「終わったのなら上々だ。響木監督には勝利の報告をするためにも、一切の手は抜けないからな」

そう言って、3人はちらりとザ・キングダムのテクニカルエリアを見た。
捜査が首尾良く進んだのだろうか、そこにガルシルドの姿はない。円堂たちに昨日ガルシルドのことを聞かされたからか、ロニージョやラガルートの表情も随分明るいものになっており、織乃はホッとした笑みを浮かべた。

「良かった……これならきっと、みんな気持ちよく戦えますね」
「ああ、」

鬼道たちが頷いたその時だ。
ふいにベンチに置いていたドリンクのジャクが、小刻みに震え始める。

「──わっ!?」

何事かと考える間もなく、彼らを襲ったのは空から降り注ぐ轟音だった。大気が震え、周囲のあらゆるものが振動で大きく震える。

「な、何!? 地震!?」
「いや……それにしては様子がおかしい……!」

春奈がベンチの傍で秋と身を寄せ合っていることを確認して、鬼道は咄嗟にしゃがみ込んだ織乃をマントで軽く庇いながら眉を顰めた。突然のことに、観客席のあちこちで悲鳴が聞こえてくる。
一体スタジアムに何が起きているのかと辺りを見回していると、ふと頭上に大きな影が差した。

「何だあれは……!?」

チームメイトの中で真っ先に空を見上げた風丸が、愕然とした声を上げる。
そこに浮かんでいたのは、空の3分の1を覆い隠さんばかりの巨大な飛行艇だった。

人々の驚愕の視線を無視するように、ゴンドラ部分の一部が切り離され、極太のワイヤーでピッチまで降下してくる。
一見すると歪な卵のような形をしたそれが観音開きに開くと、中から更に小部屋のようなものが降りてきた。
更にその扉が開き、そこから姿を現した人影に──円堂は目を見開く。

「……そんな」

隣のテクニカルエリアで、ロニージョが絶望した声を漏らすのが聞こえる。そこに悠然と立っていたのは、小太りな部下を1人従えたガルシルドだったのだ。

「な、何であいつがここにいるんだ? 警察に捕まったんじゃなかったのか!?」

彼の裏の顔を知らない観客たちからすれば、華々しいとも言えるこの登場は試合を盛り上げるためのパフォーマンスでしかない。
歓声の中、動揺した土方が疑問を口にしている間に、久遠は手早く携帯を取り出して警察署に連絡を入れた。自分は確かにあの時、警察官に証拠の入ったメモリースティックを渡した筈だ。

「……はい、……はい……そうですか」
「監督……!」

いくつか言葉を交わし、忌々しげに通話を切った久遠をマネージャーたちが窺う。

「警察では、そのような証拠は受け取っていないそうだ」
「受け取ってねえって……」
「! 警察にまで手を回したと言うことか」

話しの流れを察した鬼道が言えば、円堂は悔しそうに奥歯を噛み締めた。気付けばガルシルドは、ザ・キングダムの選手たちの前へとやって来ていた。

「お前たち。準備は出来ているな」
「……!」

選手たちは怯えたように小さく後退る。
円堂たちは、危険を冒し彼の陰謀を暴く証拠を掴んでくれた。ガルシルドが捕まれば、自由に、本当のサッカーを出来るかもしれないと言ってくれた。──それが今や、大昔の出来事のようだ。

「返事はッ!? ガルシルド様が準備は出来ているかとお聞きになっているのですよ!!」

たじろぐロニージョたちに後ろから進み出た部下がヒステリックな声を張り上げると、彼らの表情はより強張る。

「……はい……ガルシルド監督」
「よろしい。では世界に見せてやろうではないか……ザ・キングダムの、本当のサッカー≠」

絶望に染まるザ・キングダムの選手を、円堂たちは最早救う手立てがない。土方はがしがしと頭を掻いて、どっかりと地べたに胡座を掻いた。

「どうすりゃ良いんだよ……ガルシルドがいるってこたぁ、俺たちが勝ったらロニージョたちの家族はとんでもないことに……」
「そんなこと出来ないッス……」

響木に勝利の報告をするのだと息巻いていたのに、イナズマジャパンの士気もここに来て急下降してしまった。あまりの展開に仲間に掛ける言葉が見付からず、俯いた円堂の脳裏に──ふと昨晩聞いた響木の言葉が甦る。

『良いか。どんな辛い戦いになっても、最後まで諦めるな』

響木は最初から、こうなることを予測していたのかもしれない。だからこそ、改めてそんな話を円堂にしたのだ。どんな状況に陥っても、その言葉が道標になるように。

「……この試合、勝つぞ!!」

決意を込めた力強い声に、仲間たちは驚いて円堂を見た。

「でも俺たちが勝ったら、ロニージョたちの家族は行き場を失って……!」
「分かってる!」

思わずベンチから立ち上がって抗議する立向居に、円堂は即座に言い返す。

「でも、勝たなきゃいけないんだ。ガルシルドの好きにさせない為にも! これは俺たちと、ガルシルドの戦いだ。サッカーを戦争の道具なんかに使おうとする、卑劣なヤツとの……!」

言いながら、円堂の頭にはあの兄弟の悲しそうな背中が思い起こされていた。

立向居の言う通り、ここでイナズマジャパンが勝てばあの兄弟を始め、ロニージョたちは更なる不幸に襲われるのかもしれない。
この試合で、優先すべきなのは何なのか。一瞬顔を辛そうに歪めた円堂の背中を押したのは、豪炎寺の声だった。

「円堂の言う通りだ。……あんな奴の好きにはさせない!」
「……!」

円堂はハッとして豪炎寺を、そして仲間たちの顔を見回す。
ロニージョたちのことは確かに気に掛かる。だが、何にせよここで手を抜いて試合に負けてしまったら──全てのことを後悔するに決まっている。
ガルシルドに屈することは、サッカーを道具として利用する彼の悪事を見て見ぬ振りをすることと何も変わらない。
仲間たちもマネージャーも、同じように決意を固めた眼差しで円堂を見つめていた。

「……みんな! この試合必ず勝つぞ!!」
「おおッ!!」

言葉のまとまらない円堂に代わり鬼道が号令を掛けると、仲間たちは血気盛んな気勢を上げる。
未だ燻る思いはあれど、イナズマジャパンは決勝に進むため──ガルシルドを倒すため、戦場へと飛び込んでいった。




病室の小さなテレビに、イナズマジャパンの選手たちが映っている。
代わる代わる抜きで映される両チームの選手たちの表情の違いは、事情を知らない者からすればただ緊張している程度にしか判別できないだろう。

「じゃあ、行きましょうか」
「ああ……」

病室に入ってきた看護師たちが、手術室に向かうための準備を始める。
テレビの電源が落とされて、暗くなった画面にはベッドに横たわる響木の姿だけが薄く反射していた。