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ハーフタイムに突入しても、観客の興奮は収まらない。
響き渡り続ける歓声に混じり、小太りの男──ヘンクタッカーは、傍らのガルシルドしか聞こえぬような声でうっそりと言った。

「アマゾンリバーウェーブと、RHプログラムを受けたロニージョの合わせ技とは……考えましたなぁ」
「面白いではないか。ロニージョの反応と共に、実に有効なサンプルとなる」

いつもと違うプレーで疲労の見えるザ・キングダムの選手たちも、どんどん土気色になるロニージョの顔色も、彼らにとっては何もかもが些事でしかない。
そんな会話がされていることも知らず、テクニカルエリアに捌けていくザ・キングダムに土方が険しい声を上げた。

「おい、ロニージョ。初めの方、随分めちゃくちゃなサッカーだったよなぁ!?」
「……俺の勝手だ。放っておいてくれ」
「ほっとけるかよ!! 納得いかねえんだよ!」

荒らげられた声に、ロニージョは目を見開き息を詰める。その様子を見て、円堂や鬼道、ヒロトが土方の元に歩み寄った。

「土方、戻れ!」
「けどよぉ……っ!」

円堂の一喝にまだまだ言いたいことがあると言わんばかりの不満そうな顔をする土方へ、ヒロトが諭すような口調で言う。

「土方くん、俺たちはサッカーをしているんだ。……勝たなければいけないのは、どっちも同じだ」
「彼らの事情が分かっているから、中々そうもいかないがな……」

ロニージョはラガルートに肩を叩かれ、円堂たちを一瞥してテクニカルエリアに戻っていく。離れていく背中に、鬼道が溜息交じりに呟いた。

「じゃあ、負けられるのか?」
「……いや。ただ、苦しいだけだ」

その問いに、鬼道は忌々しげに答える。尋ねたヒロトは眉根を寄せて、俺もだよ、とロニージョたちを見つめた。

「みんな、お疲れ様です。……大丈夫ですか?」
「うん……」

悄然としてテクニカルエリアに戻った4人を真っ先に出迎えたのは、ベンチで待機していた仲間の中で一際険しい顔をしていた織乃である。
円堂は頷きこそしたものの、やはり顔色は優れない。体力はそれ程減っていない筈なのに、心ばかりがすり減っていた。

「ロニージョは無理をしてる……その無理を、チーム全体で何とかしようとしている。ゴールからはそれがよく見えるんだ」
「やっぱりガルシルドがロニージョたちを苦しめてんだよ!」

試合中、彼らとはまた違う視点でロニージョたちを観察していた円堂は、顔を顰めて呟く。
どうにかせねば、と感情のままに声を荒らげる土方に厳しい視線を向けるのは鬼道だ。

「だからと言って俺たちに何が出来る? ガルシルドは堂々とここに来た……俺たちの無力と、ロニージョたちの無力を笑いに来たんだ」

土方に言い聞かせる鬼道の声音にも、無念の感情が嫌と言うほど滲み出ている。土方はそれ以上何も言えず、ただ臍を噛んだ。

「……御鏡。お前は今日のロニージョのプレー、どう思う?」

気持ちを切り替えるためか、鬼道は織乃に話を振る。
そうですね、と口元に手をやった織乃は、ベンチに置きっぱなしにしているモバイルを横目に見ながら言った。

「今までの試合記録と比較すると、文字通り桁違いです……。人が変わったようと言うか、能力の上がり方が、とても1日2日で仕上がったものとは思えない」
「それだけ無茶苦茶な特訓をやらせたってことなんじゃねえのか?」

苛立った風に言う土方に、織乃は曖昧に頷く。
確かにロニージョのレベルは他と群を抜いているが、今日の彼には明らかにチームとの連携不足という大きな弱点がある。そこを突けば、イナズマジャパンは勝利に大きく近付くだろう。

「(でも、ただ勝てば良いって話じゃない)」

ロニージョたちやその家族を守る為の術を、イナズマジャパンは持っていない。仮に試合に手を抜けば、ロニージョたちの身の安全は確保されても選手としてのプライドを大きく傷付け、またイナズマジャパンも世界一への切符を手放すことになる。
二進も三進も行かない状況を打破する案も思い付かず、出るのは溜息ばかりだ。円堂は悔しそうに、せめてもの思いでガルシルドを睨み付ける。

「どうにもならないのか? こんな気持ちで試合しなきゃならないなんて……!」




「ロニージョは相当に消耗が激しいようですが……」

選手たちがロニージョを気にしているのを横目に、ヘンクタッカーはガルシルドに囁いた。前半戦の無理が響いているのか、誰も彼らの会話に耳を向ける余裕はない。

「だが、まだ使える。限界を迎えたとき、RHプログラムがどう作用するのか見たいのだ」
「なるほど……しかしせっかくのエースストライカー、壊れてしまっては……」

ヘンクタッカーは言葉では心配する素振りを見せども、その声や表情は半ば面白がっているような気配すらある。それが分かっているのだろう、ガルシルドは髭を揺らし喉の奥で笑った。

「実験体はいくらでもいる。あれが潰れても、次のモルモットを用意するだけだ」
「──いいや、実験は終わりだ!!」

その時、ふいに険しい嗄れ声がピッチに響く。
にやついた表情からたちまち怪訝そうな顔になったガルシルドたちが振り向くと、トレンチコートの初老の男と、数人の警官たちがこちらを睨み付けている──鬼瓦だ。
ガルシルドはその中に見知った顔の男がいることに気付くと、ほう、と目を細めた。

「おや……レオン・サムス前監督ではないか」
「……何故ここにいるか、驚かないのか」

鬼瓦の問いに、ガルシルドは否定も肯定もしない。鬼瓦が無言で片手を上げると、招集された警官たちが一斉にガルシルドとヘンクタッカーを取り囲む。

「お前には聞きたいことが山ほどあるんでな。ガルシルド・ベイハン……ちょいとばかし、事情聴取に付き合ってもらうぞ」

サッカースタジアムに似合わぬ異様な雰囲気に、流石の観客たちも異変に気が付いたのだろう。どよめきの広がる中、イナズマジャパンたちも鬼瓦の登場に虚を突かれていた。
鬼瓦が携帯電話越しにどこかへ指示を出すと、スタジアムの中から検査道具を抱えた白衣のスタッフが何人かピッチに駆け込んで来る。
どうやらロニージョの体を診察しているようだ。円堂はしばし迷った後、傍らにいる久遠を見上げた。

「監督! 行ってみても良いですか?」

久遠が無言で頷いたのを確認すると、円堂は急いで鬼瓦に駆け寄っていく。その後ろを、「俺も行く!」と土方が追い掛けていった。

「鬼瓦刑事……!」
「! おお、お前たちか」

試合中に悪いな、と鬼瓦は皺の刻まれた笑みを2人に向ける。どうしてここに、と狼狽える土方に、彼は肩を竦めながら後ろへ振り返る。

「見ての通りさ。ザ・キングダムの本当の監督を連れてきたんだ」

鬼瓦がそう言って手で指したのは、先程ガルシルドがレオン・サムスと呼んだ男だった。サムスは鬼瓦に負けない強面を笑顔にして、軽く頭を下げる。

「レオン・サムスだ。よろしく」
「本当の監督……?」

その言い方ではまるで、ガルシルドが偽物の監督だと言うようではないか。円堂は不可解そうに首を傾げた。

「私のチームに何か用かな?」
「ッ私を監禁し、選手たちを脅迫していたお前に監督を名乗る資格などない!!」
「か、監禁!?」

身体チェックを受けながら、涼しげに言ってきたガルシルドにサムスは直ぐさま目を怒りに吊り上げる。
飛び出してきた物騒な単語に土方は思わず大きな声を上げたが、対照的にザ・キングダムの選手たちは平然としていた。

「本当のことさ、ヒジカタ。それにもう1つ……ロニージョのことだ。彼は、RHプログラムという実験をされていたんだ……」
「実験……!?」

大凡試合をする上で中々聞くことのない言葉に、円堂は目を見開いてロニージョを見る。ロニージョは診察を受けている間、息苦しそうに顔を歪めていた。

「サッカーをする者の能力を、限界まで引き出す強化人間プログラムと言って欲しいものだな」

それに答えたのは、警官に囲まれながらも平然とし続けているガルシルドだ。
その声音に、罪の意識はまるで感じられない。鬼瓦はガルシルドの態度に憤然した。

「何が強化人間だ!! 見ろ、ロニージョの体を……お前の実験のせいで、ボロボロになっている!」
「ロニージョ……」
「……仕方なかった。家族とチームのことを考えれば、俺がこうするしか……!」

土方の悲痛な視線に、ロニージョは震えた声で呻く。
大会の規定にはドーピングについての規定は勿論存在するが、ガルシルドの行為はそれにおいては限りなく黒に近い、あくまでグレーゾーンだ。失格にはならずとも、本来では有り得ない形で強くなることは彼の選手としてのプライドを傷付けるには十分だった。

「ひでえじゃねえか!!」
「そんなことしなくても、ロニージョたちは十分に強い選手だと言うのに……!!」

話を聞いていたイナズマジャパンの面々から上がる怒声も、ガルシルドはどこ吹く風で呆れた溜息を吐くばかりだ。

「ふん──力を与えてやったのに、非難される謂れはないわ。ロニージョは納得してプログラムを受けたのだ……!」
「家族を人質にされて、何が納得だッ!!」

頭に血が上り顔を赤黒くした土方の、赫怒の叫びがフィールドに叩き付けられる。
鬼瓦は怒りを抑え付け、ガルシルドを静かに睨んだ。

「俺たちはもう、全てを知っているんだ。お前は戦争によって巨万の富を得ようと目論んでいる……RHプログラムも、サッカーをするためでなく戦争をするために作り出されたものだ!」

周囲からの険しい視線を受けても、ガルシルドはどこか楽しげに目を細めている。

「ふ……ロニージョは素晴らしいサンプルだ。そして、ここは私にとって実に意義のある実験場≠ニなった……」
「果たしてそうかな?」

そこで口角を不敵に持ち上げた鬼瓦は、今までその場を静観していた審判の男にやにわに近づき片手を掴むと、手首に掛けてあったホイッスルを紐ごと引きちぎった。

「ロニージョ! コイツ≠フ音が、お前に仕組まれたプログラムを発動させていた……そうだな?」
「そのホイッスルが?」

鬼瓦の目線の高さまで持ち上げられた一見何の変哲も無い銀色のホイッスルを、円堂は不思議そうに見上げる。試合が始まってからのロニージョの動きを思い返した織乃は、まさかと言う気持ちで口を開いた。

「一種の催眠状態になってた、ってことですか?」
「掻い摘まんで言えばな」

本来、人間の脳には常に2割程度の筋力しか出さないようリミッターが掛かっている。
仮に常時100%の筋力を出力し続けた場合、筋細胞はダメージを負い続け、筋肉が修復される間もなく破壊されてしまうからだ。

「だから、短期間で能力の桁が上がったように見えたんですね……」

プログラムによる催眠で、ホイッスルの音をスイッチにしてロニージョは強制的にそのリミッターを外されている。
どうりで人が変わったようなプレーをしていたはずだ。試合が始まってから、彼の自意識は無理矢理抑え込まれていたのだから。

「……」

鬼瓦の指摘に、ロニージョは無言で頷いた。
その瞬間、連れて行け、と鬼瓦が顎で審判の男を指すと、頷いた部下の1人が動揺する彼を粛々とピッチの外へと連れて行った。
鬼瓦は証拠品としてホイッスルを懐へ仕舞い、驚いた様子のロニージョを穏やかな目で見下ろす。

「さぁ……これで自由だ」
「……ありがとう……!」

これで彼を真に縛るものは無くなった。一拍置いて訪れた開放感に、ロニージョは今度こそ心から安堵の笑みを浮かべた。

「さて。来てもらおうか、ガルシルド」
「……ふん」
「ああっ、ガルシルド様〜!」

抵抗する意志も見せることなく、警官に伴われピッチを去って行くガルシルドを、置いて行かれたヘンクタッカーが慌てて追い掛けていく。彼もまた、のちに何らかの罪で裁かれることになるのだろう。
そのまま後に続いて立ち去ろうとする鬼瓦を、円堂は慌てて呼び止めた。

「鬼瓦刑事、ありがとうごさいます!」
「礼を言うのはこっちの方だ。お前さんたちが見つけた資料が役に立った。これでガルシルドとその一味を一網打尽にすることが出来る」

奴に買収された連中諸共な、と鬼瓦はやや疲れた薄ら笑いを浮かべる。どうやら警察組織に張り巡らされたガルシルドの根も大分深かったようだ。
だが、鬼瓦はどのタイミングで一度揉み消された資料を手に入れたのだろうか。そもそもあの資料にあったのは、確認した限りではガルシルドが戦争の火種を作ろうとしていた証拠だった筈だ。

「あの資料に、ロニージョのプログラムのことまで……?」
「いいや」

あの晩見たデータの中に見落としがあったのだろうか、と尋ねた円堂に、頭を振った鬼瓦はちらりと鬼道の方に一瞥をくれながら続けた。

「RHプログラムの件や監督の件は、……影山からの情報さ。奴が死ぬ前に、手懸かりをくれた」
「──プログラム……そうか、何か引っかかると思ってたんだ」

しばらく考え込んでいた織乃はふと独り言ちる。

影山の率いるチームK、その選手だったデモーニオ・ストラーダ。彼に施された『プログラム』と言うのが、恐らくRHプログラムの前身だったのだろう。
彼がイタリアチームの監督に据えられたのも、試合の日程を変えられたのも、これなら全てに納得が行く。影山は、この大会が始まる前からガルシルドと繋がっていたのだ。

「総帥……」

そして最後の最後に、彼は罪にひとつ報いた。
鬼道は込み上げてきた複雑な感情に、そっと唇を噛んだ。

「良かったな、ロニージョ! これで思いっきりサッカー出来るぞ!」
「ああ……本当にありがとう!」

嬉しそうに振り返った円堂に、ロニージョは力強く頷いて応える。

「ロニージョ! お互い本気のプレーで家族に答えようぜ!」
「ああ!」

そう言って差し出された土方の手を、ロニージョは笑顔で強く握り返した。
スタジアムは未だ状況に着いていけない観客たちのざわめきが残っていたが、あと数分もすればこの場を一旦納めるアナウンスでもされて試合も再開されるだろう。

ロニージョは一瞬何かを考え込むと、「少し待ってくれ」と仲間たちに言ってピッチの出入り口に向かって声を荒らげた。

「──ガルシルド! 最後に言いたいことがある!!」

ガルシルドたちの姿は、まだ通路の中腹にあった。立ち止まったガルシルドに、ロニージョは大きく息を吸い込んで叫ぶ。

「この試合で、何故必殺技を打たなかったか……分かるか」
「……それがどうした」

薄暗がりの中で振り向いたガルシルドのモノクルが、光を反射して煌めく。ロニージョは仲間たちと太陽の光を背負いながら、凛乎として声を上げた。

「例えプログラムでお前に支配されようとも、俺の心はずっと──家族のものだ。仲間のものだ。俺のものだ! だから必殺技は打たなかった。俺が完全に負けてないと、お前に伝えるために!!」

それは今まで彼が耐え忍んできた、瞋恚の心そのものだった。ガルシルドはそれを黙って聞き届けた後──顔色1つ変えずにこう返す。

「気が済んだか?」
「っえ……?」

それは負け惜しみと言うには、酷く落ち着き払った声だった。予想外の返しに、ロニージョたちは虚を突かれたように怪訝な顔になる。

「私が去った後、ぬるい球遊びに興じるが良い……だが忘れるな。私が逮捕されたら、お前らの家族はどうなると思う?」
「……!!」

──最後にそんな言葉を残して、ガルシルドは今度こそ闇の中へと姿を消して行った。