The one to be loved
捲りすぎて癖のついた書類を挟んだバインダー、愛用している丈夫なシャープペンシル、2枚のハンドタオルと、冷えた麦茶の入ったペットボトルを鞄に詰め込む。
ようやく使い慣れてきた携帯の着信履歴を見下ろし、織乃は唇を引き結ぶ。履歴の1番上を陣取るのは、鬼瓦の番号。彼から電話が掛かってきたのは、昨夜のことだった。
「(鬼瓦さんもいる、監督もいる。──みんながいる。だから、大丈夫)」
下腹を抑え、ゆっくりと深呼吸をする。鏡に居直りリボンをキチリと締め、携帯をスカートのポケットに押し込んだ。
「──じゃあ、行ってくるね!」
「あれ、もう行くの?」
「行ってらっしゃーい」
双子の弟に見送られ、織乃は家の玄関を飛び出す。
少し駆け足気味に歩き、バス停が見えてきたところで、織乃は訝しげな顔をしてたたらを踏んだ。
バス停より少し前の方に、黒塗りのリムジンが停車していたのだ。
──影山の使用する車もリムジンだった筈だ。否が応でも、織乃の表情は固くなる。
1歩、2歩と慎重に近付いたところで突然リムジンの扉が開き、織乃は思わず身構えたが、次の瞬間車内から現れた人物に呆けた声を上げた。
「きっ……鬼道さん!?」
「おはよう、御鏡。……とりあえず、その手刀を下ろしてくれないか」
「あっ、ハイ」慌てて直立した後、織乃はハッと我に返って彼に駆け寄る。
「それより! どうしたんですか、今日は…」
「相手が相手だ。最後まで気は抜けないだろう?」
乗れ、と鬼道に誘われ、織乃は戸惑いながらリムジンの中へ入った。
「出して下さい」鬼道が運転席に座るスーツ姿の女性に言えば、リムジンは静かに走り出す。
「40年前のイナズマイレブン然り、豪炎寺の妹然り──奴が手を出すのは、いつも決勝当日だ」
重たい口振りの鬼道に、織乃はぐっと膝に置いた拳を固めた。
「──そういえば、昨日の帰りまでやっていたが……結局、出来たのか」
「……いえ」
織乃は小さく首を横に振る。
結局、円堂の新しい必殺技は完成しなかった。ならば試合の寸前までに、相手のシュートにどこか穴がないか──織乃は合宿のその後も、それを調べ続けたのだが。
「いっそ、清々しいくらい──ほんの少しの穴もありませんでした」
珍しく、織乃は悔しげに顔を歪め唇を噛む。
どんな技であろうと、必ずどこかに穴は出来るはずなのに。そのあまりの完璧さは、違和感さえ覚える程だ。
「……そうか。だが、まだ終わった訳じゃない。実際に見たのはあのアフロディのシュートだけ──他の選手なら、或いは何か突破口が見つかるきっかけになるかもしれない」
「はい。心得てます」
よし、と鬼道はひとつ頷く。
しばらく気を紛らわすように他愛ない話をしていると、いつの間にか集合場所の駅にリムジンは停車しようとしていた。
「──あれっ、お兄ちゃんたち一緒だったの?」
リムジンを降りて織乃が運転手に会釈をしていれば、鬼道に気がついた春奈が1年生たちの輪から外れ駆け寄ってくる。
「ああ。試合まで気は抜けないからな。寸前にまた何かあったら、笑えないだろう」
「ふぅ〜ん? 成る程成る程……」
「……何だ、その顔は」
「別にぃ?」にやりと口角を上げた妹に鬼道が表情をひきつらせている間、春奈のその顔を見た織乃は、やっぱり兄妹だなぁと心の中で独り言ちた。
「おーいお前ら、行くぞー!?」
「あ、はーい!」
:
:
電車に乗って1時間もすれば、目的の駅にたどり着く。
そこからスタジアムまでの道は徒歩だ。2列に並んで歩いていると、ふと後ろから走ってきたリムジンが道の脇に停車した。
「──おはよう、みんな」
「あ、夏未さん」
髪を靡かせリムジンから降りた夏未に、秋が顔を上げる。
今日はここまでで良いから、と運転席の場虎に言えば、リムジンは静かに走り去って行く。体の向きを変えイレブンの顔を見回した夏未は、ふっと口の端を持ち上げた。
「よし、みんな揃ったことだし──行くぞ!」
「おー!」
円堂が声を張り上げれば、条件反射のように拳が天を突く。
「……何か、静かすぎませんか?」
スタジアムが見えてきたところで、怪訝な声色でそんなことを呟いたのは織乃である。
「確かに、少し変だな」それに同調するのは手前を歩く風丸だ。今までの試合の日は、この道はスタジアムに向かう観客でいっぱいだったのに──と、彼は目線を周りに向けながら呟いた。
「何かあったのかな?」
秋の隣を歩く一之瀬が辺りを見回すが、特に目立ったおかしな点は見当たらない。強いて言えば、織乃や風丸の言うように静かすぎるということだけか。
首を捻る最中、先頭を切っていた円堂がふいに、あれっと声を上げた。
「……門が閉まってる!」
「何?」
響木がぐっと眉根を寄せる。
「何だよそれ!」と円堂に続き部員たちが門に駆け寄れば、確かにスタジアムの鉄製の門はしっかりと閉まっていた。
「これは……」
門に設置された閉鎖≠フ看板を見つめ、円堂は顔をしかめる。
「誰もいないぞ?」
「どうなってるんだ?」
沸々と浮かぶ疑問と疑惑の声。
その時、ふと夏未の携帯が、音を鳴らして震えた。
「もしもし──はい、そうです。……えッ?」
携帯を耳に押し当てた夏未の表情は、数瞬の後コロリと変わる。
「どういうことですか? ……でも今更そんな…………はい。はい……」
分かりました、と夏未は腑に落ちないような声色で返したのを最後に、携帯の通話を切った。
「誰からだ?」円堂が問えば、夏未は戸惑うような表情で答える。
「大会本部から……急遽、決勝戦の会場が変わったって」
「変わった……? 変わったって、どこへ」
「それが……」訝しげな円堂に夏未が続けようとした矢先、ふいに地面に落ちて来た大きな影に、一同は自然と目線を上に向けた。
そして次の瞬間、絶句。
「何だアレ……!?」
土門が呆気に取られたような声を上げる。
天使を模した石像、それに支えられるような形の半球体──巨大なスタジアムが、FFスタジアム上空に浮かび上がっていたのだ。
織乃の隣にいた鬼道が、それを見てハッと眉間に皺を寄せる。
「──まさか、決勝戦のスタジアムというのは……!」
「……ええ」
「あそこが!?」重々しく頷く夏未と、空に聳えるそれを交互に見て円堂がごくりと小さく唾を呑んだ。
曇り空に浮かぶそのスタジアム。それは異質な雰囲気と同時に、尊厳で近寄りがたい風格を醸し出しているようにも見える。
そこでふと、織乃が口を開いた。
「……どうやってあそこに登るんでしょうか」
「…………」
問題が1つ浮上した瞬間である。
見たところ、近くに空を飛べる乗り物は見当たらない。だとすると、他にあそこへ辿り着く手段があるのだろうが。
「──雷門中学の方々ですね」
唐突に、機械的な声がその場に響く。振り返ればそこには、白衣に似た上着を羽織る男が2人。
「……世宇子の人間か?」
やや硬い声で響木が問えば、2人は小さく頷いた。片方が、ゆっくりと右手を掲げてみせる。
「皆様を、世宇子スタジアムへの通路へ、ご案内致します」
:
:
FFスタジアムの裏手から伸びた、飽きるほど長い階段を踏み外さないように登っていく。
光の射すピッチへ足を踏み入れた途端、痛いほど静まり返った空気が彼らを迎えた。
「──ここが、試合会場……」
吹き抜けになった天井を見上げて、円堂が呟く。
「決勝当日になって世宇子スタジアムに変更──影山の圧力ね。どういうつもりかしら」
「ここでなきゃならない理由があると考えるのが、妥当ですけど……」
訝しげにピッチを一望する夏未に、顎に手を添え考え込む素振りを見せる織乃。
その時、突然視線を感じ取った円堂が弾かれたように振り返り、上方を仰いだ。
得点を記す電光掲示板よりも更に上──壁がくり抜かれて出来たような空間。そこに、彼はいた。
暗闇に浮かび上がるような、特徴のある細身で長身の体躯。──影山だ。
「影山……!」
円堂の低い声に、鬼道や響木もそれを見上げ険しい表情をする。
影山はそれが見えているのか否か、僅かに口角を吊り上げたようにも見えた。
「──円堂。話がある」
そこでふと、響木が思いついたように──思い切ったように、円堂に声を掛けた。
疑問符を浮かべる円堂、そしてそれを首を傾げながら見守る部員たち。
その視線を一手に受けながら、響木は長い間を空けた後、口を開いた。
「──大介さん……お前のお祖父さんの死には、影山が関わっているかもしれない」
ピクリと、豪炎寺や鬼道の肩が動き、夏未が眉間に皺を寄せた。
「じいちゃんが、影山に……?」唖然と、それを円堂は反復した。響木が頷くや否や、その表情は徐々に硬くなっていく。
「響木監督! 何故こんな時に!」
その反応を見るに、彼女は既に知っていたのだろう。夏未が咎めるような声を上げたが、響木は何も言わない。ただ、今にも雨の降り出しそうな重たい雲に覆われた空を、肩を下げて見上げるだけだ。
円堂は拳を白くなるほど握りしめ、脂汗を滲ませ肩で息をする。
その震える肩を、豪炎寺が片手で覆うように叩いた。
少し顔をそちらにやれば、豪炎寺は無言で円堂を見つめ返す。
ゆっくりと深呼吸した彼に、豪炎寺は頷いて見せた。
「……円堂くん」様子の変わった円堂、夏未や秋が、春奈や織乃が、そして、共に戦う仲間たちが、彼の名前を呼ぶ。
円堂はその内ゆっくりと、握っていた拳を降ろした。
「──監督、みんな」
まず彼は、響木を見つめる。そして次に、自分を見守る仲間たちを。
円堂はぎゅっと瞼を閉じると、改めて口を開いた。
「こんなに、俺を思ってくれる仲間に逢えたのはサッカーのお陰なんだ」
そこで一端、口を噤んだ彼は一拍置いて続ける。
「影山は憎い。けどそんな気持ちでプレーしたくない」
訥々と言いながら、円堂は瞼を上げて、先とは違い緩く握られた拳を見つめた。
「サッカーは面白くて、ワクワクする──ひとつのボールに、みんなの熱い気持ちをぶつける最高のスポーツなんだ」
一同は静かに、円堂を見守った。
いつ、どんな時でも悪いことに捕らわれず、みんなを支え、引っ張り上げてきた彼が──今、もう一度、宣言をする。
「だから、この試合も、俺はいつもの俺たちのサッカーをする。みんなと優勝を目指す! サッカーが好きだから!!」
円堂はここで、今日初めて明るい表情を見せた。いつも見せる、あの顔だ。
豪炎寺は小さく頷き、マネージャーは微笑む。響木が口の端をぐっと持ち上げて、力強い顔をした。
「──さぁ! 試合の準備だ!!」
「はい!」
大きく頷いた円堂を先頭に、イレブンたちが控え室に駆けていく。
響木はそれをゆったりとした足取りで追いながら、長い溜息を吐いた。
「じゃあ、私たちも……」
「ええ」
マネージャーたちも頷き合い、それに続く。
扉をくぐる直前、織乃は一人ピッチを振り返った。
石像に囲まれたフィールドに、根を下ろす緑の芝生。
──ここが神と戦う場所だと謳う、アフロディの自信に満ち溢れた声が聞こえてきそうな、他とは少し外れた空気。
それを見つめた織乃は、目に力を込めながら唇を噛み締める。
「織乃さーん、行きましょー!」
「……うん!」
春奈の声に返事を返した織乃は、再三フィールドを一瞥し、スカートを翻して彼女たちの背中を追いかけた。
prev
|
index
|
next
TOP