With all one's heart

「(……眠れない)」

布団の中でぱっちりと目を開ける。顔を顰めて寝返りを打ち、そのまま1分ほど目を瞑る。やはり眠気は来ない。

「はぁ……」

溜息を吐き、織乃は仕方なくベッドから体を起こした。
こういう時は意固地になって寝ようとするほど眠気が遠のいて行くものだ。一度水でも飲んで気持ちを落ち着かせようと、そろりと自室を出る。

当たり前だが、夜中の宿舎内はすっかり静まり返っていた。窓から差し込む月明かりを頼りに、織乃はなるべく足音を立てないようにしながら静かに食堂へと足を運ぶ。
キッチンにある小さな電気をぱちりと付けて、コップに冷たい水を注ぐ。ゆっくりと中身を飲み干すと、布団の中で温まった体が中から冷やされていくのを感じた。

「──誰かいるのか」
「ぴッッ」

ホッと一息吐いたところで、唐突に掛けられた声に細く甲高い音が喉から漏れる。
慌てて口を押さえて食堂の入り口を見やると、同じように驚いたらしい鬼道が目を丸くしてそこに立っている。夜闇を気にしてか、ゴーグルは珍しく外していた。

「き、き、鬼道さん……」
「御鏡……お前も眠れなかったのか?」

胸を撫で下ろす織乃に、鬼道は声を落としながらキッチンへ入ってくる。

「はい……何だか緊張しちゃって。鬼道さんも?」
「まぁな」

苦笑交じりに頷いて、鬼道はコップに水を注ぐ。中身が呷られ、彼の喉が動くのを織乃は何となくぼんやりと見守った。
水を飲み干した鬼道は、ふ、と短く息を吐くと、一拍置いて織乃に視線を向ける。

「眠れないのなら……少し、付き合ってくれないか」
「え?」

そう言って、鬼道は勝手口の方を指差した。
織乃は誰に見られているわけでもないのに辺りをキョロキョロと気にした後、少し赤らんだ顔で小さくハイ、と頷いた。




「リトルギガントの分析はどうだ?」
「粗方ですけど、詰められるところまで詰めたと思います。ただ、実際の試合でどこまで役に立つか……」

砂浜へ続く階段に並んで腰を降ろし、ポツポツと言葉を交わす。夜の潮風はどことなく冷たくて、距離は自然と拳1つ分まで縮まった。

「あの円堂大介の作ったチームだからな。土壇場で分析したことが全部無駄になるような事態になっても、別におかしくはない」
「ふふ……そう考えたら、リトルギガントってまるで雷門イレブンみたいですね」

思わず笑みを零しながら織乃が言うと、鬼道は一瞬目を瞬いてから破顔する。

「そうだな。俺たちは……特に円堂は、土壇場まで追い詰められた時に進化しがちだ」
「……完成しますかね。ゴッドキャッチ」
「ああ。きっと」

オルフェウスとの練習試合の甲斐あって、今まではっきりとした輪郭を持っていなかったゴッドキャッチはようやくまともな形になってきた。
立向居に聞く所まだ何かが足りないとのことだが、円堂のことだ。試合の中で、あの必殺技は絶対に完成する。二人はそう確信していた。

「俺たちの必殺技も、お前のお陰で何とか完成まで漕ぎ着けた。ありがとう御鏡」
「いえ、何とか間に合って良かったです」

一時はどうなることかと思いましたけど、とやや疲れた笑みを浮かべる織乃に、鬼道は唇をへの字に曲げて「本当に世話になったな……」と項垂れる。

これまでに活躍して来た必殺技の精錬、最終戦へ向けて各選手の微調整、そしてこの数日前に考えついた新しい必殺技の完成へ導くことと、キングダム戦が終わってからの織乃の忙しさといったらそれはもう凄まじかった。
弱音を零す暇も、疲れを見せる隙もなくあくせくと働き続ける織乃を見て、これが若さか、と久遠がボソリと小さく呟いたことは娘の冬花だけが知っている。

「でも、あの忙しさも明日で一旦全部おしまい」

緩く口角を上げて、織乃は空を振り仰ぐ。鬼道も釣られ、そちらへ視線をやった。
黒の天鵞絨に色とりどりのビーズを零したような、満点の星空だ。明日はきっと晴天だろう。

「──勝っても負けても、明日で最後だ」
「島に来てから色んなことがありましたね……」

夜空を見上げたまま、織乃は瞼を下ろして思い出を振り返る。
楽しいことや辛いことが沢山あって、目を疑うような不思議なこともあった。本大会が始まって長い時が経ったわけでもないのに、もう何年もこの島に住んでいるような気さえする。

ひゅる、と音を立てて吹き抜けていった風に、織乃はそっと肩を竦めた。

「少し冷えてきたな。そろそろ戻るか」
「はい……」

先に立ち上がった鬼道が手を差しべてくる。
織乃はそれを当たり前のように取って立ち上がる自分に気が付いて、短く息を吸い込んだ。

「──鬼道さん」
「ん?」

織乃は握った鬼道の手を自身の胸元に引き寄せて、もう片方の手でそれを包むように抱える。
「御鏡?」微かだが、鬼道の声が上擦ったのが分かる。瞼を閉じ、両手で手を握りしめる彼女の姿は、まるで祈りを捧げているようにも見えた。

「私、信じてますから」
「!」

上向いた織乃の瞳に、驚いた風な鬼道の顔が映る。

「私も私に出来ることを精一杯やります。だから……勝ちましょうね」
「……ああ。必ずだ」

一呼吸置いた後、鬼道は織乃の手を引き寄せてしっかりと頷いた。
額がぶつかりそうな近さに、自然と呼吸が浅くなる。織乃はきゅっと下唇を噛むと、素早く顔を逸らして鬼道の頬に口づけた。
ちゅっ、と軽いリップ音に鬼道の手が一瞬緩まる。その隙に織乃はするりと彼から一步離れた。

「……口にはしてくれないのか」
「そっ、それは明日……勝ったら……!」

そこまで言って恥ずかしさを押さえられなくなったのか、織乃は「おやすみなさい!」と真っ赤な顔で踵を返し宿福へと駆け戻っていく。
乾いた唇を撫で、勝ったらか、と呟いた鬼道はくっと喉の奥で笑う。負けられない理由が一つ増えてしまった。






朝日が昇り、時刻は午前七時。
キッチンからはカタカタコトコトと朝食を作る音が漏れている。
廊下で一、二、と聞こえるカウントは目金が選手たちの荷物の数を確認する声だ。

「こっちで出来る準備は大体終わりましたね」
「ええ。円堂くんたち、ちゃんと休めたかしら」

織乃は夏未と並んで廊下を進む。マネージャーの用意が周到でも肝心の選手が体調を崩しては元も子もない。
気がかりそうに夏未が呟くと、丁度グラウンドから円堂の声が響いてきた。いつもよりやや早い時間だが、ウォーミングアップを始めたらしい。

「みんな、ちゃんと眠れたか? 体調は万全だろうな!?」
「円堂さんが一番寝てないんじゃないですか? 朝早くからタイヤ特訓してたの、みんな知ってますよ!」

直ぐ様そう返す立向居に、仲間たちが笑う声がする。

「俺たちが世界一を決める戦いに挑むんだって思ったら、ワクワクして眠れなくてさ!」

答える円堂の声は確かに笑っていて、言葉通り試合への期待が押さえきれていなかった。
大丈夫そうですね、と笑顔を向ける織乃に、夏未はホッとしたように頷く。けれど彼女は、何かを思い出したように足を止めて表情を曇らせた。

「……ねえ御鏡さん、良かったの?」
「はい?」

ふいに夏未は織乃へ主語のない質問を投げかける。
先に数歩階段を登っていた織乃は、不思議そうに階下にいる夏未を振り返った。

「リトルギガントのこと。私なら、今までの試合記録になかったようなことも話せるのに……」
「そう……ですね。聞いてみようかって考えはしました。でも、円堂さんが何も言わなかったから」

円堂くんが? と夏未は眉を顰めて首を捻る。
円堂は頭より先に体が先に動くタイプではあるが、世界大会での戦いを経てやはり頭で考えることも大事だと感じるようになったのか、必要だと思った情報があればこれを調べてほしい、と織乃に頼んでくることがある。夏未がチームにいた頃にはなかった行動だ。彼女が不可解に思うのも無理はない。
けれど今回、円堂は何も言わなかった。それは情報の必要性を感じなかっただとか、考えることを止めたなどの理由ではないと織乃は感じていた。

「今回はいつもと違う特別な試合だから。あんまり詳しく聞いて、細かいところまで余すことなく調べ尽くしたら……何だか無粋な気もして」
「そうかしら……」
「きっと円堂さんも、何も聞かないままお祖父さんのチームと戦うの、楽しみにしてると思うんです」

勿論本人に聞くのが一番ですけど、と階段を続ける織乃に、夏未は階段を登りながら曖昧に頷いて目的地である一部屋をノックする。

「響木監督、起きてらっしゃいますか?」
「ああ、入ってくれ」

失礼します、と夏未と織乃は声を掛けて部屋へ入った。
ベッドに腰掛けた響木は既に身支度を整えている。

「おはようございます。体の具合はどうですか……?」
「絶好調というわけにもいかんが……大丈夫だ。だが、少し手を貸してくれるか」

「すまんな……」二人の手を借りて立ち上がった響木は、近くの椅子にゆっくりと腰を下ろした。
本来であれば、響木はまだ入院していた方が良い容態である。円堂ですら決勝を観に来てほしいが体に響くのなら、と本音を飲み込んでいたところを、響木は医者を説得して無理矢理退院してしまったのだ。
それほどまでに大事な試合。静かな病室のベッドに横たわりながらテレビでそれを見守るなど、医者が許しても響木自身が許せなかった。

「いよいよ決勝戦ですね」
「まさか大介さんと戦う日が来るなんてな……」
「当然ですよ。だって、みんな亡くなったとばかり思っていたんですもん」

苦笑する織乃に、まだ夢を見てるようだ、と響木は髭を震わせて呟く。
そんな彼に、夏未はふと目を細め姿勢を正した。

「……感謝しています、響木監督」
「ん?」
「私をコトアールに送り出してくださったこと、そしてイナズマジャパンに受け入れてくださったこと……おかげで沢山のことが学べました」

「御鏡さんも、」と夏未の視線が自分へ向くと、織乃はキョトンと目を丸くする。

「私のいない間、円堂くんや木野さんたちを支えてくれてありがとう」
「……本当に、戻ってきてくれて良かった。二人共表には出さないけど、寂しがってましたから」

微笑んで答えた織乃に、夏未は「そうなの?」と意外そうに小首を傾げた。彼女はいつも自信に満ち溢れているように見えて、案外そうでもないのかもしれない。
織乃が今更そんなことを考えていると、再び扉がノックされる音が響いた。

「久遠です」
「おお、入れ」
「失礼します」

そこで入室してきたのは、冬花を伴った久遠だった。
久遠は夏未と織乃がいることは予想していたのか、特にリアクションもなく無言で響木に近付く。

「どうした?」
「……この決勝戦、指揮は響木さん──あなたが取るべきです」
「え?」

夏未と織乃は同時に声を上げて冬花を見る。しかし冬花も今初めて聞いた話だったようで、同じような表情で久遠の背中を見上げていた。

「……一応、理由を聞こうか」
「私の仕事は、イナズマジャパンを世界に導くこと。そしてそれは、彼らのお陰で達成することが出来ました」

重たい声で尋ねた響木に、久遠はいつもと変わらない調子で淡々と答える。

「ですが、優勝が掛かった大舞台……彼らを精神的に支えることが出来るのは、選手からの信望が厚いあなたしかいません。まして、決勝の相手は円堂大介。私はサポートに回ろうかと思います。ですから……」
「……イナズマジャパンの監督は、久遠。お前だよ」

一拍空け、響木はハッキリとした口調で言う。それはまるで、教え子に言い聞かせるような声音だった。

「お前が監督だったから、イナズマジャパンは世界のレベルに到達出来た。お前だったからこそ、ここまで勝ち上がって来れたのだ」
「ですが……」
「お前の仕事はまだ終わっていない」

窓から差し込む朝日を受け、響木のサングラスが煌めく。

「俺が頼んだのは、イナズマジャパンを『世界に導くこと』ではなく、『世界の頂点に導くこと』だからな」

真っ暗なサングラスに久遠の驚いた顔が映し出される。見えないはずの鋭い眼差しに射抜かれた気がして、久遠はぐっと唇を噛んだ。

「久遠。最後までイナズマジャパンを頼む」
「……分かりました」

ややあって、折れたのは久遠の方だった。冬花はほっとした様子で笑みを浮かべる。

「ですが、あなたもベンチに入って頂きたい」
「ん?」

返す刀で要望を変えた久遠に、何故、と言いたげに響木は目を細めた。

「私も、あなたに見出された一人です。優勝の瞬間を分かち合うことで、その思いをお返ししたい」

久遠はこれだけは譲らないと言った様子で響木を見つめる。そうして今度は響木が折れる番だった。
分かったよ、と苦笑を滲ませて頷いた響木に、マネージャー三人は顔を見合わせ微笑んだ。




時刻は進んで正午過ぎ。選手たちが軽い間食を終えて、玄関先へ出て腕時計を確認した久遠は声を張り上げる。

「──全員集合!」

号令を受け、選手たちとマネージャーは慌ただしい足取りで玄関先へ集まった。
織乃が響木の介助をしてそこへ辿り着くと、丁度円堂と話していたらしい夏未が隣へやってくる。その横顔が先程よりもいくらかスッキリしているのを見て、織乃は小さく微笑んだ。

「監督! 全員揃いました!」

円堂が言うと、久遠は選手たちの前に立ち全員の顔をゆっくりと見回す。

「……円堂守」
「んえっ?」

唐突に名前を呼ばれ、円堂は気の抜けた声を漏らした。久遠は少し眉根を寄せて、もう一度彼の名を呼ぶ。

「円堂守!」
「……はい!」

その視線に意味を感じ取った円堂は、今度はしっかりと返事をした。久遠は続けて、豪炎寺、鬼道、風丸──と、選手全員の名前を順に呼んでいく。

「……木野秋」
「え、……っはい」

選手たちが返答を終えると、久遠は次にマネージャーたちの名前を呼ぶ。
秋は一瞬言葉に詰まったが、すぐさま返事をした。久遠はその後も織乃、春奈、目金、冬花、そして夏未を呼んで。

「──緑川リュウジ。栗松鉄平」
「!」

一瞬の逡巡の後、この場に立つことの出来なかった二人の名前を呼んだ。円堂たちはハッ息を飲んで久遠を見つめる。

「そして、選ばれなかった多くのプレーヤーたち。その意思を受け継ぐ日本代表として、……決勝戦、勝つぞ!!」
「はい!!」

叩きつけるような覚悟の声が宿福に、日本エリアに響き渡る。
ここには共に競い合い成長してきた、尊敬し合える仲間がいる。そして姿はなくとも、心で繋がった仲間が遠い場所で同じ気持ちで来たる戦いを待っている。
今一度それを噛み締めて、彼らはキャラバンへと乗り込んでいく。目指すは決勝戦の会場、タイタニックスタジアムだ。