Power of lie
「俺が思うに、全て完璧な選手なんてものは、存在しないと思うんだ」
ある日の昼下がり、彼はそんなことを言っていた。
眼前にはフィールドが広がり、クラブの選手たちがミニゲームを繰り広げている。
「完璧な選手……?」
首を傾げながらジャグを手渡せば、彼は小さく頷いた。
例えばキック力、例えばスピード、ガード、スタミナ、気力。そしてメンタル面と、彼は指折り例を挙げながら続ける。
「誰にだって、足りないものはある。だけど、それを補ってくれる仲間がいるから──強くなれる」
「……強く」
そっと呟いて、フィールドに目をやる。そこでは、シュートを決めた1人が仲間たちとハイタッチを交わしていた。
「……あるんですか? 欠点」
「中田さんにも」問いかけると、彼は一瞬ポカンとして、やがて笑顔を浮かべて口を頷く。
「ああ、あるとも。言っただろ? 完璧な人間なんて、魔法か何か使わない限りなれないんだから」
「……何か、意外です」素直にそう答えると、彼は買い被りすぎだよ、とカラカラ笑って見せた。
──そして、今、現在。
『FF全国大会決勝! 世宇子中が雷門中を圧倒しています!!』
ぐわんとスタジアムを揺らした実況の声に、織乃はハッと顔を上げる。
意識を記憶の海に沈めて数秒。フィールドのゴール前では、相変わらずアフロディが芝生に横たわる円堂を見下ろしていた。
「続けるか棄権。決めるのは君だ」
静かな声。動かない2人に、スタジアムも徐々に静まり返っていく。
円堂は体を芝生に押しつけたまま、動かない。ただ、握りしめた拳だけが震えている。
所々抉れたフィールド。三度のシュートで、焦げたように黒ずむゴールネット。そしてフィールドで動かない雷門の選手たちに、フラッシュバックする光景。条件反射のように、視界が濁っていく。
「何を迷っている円堂……!」
その時だ。今まで苦しげに這い蹲っていた豪炎寺が1人、ゆっくりと立ち上がる。
ユニフォームの、あのペンダントが下げられているであろう胸元をギリリと掴み、彼は睨みつけるように円堂を見つめた。
「俺は戦う……! そう誓ったんだ!」
「──豪炎寺の言う通りだ」
それに続き、ふらつきながら体を起こしたのは風丸である。
それを皮切りに、次々とよろめきながら起き上がる選手たち。風丸はしっかりと地面に足を着けると、改めて円堂を見据えた。
「まさか、俺たちの為にと思ってでもしたら、大間違いだ!」
円堂が、一瞬目を見開く。
ぼやけた視界の中で、織乃は見慣れた青い背中が起き上がるのを見た。
「最後まで諦めないことを教えてくれたのはお前だろう……!」
「俺が好きになったお前のサッカーを、見せてくれ!」
「一之瀬くん……!」思わず立ち上がった秋が、悲痛な声で呟く。
フィールドではボロボロの選手たちが、それでも確固たる意志の籠もる声色で、彼の名前を呼んだ。
織乃は一気にクリアになった視界で、ぐっと奥歯を噛みしめた。
──戦っている当人たちが諦めていないというのに、一体何度弱気になれば済むのか。自分の情けなさに、憤りすら感じる。
その瞬間、織乃は数度まばたきを繰り返し、握っていたビデオカメラのディスプレイを凝視した。
「完璧な人間は存在しない──魔法か何か使わない限り=v
「え?」
彼女の独り言を拾ったマネージャーたちが、キョトンとしながら振り返る。
ずっと引っかかっていた違和感の正体が、頭を冷やすことでようやく分かったのだ。
フィールドでは、瞳に光を宿した円堂が再びゴールの前に立ちふさがっている。
春奈が数歩ベンチに駆け寄った。
「織乃さん、何か気付いたんですか?」
「これ、見て」
ディスプレイをマネージャーたちに見えるように傾けると、織乃はボタンを操ってあるシーンで止める。
「相手キーパーの必殺技のシーンね。これがどうかしたの?」
「おかしいんですよ」
織乃は頭を振って、少し巻き戻した後もう一度そのシーンを再生した。
「この人、ボールを受け止めた時に全く衝撃を受けてないんです」
「……言われてみると……そうね、キャッチするモーション以外、そんな動きは見られないわ」
眉を顰め夏未が呟けば、織乃は硬い表情で頷く。
「衝撃を外に拡散するような技ならともかく……あの質量と威力を受けて微動だにしないなんて、明らかに異常です」
どんなものでも一方から力が加えられれば、必ず何かしら変化が起こる。
しかし、相手の繰り出した技のシーンを見直す限り、それは見当たらない。
「じゃあ、どうして……」
「……多分、何か仕掛けがある」
顔をしかめる春奈に、織乃は口元を手で覆って目を伏せる。
今の状態で考えつくのはここまで。歯がゆい状況に、織乃は眉間に皺を寄せた。
ふいに、フィールドから何か重たいものが落ちるような嫌な音がする。
ハッと顔を上げてそちらを見ると、メガクエイクに弾き飛ばされた豪炎寺と鬼道と一之瀬が、フィールドに叩きつけられていた。
世宇子はこちらを傷つけることを前提とするように、荒々しく激しいプレイを仕掛けてくる。
1人、また1人と倒れていく選手たち。今使える技では、シュートは止められない。そう判断したらしい円堂はマジン・ザ・ハンドを発動しようと手を構えたが、やはり不発に終わってしまう。ぐしゃりと倒れた円堂に、春奈がさっと目を背けた。
「これ以上見てられません……!」
「ダメよ、目を逸らしちゃ」
秋がぐっと眉間に皺を寄せてフィールドを見つめる。
でも、と言い淀む春奈に、夏未が被せて言った。
「みんな必死で戦っているんだから──私たちもその戦いから、逃げちゃいけないわ」
2人の背中は震えることなく、そこにある。
織乃はぎゅっと目を瞑ると、立ち上がり春奈の肩を掴んだ。
「春奈ちゃん」
「…………」
静かに名前を呼べば、春奈は僅かに瞳を揺らした後、表情を引き締めてフィールドに目を向ける。
「諦めるわけには、いかないんだ……!」
何度シュートを食らっても起きあがる円堂に、アフロディはそっと目を細めた。
そして、ふとどこかに視線を走らせると、唐突に、意外な行動に出る。
「……えっ」
会場が一気にざわめく。アフロディは足下にあったボールをシュートすることなく、そのまま外に蹴り出してしまったのだ。
「何……?」
響木が低い訝しむような声で呟く。ぞろぞろとフィールドから出て行く世宇子イレブンに、観衆からの歓声に野次が混じり出した。
そしてベンチへ戻った世宇子イレブンを一瞥した人々は、一様に目を丸くさせる。
試合開始前と同じように、彼らは悠々とグラスに注いだ水を飲み下していた。
「──あれ……変じゃない?」
「ええ、いくらリードしてるからって、許せません!」
「じゃなくて、」呟いた夏未は、腹立たしげに返ってきた春奈の言葉を否定すると、さらに続ける。
「全員同時にってことよ」
その疑問に、マネージャーたちの視線は一気に世宇子ベンチへと集中した。
「確かに……試合中の水分補給は重要だけど、試合の途中に全員がベンチに戻ってなんて、みたことがない」
「言われてみれば……」
秋の言葉にハッとする春奈。一方で、夏未の傍らに佇んだ織乃が眉根を寄せて、そっと口を開く。
「……雷門さん、まさか……」
「……影山なら」
スポーツマンシップにことごとく反抗しているような彼なら、やりかねない。交わした視線、重なる心の声。
夏未は、秋と春奈を振り返った。
「……2人とも、来て」
:
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ピッチとは打って変わり、静まり返ったスタジアムの廊下。壁に沿うように、4人は足早にそこを歩いていく。
「織乃さん、ホントですか? あの水がドーピングの薬かもしれないなんて……!」
「可能性は高いよ」
声を潜めながら、先頭を歩く織乃は答えた。
廊下に響く靴の音が、これほどまでに気になったことが今までにあっただろうか。
「FFの会長……理事長さんが入院してる今、FFを仕切ってるのは影山さん。権力を使えば、ドーピングコントロールしないかも簡単に決められる」
そもそも、中学生のサッカー大会でドーピングをしているなどと考えが至る人間の方が少数派かもしれないが──織乃は答えながら、眉間に皺を寄せた。
「何にせよ、証拠がなくちゃあの人も捕まらな、──止まって」
彼女が右手を上げれば、3人はピタリと弾かれたように歩みを止める。
「ここからは、なるべく音を立てないように」忍び足で進んだ4人は、そっと角から顔を覗かせた。
「あそこは……世宇子の控え室?」
「! 誰か出てきました」
4人はさっと角に頭を引っ込める。自動ドアを潜って中へ入ってきたのは、ピッチで甲斐甲斐しく世宇子イレブンにあの水を運んでいた、白衣の男2人だった。
ガラガラと押されたキャスター付きの台には、透明の液体が並々と注がれた容器が乗っている。
「気をつけて運べよ」
誰も中に入れるな、と白衣の言葉に返事を返す、扉の左右に佇む警備員の出で立ちをする男2人。
ガラガラと白衣2人が遠ざかるのを角の影になった部分に隠れやりすごした4人は、離れていくその背中を一瞥した。
「さっきのドリンクでしょうか」
「多分ね……」
「しッ」
言い掛けた夏未を、織乃が制す。
口を閉ざすと、警備員姿の片方が帽子の鍔を下げながら物憂げに何か言っているのが聞こえた。
「全く、随分と厳重に管理するんだな。私もあれを飲めば君より強くなれるのかね」
「さあ、どうでしょう。どちらにせよ、あれは10代の子供にしか効かないと言う噂もありますから」
軽い調子で交わされたその会話に、4人は息を飲んで顔を見合わせる。
「きっ、聞きました!?」
「ええ……夏未さんたちの推理通り、あのドリンクには秘密があるんだわ!」
世宇子の選手は、あの水で何かしらの力を得ている。それが分かっただけでも大きな一歩だが、そこから先をどうするか。
考え込んだ矢先、ふいに夏未の肩に大きな手が乗った。
「──!」
夏未が声にならない悲鳴を上げたことで、春奈と秋が目を見開き、織乃は手刀を構える。
しかしその手は、夏未の肩を掴んだ人物を殴り倒すことはしなかった。
「お……鬼瓦さん?」
「ああ。驚かせて済まんかった」
帽子の唾を上げながら、手の主であった鬼瓦は小さく笑う。
その服装はいつものコートではなく、あちらの二人と同じ警備員の制服を着ていた。
「びっくりした……」
「織乃ちゃんには言っておいた筈だが? 決勝は、俺たち警察も見守ると」
「言ってましたけど……こんな登場されるとは思ってませんでした」
はぁ、と息を吐く織乃。
「それで、刑事さん」驚きから立ち直った夏未が、鬼瓦に向き直る。
「これから、どうするおつもりですか?」
「さっきの会話は俺も聞かせてもらった。あの中にはきっと、ドリンクのストックがあるはずだ」
それを解析して証拠が得られれば、今度こそ影山を逮捕できる──鬼瓦は呟いて、鋭い目で世宇子の控え室の扉を睨んだ。
「でも……あの人たちはどうするんですか?」
「むう……」
秋の言葉に、鬼瓦は眉根を寄せてうなり声を上げる。どうやって中に入るかまでは考えてなかったのだろう。
流石にキャリアを積んだ刑事でも、正面から警備員2人を相手に取るのは無謀というもの。
どうにか奴らをあそこから離せれば、とぼやく鬼瓦に、春奈がポンと手を打った。
「じゃあ──私たちが囮になれば良いんじゃないですか?」
「ああ?」突飛とも言えるその意見に、鬼瓦がギョッとする。
何か言葉を返す前に、彼の背中を叩くのは織乃だ。
「鬼瓦さん。確かに少し危険かもですけど、強ち間違ってもいませんよ」
「しかし……」
「私たちは雷門マネージャーだから、スタジアムにいても別におかしくはないんです」
それに捕まっても、道に迷ったなど言い訳はいくらでもある。相手は影山の部下。それで事が済めばの話ではあるが。
それでも理にかなってはいます、と織乃の力強い目に鬼瓦は押し黙ると、やがて大きな溜め息を吐く。
「……分かった。しかし、無茶はするなよ」
「はい」
織乃を筆頭に、4人は答えると顔を見合わせ頷き合った。
:
:
「きゃああああッ!!」
それまで閑散としていた廊下に、絹を裂くような悲鳴が響き渡る。
「待てーッ!」転がるように少女たちが影から飛び出したと思うと、それを追う警備員が勢い余って壁に激突した。
「く……こ、こいつらを捕まえてくれ!」
呆気にとられたようにそれを凝視した警備員二人は、その声にハッとした瞬間、少女の1人の手元にキラリと光る何かを見つけギョッとする。
「まさか神のアクア≠……!」
「ま、待て!!」
4人は目配せすると、弾かれたように逆方向へと逃げ出した。
「待ちなさい!!」幸い警備員二人は足の遅い方らしく、どたどたとした足取りでそれを追いかけていく。
「──中々しぶといですよ、あの2人!」
「とにかく走って!!」
春奈の手元にあるのは、フェイクとして持った変哲もないコンパクトだ。
4人は必死に走るが、世宇子スタジアムの廊下は長く複雑で、大人と子供のコンパスの差もあり油断すると追いつかれてしまう。
そしてついに。
「──っ捕まえた!!」
「……ッ!?」
殿を走っていた織乃が、警備員に腕を取られてしまった。
「御鏡さん!」ハッと3人は振り返り、夏未が叫ぶ。しかし彼女たちが見たのは、警備員に捕まってもがく織乃の姿ではなく──
「正当防衛です!!」
彼女が叫びながら、振り向きざまに警備員の鳩尾に回し蹴りを叩き込むという衝撃的なアクションシーンだった。
1歩後ろにいたもう片方も巻き込まれ、諸共吹き飛んだ警備員たちは廊下に倒れて失神する。
「す、すごい……」我に返った呆然と秋が呟けば、2人の間をすり抜けた春奈がひしと織乃に縋り付いた。
「織乃さん大丈夫ですか怪我してませんか格好良かった!!」
「あ、うん……とりあえず落ち着こう、春奈ちゃん」
ぽんぽんと春奈を宥めた織乃は、伸びている警備員たちを一瞥し肩の力を抜く。
「──戻りましょう。前半戦がまだ残ってます!」
「え……ええ、そうね!」
頷き合った4人は、再び長い廊下を走り出した。
ただひたすら、雷門イレブンたちの無事を願いながら。
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