Encounter again

『──グラウンド整備も間もなく終了します。試合再開までしばらくお待ちください』

スピーカーから漏れるアナウンスと携帯のディスプレイに映るテレビ画面を見下ろし、少女は安堵したように息を吐く。
画面には穴だらけになったグラウンドが少しずつ修復されている様子が映されている。彼女は知らず知らずの内に浮かんだ額の冷や汗を、手の甲で拭った。

「──来ましたよ」

ふいに、乗っていた車の運転席に座っていた男が、軽く後ろを振り返りながら告げる。
「ありがとうございました」彼女は窓の外に視線を投げつつ、扉を開け車から降りた。

カツ、カツ──と、それまで滞りなく単調に響いていた足音が止まる。
2人の男に挟まれて歩いていた影山は、サングラスの奥に隠された目を僅かに見開いた。
彼の半歩後ろを歩いていた鬼瓦は、くたびれたコートを翻す。

「もう良いのか?」
「はい。どうもありがとうございました、鬼瓦さん」

鬼瓦に頭を下げた少女は、目の前に直立する影山を見上げた。
彼の黒いサングラスに映る自分が見える。彼女は柔和そうな顔を引き締めて、ゆっくりと開口した。

「──あの時、言ったはずです。立ち向かわせていただきますと」

無表情だった彼の口角が、一瞬ひくりと動く。
それを見て、彼女は一つ大人たちに会釈をすると、そのまま靴の音を響かせてスタジアムに走って行った。

走るほどに、耳に届くざわめきが次第に大きくなっていく。
試合が再開されようとしていた。




「ぃやったぞぉーーッ!!」

トロフィーを掲げ、仲間たちに囲まれる相手チームのキャプテン──円堂の背中を見つめながら、鬼道はゴーグルに隠れた目を伏せる。

勝つことこそ出来なかったが、これで良いのだ。
これでもう決められたレールを歩くだけの、相手を傷付けるサッカーは終わりだ。これからは自分たちの意志で、自分たちの力で、進んでいく。

後ろを振り返ると、仲間たちが昨日よりも晴れやかな顔つきでそこに佇んでいる。
少々遅れはしたが、やっとこれでスタートラインに立てたのだと思うと喜ばしく思えた。

喜ばしいと言えば、妹と和解できたのは勿論の事なのだが──鬼道は、雷門イレブンのマネージャーたちと手を取り合い笑顔を浮かべる春奈を見つめ、考える。
十数分前、妹が少し気になることを言っていたのだ。




──ごめんね、ありがとう、お兄ちゃん。
その言葉を繰り返しながら肩を震わせる春奈の背中をあやすように撫でながら、鬼道は頭を振った。
やがて泣きやんだ春奈は、目尻に涙を溜めながらも、笑みを浮かべてこんなことを言ったのだ。

『お兄ちゃんは、やっぱり変わってなんかいなかったんだよね。──あの人≠フ言ってた通りだった』




結局、その言葉の意味を問う前にタイミングを見計らった円堂や秋に呼ばれて、春奈とはそのまま別れてしまったのだが。

「(あの人=c…?)」

頭に去来するのはその疑問ばかりだ。春奈と親しく、尚且つ自分をよく知る人物など彼女の周りにいただろうか。
土門は既に雷門の一員として馴染んでいるようではあったが、彼が春奈の兄としての鬼道を弁護するような理由は無いはずだ。
ならば、一体誰が。

ふいに悩む鬼道の赤いマントを、洞面が軽く引っ張る。

「鬼道先輩、授賞式終わりましたよ?」

行きましょう、と促されるまま振り向くと、既に全員がスタジアムの出入り口付近で自分を待っているのが見えた。

──考えるのは後にしよう。そう思い直した鬼道は頷いて、自分も同じように出入り口に足を向ける。
薄暗い廊下には、まだスタジアムに残った観客たちの止まない歓声が届いていた。

「あーあ、負けちゃいましたね」

やはり負けは悔しいのか、口を尖らせる成神に「まぁ良いじゃないか」と源田が微笑む。

「負けて得るものだってあるさ。そうだろう、鬼道」

唐突に、自分に向けられた言葉に。鬼道は数回まばたきを繰り返すと、やがて緩く破顔した。

「──そうだな。なら、今度こそ勝てるよう作戦を1から練り直すとしよう」

ミーティングルームに行くぞ、と宣言した途端、数名から上がるブーイング。
「せめて今日くらい休みましょうよ!」口元をひきつらせた辺見に、鬼道は目を細めた。

「そーっすよ、今日はもう上がってパーッと打ち上げでもしましょう?」
「……そうか。お前たちは負けっぱなしでもいいんだな」

その諦めたような声色に、ブーイングがピタリと止まる。
「やったろーじゃないですか、ミーティング!!」打って変わって憤りを見せた部員たちを見て、寺門はこそりと隣の源田に耳打ちした。

「あいつ、焚き付け方まで変わったな……」
「そうだな」

良いことだ、と笑う源田に、寺門も溜息を吐きながら苦笑する。
そのまま各々会話を交わしながら、ユニフォームのままミーティングルームの扉を開けた。

「しかし、何で負けちまいましたかねぇ」

ホワイトボードにうろ覚えではあるが、雷門イレブンのフォーメーションを書き込みながら辺見が唸るように言うと、そのままパチリパチリとそこにマグネットをくっつけていく成神が、さぁ、と首を捻った。

「皇帝ペンギン2号は完璧だったんですよね?」
「その筈だったんだがな……」
「あっちの方が、勝ってる要素があったってことなんだろう」
「勝ってる要素って何スか」
「それは……。……えーっと」
「私は、土壇場の熱さがその要素だと思いますよ?」
「ああ成る程、それは確かに──」

ふと、源田の言葉が途切れた。

声変わり前のテナーとも、男性特有の低い声とも違う。
女性特有の、柔らかい声に──何ヶ月かぶりに聞いた声に、彼らは油の切れたロボットのように緩慢な動作で、振り返る。

「お久しぶり、です」

開け放した扉の外。そこに、彼女は佇んでいた。

帝国学園の軍服のような制服とは違う、空色のチュニック姿。
少し、記憶よりも長くなった髪をしゅるりと靡かせて──彼女は照れたようにほんのり頬を桃色に染めて、微笑んだ。

「御鏡、」
「織乃さんーーーー!!」
「…………」

顔を赤らめた佐久間を遮り、成神が叫ぶと佐久間はひくっと口元をひきつらせる。

「わっ!?」ガバッと真っ正面から抱きついてきた成神と、その背中にくっついた洞面によろめきながらも、彼女──織乃は、嬉しそうに2人の頭を撫でた。

「久しぶりだね。洞面くん背が高くなったんじゃない?」
「はい! 織乃先輩も随分高くなりましたね?」
「おまけに胸も前より随分ふくよかにいででででででッ!!」
「健也くんはちょっとスケベになったみたいだね。まぁ中学生だし仕方ないのかなぁ……」
「いでででででスンマセン冗談ッス! いや事実ではあるけどっ織乃さんごめんなさいー!!」

再会早々セクハラ発言で織乃の怒りを買ってしまった成神は、こめかみの両サイドを彼女の拳にグリグリと挟まれて悲鳴を上げる。

その光景に若干呆然としていた鬼道はハッと我に返り、解放された成神を押しのけつつ彼女に歩み寄った。

「御鏡──久しぶりだな。いつ帰国したんだ?」
「つい3日前です」

答えると、来るなら先に言ってくれりゃ良かったのに、と成神を助け起こしながら辺見が言う。
「ごめんなさい、驚かせたくて」以前には見たことのなかった彼女の悪戯っ子のような笑みに、源田が少しだけ目を丸くした。

「数ヶ月の間に随分雰囲気が変わったんじゃないか?」
「そんなことないですよ。ただ、まぁ……確かに、向こうでは色々とありましたが」

ふいに、織乃は源田から外した視線をどこかあらぬところに向けながら、遠い目をする。

「…………そう、色々」
「……まぁ、何だ。大変だったんだな」

何となく彼女の苦労の片鱗を見たらしい咲山がしみじみと言えば、織乃は少し疲れたように微笑んだ。

「──でも、良かったです。みんなの試合が観れて」

穏やかな声色に、全員が顔を見合わせた。
「負けちゃいましたけどね」情けない、とばかりに不満げに唇を尖らせた成神が零すと、彼女は柔らかい笑みを浮かべる。

「そうだね。だけど──私は、みんなが楽しそうにサッカーしてるところが観れて、嬉しかった」

彼は──彼らは、出会うことが出来たのだ。本当に大事なことを、教えてくれる人に。
それに立ち会えなかった自分を悔やむ気持ちはあるが、それでも織乃は良かった。
自分が望んだ、彼らの姿を見れたのだから。

嬉しそうに口角を上げる織乃に気取られないように、小さく眉を下げて微笑んだ鬼道はやがて表情を引き締める。

「それで──御鏡。お前はいつ正式に戻って来るんだ?」
「え?」
「そっスよ! 3日前に帰ってきたなら、もう編入手続きも済んだでしょ?」

ニコニコとしながら成神が彼女の腕にすがりつくと、織乃はあからさまに視線を反らす。
「……織乃さん?」訝しげに首を傾げた成神や、不思議そうな表情でこちらを伺う部員たちを見回し。織乃は苦笑を交えて、言った。

「それが……引っ越し先の校区の問題で、帝国とは違う学校に通わなくちゃならないことになってて」
「えっ!?」

真っ先に不満の声を上げたのは、成神ではなく佐久間だ。
一気に集まった視線にハッとしながら、佐久間は顔を赤らめて続きを促す。

「それならしょうがないよな。それで……どこに通うことになったんだ?」
「…………」

今度こそ織乃は押し黙った。
しかし、いつの間にか背後に近付いていた源田に、観念しろとでも言うように肩を叩かれると、口を真一文字に結んだ後、吹っ切れたように言う。

「ら……雷門中学校、です」

ミーティングルームに、数名の叫び声が反響した瞬間だった。

「よりによって雷門かよ!」
「雷門にトロフィーと織乃さんが取られたー!」

悲鳴のような声を上げる成神と佐久間は、寺門や源田に頭を押さえつけられ息苦しさに押し黙った。
ごほん、と咳払いをし居住まいを正した鬼道は、ゆっくりと切り出す。

「まぁ、そういうことなら仕方ないだろうな」
「すいません、鬼道さん」

謝らなくても良い──とは言うものの、やはり織乃は申し訳なさそうな顔をして頭垂れる。
「これも何かの縁だ」と呟き。そう言えば、と鬼道は話を変えた。

「言い忘れていたな」
「はい?」

またここに戻ってきたわけではないが──そう前置きして、鬼道は、少しぎこちなくも優しく織乃に微笑みかける。

「おかえり、御鏡」
「! た──ただいま、です!」