Heart to believe

その朝、織乃は耳元で聞こえたゴソゴソとした音で目を覚ました。

「……はるなちゃん……?」
「あっ、織乃さん。起こしちゃいましたか?」

苦笑いする春奈に、織乃は呂律の回らない口で「だいじょうぶ」と答え、小さく欠伸をしながら枕元に置いてあった腕時計を見る。
マネージャーたちは普段5時半に起床して準備を始めるが、今の時刻はそれより早い5時だった。

「はるなちゃん、こんなじかんになにかようでもあるの……?」
「はい! ちょっと、やらなきゃいけないことがあっって」

まだしばらく寝てて良いですよ!と彼女は言い残し、いそいそとテントから出て行く。
しかし皮肉にもテントの隙間から容赦なく差し込んだ朝日が織乃の顔を直撃し、結果として彼女は完全に目を覚ますことになった。

「(春奈ちゃん、やらなきゃいけないことってなんだろう。やけに張り切ってたみたいだったけど……)」

着替えながら、織乃は首を捻る。
昨日の今日で、春奈の心境に何か変化が起きたのだろうか。

「(昨日、鬼道さんと色々話したみたいだし……そのせいかな?)」

鬼道と言えば、と。そこで織乃はふと昨晩のことを思い出す。
どうもあの後、鬼道の様子がどことなく落ち着きが無くなったように感じたのは、自分の気のせいだったのだろうか。

考え込みながら着替えている内に、腕時計の数字が変わる。小さく響くアラームに、秋と夏未が小さく身じろぎした。

「ん……あ、おはよー織乃ちゃん」
「あら、早いのね」
「おはようございます、秋ちゃん、夏未さん」

口を手で覆って欠伸をする2人に、織乃は微笑みかける。
隣の塔子を起こさないようにしながら、秋がテントを見回した。

「そういえば、音無さんは?」
「あ……春奈ちゃんなら、しばらく前にやることがあるからって」

「ふーん?」首を捻って、秋と夏未も着替え出す。
織乃はテントから這い出して、大きく背伸びをした。

──どうも、校舎の方で子供の声が聞こえる気がする。
空耳だろうかと首を傾げていると、後ろでキャラバンの扉が開く音がした。
中から出てきたのは、吹雪だ。

「あ、吹雪さん。おはようございます」
「おはよう、御鏡さん」

寝起きだというのに、吹雪はもうマフラーを巻いている。
ふと織乃はそこから視線を上にやって、怪訝な顔をした。

「──吹雪さん、嫌な夢でも見たんですか? 少し顔色が悪いですよ」
「え……?」

「寝汗も掻いてるし」と、織乃は吹雪にタオルを手渡した。吹雪はそれを握り締めながら、少し困ったように笑う。

「うん……少し、ね。昔のやな夢」
「うーん。嫌な夢を見たら、枕を3回叩いて『バク食え』って唱えれば良いんですよ」
「ふふ、おまじない?」
「そんな感じです」

2人は連れだって顔を洗いにいく。いつの間にか吹雪の顔色は、元の色に戻っていた。
「御鏡さんって、本当に──」ふいに言いかけて、口を噤んだ吹雪に織乃は首を傾げる。

「本当に、……何ですか?」

吹雪は顔に水をかぶって、「ふー」と小さく息を吐き出した。

「……やっぱり、御鏡さん怒りそうだから、内緒にしとくよ」
「よ、余計気になります……」

苦笑いして、織乃は顔に水をかぶる。キンと冷えた肌に、柔らかく吹いてくる風が心地良い。
ふと吹雪が、ねぇと声を上げた。

「御鏡さんのこと……織乃ちゃんって、呼んでも良いかな?」
「へっ? 別に良いですけど……どうしてまた急に」
「何か、そっちの方がしっくりくる感じがして」

はぁ、と気の抜けた声を返して、織乃は小首を傾げる。
それに対して、吹雪はいつものようにふわふわと微笑むだけだ。

──ふいにその時、突然辺りに黒い霧が立ち込める。
2人はハッとして、急ぎ足でキャラバンへ戻った。

「瞳子監督!」
「……お出ましのようよ」

キャラバンやテントから外の異変に気がついた仲間たちが飛び出してくる。
瞳子は険しい表情で、石段より遙か上──塔の天辺を見上げた。

「デザーム……!」

ギュッと眉間に深い皺を刻んで、円堂が呟く。
塔の装飾の上に凄まじいバランスで佇むデザームが、こちらを見下ろしてニヤリと笑った気がした。




「──何度言われても答えは同じです」

大急ぎで身支度を整えた雷門イレブンたちが石段を駆け上がった先には、イプシロンと対峙する漫遊寺イレブンがいた。
その後方には、硬い表情でそれを見守る春奈と、怯えた様子を見せる木暮の姿もある。

「春奈ちゃん──」
「織乃さん……ついに、ですね」

固唾をのみ、春奈は漫遊寺イレブンの背中を見つめる。
張り詰めた空気の中、影田がピシャリとデザームに言い放った。

「私たちに、戦う意志はありません!」
「……ならば、仕方がない」

口元を歪めたデザームが、黒いサッカーボールを掲げる。
それに向かって跳躍したゼルが大きく足を振り上げ、打ち放たれたシュートが影田たちの頭上を掠めていった。

「きゃああ!!」

漫遊寺の校舎をいとも容易く抉ったシュートに、どこかから絹を裂いたような悲鳴が上がる。
舞い上がる粉塵に、漫遊寺イレブンに戦慄が走った。

「──止むを得ません。その勝負、お受けいたしましょう……!」

ギロリと眼光を鋭くした影田が、デザームを睨みつける。
冷たい笑いを張り付けてフィールドへ入るイプシロンたちを警戒しながら、漫遊寺イレブンも各々のポジションに付いた。

「──御鏡さん」
「あ、はいっ」

静かな瞳子の声を受けて、織乃はモバイルを起動させる。
小さなカメラから、ディスプレイにフィールドが映し出された。

「お許し下さい……一時の激情に負けた、心弱き私たちを」

拳を手のひらに沿わせ、険しい表情で影田は唱える。
審判を買って出た古株がフィールドを見回し、ホイッスルを吹いた。

「──遠慮はいりません! 邪悪なる魂に天罰を下すのです!!」

叫ぶ影田を筆頭に、漫遊寺イレブンがフィールドを駆け上がる。
巧みなボール捌きに、雷門イレブンから感嘆の声が上がった。

「愚かな──6分で片付けてやる」

鼻で笑ったデザームの指示を皮きりに、イプシロンが動き出す。
ドリブル技が生み出す竜巻を突き抜け、進路を阻む衝撃波をも物ともせず、漫遊寺のゴールに突き刺さるイプシロンのシュート。
ならばと仕掛けた反撃のシュートも、涼しげな表情のデザームに片手で受け止められてしまう始末。

1人、2人と漫遊寺イレブンが倒れてゆき、そして最後に──

「無念だ……!」

絞り出すような声で呟いた影田が、地に伏した。
その瞬間、鳴り響くホイッスル。0対15──イプシロンの圧勝である。

「あいつら、本当に6分で決めやがった……!」
「これがファーストランクチームの力……」

ジェミニストームとは、比べられない程の強さ。雷門イレブンたちは思わず唾を呑んだ。
倒れた漫遊寺イレブンを睥睨したデザームは、黒いサッカーボールを天高く掲げる。

「──やれ」
「っ待て!!」

円堂がハッと声を上げた。
デザームの視線が、自ずと雷門イレブンへ向けられる。

「まだ試合は終わっちゃいない! 俺たちが相手だ!!」
「お前たちが……? ──フン、良いだろう」

デザームは目を細め、ボールを足下に下ろした。
「でもキャプテン!」栗松が慌てて円堂に声をかける。

「目金先輩の怪我がまだ治ってないでヤンス!」
「だったら、10人で戦うまでだ!!」

「じゅ、10人でぇ!?」栗松が更に声を張り上げた。
後ろに佇む風丸たちも、驚いたように目を丸くする。

「このままあいつらの好きにはさせられないだろう!」
「それはそうでヤンスが……」

苦々しく栗松が同調する。
しかし、相手のあんな実力を目の当たりにしたばかりでは、10人で試合に臨むのはあまりに心許ない。
そんな時、ふいに春奈が声を張り上げた。

「11人目ならいます! 木暮くんが!!」
「えっ!?」

春奈が後ろの木暮を手で指し示す。木暮は突然のことに、サッカーボールを抱えてギョッとした。

「こっ……!」
「木暮ェ!?」

険しい顔になった塔子を筆頭に、雷門イレブンが声を上げる。
春奈は表情を険しくして、雷門イレブンに向き直った。

「木暮くんだってサッカー部の一員です!」
「でも補欠だろ? 大丈夫かよそんな奴入れてり……!」
「下手にうろちょろされると、かえって邪魔になるし……」

「そんなことないです!」渋る染岡や土門に激しく頭を振って、春奈は大きく頭を下げる。

「木暮くんなら大丈夫です! だからお願いです!」

お願いします──半ば叫ぶように懇願する春奈に、ふいに円堂が歩み寄った。
「キャプテン、お願いします!」ハッとこちらを見た春奈と、おどおどしている木暮に目をやり、円堂はふっと微笑む。

「──分かったよ、音無」
「ええっ!?」

雷門イレブンから驚愕の声が上がった。昨日の落とし穴に根を持っている塔子に関しては、目を点にした拍子に傍らにいた栗松を押しつぶしている。
目を輝かせた春奈の視線を受けながら、円堂は瞳子を振り返った。

「良いですよね、監督!」
「……好きにすれば良いわ」
「ありがとうございます!」

あっさりと頷いた瞳子や円堂に春奈はもう一度大きく頭を下げて、後ろで縮こまる木暮を振り返る。

「さ!」
「い、いやでも、俺……」
「何怖じ気付いてんの! みんなを見返すチャンスじゃない!」

目尻を吊り上げ顔をのぞき込む春奈に、木暮は顔を青くしてサッカーボールを抱きかかえた。
だって、いや、でも──と震えながら呟く木暮を見下ろして、春奈はふと微笑む。

「……大丈夫よ、木暮くんなら。私、信じてるから!」
「……俺を、信じてる……?」

木暮は小さく目を見開いて、僅かに顔を春奈へ顔を向けた。
不安げに自分を見上げた木暮に、春奈は力強く頷いて見せる。

「ええ、信じてるわ! 木暮くんなら、きっとやってくれるって!」

まばたきを繰り返して──木暮は、じっとフィールドを見つめた。