The empty throne
静まり返ったフィールドに、波の音が響く。
「佐久間、源田……」ジャグを握りしめた鬼道が、小さく呟いた。
2人は真帝国のベンチで、タオルを握りしめ苦痛で滝のように流れてくる汗を拭っている。
「2人の為には、試合を中止した方が良いのかも……」
「そうだな。そうすれば、禁断の技を使わせずに済む!」
不安そうな表情で呟いた秋に、土門が賛同した。
確かにこのまま試合を続けても、いつか2人は再び禁断の技を使うだろう。それを完全に防げる保証もない。
彼らの体を守るためには、ここで試合を中止するのが、一番の得策──そのはずだった。
「試合中止は認めないわよ」
ふいに、鋭い声が割って入る。
振り向くと、瞳子が険しい顔でもう1度ピシャリと言い放った。
「後半は私の指示に従ってもらうわ。吹雪くんはFWに戻って」
みんな、勝つためのプレーをしなさい──指示を飛ばす瞳子に、でも、と秋がそちらを向く。
「それじゃあ、佐久間くんたちが……」
「これは監督命令よ!」
珍しく語気を荒げた瞳子に、秋や春奈が驚いて肩を揺らした。
瞳子は眉間に皺を寄せながら、強い眼光で雷門イレブンを射抜く。
「私の目的は、エイリア学園を倒すこと。この試合にも負けるわけにはいかない!」
「……」
頷かない瞳子に、一同は戸惑ったように顔を見合わせた。
数瞬、沈黙が広がった後、ふいに鬼道が重たい口を開く。
「……試合を続けよう」
「鬼道」
虚を突かれたように、円堂が目を丸くした。
鬼道は、地面をじっと見つめながら、訥々と語る。
「確かに中止すれば、佐久間たちの体を守ることは出来る──」
しかし、2人の体を守る≠セけでは駄目なのだ。
この試合は、彼らの目を覚まさせる為の試合。勝利を掴むことしか見えていない2人には、サッカーを通してでなければ分かってもらえない。
勝つことに、禁断の技など必要がないということを。
「……もしここで試合を止めたら、佐久間さんたちは完全にあの人の影響下に置かれてしまいます」
ふと、織乃のか細い声が鬼道の言葉に続く。
ベンチに座った彼女は、耐えるように自分の膝を見つめていた。
「そしていつかは、あの技を使って、2人とも二度と試合が出来ない体になる……」
「──やはり、この試合で救い出すしかない!」
「……良いんだな?」ハッキリと言い切った鬼道の目を見て、円堂が静かな声音で尋ねる。
構わない──そう答えた鬼道の表情に、迷いは見えない。円堂は励ますような笑顔を浮かべ、頷いた。
「分かった。でも、絶対に佐久間たちにあの技を出させないようにしよう! 何か方法があるはずだ」
イレブンたちが各々頷き、それに答える。
ふとベンチから立ち上がった織乃が、考え込む鬼道に歩み寄った。
「──鬼道さん。私、ここのことを鬼瓦さんに報告してきます。正式な試合ではないから、あの人が捕まっても試合が中止されることはないだろうから」
「御鏡……」
鬼道は少し、驚いたように彼女を見やる。
織乃は汗ばんだ手で携帯電話を握りしめて、鬼道を見つめた。
「私は私に、出来ることをします。──信じてますよ、鬼道さん」
「……ああ。分かった」
表情を引き締め、小さく頷いた鬼道に織乃は頷き返す。
艇内に駆け込み、靴音を薄暗い廊下に響かせながら織乃は携帯の蓋を開いた。
「(本当は、外で掛けられれば良かったんだけど)」
剥き出しになったフィールドでは、海風がノイズになってまともに会話が出来ないだろう。
キーを操作しながら、織乃はアドレス帳を開いた。
コール音は1回。
「──あっ、もしもし鬼瓦さ……」
『丁度良かった織乃ちゃん、今掛けようとしていたんだ!実は影山が脱走──』
「お、鬼瓦さん、ちょっと」
キーンと耳をつんざく嗄れ声に後込みしながら、織乃は慌てて鬼瓦を制す。
「影山さんの件は知ってます。今私たち、影山さんのチームと戦ってるんです」
『何だと!? あいつめ、また性懲りもなく……で、そこはどこなんだ織乃ちゃん! 愛媛にいるのは分かったんだが、市街を探しても見つからなくてな……』
鬼瓦は相当急いでいるのか、語気を強めながら織乃を急かした。
織乃はピッチの方に気を配りながら、少し声を押さえる。
「海の上です。多分、乗り込んだ場所から移動しているのでどの辺りにいるかはハッキリとは分からないけど……潜水艇に」
『海……なるほど、分かった! すぐヘリでそちらに向かう!』
そう言って、嵐のような鬼瓦との通信はブツリと途絶えた。
ツー、ツーと音を鳴らす携帯に、ひとまずこれで良いと織乃は一つ溜息を吐く。
他に自分に出来るのは、鬼道たちのサポートに戻ることだけだ。
「(早く、ピッチに──)」
携帯をポケットに押し込んだ織乃は、急ぎ足で踵を返す。
しかし、気持ちが逸り過ぎた彼女は、背後に人影が迫っていることに気付かなかった。
バチンッ──と、背中に激しい音と共に体全体に痺れるような衝撃が走る。
悲鳴を上げる暇もなく、織乃の意識は一瞬でブラックアウトした。
:
:
「……っ」
指先が小さく跳ねる。
織乃はのろのろと瞼を上げ、頬に押しつけられた冷たい床の感触に覚醒した。
「──目が覚めたようだな」
「なっ……」
聞き覚えのある声に、織乃は弾かれたように起き上がる。
拘束はされていない。織乃は薄暗い部屋の中で、唯一光を放つ幾台ものモニターを前にしているその背中を睨みつけた。
「影山、さん……」
キリリと椅子が回り、影山がこちらを振り向く。
逆光になった彼の表情を見ることは、彼女には適わなかった。
「……何のつもりですか」
「お前にも、ここからの景色を見せてやろうとな」
そう言って彼がパネルを操ると、モニターに何方向からもフィールドの様子が映し出される。
織乃は顔をしかめ、それを見た。
──染岡が、片足を押さえ苦悶に表情を歪めている。
音声は無かったが、不動にスライディングを仕掛けられたことが駆け寄ってきた吹雪の反応で分かった。
「……っ私を、ここから出して下さい。早く、みんなのところに──」
「戻ってどうする?」
静かに影山がこちらを見下ろす。
「え?」と思わず聞き返した織乃は、彼の顔を見上げた。
「まともに試合の出来ないこの状況では、お前の力も役に立たない。それでも、戻るというのか」
「そ、れは──当然です。私は、雷門のマネージャーだから」
あそこにいるのが、当たり前で。言い掛けた織乃は、ニヤリと唇を持ち上げた影山に、つい口を噤んだ。
「悲しいかな──マネージャーは選手の心を完全に理解は出来ない。戦いに置いて実に無力なものだ」
織乃は怪訝そうに眉根を寄せる。
彼は、佐久間と自分の会話を聞いていたのではないか。
否、確実に聞いていたのだろう。少しずつ、少しずつ。織乃の心を、抉りにかかる。
「──これが最後の誘いだ、御鏡」
「!」
つい、と影山の指が動き、映像に音声が付け加えられた。
皇帝ペンギンに吹き飛ばされ、地面に倒れた染岡に鬼道が叫ぶ。
零れんばかりに目を見開いた織乃に、影山はまるで呪文を掛けるかのように言葉を続けた。
「もう一度、私の元へ来い。そうすれば──選手を完璧にサポートできる力を、お前に与えてやる」
「ちから……」
小さく繰り返して、織乃は穴が空くほどモニターを見つめる。
小さなモニターの中で──ついに、佐久間が倒れた。
『──ッ影山ぁああ!!』
喉が裂ける程に張り上げられた、鬼道の叫ぶ声が聞こえる。
織乃はゆっくりと、頭垂れた。
「──……いらない」
「何?」
蚊の鳴くような声に、影山は僅かに目を細めた。
顔を上げた織乃の瞳には、怒りと決意に満ちた光が宿っている。
「他人から与えられた力なんかいらない。私は自分の力で、鬼道さんたちを助けると──あなたに立ち向かうと、決めたんです!!」
それは、あの日。
帝国を離れることになり、自分の無力さを知って、決めたこと。
これまで何度も繰り返した絶望や悲しみに、今更負けるわけには行かない。
自分の力不足など、言われなくても、とうの昔に知っている。
だからこそ逃げない──立ち向かう。
彼はじっと表情を動かさないまま、「愚かなことだ」と呟く。
「後悔するぞ」
「後悔するかしないかは、私が決めることです。あなたこそ、何で私を引き込もうとするんですか」
目尻を吊り上げ、織乃はモニターに向き直った影山の背中を果敢に見つめた。
背後で閉ざされた重たい扉は、どうも開きそうにない。
「ひとつは、単にお前の力が使えるものだからだ。もうひとつは──」
奴を釣るための、餌。
そう答えた影山に問いかけようとした瞬間、扉が左右に開く。入ってきたのは、不動だった。
「あれェ? 姿が見えないと思ってたら……ふーん、こんなとこにいたんだ、アンタ」
「……っ」
前へ進むことも後ろへ引くことも出来なくなった織乃は、顔をしかめてその場でたたらを踏む。
不動はニヤニヤと笑いながら、影山の背中に声を掛けた。
「まさかあれほど柔だとは……使えねぇ奴らだ。ねぇ影山総帥」
「使えないのはお前だ」
冷たく言い放つ影山に、不動は驚いたように肩を揺らし笑みを潜める。
影山は不動を振り返ることなく、モニターを見つめたまま続けた。
「私は一流の選手を集めてこいと言った筈。──だが、お前の集めてきた選手は全て二流……お前自身含めてな」
「ッ二流……!? この俺が二流だと!?」
──このまま2人が会話を続けていれば、どさくさに紛れて逃げられるかもしれない。
語気を激しくした不動に織乃は肩を揺らしつつ、気取られないようゆっくりと扉の方へ後退する。
「お前の魂胆くらい見抜けぬ私ではない。私を利用し、この真帝国学園の一員として雷門を倒し、あのお方に認めてもらおうとしていたことぐらいな」
影山の指が、パネルの上を滑るように動いた。
「わっ……!」途端、大きく揺れる足元に足をもつれさせ床に這いつくばった織乃の視界で、怒りに満ちた表情を浮かべる不動の姿が消えていく。
否、不動が消えたわけではない。織乃たちのいる床がせり上がり、艇上へ剥き出しになったのだ。
バラバラとプロペラの回る音に、織乃は風に吹かれる髪を抑えながら上を見上げる。
上空を飛ぶヘリの扉から、拡声器を構えた鬼瓦が顔を出した。
『見つけたぞ影山! もう逃げられんぞ!!』
鬼瓦を見上げた影山が、ニタリと口角を上げる。
次の瞬間──ボン、と激しい音と共に、潜水艇の装甲が爆発した。大きな振動が広がるのと同時に、あちこちから黒い煙が上がり始める。
『まずい──全員、脱出しろ!!』
揺れる床に手を突きながら、織乃は目を見開く。
──眼下、その先で、マントを風にはためかせた鬼道がいた。
「鬼道さん!」
「っ御鏡、飛び降りろ!!」
声を上げた織乃に、鬼道は両手を広げて叫ぶ。
一瞬戸惑った後、そこに飛び込んだ織乃を何とか受け止めて、鬼道は影山を見上げた。
「佐久間をあんな目にあわせて満足か!!」
「満足? ──出来るわけなかろう! 常に勝利する最高のチームを作り上げるまではな!」
言い捨てる影山に、鬼道は歯噛みする。組んでいた腕をゆっくりと解き、彼は鬼道を見下ろした。
「これまで私が手掛けてきた、最高の作品を教えてやろう!」
バラバラと近付いてくる音に、織乃は振り向く。
「2人とも掴まれ!」ヘリから降ろされた縄梯子にぶら下がった鬼瓦が、上で叫んだ。
「鬼道さん!!」
縄梯子に飛びついた織乃は、それに必死に手を絡めながら鬼道を振り返る。
鬼道は動かない。釘づけられたように、ただ影山を見上げていた。
「──それは、鬼道。お前だ!!」
「ッ!!」
鬼道が大きく肩を揺らす。
「くそっ」毒づいた鬼瓦が腕を伸ばし、鬼道の体を抱え上げた。
「っ影山ぁああーーーー!!」
鬼道が、喉を枯らさんばかりに叫ぶ。
次の瞬間、潜水艇は激しい爆発音を最後に、大きな水柱を上げて──海へ、沈んでいった。
:
:
「お、お兄ちゃん、織乃さん!」
ふらつく足取りでヘリから降りるや否や、織乃の胸に涙目になった春奈が飛び込んでくる。
しゃくりあげながら、春奈は織乃の制服と兄のマントを掴んだ。
「ふっ、2人とも、死んじゃうかと思ったぁ……!」
「春奈ちゃん……」
「……すまない、春奈」
眉を下げて妹の頭を撫でた鬼道が、ハッと顔を上げる。
視線の先で、ぐったりとした佐久間と源田が、担架で運ばれていた。
「っ佐久間、源田……」
2人に駆け寄った鬼道に、佐久間がゆっくりと瞼を上げる。
春奈を宥めた織乃がそこへ辿り着くと、彼の口角が少し緩んだ。
「悪いな、鬼道……久しぶりだって言うのに、握手も出来ない」
「……構わない」
ぼろぼろになった佐久間の手は最早自力で動かすことも叶わないらしい。自分の手を佐久間のそれに重ねて、鬼道は眉根を寄せながら答える。
佐久間はどこか憑き物の落ちたような表情で、曇り空を仰いだ。
「お陰で目が覚めたよ……でも、嬉しかった……一瞬でも、お前の見ている世界が見えたからな……」
鬼道が苦しげに眉を下げる。
佐久間は少し視線を動かして、次に織乃を見上げた。
「……御鏡も、酷いこと言って、悪かったな。お前はいつも、俺たちを支えようと頑張ってくれてたのに……俺は……強くなることばかり、考えて」
「…………もう、良いんです」
唇を震わせ、織乃は答える。
ぽたりとひとつ落ちた雫が、佐久間のユニフォームの色を、じわりと濃く染めた。
「……男の子≠フ気持ちは、女の子≠ノは分かりませんから」
「──ふ……何だか……初めて、お前にまともに男扱いされた気がするよ」
ふっと口角を上げて、佐久間はゆっくりとまばたきを繰り返す。
鬼道は変わらない表情で、佐久間を見つめていた。
「鬼道……体、治ったら……またサッカー……一緒に、やろうぜ……」
「……ああ。待ってる……」
穏やかな表情で目を伏せた佐久間と源田を乗せた救急車が、埠頭から走り去っていく。
緩やかな波の音を聞きながら、織乃の目からまたひとつ、涙がゆっくりと静かに──零れ落ちた。
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