It starts quietly
「風丸一郎太」
日も沈み、町がどこからともなく香ってくる夕飯の匂いに満たされる頃。
織乃の作った夕食で埋まった御鏡家の食卓で、向かいに座る姉に、弟の大樹が唐突に口を開いた。
「──って言う人、姉ちゃん知ってる?」
「ん……え?」
虚を突かれたように、織乃はぽかんとした顔で呆けた声を漏らす。
そして口の中に少し突っ込んだままだった箸の先を抜き取ると、そのままパチリと椀に乗せた。
「風丸さん、って……髪が長くて、青い人?」
「うん、その人」
もぐもぐと口を動かしながら大樹は頷く。しかし、風丸は自分と同じ2年生で大樹は1年生。委員会や部活動が同じならともかく、風丸と弟の接点が思い当たらない。
「何で大樹が風丸さんを知ってるの?」不思議に思い尋ねると、大樹は口の中の物を飲み込んだ。
「俺、陸上部に入ることになったんだけどさー」
「うん」
大樹は織乃に相槌を打たれながら、箸を持つ手を止めずに続ける。
入部届けも提出し、ユニフォームが届くまでは見学者という扱いになったらしい大樹。
陸上部の使用グラウンドで先輩や同級生らに部活動の説明などを受けている最中、同じクラスで仲の良くなった宮坂という生徒が連れ立って来たのが、その風丸だったというのだ。
「そんで、その人が物凄い足が速くてさ。今はサッカー部の助っ人だって言うから」
「姉ちゃんまたサッカー部のマネジすることなったんだろ?」と大樹は小首を傾げる。
だが、首を傾げたのは織乃の方も同じ。風丸がサッカー部の助っ人として活動していることなど、耳に入れていなかったのだ。
そこで、そういえば──と思い出すのは今日の放課後のこと。
ひとまず正式な入部は明日からとなったものの、影野や染岡と並んで、新しい必殺技を見た時。
「スッゲー技なんだ!」と楽しそうに笑った円堂の言葉とは裏腹に、その必殺技──『炎の風見鶏』は、織乃の見ている内では1度も成功することはなかった。
まだ彼らのサッカーを見て間もない織乃でも、 風丸の不調が原因なのだと分かった。染岡曰く、中断する前は10本中10本入るとのことだった──今聞いた話と繋げると、その陸上部に行ったとき何かあったと考えるのが妥当だろう。
「(でも……まだ、私はみんなのプレーを、全ては把握出来てない)」
そんな中途半端な状態で憶測を持っても、邪魔になるだけだ。
結論付けるにはまだ織乃の経験は浅いし、風丸がどんな人間かを1から10まで知っているわけでもなし。
このことに関しては、他の部員たちの意志を仰ぐしかないと、織乃は軽く箸の先を噛んだのだが──
「は?」
次の日の朝。
織乃を含め、部室に集まったサッカー部員数名は、眉を潜めた。
深刻そうな顔をした栗松が、風丸がサッカーを辞めてしまうかもしれないと言い出したのである。
「まさか。風丸がサッカーやめるわけないだろ?」
そう返すのは、僅かながらに顔をしかめ机に肘を突く染岡。そうッスよ、と壁山が焦り気味に同調した。
「大体、風丸先輩やめたら炎の風見鶏出来なくなるッスよ」
「でも、本当に陸上部で走ってたヤンスよ!」
眉根を寄せ不安げに語気を荒げる栗松に、織乃が「あのね」と控えめに声を掛ける。
「弟から聞いたんだけど……風丸さん、後輩に頼まれて走ったみたい。決めつけるには気が早いかもしれないよ?」
「だけど……だからってこっちの練習遅れてまでやってるなんて変でヤンス」
少し俯いてしまった栗松に、部室内に沈黙が落ちる。
聞こえるのは誰かの溜息ばかり。ギシリと椅子を傾けて、染岡が疲れた風に呟く。
「明日から大会始まるって言うのに……」
「確かに、昨日も炎の風見鶏決まらなかったもんね……。せっかく、織乃ちゃんも入ってくれたのに」
眉を寄せる秋に、織乃が申し訳なさそうに肩を竦めた。
元々奴は、帝国との練習試合の助っ人だったからな──と、染岡はさらに続ける。
「俺たちを全国に送ってやめるなんて、カッコ良すぎだろ」
その言葉に、1年生たちが顔を歪めて沸き立った。
それを聞きながら、秋がそっと織乃に声を掛ける。
「ごめんね、織乃ちゃん。入部早々、何だかこんなことになっちゃって」
「あ──いいえ、秋ちゃんが謝ることないです。こんな風になるなんて、みんな予想してなかったでしょうし」
「でも、風丸さんは……」俯いて小さく続いたそれに、秋もうなだれた。
その時、未だ喧々囂々と騒ぎの止まない部室の扉が、ガラリと勢いよく開く。
「落ち着け、みんな!」
そう、真剣かつ良く通る声色で放ちながら部室に入ってきたのは、何故か学ランの袖と裾をたくし上げた円堂だった。
「キャプテン!」栗松の声を皮切りにしたように、壁山が慌てながら円堂に駆け寄る。
どもりぎみに「風丸先輩が」と言えば、円堂はさらに真面目な顔でただ一言、分かっていると答えた。
「決めるのは、風丸だ」
真っ直ぐ、じわりと。その言葉が浸透していく。
1年生たちは、少し落ち着きを取り戻したようだった。
しかし栗松はまだ不安を拭い切れていないようで、一人顔をしかめている。
「キャプテンは、風丸先輩がサッカー部止めても良いんでヤンスか?」
そう問いかけると、円堂はそう言う訳じゃないと少し苦い顔をした。
「でも、自分が本当に何をしたいか──それを一番解ってるのは風丸自身だろ?」
自分が何をどう思っているか。そんなことは、言葉にしなければ全て解るはずもない。
長い年月を共にした幼なじみと言えど、相手のことを知り尽くすことなど結局は出来ないのだ。
再び重たくなった空気の中、それを振り払うかのように突然秋が椅子から立ち上がる。
「円堂くんの言う通りよ。私たちがここで悩んだって何も変わらないわ。ねっ、織乃ちゃん!」
「えっ? あ、はい!」
ポン!と力強く肩に手を置かれ、織乃も少し驚きながらも頷いた。
そして、ふと視線を時計にやった織乃があっと声を上げる。
「たっ……大変、あと1分で朝礼の時間です!!」
「ええっ!?」
早く行かないと遅刻扱いだ、とガタガタ音を立てながら、各々慌てて部室を後にする中──小走りになりながら、円堂が秋の肩を軽く叩いた。
「サンキューな、木野」
「ううん」
前方で微笑み合った二人を見て、織乃は小さく息を吐く。
「二人とも、息ピッタリだなぁ」関心したような独り言に、それが聞こえたらしい染岡が小さく付け加える。
「木野だからこそ──だけどな」
「はい?」
何でですか? とでも言うように織乃が振り向けば、染岡は一瞬戸惑ったように視線を泳がせた後、「その内分かるだろ」と言葉を濁したのだった。
そして、その後は滞りなく、いつもと同じように授業は進み、空では鳥が輪を描く。
ああは言ったものの、やはり上の空でそれを眺める円堂の背中を、気遣わしげに見つめる秋。
そしてその図を視界に入れた織乃は、ふぅと小さく溜息を吐く。
「(二人とも、大変なのに……私、何も出来ないや)」
出来ることと言えば、弟から陸上部のことを聞くぐらいか。
そんなことを考えながら黒板の文字をノートに書き写していく織乃の肩に、トントンとつつかれる感覚が走った。
叩かれた方を見ると、隣の席である豪炎寺が前方の教師を気にしながらこちらに視線をやっている。
織乃は教師がこちらに背を向けたタイミングで、教科書を立てかけながらその陰で口を開いた。
「どうかしました?」
「円堂と木野は何かあったのか?」
ああ、やはり分かるものなのか、と織乃は少し苦笑いをして頷き、「風丸さんのことで、ちょっと」と小さく呟く。
豪炎寺はちらりと円堂や秋に視線を向けだろうな、と返すとそのまま続けた。
「朝礼の前、風丸を見かけたんだが」
「はい」
「多分、今日はもう大丈夫だ」
「はい?」
僅かに声量の大きくなった織乃の声に反応したのか、教壇に立つ教師が数式の説明をしながらくるりと振り返り、織乃は慌てて瞬時に姿勢を正す。
教師が教室を見回し、再び黒板に向かったのを見送り織乃は再び教科書の陰へ。
しかし、いくら尋ねても豪炎寺はただ笑みを浮かべ応えるだけで、その理由は結局分からずじまいだった。
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翌日。
空には空砲が響く音と、実況解説、角馬の父親・王将の声がキンキンと鳴り渡っている。
FF全国大会の開幕だ。
わんわんと観客の叫びが反響する中──観客席の一角に座る春奈は、隣で滝のような涙を流す角馬を宥めつつ辺りを見回して呟く。
「遅いなぁ、織乃さん。自販機、込んでるのかな?」
一方、織乃はと言うと。
「……間違えた……」
春奈と自分の分の缶ジュースを持った織乃は、本来自分が戻るべき場所からかなり離れた観客席の入り口付近に立ちすくみ、呆然と呟いた。
特に複雑な道でもないのに何故と、織乃は飲み物を買ってくると席を立った10分前の自分を恨む。
既に雷門イレブンは、スタジアムのフィールドに整列している。織乃が頭を抱えたその時だった。
「──こんなとこで何をしてるんだ?お前さん」
「え?……あ」
鬼瓦さん、と織乃はポカンとしてその名前を呼ぶ。
相も変わらずくたびれたコートを翻し、鬼瓦は織乃の隣に並んだ。
「鬼瓦さんも観戦ですか?」
「まぁな。……まぁ、念の為ってのもあるが」
続いた言葉に、織乃は俯く。
「聞いてるだろ、理事長のこと」彼女は軽く目を伏せると、小さく頷いた。
昨日の放課後のこと。部活動の最中、夏未の携帯電話に彼女の父である雷門中の理事長が、交通事故に遭ったと連絡が入ったのだ。
あの時の夏未の蒼白な顔を思いだし、織乃は唇の内側を軽く噛み締める。
「……でも鬼瓦さん、あの人はもう──」
「ああ、そうだ」
奴が動けるはずもない。鬼瓦は自分に言い聞かせるように答える。
一瞬の沈黙。それを破ったのは、よく響く実況の声だった。
『──更に昨年の優勝校、帝国学園が特別出場枠として参戦!』
「あ」
小さく声を上げた織乃の顔が、僅かに綻ぶ。
フィールドでは、入り口からプラカードを持った少女に続き、統制のとれた動作で帝国陣が入場している。
ハッキリとは分からないが、隣の円堂と何か言葉を交わしている風な鬼道に、織乃はそっと頬を緩ませる。
「(──あの人たちならきっと、決勝戦で会える)」
織乃が一人微笑んだ、その次の瞬間。
「──分かった、もう良い!」
「わっ!?」
背後から怒声が響く。
慌てて振り返ると、丁度鬼瓦が携帯を片手に「どうなってやがる」と毒づいた時だった。
「鬼瓦、さん?」
「……織乃ちゃん、大変なことになったぞ」
苦い顔の鬼瓦に、織乃も知らずと眉間に皺を寄せた。
何があったのか問いかける間もなく、実況は更に続く。
『そして残る最後の一校、推薦招待校として、世宇子中学校の参戦が承認されております!』
「推薦招待校?」
眉根を寄せ、織乃は首を傾げる。
FFの規約には粗方目を通したつもりだったが、そんなものは存在しただろうか。
観客、そして整列する選手たちが注目する中、入り口からプラカードを持つ少女が、何故かやや俯きがちに入場する。
その理由は、すぐに分かった。
スタジアム全体がざわめく。
恥ずかしげに歩く少女の後には、世宇子の選手が一人も付いてこなかったのである。
『えー……世宇子中学は本日調整中につき、開会式は欠場とのこと』
「開会式に調整……?」
変わった学校もあるものだ、と小首を傾げる最中、ポケットに入れていた携帯が震えた。
着信が春奈からであることに気付いた織乃は、ギョッとしながら踵を返す。
「鬼瓦さん、私行かなきゃならないので──それじゃあ!」
「ん、ああ……」
何やら煮え切らない顔の鬼瓦の視線を背に受けながら、織乃は電話越しの春奈の言葉を聞きながら元来た道を走る。
無機質な電灯の光に照らされた廊下は外とは違いひたすら静閑としており、ただ彼女の靴音だけが響いていた。
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