Shut-up feeling
イプシロンとの戦いは、グラウンドのあちこちに設置されていたカメラによって全国中継されていたらしい。
試合は引き分け、次の戦いはいつになるのか──夜が明ければ、きっとそんな言葉が新聞の一面を飾るのだろう。
だが、戦いに疲れきった彼らに今最も必要なのは、世間からの評価ではない。
「今日は貸切りやー!!」
リカの大きな声が、室内一杯に響き渡る。
ぴちょん、と天井から垂れた水滴が、肩を濡らした。
現在地はナニワランドから徒歩で10分ほど離れた場所にある大きな銭湯。時刻は午後7時を回っている。
試合を中継で観たのだと言う銭湯の番頭が、『地球のために戦ってくれとるんやさかい』と、浴場を2時間だけ貸切りにしてくれたのだ。ただし、料金はびた一文とまけてはくれなかったが。
「はぁー、ええ湯やなぁ」
「リカ、おばさんみてー」
タオルを頭に乗せてぐったりとするリカに、塔子がケタケタと笑う。
やかましわ、とひとつ吠えて、リカはふとこちらにやって来た織乃と夏未を振り返った。
「何や2人とも、タオルなんかで隠しよって」
「リカさんはもう少し恥じらいを持ってください」
タオルを脇にやりながら小言を述べる織乃に、リカは耳にタコだとでも言うように「へいへい」とヒラヒラ片手を振る。
2人が湯船に落ち着くと、浴場は溜め息で溢れ返った。
「それにしても……やっと一歩前進、と言ったところね」
「あたしたち、強くなったんだよなー」
ぼんやりと呟いた夏未に、塔子がお湯の中で手をばたつかせながらニヒヒと笑う。
試合の流れは最後まで互角だった。それが今1番の心の支えだ。
「あと1歩踏み出せば、きっと勝てますよね。私たちも、頑張らないと」
「そうね」
ぐっと拳を握った織乃に、秋が微笑む。
「あーっ」と突然声を上げたリカが、大きく伸びをした。
「やめやめ! 風呂入ってる時くらいサッカーの話はなしや!」
「えー」
じゃあ何の話するんですか、とからかい交じりに尋ねた春奈に、リカは首を捻る。
そして一拍空け、彼女はニンマリと笑った。
「ここは、女子らしく恋バナに花を咲かせるべきやろ!」
「こ……?」
一瞬、何の略だと首を傾げた夏未に「恋の話のことですよ」と織乃がそっと教えると、彼女の顔がぶわっと真っ赤になる。
その反応を見てなのか、リカはニヤニヤ笑いを深めて続けた。
「正直な話、選手の中に好きなヤツでもおらんと、一介のマネージャーにこんな旅続けられるとは思わねんけど」
「偏見ですよ、それは」
真面目な顔になる織乃に肩を竦めたリカは、ニヤッと唇を緩めて視線を移動する。
「まぁ、中には分かりやすいのもおるけどなぁ?」
リカの視線の先にいるのは秋と夏未だ。
2人はギクリと身を竦めると、頬を赤らめ湯に肩を沈める。
「塔子はどうやの」
「あたし、そーいうのよく分かんないもん」
「何やー、お子さま思考やな!」
恋愛は楽しいもんなんやで、とリカは何を想像しているのか体をくねらせた。
ドキドキしてふわふわして──と熱弁するリカに構わず、お子さま思考と言われたことが気に入らないらしい塔子が春奈を振り返る。
「春奈は?」
「私、今は自分より周りの話を聞く方が楽しいんで!」
さらりと質問を躱し、春奈はニッコリ笑った。
そして妄想の世界から帰ってきたリカが、最後のターゲットをロックオンする。
「……んで? あんたはどうやの、織乃?」
「はい?」
ニンマリとしたリカが、織乃の方へすすす、と身を寄せた。
ちらりと視線を反らすと、じっとこちらを見つめる秋や夏未、春奈と目が合う(塔子はタオルを湯の中で膨らませて遊んでいる)。
「わ、私は……恋愛はあまりしたくないと言うか」
「ええっ、何でですか!!」
ばっしゃんと水飛沫を上げながら立ち上がった春奈に、織乃は目を丸くしながら慌てて言った。
「だって、辛いし……」
「何や、それ」
失恋が前提かいな、と渋い顔になったリカに、織乃は浴槽の中で体育座りになる。
湯に揺らめく膝小僧に、小さな小傷がついていた。
「リカさんは知ってると思いますけど……私、転勤族だったから好きな人が出来ても、告白する勇気を出す前にお別れすることになっちゃうんですよ」
実際、昔一度だけそういう経験をしたことがある。
小学2年生の頃だっただろうか。近所に住んでいた上級生に、織乃は憧れていた時期があった。
同級生とは違い、優しくて、大人びていたのか少し理知的な少年だった気がする。
「でも、これが恋なのかな──って思った矢先にまた転勤が決まっちゃって。離れるのが悲しくて、言えないのが悲しくて、……」
こんなに辛い目にあうなら、もう恋なんてしなくていいと、幼いながらも心に誓ったのだ。
最も、そのお陰で兄の過保護具合がほんの少しマシになったこともあるので、一概に悪い経験とは言えないが。
「気に食わへん」
言葉を切った織乃に、リカがぼやいた。
えっ? とキョトンとした織乃に、彼女は指を突きつける。
「織乃。あんたもう、転勤族やないんやろ? せやったら、別にそない怖がらんくてもええやん」
「……あ、そっか」
目から鱗だとでも言うように、ややあって織乃はポンと手を打った。
如何せん転勤族だった時期が長いため、未だにその思考が抜けないのである。
「どんな理由があろうが、恋愛せんとか人生損しとる!」
「リカさんは恋に生きてますしねぇ」
から笑いして、織乃は湯船の波を見つめた。
そうか、もう離れることは考えなくても良いのか──それでも、仮に好きな人が出来ても、思いを告げる勇気が出ることはないのだろうが。
織乃はそっと、微笑んだ。
「……それで?」
「え?」
塔子や春奈を引き連れ、「背中流しっこするで!」と湯船から出たリカに気付かれないように、秋が小さく尋ねる。
彼女は優しく、笑っていた。
「今の織乃ちゃんにはいるの? そういう、好きな人」
「え。やだな、そんなの──」
途端、織乃はぐっと押し黙る。
湯気で霞んだ頭の中で、一瞬見覚えのある顔が微笑んだのだ。
「(──あ、あれ?)」
ぶわわ、と顔が熱くなる。
秋と夏未は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
「おーい、3人ともこっちきいや!」
「はっ、はーい!」
慌てて顔を上げた織乃はタオルをひっつかみ、「行きましょう!」と2人を促す。
顔の熱は湯船に長く浸かっていたせいなのか、中々下がってくれなかった。
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入浴を済ませた後は、各自キャラバンに戻ることになっている。
織乃は洗面器を抱え、1人ぼんやりとした足取りで銭湯の出口へ向かっていた。
「あ」
ふと、出入り口の脇にあるベンチに見覚えのある姿を見つけて、彼女は思わず立ち止まる。
声に気付いたのか、小さく肩を揺らした彼がこちらを振り返った。
「──御鏡か。春奈たちはどうした?」
「休憩室で遊んでますよ。卓球台があったから」
「お前はやらないのか」
「私は、今日のデータを編集したくて」
そうか、と返した鬼道は、視線を落ち着かせる場所がないのか小さく俯く。
微妙な沈黙に耐えきれず、「鬼道さんは?」と尋ねると、彼はハッと顔を上げて言った。
「少し、逆上せてしまってな。涼んでいたんだ」
「そうなんですか……」
再び沈黙が降りる中で、外のどこかでクラクションがパパーッと鳴り響く。
それに釣られたように、鬼道は俯いたまますっくと立ち上がった。
「──一緒に、戻るか」
「あ、はい……」
織乃は何故だか重たい足を踏み出す。
銭湯を出ると、街灯が緩やかに頭上を照らした。
ここがもう少し田舎だったら、月明かりで道が照らされていただろう。
織乃は夜空の月を見上げ、次にこっそりと鬼道の横顔を見た。
相変わらずのポーカーフェイスで、彼はじっと前を見据えて歩いている。
『今の織乃ちゃんにはいるの? そういう、好きな人』
不意に秋の言葉が脳内で蘇り、織乃はパッと視線を前に移した。
どき、と心臓が跳ねる音がした気がする。
「(ち、違う違う。私は、好きな人なんて)」
──果たして、そうだろうか。
頭の冷静な部分が、心に問いかけた。
ドキドキしてふわふわして──それが、恋。
長年離れていた感情を思い出すことは、今の彼女には少し難しい。
「──御鏡」
「は、はい!」
名前を呼ばれ、織乃はつい体を大きく揺らした。
ぐ、と自分よりも少しだけ大きな手に肩を掴まれて、引き寄せられる。
「後ろから自転車が来てる」
「は……」
途端、チリンチリンとベルを鳴らして、会社帰りのサラリーマンが織乃たちの直ぐ横を通りすぎて行った。
風に吹かれた前髪を押さえ、織乃はまばたきもせずに固まる。
「お前も少し逆上せたんじゃないのか? 随分ぼんやりしてるが」
「……そう、かもしれません」
ただ、逆上せたのは湯船のせいではないことは明らかだ。
下ろした髪が、彼女の顔を隠す。
「(体、熱い──)」
掴まれた肩に、心臓が移ってしまったような感覚さえ覚えた。
鬼道は縮こまった織乃の肩からパッと手を外す。
「御鏡?」
「あっ」
織乃はハッとして、半歩後ずさった。
鬼道は不思議そうな顔をして、「大丈夫か?」と尋ねてくる。
「はい──大丈夫、です。すいません」
「いや……なら、良いんだ」
ほっと息を吐いて、彼は緩やかに微笑んだ。
月明かりに照らされて、ゴーグル越しにうっすらと彼の瞳が細められているのが見える。
「(──ああ。そうか)」
きゅうっと唇を引き結び、織乃は彼の目を見つめた。胸が高鳴り、浅く漏れた息までも熱い。
湧き出る水のように溢れてくる感情に、織乃はそっと目を伏せた。
「(私は、鬼道さんのことが好きなんだ)」
ストンと、言葉が心に落ちてくる。
認めてしまえば簡単だ。距離が近付くほど胸が高鳴るのも、優しい言葉に胸が暖まるのも、全部。
──彼に、恋をしているから。
「──ねぇ、鬼道さん」
「ん?」
ふと、落ち着いた声で語りかけてきた織乃に、鬼道はキョトンとする。
織乃は真っ赤な顔で、それでも心は穏やかに、はにかんだ。
「今日は、月が綺麗ですね」
「……そう、だな」
数度まばたきを繰り返し、鬼道は噛み締めるようにゆっくりと頷く。
どこか晴れやかな気持ちで再びキャラバンへ足を進め始めた織乃は、鬼道がたちまち真っ赤になった顔を押さえたことには気が付かなかった。
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