The shadow expands
戦国伊賀島との試合を終えた3日後。
休日であるこの日、織乃は商店街の外れにある小さな喫茶店にいた。
時折手にした携帯のディスプレイを覗き込み、運ばれてきたミルクティーをちびちびと口にする。
それを数回繰り返した後、ふいその視線は、聞こえてきた扉に据え付けられているベルの音に釣られて上を向いた。
「──悪いな、突然呼び出して」
「いえ、大丈夫です」
そう言いながらいつものコートを翻しつつ織乃の向かいに腰掛けるのは、彼女をここに呼び出した張本人──鬼瓦である。
鬼瓦から『話しておかなければならないことがある』と電話がかかってきたのは、昨日の放課後のこと。
何やら只ならぬ雰囲気の声色に、織乃は他のマネージャーたちに気づかれぬよう顔をしかめそれに頷いたのだ。
それで──と織乃はカップをソーサーに置き直し、口火を切る。
「何があったんですか、鬼瓦さん」
「……この間の開会式に、言いそびれたことだ」
そこまで言うと鬼瓦は、いったん言葉を切る。先を続けることを、躊躇っているようだった。
やがて彼は、再び口を開く。
「──本当なら、不安感を煽らないためにも言わない方が良いのかもしれんが……」
店員が置いたお絞りを手にして、鬼瓦は吐き出すように続けた。
「……影山が、釈放された」
カチャンと、織乃の指先がカップにぶつかる。
その眉間には深い皺が刻まれ、胡桃のような目は怪訝そうな色を宿して見開かれていた。
「そんな──でも、何で」
「証拠不十分、だそうだ」
「証拠ならあの日のことで十分じゃないですか!」
思わず声を荒らげながら、織乃はポケットに入れた携帯を押さえる。
あの日──帝国と雷門が戦った日。
彼女は確かに見たのだ。天井から降り注ぐ鉄筋が、フィールドを抉る瞬間を。
唇をわななかせる織乃に、鬼瓦は苦々しげに頷く。
「俺だってそう思うさ。だが上と来たら、証拠がどうのの一点張りでな」
「……誰かが、もみ消しを?」
「十中八九はな」
「だが、まだ何とも言えん」鬼瓦は眉間に皺を寄せた。
一拍空けた後で、織乃がハッと目を見開く。
「──じゃあまさか、雷門さんのお父さん……理事長の事故は」
「それもまだ、はっきりしたことは言えん」
その可能性は高いんだが、と鬼瓦は呟いて、ゆっくりと背もたれに背中を預けた。
やがて時計の秒針が2周した頃、彼は「ところで」と話を変える。
「織乃ちゃん。お前さん、プロジェクトZ≠ニいうモンを知ってるか」
「ぜっと……? アルファベットのですか?」
「ああ、そうだ」
影山の残した数々のデータ。その中でも、特に異色を放っていたそのフォルダは、開く前に消去され見ることは叶わなかった。
織乃は顔をしかめて記憶を辿ったが、そのような言葉は聞いたことがない。
やがて首を横に振った彼女に、鬼瓦はそうかと答えて腕を組んだ。
「何か、嫌な予感がするんだ。お前さんも──雷門も、十分注意しておいてくれ」
「……はい」
織乃は頷き、温くなったミルクティーを一口含む。
「──そうだ」鬼瓦が思い出したように店員を呼び止め、コーヒーを注文するのを見た織乃は、脇に置いてあった自分の鞄を開けた。
「鬼瓦さん、これ、昨日言ったものです」
そう取り出したのは、クリップに挟まれた数枚の書類である。
鬼瓦は片眉を上げそれを受け取ると、上から下へと目を通す。
「──記入漏れがあるわけでないんだな?」
「はい」
父の出版会社のスポンサーは、それに載っているので全てです──と、織乃は真剣な顔で答えた。
「名のある財閥は鬼道から吉良──他は製薬会社に石油会社、化粧品会社……か。成る程、確かに影山財閥の名前は無いな」
「父の話によると、影山さんと直接繋がりのあった人も、上層部にはいなかったらしいです」
「そうか……」鬼瓦は小さく呟いて、再三書類に目を通す。
「それじゃあ何故、影山の奴は人事に手を出せたんだ……?」
しかし、今の状況で人脈を洗う程の時間はない。
ガシガシと頭を掻きながら、鬼瓦はそれを懐に仕舞った。
「悪いな、せっかくわざわざ持ってきてくれたというのに」
「いえ、私たちのことは、もう過ぎてしまったことですから……ありがとうございます」
小さく小腰を折った織乃は、軽く目を伏せる。
自分たちに降り注いだことは、日本に帰国した時点で終わっているのだから。
「いいや、礼を言うべきは俺も同じだ。お前さんがいてくれて助かった」
円堂や雷門のお嬢さん含め、人脈は幅広い方が良い──と、鬼瓦はようやく届いたコーヒーを啜る。
「……影山さんの釈放のこと、円堂さんや鬼道さんには?」
「まだ、言わん方が良いだろうな。どちらも試合を控えているし」
すまんな、と突然向けられた謝罪に、織乃は目をしばたいた。
「お前さん一人に背負い込ませるような形になってしまって……」
鬼瓦は小さく目を細める。
目の前にいるのは、自分より半世紀は年の離れた華奢な少女。そんな彼女にこれほどのことを背負わせるということがどれほど酷なものかは、計り知れない。
だがしかし、織乃は数度まばたきを繰り返して言うのだ。
「──良いんです。関わろうと決めたのは私だから」
円堂には円堂にしか出来ないことがある。鬼道には鬼道にしか出来ないことがある。
そして、自分には。
「みんなを支えるのが──私の出来ることです」
帝国にいた時も、雷門にいる今もそれは同じ事。
聳え立つものに立ち向かうと決めた、その心が変わることはない。
「……そうか」
強い光を宿す彼女の瞳に、鬼瓦は僅かに口髭を震わせる。
やがて、どこか遠くで聞こえた正午を報せる鐘の音に、織乃は顔を上げた。
「……俺が今教えられることはこのぐらいだ。悪かったな、こんなくたびれたおっさんと茶ァさせちまって」
「えっ? あ、いやそんなことは」
からかうような口調の鬼瓦に織乃は一転慌てた様子を見せ、財布を取り出す彼女に鬼瓦は「俺が払っておこう」と片手を振る。
「えと、じゃあ私はこれで──鬼瓦さん、無茶はしないで下さいね」
「ああ、分かってるさ」
自分より他人の心配が優先か──と、小さく呟いた言葉は、ベルの音にかき消され織乃に届くことはなかった。
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「あれっ、織乃ちゃん?」
喫茶店を出て、さあどうしようかと歩を進めていた矢先に背後から掛けられた声に、織乃はハッと振り向く。
「あ──秋ちゃん、……と、円堂さん?」
織乃の立つ場所から数歩離れたそこにあったのは、部活動もないオフだというのに2人揃った円堂と秋の姿だった。両者共に、私服である。
「よっ、御鏡! 散歩か?」
相変わらず人懐こそうな笑顔を浮かべる円堂に、織乃は一瞬鬼瓦に言われた言葉を反芻した。
「えっと……そんな感じです」やや曖昧な風になってしまったが、2人はさして気にしなかったようでニコニコと笑みを浮かべ彼女に駆け寄る。
「えと、2人はどうして一緒に?」
「理事長さんのね、お見舞いに行った帰りなの」
そう言われれば、織乃も納得したように頷くほかない。
「ご容体はどうでした?」尋ねると、円堂は顔色を変えず頷いた。
「やっぱりどこかしか痛いみたいだったけど、元気だったよ! ただ、ずぅっと夏未を頼むって言ってばっかりで……」
「理事長さん、本当に夏未さんのことが大切なのね」
顔を見合わせ、2人はクスクスと笑う。きっと、あまりに自分に構う父に顔を赤らめ声を上げる夏未の様子を思い出したのだろう。
良いお父さんなんですね、と織乃が口角を上げれば、「ああ、良い人だ!」と満面の笑みが返ってきた。
ふと、円堂が唐突にあっと声を上げる。
「そうだ──なぁ御鏡。お前まだ、稲妻町に来てから1ヶ月もしてないよな?」
「え? ああ……確かにそうですね」
正確に述べればイタリアから帰国して2週間と3日になるのだが、そんな詳しいことは生憎織乃本人も覚えていない。
じゃあさ、と円堂は笑みを絶やさずに言った。
「せっかくだから、俺たちが稲妻町を案内してやるよ!」
「えっ」
織乃は目をしばたく。
円堂はというと、秋の方に顔を向け、「なっ、木野!」と同意を促していた。
「うん、良い考えだと思う! どう? 織乃ちゃん」
もしかしてこの後、用事があった? ──と眉を下げる秋に、織乃は慌てて首を振る。
「よし、じゃあ決まり!」
「まずは商店街の店からな!」そう高らかに告げて、円堂は腕を大きく振って先頭を歩き出した。
織乃はその背中を見ながら、隣で微笑む秋を見やる。
「あの、ホントに良かったんですか? 秋ちゃん。私、お邪魔じゃ……」
「へっ?」
瞬間、秋の頬がサッと赤くなった。
キョトンとする織乃に、秋はしどろもどろしながら小さく問いかける。
「あ、あの、織乃ちゃん……お邪魔ってその、どういう……?」
「え? いや、だって2人とも、お見舞いの帰りなんですよね?」
理事長の入院する県立病院があるのは、稲妻町からやや遠い場所だ。
それを考えると、2人とも早く家に帰って一息吐きたいだろうし、自分は邪魔になるのでは──と、織乃は答える。
秋は赤いままの顔で、虚を突かれたような表情になった。
「あ……ううん、それは大丈夫。そんなに疲れたわけでもないし……うん」
「? そうですか、……」
織乃の目線が、ふと隣の秋から円堂の背中へと移る。
「織乃ちゃん?」戻らない顔色を気にしながら秋が首を傾げると、織乃は目線を戻し釣られたように頬を僅かに染め、小さく俯いた。
「どうしたの?」
「あ……な、何でもないです」
織乃は慌てて首を横に振る。
先日、染岡が呟いた一言。秋だからこそ──その真意を掴んだ織乃は、そっと息を吐いた。
「(そっか、秋ちゃんは円堂さんのことが……)」
前方の円堂の背中を見守るように、どこか熱のこもった優しげな目で見つめる秋。
それちらりと見た織乃は、自分が照れてどうすると軽く頭を振る。
その間、歩きながらも円堂の口は動いたままだ。
雷雷軒を筆頭に元イナズマイレブン達の経営する店舗や、学校への近道、猫のたまり場になった倉庫、近所の子供や商店街の大人達がサッカーに勤しむ大きな公園。
彼の指さす先を見ながら、織乃はその身振り手振りを付けた案内と時折入る秋の言葉に、笑みを浮かべながら相槌を打つ。
それから飛ぶように時間は過ぎて行き、最後に町のシンボルだと言う鉄塔のある広場に辿り着いた頃には、町は夕焼けに染まっていた。
「ね、綺麗でしょ」
「はい……!」
広場から見える夕日はとても美しいのだと道中聞いていた織乃は、実際の光景に目を輝かせる。
昨年のクリスマス、鬼道と並んで見た夜景も見事なものだったが、それとはまた違った美しさに織乃は知らず知らずの内に息を飲んだ。
織乃の反応に満足した2人は、にっこり笑って顔を見合わせる。
「──で、これが俺のタイヤ!」
ボンと音を立て手を乗せたのは、言われた通り、真っ黒のタイヤだ。
「それで特訓するんですか?」目を丸くする織乃に、円堂は頷きながら腕を回して見せる。
「そ! いつもは背中にもタイヤ背負って、こう……」
ちょっと離れていろ、というジェスチャーに、織乃と秋は2、3歩後退した。
思い切り押し出され、振り子のように勢い良く戻って来たタイヤを、円堂はズバンと大きな音と共に受け止める。
「す、すごいですね……」
「ずっとこれで特訓してるんだ! ……でも、やっぱりグローブないとちょっと痛いな」
苦笑いを浮かべて両手を赤くした円堂に、秋が仕方がないとでも言いたげにため息を吐いた。
その時、17時を告げる鐘が町に響き渡る。
パッと顔を上げた円堂は、焦りの表情を浮かべた。
「あ、やべ! 俺今日はもう帰らねーと……じゃあな、2人とも!」
また学校で、と半ば叫ぶように言い残して、円堂は転がるように階段を下っていく。
「転ばないと良いんだけど」小さく吐息と共に呟いた秋が、織乃に向き直る。
「私たちも帰りましょうか」
「はい──あ」
頷き掛けて、織乃はポケットの中で震えた携帯に気付いて立ち止まった。
先に帰ってて下さい、と秋に帰宅を促した織乃は、急いで携帯を取りだして通話ボタンを押す。
「もしもし、」
『おねーちゃん! まだ帰ってこないのー!?』
「……良樹、そんな大声出さなくても聞こえるよ」
キンキンと余韻の残る耳を押さえて苦笑すると、電話越しに良樹と大樹が言い争う気配がした。
一拍置いて、大樹の声が届く。
『姉ちゃん、母さんが今日は外食するから早く帰ってきなさいだってさ』
「あ、うん。分かった」
ぷつりと切れた通話には一息吐いて、織乃は画面端に表示された今日の日付を見た。
「(──そういえば……帝国と世宇子って学校の試合、月曜日だっけ)」
試合の開始時刻は、丁度5時限目の授業が終わる頃だ。休み時間に入れば、携帯のワンセグ機能を使って試合を見ることは可能だろう。
「……さて、と」
ひとつ伸びをした織乃の髪を、風が浚っていく。
やや足早に階段を下っていくその背中を、鉄塔の上から見下ろす影がいたことに彼女は最後まで気付かなかった。
「見つけたよ。──イオ」
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