When raising a sail

「──もうすぐだ」

淡く怪しい光に照らされる空間で、地の底から響くような低い声が反射する。
仲間たちの視線を受けた彼は、個々に言葉を返すことはないが、静かに瞑目して言葉を続ける。

「あと少し。あと少しで我らの真の力を見せる日がやってくる。それまで、一瞬たりとも気を抜くな」
「はい、デザーム様」

深く腰を折った仲間たちを静かに見回した彼──デザームは、ふと一点に視線を留めた。
会釈をするような腰の角度で、1人不機嫌そうに眉間に皺を寄せている少女が目に入ったのである。

「……どうした、マキュア。先日からやけに機嫌が悪いな」
「…………」

マキュアは唇を真一文字に結んで俯く。
痺れを切らしたような声でゼルが彼女の名前を呼ぶと、マキュアは観念したように小さく口を開いた。

「……マキュア、雷門に会いたくない」
「それはならん。奴らと戦うのは最早、我らイプシロンの使命。……いつものお前の我儘を聞くことは出来ない」

一蹴。取り付く島もなく拒否された『我儘』に、マキュアは一層ふてくされた表情になる。
「……戻るぞ」静かに嘆息したデザームが声を掛けたのを合図に、仲間たちの姿が闇に消えていく中──彼女は、悔しげな声でぽつりと呟いた。

「マキュアたちのことを知らないあの子≠ネんて、マキュア嫌い……!」




ぽたりと、日に火照った頬を汗が伝う。
それを土埃で汚れた手で乱暴に拭った立向居は、暑さに眩むグラウンドを睨み付けた。

「(体がうまく動かない……)」

勿論、体調面に不備があるわけではない。
問題なのは、中身──メンタル面だ。

気負わなくて良い、とは鬼道に言われたものの、仲間たちの──とりわけゴールを守る円堂の助けにならなければと思うほど、体が固くなってしまうのである。
そしてそれが最悪なことに、大海原の主柱である音村に悟られてしまったらしい。

「(どうしたんだ……? みんなのプレーにキレがなくなった!)」

自陣を見渡せる位置に立つ円堂からも、雷門の異変はその目に見えていた。
相手のタイミングをずらす──鬼道の作戦は確かにさっきまでうまく行っていたはず。しかし今はそれも見る影はなく、雷門は再び防戦一方の状態に押しやられそうになっている。

「(どうする、鬼道……!)」

──後頭部に恐らく円堂のものであろう視線を感じながら、鬼道は走る足を止めずフィールドを見回していた。
音村が絶対節奏を破られても平然としていたのは、きっと早くから立向居が雷門の穴になることに気が付いていたからだろう。

「(だったら、こちらも探すまでだ。大海原のリズムを乱す休止符を……!)」

太陽にゴーグルのレンズを煌めかせ、鬼道はそこから薄く見える目を鋭くした。
見つけた、と持ち上がる口許。その視線の先では──

「あーっ、くそ! 何で取れねえんだ!」

潮風に爆発したような頭をかきむしり、綱海はその場に倒れ込みそうな勢いで仰け反る。
すでに後半は始まっていると言うのに、前半からボールが全く奪えないのだ。

「(まぁ、仕方ないよなぁ……綱海さん分かりやすいもの)」

試合中にも関わらず大声を上げる綱海に、織乃はベンチで苦笑する。

音村の言葉を借りるわけではないが、スポーツにおいてリズム──タイミングを計ることは重要なことだ。
しかし綱海はまだまだサッカー初心者の域を出ていないのもあってか、そのタイミングが大振り且つ大雑把で、こちらとしては非常に躱しやすい。

それ故に、化けた時が1番厄介でもある。

「(だから……反撃するなら、今しかない)」

視線を綱海から自陣に戻すと、丁度こちらを振り向いた鬼道と目が合った気がした。
いつものニヤリ笑いを視界に入れた次の瞬間、鬼道はマントを翻して仲間たちを振り返る。

「……フォーメーションチェンジだ! 一之瀬をFWに上げて、リカと目金の3トップで行く!」
「3トップ?」

春奈が目を白黒させて、疑問をそのまま投げ掛けるように織乃を振り仰ぐと、彼女は一心不乱にキーボードに指を走らせながら、視線は画面に留めたまま答えた。

「あのチームら守りがまだ浅いからね。一度こっちが攻撃に転じることが出来れば、反撃出来るはずだよ」
「なるほどー……」

今の大海原は守りが浅い。原因は、綱海のプレーの粗さにある。だが、彼は誰もが認める高い身体能力の持ち主だ。
綱海がいつこの状況に順応してもおかしくない中、雷門が反撃出来るのはまさしく今しかない。

脅威でもあるが──楽しみでもある。
織乃は口許を手で覆い、事の成り行きを見守ることに徹した。残り時間はあと10分だ。

「上がれ、塔子!」
「任せろ!!」

立向居のスローイングでボールを受け取った塔子が、すぐさま中盤から前線へ駆け上がっていく。
向かってくるのは綱海だ。

「今度こそぉっ!!」
「甘いんだっての!」

ひらりと突進を躱された綱海の体が、勢い余ってフィールドに転がる。
「またかよ!」綱海は地面に拳を叩きつけると、弾かれたように起き上がった。

「キャン!」

音村が鋭く叫ぶと、頷いた喜屋武が小さな体を張って塔子の前を塞ぐ。
一瞬、塔子の視線が喜屋武に集中した僅かな隙を突き、音村が再びボールを奪取した。

「吹雪、壁山、木暮!」

鬼道がすぐさまマントを翻すと、たちまち雷門の分厚い壁が音村の進撃を阻む。
彼は一瞬たたらを踏んだ後、振り向き様に足を振り上げた。

「──綱海!!」

ボールがやや高く打ち上がる。
「今度こそやってやらぁ!!」器用にそれを空中で受け止めた綱海は、長い手足をフルに使ってフィールドを駆け上がった。

「行かせるか!」

向かってくる塔子に、綱海の中で僅かに緊張感が高まる。
今度こそ、今度こそ──!
頭の中で呪文のように唱える最中、斜め後ろから声がした。

「こっちだ、綱海!」
「っ東江?」

爆走する綱海に並走するように、東江が彼の背を追いかけてくる。
こっちだ、と言われればパスするしかない。綱海は反射的にボールを東江に向かって上げた。

「ナイスパス!」
「あっ!」

完全に綱海に標準を定めていた塔子をまんまと掻い潜り、東江がするりと中盤を越していく。
ちぇっ、と小さく漏らした塔子は汗を拭うと、ちらりと綱海を見上げてニカッと笑みを浮かべた。

「やられたよ、結構やるじゃん!」
「あ?」

立ち去っていく塔子の背中に、綱海はきょとんとまばたきを繰り返す。
そして、改めてフィールド全体を見回した。

「(全然、サーフィンとは違う──仲間と力を合わせる、この感じ)」

土で汚れたスパイクと、日に焼けた手を見下ろし、綱海は前を向く。
その瞳に、彼女は僅かに前のめりになった。

綱海が雄叫びを上げて再び走り出したのは、来る、と小さく呟いた織乃に「何が?」と秋が尋ねようとした瞬間である。
ボールを持っているのは一之瀬だ。今までならば、綱海の攻撃は難なく避けれた。しかし──今は、違う。

「どりゃああッ!!」
「何っ……?!」

やや強引に、勢いよくカットされたボールに、一之瀬は目を見開いた。
「まずいな」鬼道はそう小さく呟いたが、その顔にはうっすらと笑みすら浮かんでいるように見える。
だが、今は綱海を止めることが先決。彼はマントを大きくはためかせた。

「止めるぞ!!」
「おう!!」

綱海を囲むように、雷門のFWとMFが総出でマークに付く。
パスコースを立ち塞ぐ雷門に、綱海は辺りを見回して頭を掻きむしった。

「パスが出来ねぇんなら……打つしかねえだろ!!」
「えっ!?」

予想してもいなかった選択に、一瞬虚を突かれる。
綱海がいるのは大海原陣内の中盤、雷門のゴールからはかなりの距離があるにも構わず、彼は高く跳躍した。

「行っけええええ!!」

手薄になった雷門陣内を、荒れ狂う大波のような勢いを伴ったシュートが襲う。
「円堂くん!」秋が半ば悲鳴のような声を上げ、円堂もすぐさま拳を振りかぶりマジン・ザ・ハンドの構えを取るが、──間に合わない。

「ッ入れさせてたまるかああ!!」

円堂はそのまま、ボールに向かって拳を振り下ろした。
ギュル、とゴムの焦げる臭いが鼻を突き、ダメかもしれない──仲間たちの何人かが諦めた瞬間、彼を中心に風が巻き上がる。

「うあああああ!!」

バチン──大きく音を立て、ボールが打ち上がった。そのまま高く跳ねたボールは、ゴールポストにぶつかり、コート外へ。
試合終了のホイッスルが鳴ったのは、その次の瞬間だった。

「え──円堂くん!」
「円堂さぁん!」

どさ、とその場に尻餅をついた円堂に、秋や立向居が慌てて駆け寄っていく。
「円堂くん、今のって……」彼に怪我がないと分かるや否や、安堵する間もなく呟いた秋に続けて、 立向居がやや興奮気味に言った。

「ダン、ギュン、ドカーン! っでしたよね、今の! きっとあれが正義の鉄拳なんですよ!」
「うーん……なのかな?」

しかし、当の円堂は曖昧に首を傾げている。
ボールを弾いた余韻の残る手を見下ろし、円堂は眉根を寄せた。

「確かにギューンって感じだったけど、俺無我夢中で、どうやって出したか覚えてないんだ」

「覚えてないの……?」秋と立向居が残念そうに顔を見合わせる。
そんな中、芝をさくさくと踏みしめながら綱海が彼らの元へやって来た。

「スゲーな、円堂! あれってサーファーが波に呑まれそうな時、ボードから吹っ飛ばされねえようにする時の動きだぜ」
「えっ、サーフィン?」

「こうやって、腰入れてよ」言いながら、綱海はその場でボードに乗る仕草をして見せる。
そうか、と円堂はしばらく顎を手で押さえた後、思いきったように顔を上げた。

「なぁ綱海、俺にサーフィン教えてくれないか!? 俺、その動きをマスターして、必殺技を完成させたいんだ!」
「あ? やめとけやめとけ、ありゃ素人が簡単に出来るもんじゃねーよ」

綱海は顔をしかめて、ひらひらと手を振る。
眉を下げた円堂に、彼は溜め息混じりに続けた。

「そりゃ、気持ちは分かるけどよ。気持ちだけじゃ出来ねぇこともあんだからさ」
「……でも、綱海は出来たよな!?」

「俺に?」きょとんとした綱海に、そうだよ、と円堂は畳み掛けるように食い下がる。

「綱海だってサッカーほとんどやったことないのに、あんなすごいシュート打てたじゃないか! どうしても点を入れたいって気持ちがあったからだろ!?」
「…………」
「頼む、綱海!!」

頭を下げた円堂に、綱海は深く溜め息を吐いた。

点を入れたい──勝ちたい。あの時それを願ったのは確かだ。胸の奥底から湧き出るようなあの高揚感に名前をつけることは難しいが、きっと今の円堂も同じ気持ちなのだろう。

結果として──綱海は、折れた。

「……分かったよ。敵わねぇな、お前には。教えてやるよ」
「! ホントか!?」
「ああ。でも良いか? 海ってのは半端じゃねえんだ、手は一切抜かねーからな」

「ああ、ありがとう綱海!」飛び上がらんほど喜ぶ円堂に、それまで険しい表情だった綱海の顔に笑みが戻る。
早速特訓だと息巻くキャプテンに、仲間たちも顔を見合わせた。

「じゃあ、俺たちも練習を……」
「いやー! ナイスゲームだった!! こんなゲームの後はバーベキューしてノッてくぞー!!」

言い掛けた一之瀬の言葉を、相も変わらない大海原の監督の大声が遮る。
「君らもお腹減っただろう?」そんな言葉に、壁山の腹の虫が凄まじい鳴き声を上げた。




「美味いッス〜!!」

海原を背景に、壁山の歓喜の声が響き渡る。
場所は変わり、大海原の所有ビーチ。
大海原イレブン一同の手慣れた準備により、ビーチは完全にバーベキューパーティーの会場になっていた。

「試合の度にバーベキューしてるんですか……?」
「そりゃあ、動いたら腹が減るからな!」

あっけらかんと笑った渡具知に、織乃は呆れを通り越し関心してしまう。
彼らには最早勝敗関係なく、ただ楽しく全力でサッカーが出来ればそれで良いのだろう。
今の雷門からすると考えられないことではあるが、それが羨ましくもあった。

「っと……鬼道さんたちにも持っていってあげなきゃ」

ふと我に返り、織乃はいそいそとトレーに2人分の皿を乗せる。
行き先は、先程から木陰で食事もとらず、何か話し込んでいる鬼道と音村の元だ。

「(ゲームメイカー同士、何か通じ合うものがあったとか……)」

中身がこぼれ落ちないようしっかりとトレーを持って、砂を踏みしめる。
少し日が傾いたとは言え、沖縄の日差しは木陰に入った程度では防げそうにない。

「はい、2人の分ですよ。熱いから気を付けて下さいね」
「ん、ああ。すまん」
「どうもありがとう」

一瞬驚いたように眉を上げた鬼道に対し、音村はニコリと爽やかな笑みを浮かべた。通じ合うものがあっても似通うことはなさそうだ、と織乃は心の中で独り言ちる。

「お互い、収穫はありました?」
「まぁ、な」

一拍置いて、ニヤリと笑った鬼道に織乃は安心したように微笑んだ。
大海原には他にゲームメイカーはいないから新鮮だね、と音村も眼鏡のフレームを上げて頷いて見せる。

「世界はリズムの調和で出来ている、か……」
「?」

反復したような鬼道の呟きに釣られたように彼の視線を辿り水平線へ目を向けると、遠くで薄く黒い雲が空を覆い始めているのが見えた。