「うーん……」
剣城と別れた後。
依織は理事長室脇の階段に腰掛けて、考え事に耽っていた。
どうも釈然としないのだ。剣城の目が訴える感情と、実際に彼の起こす行動が噛み合っていない気がする。
依織は、入学式前に天馬がポツリとこう言ったのを思い出した。
『何であんなに上手いのに、サッカーが嫌いだなんて言うのかな』
好きこそ物の上手なれとは言うが、その逆は聞いたことがない。依織の目とは違い、天馬はサッカーを通じて、剣城から何か感じ取ったのだろう。
「(……そこんとこの詮索は、きょようはんいがいってやつだよな)」
ふ、と溜息をひとつ零し、彼女はすっくと立ち上がる。
その時、ふと階下からリノリウム材を擦るような足音が近付いてきた。
「──あ」
視界に入った姿に、久遠さん、と自然に口が動く。
顔を上げた久遠は依織の存在に気がつくと、ゆっくり瞬きをした。
「鷹栖。ここで何を?」
「任務です」
あっけらかんと答えた依織に、久遠はどこか脱力した顔になる。
そもそも彼女のこの人を食ったような態度も相俟って、自分たちの計画への参戦を許可したようなものなのだが──と思い直し、追求はしない。
「──く、久遠監督?」
ふいに、依織の頭越しに緊張で震えたような声が降ってきた。
振り返ると、理事長室から出てきたらしい冬海が、おっかなびっくりした顔で久遠を見つめている。
「あなた、まさかずっとそこにいたわけでは……」
「いいえ。たった今ここに」
妙に挙動不審な冬海の態度に、依織はピンと来た。彼は久遠に先程の剣城との会話を聞かれたのでは、と疑っているのだろう。
まさか入学したての新入生が隠密行動紛いのことをしてあの会話を盗み聞いていたとは思うまい。
依織は冬海に見えないようニタリと笑みを浮かべ、彼に向き直る。
「すいません、校長先生。久遠監督は、私が呼び止めたんです。どうしても聞きたいことがあって〜……」
「……君は、1年生ですね。聞きたいこととは……?」
新しく入ってきたであろう生徒の存在に冬海は僅かに警戒を解いたのか、少し猫なで声になって尋ねた。
生徒といえども、良い教師のイメージを擦り込ませるに越したことはないのかもしれない。依織はにっこりと──天馬や葵が見たら恐怖と驚きで青ざめるような顔で、続ける。
「はい──実は近所の方に聞いたんですけど、昔、この学校から犯罪者が出たとか何とか」
「!!」
その瞬間、冬海の顔が真っ青になったのが手に取るように分かった。震える手で眼鏡のフレームを押し上げる冬海に、依織は頬に手を添えしな≠作りながら畳み掛けた。
「それを聞いた親が、心配してしまって。ただの噂ですよねぇ?」
「え、ええ、ああ、はい。そうですとも。そんなことは一切」
げほんげほんと大きく咳払いをして、冬海は「では私はこれで」と逃げるように校長室へ去る。
背中越しに、久遠が呆れたように溜息を吐いたのが分かった。
「鷹栖……」
「このくらい見逃して下さいよ、久遠さん。私だってあいつらには心底ムカついてるんですから」
ああすっきりした、と大きく息を吐いた依織に、久遠は諦めたように肩を降ろす。
今まで色んな子供を見てきたが、彼女がこれまでにないタイプの人間であることは明らかだ。やりにくい──と言うほどではないが、やや対応に困る。
「……まぁ、良い。鷹栖、来い」
「はい?」
手招かれるまま、依織は久遠に続き階段を降りていく。
上履きをローファーに履き替えたところで、「ちょっと待って下さい」と彼女は慌てて久遠を引き留めた。
「これ、どこまで行くんです?」
「サッカー棟だ」
うげぇ、と依織は口元を歪める。
歩きながら肩越しにこちらを振り向いた久遠に、彼女は頭を振ってみせた。
「時期になるまで、まだ関わるつもりはなかったんですけど……」
「分かっている。だが、お前はもう一度現状を見る必要がある」
あくまで消極的な意見をバッサリ切り捨て、彼は歩き始める。
依織は肩を竦め、少しだけですからね、と念を押してその背中について行った。
:
:
「久遠監督!」
サッカー棟の屋根が見えてきたところで、背中に掛けられた声に2人は振り返る。
駆け寄ってきた見覚えのある人物に、依織は思わず唇を真一文字に結んだ。
「音無」
「部室に行くんですよね、ご一緒します──ん?」
サッカー部顧問の春奈である。
春奈はそそくさと久遠の背中に隠れた依織に怪訝そうに眉根を寄せて、次の瞬間ハッとした。
「あなた……もしかして依織ちゃん? 依織ちゃんじゃない!?」
「……ご無沙汰してます、春奈姉さん」
渋々と久遠の後ろから顔を出した依織に、春奈はやっぱり、と表情を輝かせる。彼女とはもう何年も前に従姉を介して知り合ったきりだったが、依織のことを覚えてくれていたらしい。
「稲妻町に戻ってきてたのね! しかも、ここの生徒だなんて」
「あははー」
乱雑に後ろ頭を掻き、依織は視線をあちこちにさまよわせた。別に春奈に会うのが嫌なわけではない。問題は、彼女が気になっているだろうことを依織に質問することだ。
「──ところで依織ちゃん……兄さんたちのこと、何か聞いてない?」
「……あー」
そらきたぞ、と依織は口元を引きつらせる。
春奈と学校で鉢合わせすることは予想範囲内ではあったが、彼女はまだこの質問に対する上手い言い訳を考えていなかった。
「ええと……それが、私もあんまり詳しくは知らなくて。まぁ、2人とも元気だとは思いますけど」
「そう……」
しゅん、とうなだれた春奈に激しい罪悪感が芽生える。依織はそれを振り払うかのようにブルブル頭を振り、フォローを入れた。
「大丈夫ですよ、あの2人が一緒にいるんだから、万が一何かあったとしても一発解決です。そうでしょう?」
「……ええ……そう、そうね」
春奈は自分を納得させるようにゆっくり頷くと、再び前に居直って、改めて依織を見た。
「というか、依織ちゃんは何で久遠監督と一緒に……?」
「う」
「見学だ」
うっかり言葉に詰まった依織に、久遠がすかさず続ける。
春奈は納得したように、ああ、と頷いた。
「ということは、マネージャー志望ってことかしら?」
「ああ、いや。今日は単に見るだけというか」
慌てて手を振る依織に、春奈は「そう?」と首を傾げる。
話しながら歩を進めていると、ふいにサッカー棟の方から言い争うような声が聞こえた。
「あら?」
春奈が怪訝そうに眉を寄せる。遠目に見えてきた顔に、依織も少し見覚えがあった。
「(あれって、試合に出てた……)」
確か、1軍の水森と言う選手だった筈だ。その後ろには、ぞろぞろと他の部員も何人かついてきている。
「何かしら……?」不安そうに呟いた春奈が、部室棟へ向かう足を早める。こちらに気付いたらしい水森たちは、慌てて方向を変え逃げるように裏門の方へ駆けて行った。
「変だわ、もう部活の時間なのに……何かあったんでしょうか?」
春奈は久遠を見上げて問いかけたが、彼は何も言わない。
階段へ向かっていくと、またサッカー棟から話し声がした。今度は女子生徒の声だ。依織はその声に、あれっと目をしばたく。
「(この声、何か聞き覚えが)」
階段を下ると、サッカー棟の前に3つの人影が見えた。言い争っているような様子はないが、どうも空気が悪い。
その内の赤いもみあげの少年は2軍のキャプテンだった筈だ。頬に貼った絆創膏が痛々しい。
依織は少し眉を上げ、改めてその3人に注目する。
よく見ると、2人に噛みついていたのは今朝の女子生徒だった。
彼女を振り切るようにして足を進めた2人は、顔を上げるなりギクリとした表情になる。
「監督……!?」
「みんな、どうしたの? さっき水森くんたちも……」
春奈が少し驚いた風に尋ねると、2人はちらりと目を合わせる。そして突然、思い切ったように頭を深々と下げた。
「……すいません! もう、やれません……!」
「! そんな……!」
理由を瞬時に理解した春奈が、顔をしかめて久遠を見上げた。久遠はやはり何も言わない。ただ静かに2人を見つめるだけだ。
「………っ」
その無言に、まるで叱られたように顔を歪めた2人は、弾かれたようにその場から去っていく。
「一乃くん、青山くん!」
「……行くぞ」
校舎の角に消えていく背中を一瞥し、久遠はそれだけ言った。そんな彼に、いつの間にか傍まで来ていたあの女子生徒が言葉を投げかける。
「良いんですか監督さん」
「……」
久遠は姿勢を変えぬまま、無言でその横を通り抜けた。サッカー棟に入る寸前、依織はその女子生徒と目が合う。
「……久遠監督。何か今日ごたついてるっぽいし、見学は後日にしてもいいですか?」
「…………ああ」
立ち止まることもせずに、久遠は春奈を連れ立ちサッカー棟へ入っていった。
ふう、と一息ついて、依織は彼女の方を振り返った。
「こんちは、先輩」
「よお。お前、今朝の1年だな」
奇遇だな、と彼女は屈託なく歯を見せて笑う。
そうですね、と答えた依織は、サッカー棟を脇目に続けた。
「集団ボイコットって感じですか、コレ」
「まぁ、そうだな。ったく、情けねえ奴らばっかりだ」
「全くですね」
淡々と答えた依織に、彼女は少し目を丸くした後、何を思ったか面白いものでも見付けたようにニヤリと口角を持ち上げた。
「──なぁ。あたし、瀬戸水鳥ってーんだけど。お前、名前は?」
「鷹栖です」
「下は」
「依織」
ふむ、と顎に手を添えた水鳥は品定めするように上から下までザッと依織を眺める。何だ、と思った矢先、彼女はニカッと弾けるように笑って依織の肩を叩いた。
「……うん、良いな。気に入った! あたしのことは水鳥で良いぞ」
「? 水鳥さん……」
復唱すると、水鳥はどこか満足そうに依織の肩を繰り返し叩く。そして彼女はサッカー棟を見上げ、溜息混じりに嘆いた。
「サッカー部も、お前くらい肝の据わった奴がいりゃあなぁ」
「はぁ……というか、気に入ったって、何がですか」
「何か、生意気そうなとこが!」
「えー……」
『生意気そう』と言われて嬉しいと思う人間もそうはいまい。
依織は不満げに唇を尖らせたが、彼女のような気の強い生徒が先輩になってくれたことは喜ばしいことだろう。
彼女が内心そんなことを考えていることも知らず、水鳥は快活に笑っていた。