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「失礼します」

固いヒールが床を蹴る音が薄暗い部屋に響く。
背もたれの高い椅子にゆったりと腰掛けた男──聖帝イシドシュウジは、緩慢な動きで顔を上げた。

「……鷹=v

──足を揃えてそこに佇んでいたのは、1人の女性である。
小脇にタブレットを抱え、鷹と呼ばれた彼女は分厚いサングラスに隠れて見えない目でこちらを見上げた。

「黒木様がいらっしゃいました」
「……通せ」

つい、と指を動かして指図すれば、彼女は小さく頷き一歩後ろへ退く。
一拍遅れ、左右に開いた扉から入ってきた黒木は帽子を脱ぐとイシドに深く一礼した。

「聖帝。今回の任務のご報告に参りました」
「ああ」

一つ頷いたイシドは、脇に控えた鷹に横目を向ける。
彼女は無言で黒木からメモリーディスクを受け取ると、タブレットに差込み、部屋の中央に大きなホログラムを起動させた。

短い起動音ののち、映し出されたのは稲妻のマークだ。雷門サッカー部のエンブレムである。
彼女は滑らかな動きでタブレットを操ると、今回の雷門と黒の騎士団の試合風景の動画を再生した。

ホログラムから溢れ出した光が、僅かに部屋の色を変える。
「……まさしく化身だな」じっ、と画面中央に映る少年──神童と、彼から発現した異形の姿の巨人を見て、イシドは引き結んでいた唇を解いた。

「能力者本人には自覚がない模様です」
「目覚めたばかりということか……」

画面は試合風景から神童個人のデータに切り変わる。
彼がそれを無感動な表情で眺めると、黒木が直立不動のまま言葉を続けた。

「今後雷門中をいかに導きましょう」

黒木は、目を伏せたイシドの言葉を静かに待つ。
やがて瞼を上げたイシドは、椅子に深く腰掛け直しながら言った。

「この能力者はまだまだ未知数だ。これは利用できる」
「……御意。聖帝の、ご意思のままに」

下された判断に、黒木は小さく頭を下げる。
ホログラムを終了させた鷹は、再び光の失せた部屋に静かにサングラスを押し上げた。




「依織ーー!!」

怒濤の入学式、その翌日。
欠伸をかみ殺しながら学校の門を潜ろうとしていた依織は、背後から聞こえた声にギョッとして振り返った。

「うおっ」
「わあ!!」

驚きながらもひらりと体を翻すと、次の瞬間天馬が彼女の制服スレスレを猛スピードで横切る。
「うわ、と、とっ!」前につんのめりながら何とか体勢を整えた天馬は息を整え、眉をつり上げて依織を見た。

「もーっ、依織! 何で昨日先に帰っちゃったんだよ!」
「あ?」

手をばたばたさせる天馬に、依織は訝しげに眉を顰める。
するとまた後ろから、慌ただしい足音が彼を追い掛けてきた。

「っはー! やっと追いついた……」

汗を額に滲ませながら、葵がふらついた足取りでやってくる。あっと声を上げた天馬は、やってしまったという顔になって頭を掻いた。

「ごめん葵! 俺、思わず……」
「もう、仕方ないなぁ。……と、おはよう依織!」
「ああ。おはよう、葵」

にっこり笑った葵に、依織は頷いて返す。
「って、そうじゃなくて!」ハッと我に返った天馬が、勢い良く依織の袖を掴んだ。

「依織! 昨日の放課後、どうしてサッカー棟に来なかったんだよ」
「放課後ぉ?」

顔をしかめた依織が、首を傾げる。
昨日の放課後は確か、スパイ紛いのことをして冬海に揺さぶりをかけて、久遠にサッカー棟まで連れて行かれ、寸前に水鳥と知り合ってメールアドレスを交換して。
一瞬の内に蘇ってきた色々な記憶に、依織は静かに蓋をした。

「……まぁ、色々とな。っていうか、何で私がサッカー棟に行かなきゃなんねーんだよ」
「えっ? だって依織も、サッカー部に入るんじゃないの?」

素っ頓狂な声を上げた天馬に、目をしばたいた依織は大きな溜息を吐く。
あのなぁ、と言い掛けた矢先、ふいに後方を見た葵があっと短く声を上げた。

「天馬、信助来たよ」
「えっ? あ、ホントだ。おーい、信助ー!」

依織から意識を反らした天馬が、ぶんぶんと片手を振る。
それに気付いて手を振り返したのは、背丈の小さな青いバンダナを付けた少年だった。

「おはよう、天馬、葵ちゃん!」

依織の脳内で、にかっと笑った信助と呼ばれた少年の姿と小動物のイメージが重なる。
信助はこちらを見下ろす彼女に気付いたのか、小首を傾げて天馬を見やった。

「天馬たちの友達?」
「うん! 小学校からのね。依織って言うんだ」

天馬に視線を投げかけられた依織は我に返ると、鞄を持ち直しながら信助を見る。

「鷹栖依織。よろしく」
「うん、こちらこそ! ボク、西園信助って言うんだ」

「信助って呼んでね!」しゃがみ込んで彼の小さな手と握手を交わす依織を見ていた天馬は、またハッとして「あ!」と声を上げた。デジャブである。

「依織、さっきの話の続きだけど!」
「だから……」

眉間に皺を寄せた依織は、頭を振る。
「どうしたの?」首を傾げ尋ねてきた信助に葵が事情を耳打ちすると、彼は怪訝な顔で天馬を見やった。

「天馬、女子はサッカー部には入れないんだよ?」
「…………えっ」

数秒して、天馬が目を丸くする。
「信助、グッジョブ」信助にぐっと親指を立てた依織は、次にその手を手刀に変えると、天馬の頭頂部に振り落とした。
ドス、と鈍い音に一瞬葵と信助が反射的にギュッと目を瞑る。

「いって〜!! な、何でチョップするんだよ依織!」
「お前が人の話聞かないからだろ。私がいつサッカー部に入るって言った?」

「ええっと……」眉間に皺を寄せながら、天馬は思考に耽る。それからしばらくすると、天馬はばつの悪そうな顔になってしゅんと項垂れた。

「…………い、言ってないね」
「だろ」

天馬が理解したことに満足したのか、依織は肩の荷が降りたように大きく息を吐く。

「ダメだよ、天馬。サッカー部に入りたいなら、ちゃんと部のルールのも知っておかないと」
「うん……」

信助に注意され、天馬はしょんぼりと頭垂れた。
それに苦笑しながら、葵が依織に尋ねる。

「女子サッカー部とかは、ないんだったよね?」
「ああ……確か、稲妻町に女子サッカー部のある学校はない筈だな」
「はぁぁ……じゃあ中学校でも、依織とはサッカー出来ないのか」

殊更肩を落とした天馬に、「もー、そんなしょげないの!」と葵が背中を叩いた。
その様子を眺めながら、肩を竦めた依織は小さく呟く。

「まぁ、特例≠ヘあるけど」
「え、何か言った?」

項垂れる天馬やそれを宥める2人には、依織の言葉が届いていなかったようだ。
「うんにゃ、何も」尋ねてきた信助にしらばっくれた依織は、ひとつ大きな欠伸をする。

「さてと……3人とも、そろそろチャイムが鳴るんじゃねーの?」
「あっ、ホントだ!」

「遅刻扱いになっちゃうよ!」慌てたように顔を上げた天馬は、行こう!と三人を促した。
校舎に入り、上履きを履き替えたところで予鈴が鳴った。どうやら、まだ少し時間に余裕はあるようだ。

「──あ、依織!」

別れ際、思い出したように天馬が依織の方を振り返る。

「今日の放課後、俺たち入部テストあるんだ! 依織が入部しないのは残念だけど……せっかくだから、応援に来てよ!」
「はいはい、分かったよ」

今日はあわよくば友人の所へ行こうと考えていたが、致し方ない。ひらひらと後ろ姿で手を振って、依織は自分の教室に入った。

「(見舞いは明日にするか……。あ)」

考え事の途中、視界に入ったポニーテールに依織は一瞬立ち止まる。
自分の隣の席──意外と大人しくそこに腰掛けた剣城は、眠っているのか否か、腕を組んで目を伏せたまま動かない。

「…………」

ガタン、と椅子を引いて席につくと、剣城の睫毛が小さく震えた。どうやら寝てはいないらしい。

「……おはよう、剣城」

試しに、声をかけてみた。
ピクリと肩を動かした剣城はゆっくりと瞼を上げると、ちらりと依織を見る。

「…………ああ」

随分と長い間の後、ぼそりと低い返事が返ってきた。
流石にクラスメートとの最低限のコミュニケーションは取ることにしているらしい。剣城が嫌がらないのを良いことに、依織は言葉を続ける。

「今日、サッカー部の入部テストだとさ。昨日は随分暴れてたけど、お前も行くの?」
「答える義務はねぇな」

言葉を続けるとやや小馬鹿にするような口調で返した剣城に、依織はフムと顎に手を添えた。
一理ある。が、まだ会話を終わらせるつもりはない。

「多少はあるな。昨日、試合に出た新入生……チョココロネみたいな天パの奴いたろ。あれ、友達だから」

その瞬間、こちらに向いた剣城の目に剣呑な光が宿る。
何か相容れないものでもあるのだろう。彼が天馬を毛嫌いしていることが、その雰囲気でひしひしと伝わってきた。

「時々鬱陶しいことはあるけど、やっぱり友達だしな。あんまり怪我とかして欲しくないだろ」
「……ふん、お熱い友情だな」

鼻で笑った剣城が、ふいに立ち上がる。
「どこ行くんだよ」呼び止めた依織を、彼はジトリと睨み付けた。

「そんなの、俺の勝手だろ」
「でも、もうチャイム鳴るぞ」

依織がそう言ったその瞬間、本鈴のチャイムが鳴り響く。
剣城は居心地悪そうに顔をしかめると、自分の席に戻ったのだった。