化身──それは、人の闘気が最も極まった時、目に見える姿で現れる力の象徴。
その存在は非常に希有であり、そして化身を使役する化身使い≠烽ワた、都市伝説とされてきた。
しかし今、この瞬間。
彼らの眼下には、その力の象徴が威風堂々と姿を現している。
「うおおおおおおおッ!!」
覇気に髪を靡かせ、神童が哮り立った。
その体から沸き立った光は、4本の腕を持つ化身を形成している。
黒の騎士団の監督である黒木が、剣城と神童、2人の化身をまるで神でも拝むように仰いだ。
「おおおお……っ! 化身の共鳴現象! ランスロットが、神童くんの心の奥に眠る資質を呼び覚ましたのです!!」
力の波動は波打つように、フィールド一帯に広がっていく。
風に吹かれる前髪を押さえ、依織は目を丸くしながら2体の化身を見つめた。
「(予想外ってレベルじゃない……!)」
本来、化身は心の強さと身体能力に相まって生まれるもの。負けたくない──それほどまでに、彼の心は叫んでいる。
「雷門を、守るのは……! 俺だーーーーッ!!」
吼える神童に応えるように、光の強さが増していく。
しかし、彼の瞳はどこか焦点が定まっていない。精神力の大半を化身の発現に消費しているのだ。
「キャプテン!」
「どけよ……!」
「でも、」
「どけ!!」
見かねて制止に入る天馬を、神童は脇目もふらず押しのける。
今の彼には、目の前の敵しか──剣城の姿しか見えていないらしい。神童はキャプテンマークを握り締めて、剣城を睨みつけた。
「俺は、キャプテンなんだ……! サッカーを守らなくちゃならないんだ!!」
「……出来るかな」
荒く呼吸する神童に、剣城が言い捨てる。
彼はニタリと口角を上げるのと同時に、ランスロットの剣が空気を切り裂いた。
「潰してやる──この俺がな!!」
「らアアアアッ!!」哮りと共に、剣城が足を振り上げる。
ランスロットが剣を構え、宙を貫くボールと共に特攻した。
「うああああッ!!」
雄叫びを上げた神童が地面を蹴り上げる。振り抜いた足が剣城のシュートを捉え、化身同士が激しくぶつかり合う。
神童の蹴り上げたボールが、高く打ち上げられる。2人はそれを追いかけるように、一気に跳躍した。
しかし、次の瞬間。
「──そこまでです!」
黒木が声を張り上げる。
寸前、剣城は振り抜いた足の軌道を変え、ボールは神童が遠くへ弾き飛ばした。
「何故です!」着地した剣城は、やや不満そうに黒木を見やる。
「試合はここまで。撤収します」
唐突に試合放棄を宣言した黒木に、フィールドの選手たちだけでなく、観客席にも動揺が走った。
膝を突いた神童が、黒木を睨む。
「逃げるのか!」
「逃げる……? 見逃すと言ってもらいたいですねェ」
肩を竦め、品定めをするような目つきでこちらを見た黒木に、神童は歯を食いしばった。
そんな彼に、黒木は目を細めてほくそ笑んでみせる。
「──しかし結果としては、貴方の存在が雷門を守ったということになりますかな? 神童くん」
最後にそう言い残し──黒の騎士団は、ピッチから煙のように姿を消した。
途端、精神力が切れたのか、脱力した神童の体がその場に崩れ落ちる。
「あっ……キャプテン!」
「神童!!」
倒れた神童に駆け寄っていく天馬や部員たちを視界に入れながら、依織は黒の騎士団たちが消えた方を見つめた。
──これで、また報告しなければならないことが増えたわけだ。密やかに重たい溜息を吐いた依織の手を、葵が待ちきれない様子で引っぱる。
「依織、私たちも早く降りよう!」
「あぁ、うん」
葵にいざなわれ、依織はピッチへの階段を駆け下りた。
フィールドに出ると神童は既に運び出された後で、天馬が毒気を抜かれたように座り込んでいる。
「天馬!」
「! 葵……それに依織も」
来てたんだ、と力無い笑顔でこちらを見上げた天馬に、2人は急ぎ足で歩み寄った。
「うん。ホントびっくりしたよ。ねえ、大丈夫?」
「平気だよ、このぐらい」
天馬のそばに葵がしゃがみ込み、「どこが平気なんだよ」と依織が大きな溜息を吐く。
ほんの数十分前まで新品同様だった黄色いユニフォームは、すっかり泥にまみれて汚れきっていた。
「何もわざわざ自分から嵐に飛び込むような真似しなくても……」
「し、仕方ないじゃんか。目の前であんなことがあったら行かずにはいられないよ」
頬の泥を擦りながら、天馬はごにょごにょと弁解する。
そんな彼に、依織は呆れ気味に息を吐いた。
「まぁ、私も人のこと言えないか……」
「え、何?」
ぼそりと呟いた依織に、2人の視線が向く。
別に何も、と依織は天馬の足下に転がったボールに視線をやった。
「それにしても、何だか入学式前に凄いことになっちゃったね……」
「サプライズにしては、派手すぎって感じだよな」
苦笑した葵に、肩を竦めた依織が皮肉を零す。
少し笑った葵は、2人を見上げキョトンとしている天馬に視線を戻した。
「……? どしたの?」
「………」
「天馬?」
呼びかけると、天馬は思い出したように「ああっ!」と声を上げる。
「そうか、入学式これからだっけ!!」
「……はぁ」
2人の呆れた視線を受けながら、天馬は慌てて立ち上がった。時計の針は入学式まで残り10分であることを示している。
「急ごう。入学式から遅刻なんて、洒落になんねーぞ」
「う、うん!」
天馬を引っ張り起こし、3人は大急ぎでピッチを出ていく。
そんな様子を、観客席からあの女子生徒が面白いものを見つけたように、にやりと笑って眺めていた。
「今年は賑やかになりそうだな。なぁ、茜もそう思うだろ?」
彼女はそう言って、隣を見やった。
そこには、ピンク色のカメラを満足げに覗き込む、三つ編みの大人しそうな女子生徒が佇んでいる。
「神サマ……いっぱい撮っちゃった」
「……あんた、ソレばっかりだな」
彼女はご満悦な様子の友人に、半ば諦めたように苦笑した。
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入学式が終わり、割り振られた教室で自分の席に着いた依織は、いきなり問題に直面していた。
天馬と葵とはクラスが離れてしまったが、問題はそれではない。
「……ないわー」
1年間よろしく、と挨拶する担任の声に、依織の意気消沈した呟きはかき消された。
問題というのは、彼女の隣の席。更に言うと、そこで腕を組みじっと黒板を見つめるクラスメートにある。
ツンと逆立った頭にポニーテール、紫色の改造制服。
先程、台風の目玉となっていた剣城の存在だ。
一体何の因果なのか、同学年の時点でクラスが被ることが予想できなかった訳ではないが、彼女もまさか隣の席同士になるとは思うまい。
依織は担任の話を話半分に聞きながら、溜息を吐いた。
「(いやいや、逆に考えりゃ良いんだ。こっちの方が動向も探りやすいってことで)」
下手をすればその逆も然りだが、そこは仕方がない。任務には我慢も必要だ。1人決心を固めている間に担任の話は終わり、チャイムが鳴り響く。
今日はこれで終了の筈だ。ゆっくりと席を立ち教室を出て行った剣城を、依織は十分に距離をとって追跡を始める。
「(やっぱ、理事長室か……)」
階を上がる毎に人通りは薄れ、知らず知らずの内に依織は息を潜めた。
剣城の姿が理事長室の中に消えたのを確認し、依織は辺りを警戒しながら扉にそっと耳を当てる。
「──では、やはり君は……フィフスセクターからのシードだったのか」
まず聞こえてきたのは金山理事長の声だ。
依織は聴覚に神経を集中させる。
「聖帝のご意思として、我が雷門を監視するというわけだな」
「ああ」
金山の問いに、剣城が答えた。
フィフスセクター、シード。予想通り、金山はそれを見越してあの試合を許諾したようである。
話は更に続いた。
「サッカー部乗っ取り計画が変更されたのは、あの化身のせいだとでも?」
「まだ利用価値があったということだろう」
堂々とサッカー部乗っ取り計画≠ニ言ってのけた金山に、依織は小さく舌打ちする。
あの狸、一体どうしてくれよう──状況が違えば、きっとそう毒づいたに違いない。
「久遠監督についてですが、黒の騎士団がきたのは、彼の排除の……?」
次いで聞こえてきたのは、冬海校長の声だった。
前科者を教職者に仕立てるなど、フィフスセクターの権力も大したものだ──依織は先日知り合った人間が、そんなことを皮肉っていたのを思い出す。
「(それにしても、嫌われてんなぁ久遠さん)」
命令に背くようなことをやっているのだから当然と言えば当然なのだろうが、冬海のこの様子はあからさま過ぎだ。
剣城が一拍空けて答える。
「……俺の当面の任務は、化身能力者の監視と久遠の排除だ」
「久遠か……こちらもいい加減、あの男をどうにかしたいと思っていてね」
ふむ、と依織は顎に手を添えた。
剣城の目的はこれでハッキリした。化身能力者とは、則ち神童のことを指しているのだろう。
「(部の方は、まだしばらく久遠さんに任せといた方が良いかな──っと)」
やべ、と小さく呟いて依織は扉から飛び退いた。
恐らく剣城のものであろう足音が扉へ近付いて来たのだ。依織は踵を返し、なるべく自然体を装ってそこから離れたのだが。
「うッ」
ギィッ、と理事長室の扉が開く。
律儀にしっかりと扉を閉め、剣城は足を廊下へ向けるなり怪訝そうに眉根を寄せた。
「……何だ、お前」
「……見て分かんないか。転んだんだよ」
床に無様に俯せになりながら呻く依織に、剣城は変なものを見るような目つきで顔をしかめる。
急いで扉から離れたは良いものの、うっかり足がもつれて転んでしまったのだ。これが演技だったならまだしも、素だった分余計に恥ずかしい。
依織は平静を装い、スカートの埃を払いながら立ち上がった。摩擦で擦れた膝が地味に痛い。ひとまずここは適当なことを言って誤魔化すしかないだろう。依織は何事もなかったように剣城を振り向いた。
「お前、隣の席の奴だよな。図書室、どこか知らないか」
「…………さぁな」
肩を竦めた剣城は、依織の横を通り過ぎる。
すれ違いざま、「スカート、後ろ曲がってんぞ」と言い残し、彼は階段を降りていった。
「……分かんない奴だな」
根っからの悪者なのか、そうでないなのか。
呟いて、依織は変に曲がってしまったスカートを直した。