102

かつん、と固いヒールがアスファルトを蹴る。
朝日を浴び燦然と輝く稲妻マーク。サングラス越しにそれを見上げた彼女≠ヘ、オレンジのリップを引いた唇を引き結んだ。




「おはようございます!」

朝8時。駆け足でまばらに登校する生徒たちの波を潜り抜けて、天馬は張り切った声で挨拶しながら部室に顔を出した。
けれど、おはよう、と返してくるメンバーの中に当然神童の姿はなく、その表情は思わず萎れてしまう。

「相変わらず分かりやすいな、お前はよぉ」
「あたッ!」

どん、と背中を小突かれ数歩つんのめった天馬が振り向くと、丁度別室で着替えを終えたらしい依織が立っていた。

「お、おはよう依織……って、急に叩かないでよ」
「そんなところでぼんやり突っ立ってるからだっつの」

悪びれなく肩を竦め、依織はロッカーに荷物を置く。手加減してやれよ、と奥で苦笑している三国や霧野の表情にもどこか覇気がない。自分だけが辛いわけではないのだ──天馬は軽くかぶりを振ると、鞄の持ち手をぎゅうと握った。

それから時間が経つにつれ、葵や信助、他の仲間が1人、また1人と登校してくる。
やがて全員が揃い、これであとは鬼道と春奈が来るのを待つだけとなった頃だった。

「おはようございま──あっ!」

扉を背に葵たちと話し込んでいた天馬が大きな声を上げるのに釣られて、依織たちもそちらを見る。そして同じように思わず口をポカンと開けてしまった。

「円堂監督……!!」

そこに立っていたのは、ゴッドエデンで会って以来連絡のなかった前監督・円堂だった。
以前より少し日に焼けた肌、どこか草臥れた服。白い歯をニカッと見せて、数ヵ月ぶりに雷門に戻ってきた円堂は相変わらずの笑顔を子供たちに向ける。

「よっ、みんな。元気にしてたか?」
「おかえりなさい、円堂監督!」

一斉に駆け寄ってきた子供たちを、「まぁ落ち着けって!」と円堂は慌てた様子で宥めた。その横で、一緒にやって来たらしい鬼道や春奈は顔を見合わせ小さく笑う。やはり、円堂はここに──雷門にいるのが、一番彼らしい。

天馬たちの興奮が落ち着いたのを見計らい、円堂は空咳をすると真剣な声音になって言った。

「みんなも知っていると思うが、俺は今までフィフスセクターのシード要請施設に調査に行っていた」

ゴッドエデンでの牙山たちによる子供たちへの暴挙とも言える実験や、犯罪に程近い行為。天馬たちが本島に戻ってきた当初は警察を動かすだけの材料は揃わなかったが、研究所が完全に放棄された今は違う。
集め終えた情報はレジスタンス本部に報告した。彼らの手腕とコネクションをフルに使えば、いずれフィフスセクターがやってきたことは全て白日の下に曝されるだろう。

「俺のゴッドエデンでの仕事はこれで終わった。これからは、みんなと一緒に勝利に向かって戦っていく!」
「じゃあ……またサッカーを教えてもらえるんですね!?」

期待の籠った目で天馬が尋ねると、円堂がニカッと笑って頷くより先に鬼道が口を開いた。

「そうだ。今日からは円堂が雷門の監督だ」
「えっ?」

では、今まで雷門の監督を務めた鬼道はどうなるのだろう。そんな子供たちの視線に、鬼道はふっと口角を持ち上げる。

「そして、俺はまたコーチとしてお前たちを支える。それが雷門としても、最高のフォーメーションだからな」
「帝国に戻らなくても良いんですか? 雅野や次郎兄さんが寂しがるだろうな〜」

目を細めてからかうように言う依織に、「あいつらがそんな柔だとでも?」と鬼道がサングラスを光らせると、依織は答える代わりに小さく肩を竦めて見せた。

「じゃあ──改めてよろしくお願いします!!」
「よろしくお願いします!!」

率先して頭を下げた三国に倣い、天馬たちも改めて指導者2人に頭を下げる。
ああ、と笑顔で頷いた円堂は、「ところで」と話を切り出した。

「早速だが、お前たちに提案がある」
「提案……?」

はて、と首を傾げる天馬たちに、事前に話し合ってきたのだろう、円堂は鬼道と視線を交わして言葉を続ける。

「神童のことは聞いた。残念だ……だが、俺たちはここで立ち止まってるわけにはいかない。──そこで、決勝へ出られない神童に代わる新しいキャプテンを任命したいと思う」
「あ、新しいキャプテン……?」

流石に決勝戦にキャプテン不在のままでは締まらないだろう。いつかは来るイベントだと分かっていたとは言え、ついつい身構えた子供たちに円堂は人差し指を伸ばす。

「そうだ。新しいキャプテンは──」

全員がその指を目で追う。ある者は右へ、ある者は左へ。そしてその指が示したのは──

「松風天馬。お前がキャプテンだ」

仲間たちの中心で、その指の行方を見守っていた天馬だった。

「…………え」

円堂の指、そして仲間たちの視線を受けて数秒。
たっぷりの間を空け、天馬は徐々に驚愕に顔を赤らめると大きな声を上げた。

「え──えええーッ!? お、俺がキャプテン……!?」

あまりに大きな声は、隣にいた葵と依織が耳を塞ぐほどだ。
円堂は天馬のリアクションを想定していたのだろう、あっけらかんと頷いた。

「実はここに来る前、神童に会ってきた。天馬をキャプテンにすることは、神童とも話し合って決めたことなんだ」
「神童に……!?」

霧野が思わず声を漏らすと、「怪我以外は元気そうにしてたぞ」と円堂は微笑む。

「天馬。神童も是非、お前にやってもらいたいと言っている」
「キャプテンが……!?」

まだ1年生で、中学に入って初めてまともにチームでプレーしたような未熟な自分が果たしてそんな大役を務めて良いのだろうか。
不安に眉根を寄せる天馬の背中を真っ先に押したのは、神童の前にキャプテンを勤めていた三国だった。

「いいんじゃないか。俺たちが本当のサッカーを見失わずに済んだのは、天馬のおかげだ。お前がみんなの心に、革命という風を吹かせてくれたんだ」
「三国先輩……」

思えば、神童の次に天馬の声を聞いてくれたのは彼だった。三国は1年生がキャプテンを勤めると言うことに何の不満も不安もないようで、明るい笑みをたたえている。

「天馬なら必ず出来る。なぁ、みんな!」

その言葉に意義を上げる者はいない。いつもなら一言噛みつきそうな倉間でさえ、無言でそれを肯定している。円堂は笑みを浮かべ、天馬に一瞥を向けた。

「反対するやつはいないみたいだな?」
「っでも俺、キャプテンなんて──」

反論しかけた天馬の語尾を、ばん!と大きな音が遮る。水鳥がソファーを叩く音だった。

「この期に及んで何ごちゃごちゃ言ってんだ!? さっさと腹を決めろ!」
「で、でも……」
「天馬」

尚も渋る天馬の袖を、信助が引く。
おっかなびっくりしながらそちらを見下ろすと、信助は優しく天馬に笑いかけて言った。

「『何とかなる』、だろ?」

──それは、天馬が入部当初によく口にしていた言葉だった。何とかなるさ。そう自分を鼓舞して、いつだって戦ってきたのだ。

「『何とかなる』、だよね」

とん、と肩に葵が寄り添って小首を傾げる。
「信助、葵……」天馬は友人2人を見比べて、天馬は深く息を吸う。何とかなる、仲間がいるからきっと大丈夫。自分の心にそう言い聞かせ、彼は伏せていた面差しをゆっくりと持ち上げた。

「──分かりました。俺、キャプテンやります!!」
「よし、その意気だ!」

大きく頷き、円堂は天馬の肩を叩く。
これからこの肩に、仲間たちの信頼を乗せて歩いていく。そう思うと気持ちが重たくなるが、今となってはもうがむしゃらにやるしかない。
緊張で高鳴る胸をそっと押さえたその時だ。

「──やぁ、お邪魔しますよ」

部室の扉が開き、現れたのは理事長の金山と校長の冬海だった。
突然の来訪に子供たちが目を丸くしているのを気にもかけず、金山は円堂を見上げて重たそうな目をすがめる。

「これはこれは、円堂監督……雷門に戻られていたとは。てっきりあのまま雲隠れし続けるのかと思っていましたよ」
「……お久しぶりです、金山理事長。今日からまたサッカー部の監督に復帰させてもらいます。ご挨拶が遅れてすいません」

皮肉をたっぷりと交える金山に、円堂は淡々とした調子で答えた。
それで、とやや眉根を寄せて剣呑な顔をした鬼道が本題を促す。

「お二人は何故こちらに?」
「ああ、そうでした。今日は雷門イレブンの皆さんに、お客様をお連れしたのです」

「お客様……?」雷門イレブンは訝しむように顔を見合わせる。どうせ金山たちのことだ、ろくな相手でないことは確かだろう。
金山が目配せをすると、冬海がせかせかした様子で一度部室から出る。そしてもう一度開いた扉の先で、彼は1人の女性を伴って現れた。

「ご紹介します、こちらは聖帝イシドシュウジ様の第二秘書……鷹さんです」
「──初めまして、雷門イレブンの皆様」

かつん、と踵を揃えた固いヒールが床を叩く。
身に纏ったのはフィフスセクターの黒い制服。薄いビジネスバッグを小脇にゆったりと頭を下げ、ほんの少しずり落ちたサングラスを押し上げた彼女は、にこりともせず言った。

「鷹、と申します。以後お見知りおきを」
「あんたは……」

その姿に見覚えのあった円堂は、警戒するように子供たちの前に半歩出る。
かつてフィフスセクターに属していた頃、彼女がイシドに忠実に従っていたことを知っている剣城もまた、威嚇するように顔をしかめた。
彼女は無表情のまま、感情を感じさせないロボットのような単調さで口火を切る。

「本日は雷門イレブンの皆様に、聖帝代理としてお話することがあり馳せ参じました。アポイントも取らず、申し訳ありません」
「いやいや、お構い無く!」

真っ先に揉み手しながら鷹の謝罪に首を振った冬海に、「何であんたが言うんだよ」と狩屋が小さくぼやく。鷹は意に介さずに言葉を続けた。

「まずは、決勝戦進出おめでとうございます。既に聞き及んでいるかもしれませんが、次の皆様の相手は聖堂山中学校に決定しました」
「聖堂山……」

天馬はぽつりとその名前を反復する。聖堂山の名前そのものは、ここ最近のスポーツニュースでよく聞くものだった。

「聖帝は『良い試合になることを期待している』とのこと……どうか、その期待に添えるようご健闘下さい」

鷹はそこまで言って一度口を閉ざすと、円堂たちを見据えたまま動かない。
やがてしびれを切らしたらしい金山が、そわそわしながら鷹を見上げた。

「……あの、鷹さん? まだ何か彼らに何か……?」
「──私は、雷門イレブンの皆様≠ノお話をしに来たのです」

鷹は静かに返し、サングラス越しに金山たちを見下ろす。
その視線は黒いレンズに隠れて見えないはずなのに、2人は何故だか背筋が凍るような冷ややかなものを感じた。

「今の私は聖帝代理。つまり、私の言葉は聖帝の言葉と思ってもらって構いません。──これ以上の説明は必要ですか?」
「いっ……いやいやいや! そんな滅相もない!!」
「そ、それでは私たちはこれで失礼しますよ。皆さん、くれぐれも粗相のないように!」

微かに強められた語気に2人は身を縮ませると、追い立てられたように早足で部室を後にする。

一同が呆然としながら遠ざかる足音を聞いて数秒。
ふいに、ふらりと仲間たちの輪から離れた依織に葵がギョッとする。

「ちょっ──依織?」

葵の制止も聞かず、依織は扉の外へ顔だけ出して廊下を覗き込んだ。そして部室棟内に金山たちが残っていないことを注意深く確認すると、肩越しに振り向いて言う。

「大丈夫。もういません」
「──良かった。入り口のところまでで良いって言ったのに、あの人たちしつこくって」

依織の言葉に答えたのは、仲間たちや円堂ら大人の誰でもなく、今まさに警戒の真っ只中にいる鷹だった。
コロリと変わった声音と口調に面食らった雷門イレブンは、「え??」と鷹と依織を見比べる。そして、円堂と春奈は我が耳を疑ったように目を見開いた。

「そ、その声って……」
「お前、もしかして──」
「あれ。円堂さんはもう気付いてると思ってたんですけど」

意外そうに呟いて、鷹は掛けていたサングラスを外す。
現れたその素顔に、天馬と葵が彼女を指差して同時に「あーっ!!」と大きな声を上げた。

「聖帝第二秘書、鷹改め──レジスタンス諜報担当、御鏡織乃です。以後お見知りおきを」
「依織の従姉妹のお姉さん!!」

一気にまとめて開示された情報に、部室はにわかに騒がしくなる。
「落ち着けお前たち!」それを慌てて宥めた円堂は、自身も驚きを隠せない目で織乃を見た。

「諜報担当って言ったな? ということは、お前がフィフスセクターに侵入したスパイだったのか!」
「ええ。依織ちゃんをパイプ役に、かれこれ2年程あちらの情報を流していました」
「じゃあ、兄さんや依織ちゃんは最初から知ってて誤魔化してたってことですか!?」

春奈が思わず鼻息荒く兄や依織の方を見れば、2人は揃って彼女から視線を逸らす。
鬼道はそのままジト目になった春奈の追求から逃れるように織乃に尋ねた。

「しかし……既にあちらから流せる情報がないことは分かっているが、ここに来て突然正体まで明かした理由はなんだ?」
「……彼らに直接伝えたいことがあったんです」

織乃は視線を足元に落とし、言う。
様子の変わった従姉に、依織も僅かに眉を上げた。今日織乃が雷門を訪れることを、依織は知っていた。登校中、先に出社した彼女からメールが来たからだ。
だが、その理由までは聞いていない。織乃は顔を上げると、子供たちを見渡してゆっくりと口を開く。

「みんな、ここ最近でまた色んな学校が廃校にされてしまったことは知ってると思う。許せないことだし、君たちを逆恨みしてる人もいるかもしれない」

織乃の言葉に、天馬の肩が微かに揺れる。
フィフスセクターに侵入して、織乃は様々なものを見てきた。中には子供たちに教えられないような汚い内情もある。そしてこれが、かつて自分たちが作り上げた歴史の上に成り立っているものだと思うと、酷くやるせなかった。

「──でも、大丈夫。廃校になった学校のことは、私たちが必ず何とかします。だからみんなは振り返らないで。勝つことだけ……ううん」

言葉を切り、織乃は一瞬考え込む。
そして、力強い笑みを浮かべて続けた。

「──サッカーを、楽しむことだけ考えて。あなたたちが優勝することを、私たちも信じているから」
「……っはい!!」

その言葉は、彼らの心にストンと落ちてきた。革命を成功させる。失敗は許されない。その事実は変わらなくても、改めてそう言われると気持ちが軽くなる。
サッカーを楽しむことだけ考えて。前だけを見て進め、と。

「さて……私からは以上です。必要な情報は既にレジスタンスに直接送っておいたので、円堂さんたちは近い内に本部へ確認をお願いします」
「ああ、分かった」

円堂が頷いたのを確認すると、織乃は「それから」と従妹に視線を送った。

「実は私、数日海外に行かないとならなくなっちゃって」
「えっ」
「あ、決勝の日までには戻ってくるから大丈夫! でもその間、また家を空けることになるから……」

ああ、と依織は得心が行ったように頷く。海外と聞いて流石に驚きはしたものの、織乃が出張で家を空けるのはよくあることだ。

「私なら平気です。心配しないで、姉さん」
「そう? なんだったら、良樹と和樹に顔を出してもらうように言って……」
「だ、大丈夫ですから!」

途端に首を激しく横に振る依織に、織乃は分かった、と苦笑する。
そしてふと腕時計に目を落とすと、ビジネスバッグを抱え直して顔を上げた。

「私はそろそろ行きます。みんな、次の決勝頑張ってね!」
「はい!」

最後にニコッと笑みを浮かべ、織乃は部室を後にする。
その瞬間、一気に自分に集まった仲間たちの視線に依織は思わず肩をビクつかせた。

「織乃さんがレジスタンスなんて聞いてないんだけど!!」
「だって言ってねーもん」
「通りで聞き覚えのある声だと……」
「ちなみに万能坂の選手登録のアナウンスも姉さんだぞ」
「格好いい姉ちゃんじゃねーか」
「でしょ?」

たちまち子供たちが賑やかになる一方で、「私だけ蚊帳の外なんだから!」と唇を尖らしている春奈を苦笑した円堂が宥める。

そんな中、ふと思い出したように室内を見回した輝が疑問を口にした。

「あれ? 鬼道コーチは……?」
「えっ」




「──待て、織乃!」

出入口を目指し前を行く黒い背中を大股で追いかける。
それでも緩まぬ足にしびれを切らし、鬼道は織乃の空いた手を取った。それでも彼女は振り向かない。

「……離して、有人さん。私、お昼の飛行機で行かなくちゃならないんです」
「このまま俺と一度も目を合わせずにか?」

立ち止まった織乃が少し項垂れる。握った手の力を強めて、鬼道は子供に言い聞かせるような優しい声音で続けた。

「こっちを向いてくれないか、織乃」
「……いやです」

何故、と鬼道は辛抱強く尋ねる。手が振り払われる気配はない。指をそっと絡めると、織乃がひゅうと息を吸い込んだのが分かった。

「2年……2年ですよ、有人さん。声だけじゃ足りない、ずっと、ずっとあなたに会いたかった」
「じゃあ、」
「でも、まだダメなんです。私には大事な仕事がある。これが最後の大仕事……そんな時に、あなたの顔を見たら──」

語尾が震える。肩越しに振り返った横顔はやはりこちらを見ておらず、耐えるように固く瞼を閉じていた。

「きっと私……我慢できなくなって泣いてしまう」
「──……」

瞬間、鬼道は掴んでいた織乃の手を離し、彼女の体を後ろから抱きすくめる。
密着した肌は暖かく、仄かに花のような香りがする。織乃はぎゅっと唇を引き結んで、肩に掛かった腕にそっと手を添えた。

「海外に行く話は、あいつの……豪炎寺の指示か」
「……ええ。有人さんたちも、もう分かっているでしょう? あの人を隠れ蓑にしたもっと大きな存在が、今のサッカー界を支配していること」

ああ、と鬼道は肩口に顔を埋め、呻くように答える。
思えば最初からおかしかったのだ。
日本を代表する選手とは言え、名を変え見た目を変え、過去の経歴の一切を隠しているはずの人間が、僅か1年の内にあんな大きな組織でトップに立てるわけがない。そうなるように、誰かに仕立て上げられた=B

「だから私は、レジスタンスでなくあの人の手足として行きます。みんなが心置きなく戦えるよう、場は整えに。だから……信じて待ってて」
「……疑ったことなんてないさ。ただの一度もな」

髪にそっと口付けて、鬼道は名残惜しそうに織乃を解放した。
かつん。彼から一歩離れた織乃は、胸元から取り出したサングラスを着ける。そして大きく息を吸い込むと──

「──行ってきます、有人さん」
「ああ。……スタジアムで待ってる」

凛と靴の音を響かせて、彼女は振り返らず去っていった。

しばしの間部室棟の扉をじっと見つめていた鬼道だったが、やがて彼は長い溜め息を吐き出して口を開く。

「……それで、お前たちはいつまで出歯亀しているつもりだ」

ドタドタぐしゃり。たちまち聞こえてきた喧しい音に振り向くと、部室の入り口で将棋倒しになった子供たちと気まずそうに笑っている円堂と春奈がいた。
あからさまに呆れた顔になって、鬼道は口をへの時に曲げる。

「春奈はともかくとして……円堂、お前もか」
「い、いやぁ。何か喧嘩でもしてるんじゃないかって、心配になってつい」
「ちょっと兄さん、私はともかくってどういう意味?」

顔をしかめた春奈を「そのままの意味だ」と軽くいなした鬼道は、ふと感じた刺すような視線にそちらを振り向く。
名刺が挟めそうなほど眉間に深い皺を寄せ、悔しそうに歯軋りする依織と目が合った。

「有兄さんの嘘つき。革命が終わるまで姉さんとはいちゃつかないって言ってたのに!」
「記憶にないな」
「だ、大丈夫です! 何を話してるかとかは聞こえなかったので!!」
「依織が『邪魔しに行く』って言って聞かないからそれを止めてたら、流れでつい!!」

ごめんなさい! と依織の両サイドで平謝りする葵と輝。その後ろでは、顔を少し赤くした面々がそわそわしながらこちらを窺っている。
再び特大の溜め息を吐いた鬼道に、円堂がやや慌てながら手を叩いて言った。

「と、とにかく全員グラウンドに集合だ! 練習始めるぞ!!」




雷門中学校の裏庭近くにある、職員及び来賓用駐車場。
そこに停まった1台の車に、織乃は足早に乗り込んだ。

「──お待たせ、虎丸くん」
「いえ。このまま空港に向かって大丈夫ですか?」

「うん、出して」彼女が答えるや否や、運転席の虎丸はエンジンを掛けて車を発車させる。
静かに道を走る中、後部座席でカタカタと小さく揺れているのは織乃のキャリーバッグだ。流れる景色をじっと眺めていると、ふいに虎丸が口を開いた。

「……すいません、御鏡さん。面倒な仕事を任せてしまって。でも、俺もあの人も、今日本を離れるわけにはいかないから……」
「ううん、いいの。分かってる」

織乃の穏やかな笑みに安堵したのだろう、虎丸の表情がほんの少し柔らかくなる。

あの組織の中に、最早彼らの真の味方は1人としていない。あの日虎丸が偶然織乃と再会──正体を知ることになったのは、結果として大きな希望を生み出した。

「(私は私に、出来ることを)」

心の中で呟いて、織乃はバックミラー越しに遠ざかっていく稲妻町に別れを告げるように目を伏せた。
一縷の希望を乗せて、車は空港へとひた走る。