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ホーリーロード決勝戦まで残り2日。
昨日と同じく、セカンドチームの協力を得た雷門イレブンは、グラウンドで練習に明け暮れていた。

「──こっちじゃ!」
「錦先輩!」

天馬のパスを受け、錦が前線へ駆け上がって行く。
そして彼はキーパーとしてゴールで身構える信助を目前に、サイドへ走り込んだ輝へボールを打ち上げた。

「影山ぁ!」
「はいっ!」

意表を突いた輝のシュートは、手を伸ばした信助の頭上をすり抜けてゴールネットに突き刺さる。
「良いぞ、輝!」拳を握り締めて喜ぶ輝に声を掛けた天馬は、昨日とは違う感触に思わず頬を綻ばせた。

「(よし! 今の連携は上手くいったぞ……みんな動きが良くなってる!)」

天馬は昨日、仲間には内緒で神童の元を訪れていた。やはり自分にキャプテンを勤めるのは無理なのだと、神童に考えを改めてもらう為である。
けれど神童は、天馬の言葉に頑として頷かなかった。お前なら絶対に出来る──手放しの信頼を受け、考えを改めさせられたのは天馬の方だった。

信頼に応えたい──その思いがプレーに現れ始めたのかもしれない。天馬の指示は、まだまだ粗削りではあるものの昨日とは違い明らかにチームを上手く導いていた。

「──よし、今日の練習はここまでだ!」

いつしか日が暮れて、辺りが茜色に染まった頃。ホイッスルを鳴らし声を張り上げた円堂に返事をして、選手たちは草臥れながらテクニカルエリアに戻っていく。

「鷹栖」
「あ?」

ふと声を掛けてきた剣城に、依織は顔を埋めたタオルの隙間から視線を向けた。

「見舞い行くだろ。今日と明日、顔出せないって兄さんに伝えておいてくれないか」
「別に良いけど……珍しいな、お前が見舞い行かないなんて」

余程練習が遅くなった日や見舞いに行く余力がない日以外、剣城が欠かさず優一の元に顔を出しに行っていることは依織も知っている。けれど決勝が差し迫った最近は、円堂や鬼道は選手たちがオーバーワークならないよう比較的軽めの練習メニューを組んでいた。
剣城は一瞬依織から目を逸らしたが、すぐに視線を戻す。

「……少し、野暮用があってな」
「──ふぅん?」

眉をピクリと上げ、依織は目を細めたがそれ以上は言及しなかった。

「分かったよ、伝えとく」
「頼んだ」

短く答え、次に天馬に何か話しかけに行った剣城の後ろ姿を一瞥し、依織はジャグを傾けた。レモン風味の冷たいドリンクが喉を伝っていく。

──きっと2人で何かやろうとしているのだ。そしてそれは、自分や他の仲間には口外できない。
言葉にしなくても、依織を見た剣城の目はそれを語っていた。あそこで目を逸らさなかったのは、誤魔化しは利かないと諦めていたのか、それとも依織なら分かるだろうと信用していたのか。あるいは両方かもしれない。

「(さて、一体何を企んでるんだか……)」

少し楽しげに口角を上げる依織の傍ら、円堂が話し込む剣城と天馬をじっと見つめていた。




その翌日も、雷門イレブンはセカンドチームを相手に繰り返し練習試合に明け暮れていた。
天馬の指示は昨日より更に研磨され、フィールドによく届く。それは彼の視野が広がっただけではなく、仲間たちが率先して天馬を盛り上げているおかげでもあった。

「結構うまくやってんじゃねーか。やってればキャプテンらしくなるもんだな!」

天馬の声掛けで繋がる連携に、水鳥がピュウと小さく口笛を吹いた。その間、隣の茜はひたすらフィールドの選手たちにカメラを向けて絶え間なくシャッターを切り続けている。

ボールを蹴る音、仲間を鼓舞する声がグラウンドに響き続けて数時間。視界が薄暗がりに包まれ始めた頃、いつものように円堂が練習終了のホイッスルを鳴らした。
選手たちを目の前に集合させ、その顔を順に見回しながら彼は口を開く。

「明日はいよいよ決勝戦だな。お前たちなら必ず勝てる! 自信を持っていけ!」
「試合で最高の力を発揮できるように、コンディションを整えてくれ」
「はい!」

円堂の鼓舞に続き、鬼道が冷静に指示を出す。選手たちは力一杯声を返すと、各々興奮冷めやらない様子で明日のことを話し合う。依織はぼんやりと赤くなった空を見上げて、眩しげに目を細めた。




『いよいよ明日に迫ったホーリーロード決勝戦! 優勝するのは果たして聖堂山か、それとも雷門か!』

──ぷつん。おざなりにリモコンを操作して、スポーツ特番を流すテレビの電源を落とす。
早めの夕食を終え、食休みを取っていた依織は誰もいないリビングで一人静かに目を瞑った。

「ついに明日、か……」

依織は明日ベンチからのスタートだ。得点力の高い聖堂山を相手するに当たって、まずは守備を固める戦法で行くらしい。
FW3人の体制に切り替える時は、絶好のチャンスか、はたまた最大のピンチの時か。ぞわりと粟立った肌を擦り、依織は目を開く。武者震い、その中に少しだけ混じる不安に、ゆっくりと息を吐き出した。

「……ん?」

その時、ブブブ、とマナーモードにしていた携帯がテーブルの上で震える。
織乃からの連絡だろうか。そんなことを考えながら携帯を見た依織は、不審そうに目をすがめた。

「……『本日7時半頃、河川敷グラウンドへ』……?」

差出人不明、見たことのないメールアドレスで突然送りつけられてきた簡素なメールに、依織は首を捻る。
迷惑メールだろうか。だが、それにしては指示が具体的だ。文面をじっと見つめ、依織はふむと唇を指で押さえる。

「──行ってみるか」

多分これは、悪いものではない。確証はないが、ただ漠然とそんな予感がする。こう言うときの自分の予感は当たるのだ。
時刻は7時10分を回ったところ。軽く身支度を整えて家を出た依織は、途中でコンビニに寄りつつ早足で河川敷グラウンドへ向かった。




たたん、たたんと音を立て電車が橋の上を走っていく。
河川敷の鋪装された道を歩いていった依織は、やがて部活でも時おり使用する河川敷グラウンド──そこのベンチに、見知った後ろ姿が2人腰かけているのを見つけて、「あ」と小さく声を漏らした。

「──やっぱり、そういうことだったか」
「!!」
「うわっ! あ──依織!?」

小さく飛び上がってギョッとこちらを振り向いたのは、ユニフォーム姿の天馬と剣城だった。2人は練習後そのまま河川敷に来たのか、その姿は解散する前よりもボロボロに見える。
階段を降りてくる依織を見上げ、天馬はどうしてここに、としどろもどろしていた。

「ちょっとたれ込みがあってな。心配すんな、お前らが何やってるか詳しく知ってるわけじゃないから……ほら」
「うわわ、っと!」

言いながら、依織は道中コンビニで買っておいたスポーツドリンクを2人にそれぞれ投げ渡す。
天馬はありがとう、と嬉しそうにそれを飲み始めたが、一方の剣城はペットボトルを握り締めて怪訝そうな視線を依織に投げ掛けた。

「たれ込みって、誰からだ?」
「さあ……分かんない」
「は?」

思わずポカンとした顔になる剣城に、「このメアド知ってる?」と依織は先程のメールを見せる。
しばし考え込んで首を横に振った剣城は、呆れたような目で依織を睨みつけた。

「こんな不審なメールに呼び出されるなよな……」
「いいだろ、別に変な情報じゃなかったんだから」
「それは結果論だろうが。無用心過ぎるって言ってるんだ」
「あ〜、分かった分かった、次から気を付けます!」

顔をしかめて問答する剣城と依織を、天馬は「仲が良いなぁ」とニコニコ眺める。
誰かの携帯が着信音を鳴らしたのは、そんな時だった。

「誰の?」
「私じゃないぞ」
「……俺のだ」

はたと気付いた剣城は、ベンチに置きっぱなしだった鞄のポケットから携帯を取り出す。
もしもし、と通話に応じる彼の横顔を、依織と天馬は何となく押し黙って見守った。

「ええ、……はい……え? 今から病院に?」
「?」

突然顔色の変わった剣城に、2人は不思議そうに顔を見合わせる。そして分かりました、と口早に言って通話を切った剣城に、依織が話しかけた。

「どうした?」
「……兄さんのことで大事な話があるから、すぐ病院に来るようにと」

答えながら、剣城は携帯とペットボトルを急いだ様子で鞄に突っ込む。それを見て、天馬も慌てて空になったペットボトルを屑籠に捨て、自分の鞄を抱えた。

「お、俺も行くよ剣城。何か心配だし……!」
「ああ……」
「──あ、おい待てお前ら! そんな泥だらけの格好で行く気か!?」

依織の言葉にハッと我に返った2人は、自分たちが未だユニフォームのままで汚れきっていることを思い出す。
だけど、と歯噛みする剣城に依織は溜め息を吐き出すと、自分の携帯を操作しながら公衆トイレの方を指差した。

「タクシーなら呼んどいてやる、とっとと着替えてこい」
「わ、分かった。頼む」
「うん!」

慌ただしい足取りで着替えに向かう2人を見送り、依織はタクシー会社へ電話を掛けた。




転がり込むようにして病院にやって来た3人に、受付のナースは大層驚いたようだった。面会時間は終了間際、子供が大慌てで駆け込んでくれば当然そんな反応にもなるだろう。
しかし剣城の用件を聞くと、彼女はすぐに得心が行ったような表情になって「今はリハビリ室にいると思いますよ」とにこやかに教えてくれる。

「――兄さん!」

やや早足で歩く天馬と依織に対し、最早全速力で廊下を走り抜けた剣城がリハビリ室の扉を開けると、優一は丁度看護士の手を借りて歩行練習をしているところだった。

「! 京介──っと」
「兄さん!」

弟の来訪に驚いてしまったのか、バランスを崩しかけた優一を咄嗟に看護士が支える。剣城もギョッとしながらその体を支えると、そっと車椅子に腰かけさせた。

「何かあったのか? 急に呼ばれたから……」
「ああ。一番最初は京介に報せないとと思って」

ぎ、と車椅子椅子の正面を弟に向け、優一は穏やかに微笑んでこう言った。

「京介……俺、手術を受けられることになったんだ」
「え」

その言葉を予想もしていなかったのだろう。剣城は思わず真顔になり、廊下からそっと事の成り行きを見守っていた依織や天馬もついつい目を丸くして顔を見合わせる。

「誰かは分からないが、支援金を集めてくれた人がいてね。優一くんの手術に使ってほしいそうだ」
「じゃあ……じゃあ兄さんの足は、治るんですね!?」

息を飲み怖々と尋ねた剣城に、看護士は笑顔で頷いて答えた。

「ああ。手術の後リハビリを続ければ、歩けるようになるだろう」

切れ長の目が、ゆっくりと大きく見開かれる。
やがて、良かった、と掠れた声で呟いた剣城は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

「京介……」
「ほんとに、良かった……!」

丸まった背中が小さく震えているのを見て、優一は眉をひしゃげながらも優しく微笑みを浮かべる。

「……今まで、俺のせいで辛い思いをさせてすまなかった」
「そんなこと……!」

兄の謝罪に、剣城は激しく首を横に振る。元は自分の撒いた種だ。責められることがあっても、謝られる道理などない。
優一は俯いた弟の肩を叩き、こう言った。

「俺は必ずもう一度フィールドに立って見せる」
「!」

剣城は反射的に顔を上げる。見上げた兄は、いつもの儚げなそれではなく、力強い笑みを湛えていた。

「京介。決勝戦は、誰のためでもない……自分自身の為にプレーして来い。お前の大好きなサッカーをな……!」
「兄さん……」

目元を拭い、ああ、と剣城は大きく答える。
優一は満足げに頷くと、その顔をリハビリ室の外──廊下から中を窺っていた依織たちに向けて声を掛けた。

「依織ちゃん、天馬くん。君たちにも心配を掛けたね」
「いえ……良かったですね、優一さん!」

「ああ。ありがとう」おずおずとリハビリ室に入ってきた2人に、優一は嬉しそうに笑っている。

「俺もまた走れるように頑張るよ。だから2人も、明日の決勝戦頑張ってくれよ」
「はい!」
「勿論です」

2人は顔を見合わせて小さく頷き合う。
そうだ、と呟いた天馬は踵を返しながら、立ち上がった剣城や依織を振り返ってこう言った。

「俺、せっかくだからキャプテンのお見舞いに行ってから帰るよ! 剣城、依織、また明日!」
「ああ、神童先輩によろしくな」

軽く手を振り、駆け足でリハビリ室を出ていく天馬に「病院では走らないように!」と看護士が声を掛けると、先程廊下を全力疾走した剣城が一瞬身を竦める。

「お前たちも遅くならない内に帰った方が良い。京介、ちゃんと依織ちゃんを送り届けるんだぞ」
「ああ、分かってる」
「別に平気なのに……」

ぼそりと呟くと剣城がジト目でこちらを見てきたので、依織はさっと彼から顔を背けた。

「じゃあ、兄さん。また来るよ」
「おやすみなさい、優一さん」
「ああ、おやすみ。気を付けて帰れよ」

にこやかに手を振る優一と看護士に見送られ、2人は病院を後にする。
昇降口を出たところで、ふと剣城が「鷹栖」と口を開いた。

「その……ありがとうな、色々」
「……珍しいな、剣城が素直に礼言うなんて。明日は決勝だってのに、雨でも降るのか?」
「お前な……」

眉間に皺を寄せて口許をひきつらせた剣城に、依織は「冗談だよ」と数歩彼の前へ進み出る。
そして体ごとこちらを振り返り、真剣な目でこちらを見上げてきた彼女に、剣城は思わず文句を言い掛けた口を閉ざした。

「泣いても笑っても、明日で最後だ。……やってやろうぜ、剣城」
「……ああ。当然だ」

明日で最後。きっと彼女の場合、自分とはまた少し意味合いが違うのだろう。ホーリーロードで優勝すること──それが彼女がサッカー選手でいられる条件なのだから。
ほんの少し口角を上げた剣城が拳を掲げると、依織もそれに応えて拳をぶつける。




──そんな2人を、遠目から真っ赤な車に乗った人物が静かに見守っていた。

「ごめんねお兄ちゃん、無理言って」
「ああ、構わない。協力してくれた御鏡にも礼を言っておくんだぞ」

うん、そうする──微笑んでそう返すのは、助手席に座った少女である。
運転席にいるその兄、イシドは「それよりも」と不思議そうに少女──夕香に尋ねた。

「何故わざわざ彼女に連絡を? 剣城は天馬くん以外に話すつもりはないと言っていたが」
「だってあの子、私が剣城くんを呼びに行ったとき、一瞬だけどすごく不安そうな顔したんだもの」

三つ編みを引っ張りながら、夕香は小さく笑って言う。
刹那見せた彼女のあの表情は、きっと正面にいた夕香にしか見えなかっただろう。

「例え内容を知ることが出来なくても、彼女なら心配する権利くらいあるでしょう?」
「彼女……? そうだったのか?」
「多分ね。女の勘だけど」

女の勘か、と苦笑混じりに呟いたイシドは、止めていたエンジンを再度掛けて思わず漏れ出た溜め息を掻き消す。
あの小さかった妹が、そんな勘を働かせるようになったのか──そんな兄の寂しげな目には気付かず、夕香は話し込みながら帰路に着く2人に、頑張ってね、と心の中でエールを送るのだった。