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白み始めた空を鳥が泳ぐ。
早朝のジョギングの途中、橋の中頃でぼんやりとそれを見上げていた依織は、昇ってきた太陽の眩しさに目を細めた。

「──優勝したら……」

空を越えた先、天国まで声援が届くことはあるだろうか。
そんな途方もないことを呟くと、依織は軽くかぶりを振ってジョギングを再開した。




時刻は午前11時。会場は既に超満員で、決勝の舞台となるアマノミカドスタジアムは試合の始まっていない内から熱気に包まれている。

彼らが来たる決戦を今か今かと待つその一方で、メディアは試合と共に行われる聖帝選挙にも注目していた。
響木はこれまで着実に票を伸ばし、現在の投票数は現聖帝イシド全くの同点。この一戦が、正にサッカー界の全てを決めるのだ。

「──聖堂山イレブンの諸君。君たちはフィフスセクターの全てを注ぎ込んだ、最高のチームだ」

聖銅山イレブン控え室にて。
橙色のユニフォームに身を包む子供たちを見回して、イシドは静かな声音で語る。

「今日は全力を尽くしてほしい」
「はい、聖帝」

規律の取れた返答にイシドは目を細める。次に彼が視線をやったのは、自身の左隣に立っている黒髪長身の男だ。
彼──砂木沼は、自分がコーチとして育て上げてきた選手たちに満足げな笑みを浮かべながらイシドに答える。

「全員、コンディションは完璧です」
「ああ。──時間だ。行くぞ」

はい、と張り詰めた声を返す子供たちの表情には、闘争心はあれど緊張感は見えない。自分たちの勝利を信じている、そんな顔だ。
彼らを伴い砂木沼が控え室を出ていって一拍すると、それまで後ろに控えていた虎丸がイシドの隣に並ぶ。

「雷門の強さは本物です。聖堂山にとって、かつてない──最強の敵となるでしょう」
「……フィフスセクターの全てを注ぎ込んだチームでなければ、その勝利に意味はない」

その為に自分の知識と経験を余すことなく使い、それでも足りないと感じた部分を補うためにコーチとして砂木沼を呼び寄せた。
砂木沼は数少ないこちらの事情≠知る人間の一人だ。とは言え、コーチを頼んだ際に『本当の事情を教えない限り協力はしない』と彼が頑として譲らなかったからなのだが。

「最強の管理サッカーと、最強の自由なサッカーの対立。そこにこそ、真のサッカーの姿が見えるのだ」
「……はい」

俯きがちに小さく頷いた虎丸は、イシドに会釈すると出入口へ歩を進める。遠退く後ろ姿を、虎丸、とイシドはふと思い立ったように呼び止めた。

「今までのこと、感謝している」
「……ありがとうございます、聖帝」

虎丸は振り返らないままそっと微笑を浮かべると、今度こそ控え室を後にする。
無人になった室内で、イシドはそっと自嘲するように呟いた。

「聖帝、か……」




スタジアムへの入場口へ選手が整列する。それなりに分厚い扉を隔てたここからでも会場のうねるような熱気と歓声が伝わってくるのだ、いざピッチへ出たときの盛り上がりは相当なものだろう。
先頭に立った天馬は、そっと腕のキャプテンマークに手を添える。天馬は天馬らしいサッカーをすればいい──葵がつい先程言ってくれた言葉を心の中で復唱して、彼はきゅっと唇を引き締めた。

「──君が雷門のキャプテンか」
「あっ……はい」

ふいに隣から聞こえてきた声に、天馬はハッとそちらを見る。
橙色のユニフォーム、背中まで伸びた茶髪を一つに緩く結った少年──腕の黄色いキャプテンマークが見えて、天馬は思わず表情を引き締めた。

「聖堂山のキャプテン、黒裂真命だ」

そう告げて、彼は片手を差し出す。天馬も慌てて「雷門中キャプテンの、松風天馬です」と自己紹介し、それに応えた。
握手を交わした黒裂は、穏やかな笑みを湛えて続ける。

「俺たちは、雷門を最強の相手だと認めている。最後まで、正々堂々と戦おう」
「──はい!」

正々堂々と──ここに来て相手のキャプテンからそんな言葉を貰えるとは思っていなかったのだろう、天馬は嬉しそうに頷いた。
マイクで拡大された実況の声が微かに聞こえくる。正面に向き直ると、観音開きの扉がゆっくりと開き、それまでくぐもっていた歓声がダイレクトに鼓膜を揺らした。

両チームがスタジアムに入場すれば、その歓声は更に大きくなる。
テクニカルエリアに入ると、円堂が息を大きく吸い込んでそれに負けないような大きな声で口火を切った。

「みんな。これはサッカーの未来を掛けた戦いだ。これで本当のサッカーが取り戻せるかどうかが決まる」

今このスタジアムにいる人間の中で、その真実を知る者はどれ程いるのだろう。
だからこそ、彼らの肩に掛かった責任はとても重い。子供たちが僅かに緊張で表情を強張らせたのに対し、円堂は真剣な表情を崩してこう言った。

「だから思いっ切り──楽しんで来い! お前たちのサッカーを!」
「えっ?」

てっきりもっと厳しい言葉が出るのだろうと思い身構えていた天馬たちは、円堂から飛び出した『楽しむ』と言う単語につい戸惑ってしまう。
だが、それに反し円堂の傍らに立っていた鬼道と春奈は何か思い当たることがあるのか小さく笑っていた。

「これは俺たちが昔、久遠監督から言われた言葉だ」
「久遠監督が?」

帝国戦後から中々聞く機会のなかった久遠の名前に、天馬と信助の目が輝く。
ああ、と懐かしそうに頷いた円堂は、改めて子供たちの顔を見渡す。あの時の久遠と今の円堂とでは、立場こそ同じでも彼らに託すものが大きく違う。
それでも、伝えなければならない。革命や未来や、難しいことを抜きにして、サッカー選手として大事なことを。

「その手で日本一を掴み取るんだ! ドカンと一発決めてやれ。お前たちの魂のシュートをな!」
「──はい!」

いつもの笑顔で激励する円堂に、天馬たちも表情を明るくして大きく頷く。
そこで、「よし!」と突然天馬に声を掛けたのは車田だった。

「それじゃ天馬、みんなに一発気合を入れろ!」
「えっ! お、俺がですか!?」
「当然お前だろ。キャプテンなんだしさ」

たちまちしどろもどろし始めた天馬に倉間が呆れたように笑えば、天馬はおっかなびっくり頷いて緊張した様子で一同の前へ進み出る。

「えっと……よし、それじゃあ──」

仲間たちに気合いを入れる、気の利いた一言を。
強張った表情で息を吸い込み拳を構えた天馬に倣い、仲間たちも拳を構える。そして彼は、思いきり叫んだ。

「ぜっ、絶対に優勝しましょォ〜〜ッ!」

──緊張で掠れ、裏返った声で。

あまりに雰囲気にそぐわない掛け声に、肩透かしを食らった仲間たちは盛大に肩を落とす。
「何だよ、それ!」そのまま腹を抱えた狩屋や錦がひいひい笑い出すものだから、天馬は思わず赤面してしまった。

「大体『しましょう』って締まらねえな」
「す、すみません。それじゃあもう一度行きます!」

苦笑する倉間に謝罪を入れて、ごほん、と大きく咳払いして居住まいを正す。格好はつかないが、天馬らしいと言えばらしい失敗だ。依織と葵は顔を見合せ、ニヤッと笑う。

「──絶対優勝するぞぉ!!」
「おーっ!!」

今度こそ、雷門イレブンは拳を天高く突き上げる。運命を決める聖戦の幕開けだ。




両チームはそれぞれポジションに着き、試合開始のホイッスルを待つ。
輝や信助と共にベンチに腰かけた依織は、睨むようにフィールドを見つめた。
聖堂山は一列目に選手を4人集めたフォーメーションを取っている。そのせいで中盤には大きなスペースが出来ている。天馬たちがまず攻めるのはあそこだろう。

極限まで高まった緊張感の中、ついに試合開始のホイッスルが吹き鳴らされた。ボールを受け取った天馬が走り出すのと同時に、剣城が聖堂山のデッドスペースへ切り込んでいく。
勿論、天馬が狙うのもそのスペースだ。だがそちらへパスをやろうと顔を上げた瞬間、目の前を聖堂山の選手3人がパスコースを塞ぐように立ちはだかった。

「くっ……」
「こっちです!」

これではパスが出せない。たたらを踏む天馬に、サイドへ駆け込んだ速水の声が掛かる。

「速水先輩!」
「……!」

天馬が速水へパスを出すや否や、相手選手も素早くそちらへ向かう。予想以上の反応スピードに、円堂や鬼道が眉間に皺を寄せた。

「ワンタッチで前へ!!」

天馬が指示を出すも、その声は間に合わない。速水もまた先程の天馬と同じように3人がかりのマークに囲まれ、塞がれたパスコースにたじろいだ。

「っダメです、前には出せません!」

言いながら、速水は仕方なくボールを今度は逆サイドの浜野へと打ち上げる。

「ちょ──こっちか!」

予想していなかった流れに、浜野は虚を突かれながらも咄嗟に足を伸ばしてパスを受け取る。
しかし、体勢を直すが早いか、浜野の前にも前方を塞ぐ選手が3人現れた。
これでは前に進めない。肩越しに浜野が後ろを確認した瞬間、一気に距離を詰めてきた相手DFの穂積がボールを奪った。

「いっけね!!」
「黒裂!!」

ボールは穂積から前線へ駆け込んだ黒裂へ。パスを受け取った黒裂は、雷門陣内深く切り込んでいく。

「これは……まんまと罠に掛かったな」
「! そうか、あのフォーメーションは雷門のパスを封じるためのもの……!」

低い声で呟いた依織に、2つ隣に座った一乃がハッと声を上げた。
聖堂山陣内まで上がっていた天馬や剣城たちは、慌てたように自陣に駆け戻る。対し、それを突き放すスピードでDFラインに到達した黒裂の前に、霧野が飛び出していく。

「通さないぞ!」
「早いな──流石だ!」

目を細めた黒裂は、霧野を見据えたまま踵で素早くバックパスを繰り出す。驚く霧野の視界の端で、ボールは恋崎へと渡った。

「甘いド……!」

しかしそのまま進軍を許す雷門ではない。巨体に似合わぬ俊敏さで恋崎の進路へ走り出た天城はそのボールを奪うと、中盤まで駆け戻った天馬へパスを打ち上げる。

「こっちだ、天馬!」
「倉間先ぱ──」

手薄になった中央へ出た倉間に、天馬は足を振り被る。だが次の瞬間、あっという間に自陣へ戻ってきた黒裂たちが再び天馬のパスコースを塞いでしまった。
攻めのスピードもさることながら、戻りも早い。天馬も思わずそのプレーに舌を巻く。

「そう簡単には攻めさせはしないさ」
「っパスが出せないなら……!」

天馬は咄嗟に頭上へボールを打ち上げると、黒裂たちの視線がそちらに吸い寄せられた隙を突きマークをすり抜けた。
しかしその先には既に3人掛かりのマークが控えており、天馬は三度足止めを喰らってしまう。

パスが出せなければ攻撃は出来ない──この戦略はストライカーならではの発想だろう。円堂は聖堂山側のテクニカルエリアのベンチに腰掛けているイシド──豪炎寺を横目で一瞥した。

「チィッ! 厄介な奴らぜよ!」
「錦くん、こっちです!」

一旦天馬からボールを戻された錦に速水が叫ぶ。
おう、と錦が方向転換した瞬間を相手は見逃さない。圧倒的な速さで駆け出した黒裂は速水へのパスコースへ飛び込みボールをカットすると、そのまま雷門陣内へ攻め込んだ。

「やらせるかァッ!!」

ゴールエリア切り込んだ黒裂に、狩屋が渾身のスライディングを仕掛ける。
黒裂は妨害を予想していたのだろう、跳躍してその頭上を飛び越えていくが、そこで諦めるような狩屋ではない。

「っまだま、だぁ!!」
「!!」

狩屋は素早く仰向けの体勢から脚を頭側に振り抜き反動をつけると、手で地面を押し跳ねた勢いで逆さまに跳び上がる。
ピンと伸ばされた足はハッと目を見開いた黒裂がすかさず放ったシュートには一歩届かず、ゴールエリアへの侵入を許してしまったが、それでもアシストには十分だ。

「任せろ!!」

万全な体勢で打てなかったせいだろう、やや緩めのスピードでゴールの左上に飛んだシュートに、跳び上がった三国が食らいつく。

「流石です三国先輩!」
「天馬!」

すぐさまボールを蹴り出した三国から天馬へのパスコースに、同時に走り出した黒裂が割り込みボールをカットする。再び雷門陣内を駆け上がりながら、彼は楽しげに口角を上げた。

「やっぱり一筋縄ではいかないか……!」

彼らもここまで戦い抜いてきた以上、生半可なチームでないことは分かっている。
だが自分たちはフィフスセクター最強のチーム。雷門イレブンの使命がフィフスセクターのサッカーを打ち倒すことならば、この戦いに勝利し、聖帝のサッカーこそが真のサッカーだと証明して見せるのが聖堂山イレブンの使命だ。

弦を引き絞るように振り抜かれた脚からシュートが放たれる。

「バリスタ──ショット!!」

中距離から打たれた強力なシュートに、三国の伸ばした手は届かない。
強弓で穿たれるが如く、ゴールネットに突き刺さった黒裂のシュートにホイッスルの鋭い音が轟いた。聖堂山の先取点だ。

「くっそお!!」

ゴールを守りきれなかった悔しさをぶつけるように、三国は地面を殴りつける。
割れんばかりの歓声が上がる中、改めて相手の強さを痛感して強張った表情になった仲間たちに、ふと何かを考え付いたらしい天馬が声を掛けた。

「──あの、皆さん! 俺に考えがあるんですけど……」