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『──そうか……では、やはり』
「はい。多分、近い内に新しい監督が送り込まれる流れになると思います」

授業を4限目までこなし、時刻は昼休み。
軽く昼食を済ませて教室を出た依織は、校舎から少し離れた雑木林の中にいた。

校舎の喧噪から適度に距離のあるそこに、彼女以外の人影はない。
大きな木に隠れるように背もたれて、依織は携帯を片手に通話相手の話を促す。

「どうしましょうか」
『大丈夫、手だては既に用意している』
「久遠さんが解任させられずに済む、ってことですか?」

「いいや」電話越しに相手は頭を振ったようだった。久遠の解任はもう避けられないことなのだろうか。それじゃあ、と思わず口にすると、彼は言葉を続ける。

『ここは目金くんや彼女に動いてもらうことにしている。君は、今は自分のことに専念してくれ』
「……そっすか。了解しました、雷門さん」

「では、また後日」それを最後に、通話はぷつりと切れた。
役目を終えた受話口から、ツー、ツーと無機質な音が響く。暗くなった画面を眺めながら依織が溜息を吐いたのと、玄関の方から聞き覚えのある声がしたのはほぼ同時だった。

「あれっ、依織?」
「! ……葵。天馬と信助も」

木々の隙間からこちらを覗いてきた顔に、依織は反射的に携帯をポケットに押し込む。ガサガサと雑木林から出てきた依織に、信助が首を傾げる。

「こんなとこで何してたの?」
「ちょっとした散策」

「昼寝する場所でも探してたの?」そんなことを尋ねてきた天馬の尻を軽く蹴り飛ばし、猫じゃあるまいし、と依織は肩を竦めた。

「つーか、お前らは何してんの」
「僕たちはね、今からサッカーの練習するんだ!」

それに答えたのは信助である。
よくよく見てみれば、天馬の小脇にはサッカーボールが抱えられていた。

「で、私はその付き添い。ねっ、依織も一緒に行こ?」
「そうだよ、せっかくだから依織も一緒にサッ」
「それは却下」
「えー!」

さあさあと葵と天馬に背中を押され、依織は溜息を吐く。どうやら逃げ場はないようだ。
グラウンドの一角に辿り着くと、天馬と信助は早速ボールを蹴り始める。

「そう言えばね、依織。私もマネージャーでサッカー部に入部することにしたの」
「へぇ、良いんじゃないの」

思い出したように口を開いた葵に、依織は少し関心したように声を漏らした。
努力家の葵のことだ、きっと天馬の良い支えになってくれるだろう。

「依織は、マネージャーになる気はないの?」
「私が身を粉にして相手に尽くすタイプに見えるか?」

質問を質問で返せば、葵は間髪入れず首を激しく横に振った。
若干失礼な態度とも思えるが、それも依織の日頃の行いのせいである。

「まあ、な。部のことは後々嫌でも考えることになるんだ」
「? ふぅん……」

あくびをかみ殺しながら言った依織に、葵は小首を傾げて天馬たちの練習風景を眺めた。天馬はワクワクを押さえきれない顔でパス練習を続けている。

「早く放課後にならないかなぁー!」
「張り切ってるなあ……」

はやる気持ちを押さえながらボールを蹴る天馬に、葵はクスリと笑みを漏らす。その時、依織は背後で誰かが砂利を踏む音を聞いた。

「──今日、入部テストなんだろ?」
「あ」

振り向くと、そこにいたのは昨日知り合ったばかりの水鳥だった。思わず依織が瀬戸先輩、と漏らすと、彼女は「水鳥で良いっつったろ」とニカッと笑う。
水鳥はボールをパスし続ける天馬を眺め、ふぅんと鼻を鳴らした。

「良いよな、あいつ」
「天馬ですか?」

葵が尋ねれば、彼女は腕組みをして確認するように頷く。視線の先で、タイミングを測り損ねた天馬が尻餅を突いた。

「見かけ頼りなさそうなのによ、ここに熱いもん持ってる」

そう言って彼女は自分の胸を親指でトンと叩くと、満足そうにうんうんと頷いて見せた。

「うん、良い」
「はあ……」

どこか古風さを感じる評価に、葵は少し困惑気味である。
依織は昨日の段階で彼女の感性にすっかり慣れてしまっていた為、特にこれと言った感想は抱かない。
一方で、天馬や信助はこちらの様子もつゆ知らず、パス練習を続けている。

「入部テスト、合格するぞーっ」
「そうそう、合格する! ──あ!」

力んだ天馬の蹴ったボールが、思いの外高く跳ね上がった。
「高すぎる!」思わず口に出した葵に、信助が歯を食いしばった。

「っ入部、するんだーっ!!」

叫んだ信助が膝を曲げたかと思った次の瞬間、思い切り地面を蹴る。
そのまま彼は、自分の身長の何倍もある高さへ向かって──足にバネでも入っているのかと疑うような跳躍力で、跳んだ。

「届いたっ!」

ボールに食いついた信助に、天馬が声を上げる。
そのままボールを下へ弾いた信助は、空中でバランスを崩し地面へ尻から着地した。

「うわっ!」
「信助!」

盛大に尻餅をついた信助に、慌てて天馬が駆け寄る。
大丈夫、と苦笑いしながら答えた彼に、一瞬目を丸くした水鳥がピュウと小気味良く口笛を鳴らした。

「あいつも見所あんじゃん」

はー、と感嘆の溜息を吐いた依織は、信助がジャンプした高さを見上げる。ざっと、目測で3メートル強というところだろうか。

「随分跳んだなー……」
「ふふ。天馬も負けてらんないね」

信助を助け起こす天馬を眺めて、葵が小さく笑う。
それから何分ほど経っただろうか。
ふと校舎の時計板を見上げた依織が、あ、と短く声を上げる。

「そろそろ昼休み終わるな」
「あっ、ホント。天馬、信助! あと5分で午後の授業が始まっちゃう!」
「うん、分かった!」

時計を見上げ、声を掛けた葵に大きく頷いた天馬が、慌ててボールを抱えた。
信助がズボンの汚れを払うのを確認し、5人はやや急ぎ足で校舎へ向かう。

「……あ」

階段を上がったところで、ふいに天馬が足を止めた。
「何?」彼の視線を辿った葵が、ほんの少しだけ険しい顔になる。
そこには、校舎の壁に背も垂れて携帯をいじる剣城の姿があった。メールでも打っているのか、彼の視線は携帯の画面にから動かない。

「天馬……」

早く行こう、と言いたげに葵がそっと天馬の袖を引いたが、天馬は彼女を安心させるように小さく目配せすると、ゆっくりと剣城に近付いていく。
視界が陰ったのに気付いたのか、剣城が顔を上げた。そして天馬の顔を見るなり、あからさまに嫌そうに彼を睨めつける。

「……俺は、サッカー部に入る」

何も言わない剣城に天馬が口火を切った。
剣城はしばし沈黙した後、ふ、とほくそ笑む。

「ふん……好きにするんだな」

それから、彼は再び携帯に視線を落として黙り込んだ。
「……行こ、天馬」しびれを切らして囁いた葵に、天馬は静かに頷く。
彼から遠ざかりながら、依織はちらりと後ろを振り返る。丁度剣城は携帯をポケットに押し込んで、壁から背中を離したところだった。

「あっ、チャイム!」

校舎へ足を踏み入れるなり響いた予鈴の音に、信助が慌てた声を上げる。

「いけない! みんな、急いで!」
「そーだ、急げ急げ」
「水鳥さんもでしょ」

階段を駆け上がり、水鳥は3階へ、天馬や葵、信助は左側の教室へ、そして依織は右側の教室へ。
みるみるうちに廊下の人はまばらになり、依織の足も心なしか早くなる。

幸いなことに、まだ担任は来ていないようだ。どうやら彼は時間にルーズな方らしい。
少しほっとしながら教室の扉を開けると、クラスメートたちから何かギョッとした視線を向けられ、彼女は思わずギクリとする。

「(えっ、何?)」

授業初日からこんな目で見られるようなことをした覚えはない。訳も分からぬまま、依織はつい後ろを振り返った。
そして、何故自分が注目を浴びているのかを理解する。

「……お前、見た目と行動が噛み合ってない時あるよな」
「何のことだ」

少し肩で息をしながら彼女の背後に立っていたのは、剣城だった。どうやら予鈴を聞きつけ、天馬たちに気付かれないよう急いで戻ってきたらしい。
クラスメートたちは、剣城が依織と一緒に教室に戻ってきたものだと勘違いしたようである。

こんなあからさまな改造制服を着ていれば、今更授業のサボリなんて何てことないと思うのだけど。
依織の目がそう問いかけているのを感じたのか、剣城は居心地の悪そうな顔で「邪魔だ」と彼女を押しのける。

「(やーっぱり分かんないよなぁ。こいつ……)」

ただひとつ分かるのは、剣城の根が案外真面目ということだけだ。依織は自分の席に着き、頬杖を突いて担任の到着を待つ。
放課後まで、あと2時間と少し。