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『──これより、表彰式を行います』

未だ熱気の冷めやらぬ会場に、アナウンスが響く。
瞬くシャッター、幾台ものテレビカメラがフィールドに向けられ、彼らはそこに立っていた。

『本年度のホーリーロード優勝校は──雷門中です』

天馬は目を輝かせ、おめでとう、と役員から手渡された銀色に輝くトロフィーを厳かに受け取る。ずしりとした重み。磨かれた表面に、自分の興奮した面持ちが写った。

「優勝したんだ……本当のサッカー、取り戻したんだー!!」

喜びに体を震わせた天馬は、思い付いたように腕から外したキャプテンマークをトロフィーに巻き付け、観客席にいる神童にもよく見えるように天高く掲げて見せた。
フィールドの中央からでは観客席にいる神童の表情はよく見ることは出来ない。それでも、きっとさっきのように笑っているはずだと思うと、天馬もまた笑みが溢れる。

授賞式を終え、天馬の元に駆け寄ってきた仲間たちは、やっと手に入れた優勝トロフィーを眩しげに見上げて笑顔を浮かべた。

「良かったね、天馬!」
「うん! サッカーもきっと喜んでる!!」
「まーたそれか」

相も変わらずサッカーを擬人化する癖のある天馬に、少し呆れたように言いながら倉間が笑う。

「だって、絶対喜んでますよ!」
「はいはい、分かった分かった」

頬を膨らます天馬にも、口角を上げた倉間はもう聞き飽きたとでも言いたげに手を振って聞き入れようとしない。
喜んでますってば、と天馬は尚も食い下がり、傍らでその様子を静観していた剣城を唐突に振り向く。

「ねっ、剣城!」
「な──俺に聞くな!」

突然話を振られて虚を突かれたのだろう、剣城はやや上擦った声を返してツンとそっぽを向いた。
そこで話の途切れたタイミングを見計らった三国が、大きく手を打ち鳴らす。

「それじゃあ、俺たちのキャプテンを胴上げだ!」
「はい!」
「え? ──うわぁッ!?」

もろ手を上げて飛びかかってきた仲間たちに、天馬は悲鳴を上げる間もなく天に放り投げられた。




「──彼らの表情が見えますか?」
「……ああ」

テクニカルエリアに呆然と立ち竦む千宮寺に、豪炎寺は静かに語り掛ける。
千宮寺は耐えぬ笑顔で喜びを分かち合う雷門イレブンたちの姿を見つめ、そっと目を細めた。

「……忘れていた。限界まで力を出し切り、勝利したものだけが見られるものがある……あの表情だけは、管理サッカーでは生み出せないものだ」

自身の育てたドラゴンリンクたちは勝利したところであんな顔をしたことは一度もなかった。
勝つことは当たり前、喜ぶ必要すらない。そんな風に育った──自分が、育ててしまったから。
いつからボタンを掛け違えてしまったのだろう。子供たちにプレーする機会を平等に与えていたつもりが、自分はもう長いこと彼らからあの表情を奪っていたらしい。

顔を上げれば、興奮の冷めない観客たちが勝利した雷門イレブンに称賛の歓声を上げているのが見えた。中には勿論、ドラゴンリンクや聖堂山イレブンの健闘を讃えている者もいる。
何百何千という人々が、この戦いに惜しみ無い拍手を送っている。

「サッカーは幸せだな。これだけ多くの者たちに愛されてきたのだから……」
「私も愛しています。今までも……これからも」

満足げに目を細めてそんなことを言う豪炎寺に、千宮寺は──久しぶりに、満ち足りた穏やかな気持ちで微笑んだ。




けたたましい二度目のアラートと共に、轟音を立てアマノミカドスタジアムは元の姿へと戻っていく。
フィールド中央にそれぞれ両チームが整列すると、再び静かな切り口でアナウンスが響いた。

『聖帝選挙の結果発表です。サッカー界の総責任者、新聖帝は響木正剛氏となりました』

スコアボードが選挙画面のイシドと響木のバストアップに切り替わる。
ピコン、とその内容の重さに似つかわしくない軽いサウンドエフェクト。イシドのそれより1ポイント上回った響木の投票数に、スタジアムは試合の時とはまた違う歓声に包まれた。

『それでは、新聖帝、響木正剛氏による就任演説です』

女性のアナウンスが途切れ、壇上にゆっくりとした足取りで響木が姿を現す。
頭上に焚かれたスモークの幕に、ホログラムで拡大された響木が映し出されると、スタジアムは水を打ったように静まり返った。

『……サッカーは平等なものなどではありません』

しばし間を空け口を開いた響木に、長いこと列の先頭で臍を噛んでいた大和がハッと顔を上げる。
1人の少年の意識が引き付けられたことに気が付いただろうか。定かではないが、響木はゆっくりと続けた。

サッカーは強くなりたいと願い、多くの汗と涙を流した者だけが勝利を勝ち取る。力を出し切ることが出来なかった者は敗北し、悔しさで涙する。
そこにあるのは、平等などではない。
驚くほどシビアで、辛い現実。

それを肌身で感じ、成長してきたかつての子供たち≠焉A響木の演説に静かに耳を傾ける。

重たい空気を、しかし、と彼は振り払った。

『若者たちが思いと思いをぶつけ合って心の底から熱くなれる……その熱こそ、長く人生を生きていかねばならない全ての若者たちの、勇気になることでしょう』

そこで響木はゆっくりと右手を頭上へ掲げる。
大人と子供、全ての注目を浴びる中、彼は高らかに言い放った。

『ここに、フィフスセクターの解散を宣言する。全てのサッカーを愛する者たちよ。サッカーを、自由にプレーしてほしい……!』

──その瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれる。
これにて就任演説を終了します、と再び聞こえてくるアナウンスに、大和は仲間たちを伴い踵を返した。

「──良い試合だったな」

静かな面持ちで選手たちを出迎えた父に、面食らったように目を瞬いた大和は片眉を上げる。

「……負けたのにか?」
「ああ。だから、帰ったら練習メニューの見直しだ。……お前たちが納得行くまで、私も付き合おう」

子供たちは今度こそ目を丸く見開いた。ポカンと口を開けていた大和だったが、ややあって挑戦的な笑みを父に向ける。

「俺たちよりも先にバテるんじゃねーぞ、くそ親父」

柔らかな苦笑と共に肩に置かれた掌は、とても温かかった。




ピッチから姿を消すドラゴンリンクたちを静かに見送っていた豪炎寺の隣へ、ふと人影が並び立つ。

「! 円堂」
「──ありがとな、豪炎寺。サッカーを取り戻してくれて」

挨拶もなしに切り出した円堂に、豪炎寺は少し目を見開いたあとゆっくりと口角を上げた。

「……取り戻したのはお前だろう?」
「ははっ、そうかな? 知ってるんだぜ。サッカーのせいで学校が潰れたりしないように、サッカーの教育システムや支援基金の設立にお前が動いていたこと」

その為に織乃を海外に派遣し、資金繰りに奔走し、果ては剣城の兄の手術費も捻出した。2年の歳月を掛けて、彼はサッカーに関わるもの全てを救ったのだ。

「そして……この革命を始めたのは、お前だ。いつもは遅いくせに……!」

微笑を浮かべ、豪炎寺は円堂に向き直る。
最後に正面切って対面したのは、ホーリーロード本選の開会式の直後だった。あの時はまだ彼が一体何をしたいのかも分からずに、途方に暮れながらも自分の使命を全うしたが、それも今日で終わりを告げる。

「豪炎寺。また一緒に、サッカーやろうぜ!」
「──ああ!」

差し出された手を固く握り返す豪炎寺に、それまで黙って2人のやり取りを見守っていた虎丸が我慢しきれなかったように駆け寄ってきた。

「っ遂にやりましたね! やり遂げたんですよ、俺たち!」
「俺たちじゃない」
「この革命を成し遂げた、本当の主役は──彼らだ」

えっ、と目をしばたかせる虎丸に、2人は揃ってフィールドを見やる。
そこにあるのは、歓声を浴び嬉しそうに手を振っている雷門イレブンの姿。紙吹雪が宙を舞い、色とりどりのライトが喜色に染まる子供たちの頬を照らしている。

「本気でサッカーを取り戻したいと願い、必死に戦った彼らこそ、讃えられるべきだ」

彼らが、──彼がいなければ、きっと革命は為し得なかった。
穏やかに微笑み目を伏せた豪炎寺の前髪を、そよ風がゆっくりと吹き抜けていった。




「──行ったよ、天馬ー!」
「うん!」

夕暮れの空にボールが舞い上がる。
閉会式が終わった静かなスタジアムで、天馬たちはまだボールを蹴っていた。
それと言うのも、苦笑混じりの円堂曰く。

「多分、今学校に戻ったら色々としっちゃかめっちゃかしてるだろうから、それが収まる頃に帰ろうか」

──と言うことだった。
依織によれば、閉会式が終わった直後からレジスタンス本部で動きがあり、雷門と火来がそれぞれ理事長の椅子と校長の椅子を取り戻すために雷門中に殴り込みに行っているらしい。

「私たちの仕事は今日でおしまい。ここから先の小難しいことを片付けるのは、大人たちの仕事。でしょ、有兄さん」

そう言って肩を竦めた妹分に、鬼道は至極真面目くさった顔で頷いた。

観客は既に捌け、スタジアムに残るのは関係者ばかり。新しく聖帝に就任した響木と諸々の責任者に許可を取り、天馬たちは貸切状態になった大きなフィールドで自由気ままにボールを蹴って時間を潰す。

──その様子を、依織は1人ぼんやりと立ち竦んで眺めていた。

「こんな時でもお前はいつもの調子なんだな、鷹栖」
「……剣城」

ふいに、背後から掛けられた剣城の声に、依織は緩慢に振り返る。
いつもの調子、とは言葉通りこの感情を表に出さない──剣城から言わせれば『何を考えているのか分からない』様子のことを指しているのだろう。

それはお前にも言えることだろ、と相変わらずのポーカーフェイスに目を細めて、依織は疲れを感じさせない笑顔で走り回る天馬たちを見る。

「たまにはあれくらいはしゃげば良いのにって? バカ言うなよ、さっきのさっきでそんな体力残ってないし、そもそも私があんなノリではしゃいでたら気持ち悪いだろうが」

一息に言って、大きな溜め息。
フォローする言葉が見付からないことに気付いた剣城は、大人しく口を噤んだ。

隣に並び立ち、橙色に染まり始めた空を見上げる。
渡り鳥だろうか、夕空をゆっくりと横切っていく白い影を眺めて、依織はポツリと口を開いた。

「──これでもさ、十分喜んでるんだよ」
「え?」

ボールに夢中でこちらに気付く様子がない天馬たち。
観客席から降りてきた神童は霧野やマネージャーを交えて談笑しており、円堂もまた豪炎寺や虎丸と昔話に花を咲かせている。鬼道に至ってはどこへ行ったのか姿が見えない。
ただ1人の観客を相手に、依織は独白するように続けた。

「革命は成功した。姉さんはやっと有兄さんと一緒にいられるし、私も晴れてお父さんに認めてもらえる。もう、これ以上望むことなんてないくらいに──」

ふいに、暖かい風が彼女の頬をゆっくりと撫でる。
誘われるように足元を見つめていた顔を上げると──


(──おめでとう、依織。よく頑張ったね)


鈴を鳴らしたような優しい声が、聞こえた。


「──……」
「……鷹栖?」

中途半端に言葉を切って押し黙った依織に、剣城は訝しむように眉をひそめてそちらに視線を向ける。
そして、目を大きく見開いてギョッとした。

──依織が泣いている。声を上げることもなく、どこか放心した様子でハラハラと涙を流している。
ポカンと口を半開きにしてそれを凝視した剣城は、我に返った次の瞬間思わず声を上げた。

「な……何だよ、どこか痛めたのか!?」
「え、あ、いや……違くて……」

依織はそこでようやく自分が泣いていることに気が付いたらしい。ぱたぱたと落ちていく滴を見て、驚いたように涙を拭う。
剣城がこの状況をどうしたものかと慌てている一方で、依織は足元にひらりと落ちてきた白い羽を呆然と見つめた。

今のは風の音を空耳したのか、それとも自分の願望から聞こえた幻聴か。
真実は分からない、けれど。

『そっかぁ。そしたらお母さん、依織の応援に行くからね』

──あの頃の約束を守り続けていたのは、自分だけではなかったのかもしれない。

「……ふ、ふふ」
「? お、おい……今度はどうした?」

小さく肩を震わせ、笑みを漏らす依織に剣城は顔をしかめて困惑する。突然泣いたと思ったら今度は笑い出したのだ、驚くのも当然だろう。
依織は次々に溢れ落ちてくる涙を拭いながら、肩を震わせている。

「何か、意地張ってるのがバカらしくなってさ……やっぱり、お前の言う通りだったよ。剣城」
「あ?」

彼女は晴れやかな気持ちでそのかんばせを上げる。
金色の柔らかな光の中で、依織は──雪融けを迎えた花が綻ぶように、鮮やかに微笑んだ。

「たまには、素直になったって良いんだよな」

──涙に縁取られ輝いたその瞳に、一瞬、呼吸を忘れる。
心臓が数センチ飛び上がったような感覚に、剣城は目を大きく見開いて依織を見つめた。

「? どうした、剣城」
「……あ。いや……その」

白磁の頬を紅潮させてしどろもどろする剣城に、依織は不思議そうに首を傾げる。
遠くの方から、2人も一緒にサッカーやろうよ──と天馬がこちらに手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。




「──良かった。依織ちゃん、胸のつかえが取れたみたいで」

フィールドを見下ろす観客席。手摺に持たれるようにして眼下を眺めていた鬼道は、背後から聞こえた声にゆっくりと振り返る。

「……仕事は無事に終わったのか?」
「ええ。バッチリです」

こつん、とヒールの音を小さく響かせて、彼女──織乃は鬼道の隣に並ぶ。膝下まであるフレアスカートが柔らかく揺れた。

「気付いてました? 依織ちゃんが、もう随分長いこと笑わなくなってたこと」
「ああ……」

鬼道の視線はフィールドにいる依織に戻される。駆け寄ってきた天馬に手を引かれる彼女は既に笑ってこそいなかったが、柔らかな表情を浮かべていた。

少なくとも依織が稲妻町に戻ってきた約2年間、彼女のまともな笑顔というのはとんとなりを潜めていた。見せるとしたら、それは師匠らに影響された何だか悪どい笑みばかり。
薄く微笑む、ということはもしかしたらあったかもしれない。けれどそれも刹那的なもので、鬼道は彼女が誰かに向けて純粋な笑顔を向けているところを見るのは本当に久しぶりだった。

サッカーを禁じられ、一緒に暮らしている父とはすれ違ってばかり。その孤独と抑圧された環境下で、彼女はいつしか笑うことを忘れてしまったのかもしれない。

「あいつの肩の荷は降りた。俺たちはこれからまたしばらく忙しくなるがな」
「ええ。一緒に頑張りましょう」
「そうだな……」

小さく笑う織乃に鬼道は目を細め、溜め息と共にそっとポケットに手を差し込む。
「有人さん?」ふいに押し黙った横顔を見上げると、そのタイミングで彼は織乃に向き直った。

「──遠く離れた場所でなく……隣で、な」
「有……」

ずい差し出された小さな箱に、織乃は目を瞬いた。ちらりと視線を上げると、鬼道は顎を引いてそれを開けるように目で促す。
小さく唾を嚥下し──織乃はゆっくりと、受け取った箱の蓋を微かに震える手で開いた。

「……試合中、ずっとポケットに入れてたんですか?」
「あいつらが優勝すると信じていたからな。……やはり、流石にムードに欠けるだろうか?」

夕陽を浴びて燦然と輝く宝石の連なり。
少し心配そうに眉根を寄せた鬼道に、織乃は一瞬息を詰めて首を横に振る。

「ううん──とっても素敵!」

涙を浮かべて弾けるように微笑んだ織乃は、スカートを靡かせその胸に飛び込んだ。