Warmth which connects

──しくじった。
行儀が悪いと知りながらも、依織はベンチで膝を抱えて座り込み何度目かも分からぬ不機嫌な溜息を吐く。

今日は天河原中との練習試合があった。
依織は彼らと面識はないものの、神童は喜多との再戦をとても喜んでいたし、あれから喜多たちと無事に和解し共にフィフスセクターに反旗を翻した元シードの隼総と正々堂々戦えることに、天馬たちも嬉しそうにしていた。

ただ、後半がいけなかった。
依織は彼女の焚き付け方をリサーチしていたらしい隼総の挑発に乗せられ、つい無理なプレーをして足を痛めたばかりかファウルを取られ、見かねた鬼道の指示でベンチに下げられてしまったのだ。
普段ならこんな中途半端なタイミングで下げられることなど滅多にない。苛立ちと戦意の熱は燃え盛る場所を奪われて、彼女の胸の内で徐々に黒い煙を立ち上らせて燻る灰になってしまった。

しばらく頭を冷やせ、と試合が終わった後にも鬼道から厳しい一瞥を食らい、ベンチに蹲って早10数分が経つ。
そろそろサッカー棟に戻らないと、頭より先に体が冷えてしまう。それは分かっているのだが、戻ったところで神童や天馬から居たたまれない目を向けられるのは明白だ。

──戻りたくない。依織は腫れ物のように扱われる自分を想像して、つい顰め面になる。
きっと葵あたりが彼女の心境を察して、天馬たちに早く帰ろうと帰宅を促してくれるだろう。それでいい。こんなものは一晩経てば元通りだ。そういう風に出来ている。
そういう風に出来るように、何年も掛けて自分を作り上げてきた=B

「いつまでそうしてるつもりだ、阿呆」
「イタッ!?」

その時、ぼすん、と突然側頭部を何かで殴られ、バランスを崩した依織はベンチから転がり落ちた。幸い痛めた足に衝撃はなかったが、細かな砂煙を被ったユニフォームが土色に汚れてしまう。

「ッてーな……何すんだよ、剣城!」
「拗ねてる暇あったら早く着替えろ。それとも今日は見舞いに行かないつもりか?」

ジトとした目でこちらを見下ろす剣城は、睨んでくる依織に構うことなく彼女を急かしてくる。依織は一瞬口籠もって、彼から背を向ける形でまた膝を抱えて座り込んだ。

「……良い。今日はお前1人で行け」
「良くない。兄さんにお前も連れてこいって言われてんだ」

昨日見舞いに桃を貰ったから一緒に食べよう、って。
その言葉に、ついうっかり口内に唾液が溜まる。甘い果物は彼女の好物のひとつだ。それを公言したことは一度もないけれど。

ごくん、と密かに唾を飲み込んで、依織は頭を横に振る。

「そんなの、勝手に約束すんなよ。第一、私が今日休みだったらどうするつもりだったんだ」
「その時は正直に話すだけだ。お前が素直に来れば、兄さんとの約束も破らずに済む」

喉が詰まる。いつも剣城の言葉はその名の如く、剣のように真っ直ぐで鋭い。
──優しさは一等分かり難いくせに。そんな憎まれ口を叩いたが最後、彼はたちまち顔を顰めて「うるさい」と一喝、依織の頭を引っぱたくだろう。

黙り込んで俯いた依織に、剣城が溜息を吐く気配がする。続いて聞こえるのは、彼が数歩歩く音。

そうだ、そのまま行ってしまえ。こんな可愛げのない女など放っておいて、とっとと優しい兄の元へ行けば良いのだ。

そんなことを考えていると、ふいにトン、と背中に柔らかい衝撃が走る。そして僅かに掛かる重みにギョッとしながら体を捻って振り返ると、剣城が依織の背中を背もたれにして座り込んでいるのが見えた。

「な、にしてんだよ……」
「別に。お前がそこから動かないなら、俺もしばらくここにいる。……面会終了時間まで、まだ余裕があるしな」

何なんだ、一体。依織はしばらくパクパクと口を動かしていたが、言葉が出てこずに結局また俯くに至った。背中に掛かる温もりは、決して無駄に体重をこちらに傾けることなくただピタリとそこに存在するだけだ。
温かい。温かくて、落ち着かない。依織はムズムズと引き結んだ唇をもごつかせる。

「ホントは冷えてんだろ、頭」
「……!」

ぽつりとした剣城の問いに、依織は一瞬目を見開く。そろりと頭をそちらに向けると、肩越しにこちらを見ている剣城と目が合った。

「なら、それで良いじゃねーか。無理矢理片意地張らなくても。どうせ明日には何でもなかったようなフリするんだろ」
「…………フリって」

どうして分かるんだ、と聞きそうになって口を噤む。
剣城はゆっくりと立ち上がると、ズボンについた土埃を払って振り向いた。背中に僅かに残る熱が、少しずつ消えていく。

「みんな分かってんだよ。お前が1番ムカついてて、悔しくて、反省してるんだって。だから最後、俺たちが勝ったんだろ」

お前の分まで、走って。
依織は眉間に皺を寄せ、剣城を見上げた。その顔には笑みこそないが、呆れた様子も見えない。ただそこにある。当たり前のように、彼女が立ち上がるのを待っている。

「──桃。食べねえのか」
「…………食べる」

しばし間を空けて答えると、剣城の手が無言で差し伸ばされた。
一瞬躊躇してその手を取ると、ぐんと上に引っ張り上げられる。小さく丸まっていた影が伸びて、グラウンドの端まで高くなった。

「早く戻るぞ。部室棟の鍵、キャプテンから預かってるんだよ」
「……ん。──剣城」
「何だよ」

このまま部室に戻るまで、手を繋いでいても良いだろうか。

そう問う間もなく、剣城は当たり前のように自然な動きで依織の手を握り直した。
こうでもしないと逃げ出すと思ったのか、それとも別の意図があったのかは分からない。ただ依織は驚いたように数度瞬きを繰り返して、何でもない、と頬に睫毛の影を落とす。

けれど、何となく思うのだ。
この手の温もりも、あの背中の広さも、まだしばらくは自分だけの秘密にしておきたい、なんて──どうしようもないことを。