「ほら、見て今のシュート! すっごいよね!!」
「見えてる見えてる、落ち着けって」
携帯電話の画面を指差し、興奮した面持ちではしゃぐ天馬の顔を押し退けながら依織は面倒臭そうに答える。
昼下がりの屋上の一角、昼食を食べながら1年生たちは挙って掌に収まるほどの小さな液晶画面を真剣に覗き込んでいた。
映っているのは、昨晩──日本時間にして明け方近く、海外で行われた世界大会の試合の動画である。
「──あ〜、ここで決まってたらこっちが勝ってたよなぁ」
「このシーン、今朝からニュースで何度も流れてるよね」
ずここ、とジュースのパックを潰しながら顔をしかめる狩屋に、輝も眉を下げながら頷く。一番悔しいのはシュートを防がれた選手だろうに、ニュースに出るコメンテーターはそのプレーの粗雑さを批判するばかりで、子供である前に一端のサッカー選手である彼らの心は少し痛んだ。
「でも、良い試合だよね。やっぱり生中継観たかったな〜」
「無理だろ。この試合、やってたの朝の3時頃なんだから」
唇を尖らす信助に尤もなことを言うのは剣城である。平日の明け方など、そんな時間まで起きていたらその日の学校生活に支障が出るのは確実だ。
そう言えば、と動画を閉じた依織が携帯をポケットに入れながら呟く。
「次の試合はもう少し早い時間にやるんじゃなかったか?」
「あ、そうそう。確か明後日の11時頃だって」
金曜の夜だから夜更ししても平気だね、と笑みを交えた葵の言葉を聞いた瞬間、「そうだ!」と天馬が勢いよく立ち上がった。膝に置いていた空の弁当箱の入った包みが豪快に転がっていく。
「じゃあ、みんなで観ようよ!」
「みんな……? 全員で通話繋いでってこと?」
「ううん、みんなで木枯らし荘に泊まって! 談話室に大きいテレビがあるからさ、そこで観戦しない!?」
お菓子とかも持ち寄ってさ、と続いた天馬の提案に、一同は顔を見合わせた。
友人の家(と言っても下宿先だが)に泊まり掛けでサッカー観戦。何とも心踊る提案ではあるが。
「でもそれ、天馬の一存で決めて良いことじゃないだろ?」
「あ……そっか。じゃあちょっと秋ネエに聞いてみる!」
半眼になった依織の問いにハッと頷いた天馬は、転がるように屋上の出入り口へ走っていく。
「もしもし、秋ネエ?」扉越しに聞こえる一旦天馬の声から意識を逸らし、彼らは互いを窺うような目配せを交わした。
「秋さんの許可が出たらどうする? 行く?」
「僕、行く! 楽しそうだし!」
「私も! 1年生で泊まりなんてしたことないもの」
依織の確認に真っ先に頷いたのは信助と葵だ。2人は既に行く気満々なのか、何のお菓子を買おうかと相談している。
「輝たちは?」
「僕も行ってみたいなぁ。お父さんが良いよって言ってくれたらだけど……」
「……まぁ、暇だしな。鷹栖は」
「私も行くかなぁ。1人で見るよりは、って感じ。狩屋は?」
続けて視線を向けられた狩屋は、何やら難しい顔をして考え込んでいた。どうしたの、と輝に肩をつつかれて顔を上げた狩屋は、目を瞬きながら頭を掻く。
「み、みんながどうしてもって言うなら行くけどさぁ……」
「いや別にどうしてもとは」
「行く、行きます! ……でも、家の人の許可が出るかどうか」
「そう言うの厳しいの?」と葵が尋ねれば、今まで聞いたことがないから分からない、と返ってくる何とも曖昧な答え。
しかし、しかめ面で俯くその顔からは自分だけ仲間はずれは嫌だと言いたげな空気が滲み出ている。
「行けると良いねぇ」
「……うん」
「みんなー! 秋ネエの許可出たよ!」
狩屋が小さく頷いた次の瞬間、天馬がバーン!と扉を突き破らんばかりの勢いで開けて戻ってきたのだった。
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そうこうして日にちは過ぎ、金曜日の昼休み。
「で、どうだった?」
「僕は大丈夫だったよ!」
行っても良いって、と嬉しそうに答えるのは輝である。
「狩屋は?」続けてやや不安の混じる声で天馬が聞くと、狩屋はギュッと唇を噛んだ後に言った。
「宿題終わらせた後なら合流しても良いって……」
「何だ、良かったじゃん」
「良かったけどぉ……」
土日なんだから後回しでも良いじゃん、と不満を溢す狩屋に苦笑しつつ、「とりあえず全員参加ね!」と掌を打ち合わせる。
部活後、一度家に帰って準備が出来次第木枯らし荘に集合。ただし狩屋は宿題を終わらせてから──そう約束して、その日の昼休みは終わった。
そして数時間後。
「どうぞ、上がって上がって」
「お邪魔しまーす!」
玄関に並べられたスリッパがパタパタと音を立てる。一際元気良く挨拶する信助や葵を筆頭に、秋はやって来た子供たちをにこやかに迎えた。
「あの、秋さん。これ、家の母からです。良かったら……」
「あ、私も姉さんから。一晩お世話になります」
「あらあら、気にしないで良かったのに。ありがとうね」
やや控えめに差し出された剣城や依織からの菓子折りを、「後でみんなで食べましょうね」と秋は目を丸くしながらも嬉しそうに受けとる。
「じゃあみんな、ゆっくりして行ってね。晩御飯が出来たら声を掛けるから」
「はーい!」
「あ、私たち手伝います! ね、依織」
「うん」
「そう? じゃあお願いしようかな」秋の背中に着いてキッチンへ入っていった葵と依織を見送って、それじゃあ俺たちは部屋に、と天馬は階段を登っていく。
実のところ木枯らし荘を訪れるのは初めての剣城と輝は、少し落ち着かないように辺りに視線をやりながらそれに続く。一方で、信助と狩屋は慣れたように天馬を追いかけた。
「そう言えば、何だか今日は静かだね?」
「花金だって言って、みんな商店街の居酒屋に行ってるんだ。日付が変わる頃には戻ってくるんじゃないかなぁ」
例外もいるけどね、とちらりと道中の扉に天馬が目をやれば、扉越しに何かの呪詛のようなものが漏れ出ているのが聞こえた。
大方ヒミコが日課の占いでもしているのだろう。天馬は相変わらずだなぁとそのまま部屋に向かうが、友人たちはくぐもった謎の言葉の羅列に肌をぞわりと粟立たせた。
「夕飯が出来るまで何する? 俺の部屋、ボードゲームとか置いてないんだけど……」
「あ、俺トランプ持ってきた!」
「僕も人生ゲーム持ってきてる!」
狩屋や信助が各々大きなリュックサックから取り出した遊び道具を吟味して、葵や依織もいるのだからと先にトランプで時間を潰すことにする。
ババ抜き、大富豪、神経衰弱──思い付く限りのゲームを遊び尽くした頃、ふと部屋にノックの音が響き、答えるや否や扉を開けて依織が顔を出した。
「晩飯の用意出来たぞ。手ぇ洗って食堂に集合だとさ」
「うん、分かった!」
途端、階下から香ってきたスパイシーな匂いに、「カレーだ!」と跳ねるように立ち上がった信助の腹の虫が盛大に鳴く。
空腹からか、やや慌ただしい足取りで洗面所へ向かう男子たちを見送った依織は、呆れたように1人肩を竦めた。
「いただきま〜す!」
「はい、どうぞ。一杯食べてね」
とろみのついたルーを白いご飯と一緒に一掬い。一口頬張ると、感嘆の溜め息が漏れる。
「美味しい! 秋さん、ほんとお料理上手ですね!」
「ふふ、ありがとう。おかわりもあるから沢山食べてね」
「はいっ!」
「お前は少しは遠慮しろよ」
元気一杯返事を返す信助のカレー皿は、既に中身の3分の1が減っている。マスコットキャラのような小さな体躯に似合わず、信助は雷門イレブンで一二を争う大食らいなのだ。
それから食事をしつつ、日頃のサッカー部での出来事を中心に会話が広がり、夕食は賑やかに終わった。
それからしばし時間を置き、入浴を済ませた彼らはやっと本日最大の目的の時間を迎える。
「じゃあ、私は先に部屋に戻るわね。あんまり大きな声で騒ぎすぎちゃダメよ?」
「うん、分かった!」
「じゃあ、おやすみなさい」最後に軽く手を振って、秋は自室へと戻っていく。天馬は少しでも音が漏れないよう、談話室の扉をピタリと閉めてカーテンを全て閉じると、いよいよと言った表情で仲間たちを振り向いた。
「依織、テレビ着けて!」
「あいよ」
真っ暗な画面が点灯した瞬間、信助が見計らったようにポテトチップスの袋を開封する。
中継は既に始まっているようで、スタジオの解説者とゲストがスタジアムの映像をバックに楽しげに今日の見所について語っていた。
「今日ってどこの試合だっけ?」
「スペインとイタリアだな」
「だから錦先輩、今日やたら騒がしかったのか……」
映像がスタジオからピッチへと移り変わる。現地の子供たちを伴い入場した選手の中には、確かに染岡の姿もあった。カメラはゆっくりと選手たちの顔、そして両チームのテクニカルエリアで選手たちを見守るそれぞれの監督たちの顔を撮す。
「……あ、ルカさんだ」
「ルカさん……?」
ふと目が覚めたように口走った依織に、剣城が首を傾げる。この人、と指差したのはクリップボードを片手にイタリアチームの監督と会話している金髪の青年だ。
「イタリアに行った時に私がお世話になった人。こうしてテレビ越しに観るとまともな大人に見えるな……」
「え、実はまともな大人じゃないの……?」
「まともって言うか……自由って言うか……」
眉をひそめた狩屋に対し遠い目になった依織は、ルカに振り回されたイタリアでの2週間を思い出して苦虫を噛んだような表情になる。
「……自由なんだよ……」
「2回言ったな」
「ええ……意味わかんねえ」
「あっ、始まるよ!」
ついでとばかりにチョコスナックの袋も開けた信助が声を上げると、一同はその瞬間挙ってテレビに集中した。ピッ、と鋭いホイッスルと共に両チームの選手が走り出す。
「やっぱりプロのボール捌きは違うな……」
「あっ、今の! 今のプレースゴい!」
「お……行け、そこだ!」
大きな声で騒がないように、と言う秋の忠告を時おり忘れそうになりながら、天馬たちは試合に熱中した。
やはり自分たちとテレビの向こうでプレーする大人たちとでは動きが全く違う。食い入るように試合を見つめていた彼らは、ハーフタイムが近付いてきたタイミングで談話室の扉が開いたことに気付かなかった。
「──お〜っ、染岡さん活躍してんじゃん!!」
「うわっ、た……! こ、木暮さん! 帰ってたんですか!?」
がっしりと天馬の肩を掴みながら、にゅっと突然現れたのは赤ら顔になった木暮だった。少し草臥れたスーツから、煙草と酒の匂いが漂ってくる。
その匂いに葵や依織が唇を引き結んだのが分かったのだろう、木暮は「悪い悪い」と立ち上がりながらネクタイを緩めた。
「会社の打ち上げで先輩にしこたま飲まされてさぁ……酔いが覚めたら俺も観戦しようと思ってたんだけど、これは無理っぽいな。お前らも試合が終わったらすぐ布団入れよ〜」
「は、は〜い……」
大きな欠伸をひとつ、木暮はふらふらと談話室を後にする。嵐のような登場と退場に呆気に取られていた天馬たちは、前半終了を告げるホイッスルの音で我に返った。
「前半は両チーム得点なしかぁ……」
「スペインは守備が固いチームだからな。イタリアは攻撃主体のチームだけど、あの守りは中々崩せないだろう」
リプレイ映像を観ながら真面目腐った顔で解説するスタジオの大人たちに負けず劣らず真剣な表情で剣城が分析する。バリッ、と大きな音にそちらを見れば、信助がポップコーンの袋を開けていた。
「信助……お前、色々食べ過ぎじゃね?」
「え〜、だってせっかく買ってきたんだから勿体ないよ」
「実際ほとんど信助くん1人で食べてるしね……」
せっかくみんなで割り勘して買ったのだから、と天馬たちも休憩時間に入ったのを良いことに、既に信助によって少なくなったお菓子に手を伸ばしていく。
「これで勝った方が日本と戦うんだっけ?」
「いや、先に日本とブラジル戦がある。そこで勝った方が今回の試合で勝ったチームと対戦だ」
「日取りいつかなぁ……また観られる時間だと良いんだけど」
そんな会話をしている内に、試合は後半戦を迎えた。
白熱する試合、更けていく夜。興奮で上昇していくテンションとは裏腹に、普段健康的な時間に就寝している子供たちの眠気もピークへ近付いてくる。
「──決まった!!」
「んあ!? ど、どっち!?」
「イタリア!」
こっくりこっくり船を漕いでいた狩屋が、天馬の大きな声にビクン、と体を揺らして顔を上げた。
テレビの画面には、仲間たちの抱擁を受けながら拳を天高く掲げる染岡が映っている。
「あと何分?」
「5分くらいかな」
「この状態で1対0か……逆転は難しいな」
顎を摘まみ真剣な面持ちで依織が呟くが、やはり彼女も眠気と戦っているのか体を剣城の肩に凭れかけだらりとしているので、あまり真剣さが伝わってこない。
刻一刻と時間が迫る中、スペインは逆転を狙いフォーメーションを変えてイタリアチームに立ち向かう。仕返しとばかりにイタリアは点を奪われ、得点はここに来て1対1の同点になった。
「うわぁ、うわぁ、どっちが勝つかな……!」
「緊張してきた……!」
残り十数秒。そんな最中、染岡に再びシュートチャンスが巡ってきた。
「行けぇ染岡さん!」うっかり叫んだ天馬の頭を依織がひっぱたく。相手のディフェンスをやや強引に抉じ開けて、仲間のフォローを受けた染岡がゴールの前へと飛び出した。
『ドラゴン──スレイヤー!!』
「決まったーー!!」
ゴールが決まった瞬間、勢い余って立ち上がった天馬と信助はハッとして口を押さえる。
それと同時に鳴り響くホイッスル、沸き立つ歓声。イタリアチームの勝利が決まった瞬間だった。
「は〜……ドキドキした! スゴい試合だったね!」
「うん! 後半からの追い上げ、どっちのチームもカッコ良かったなぁ……」
「イナッターで錦先輩が絶叫してる」
「だろうな……」
ふわぁ、と最初に大きな欠伸をしたのは誰だっただろう。
眠気の連鎖はすぐに広がり、試合後の選手のコメントや解説のコメントも上手く頭に入らない。
「それじゃ……今日はもう寝ようかぁ……」
「ん〜……」
突き抜けたテンションは風船から空気が無くなるような勢いで萎んでいき、7人はそれぞれ差はあれど眠そうな顔で談話室を片付け、歯を磨きに立ち上がる。
「依織たちは空き部屋で寝るんだよね?」
「ああ……流石に私たちまで天馬の部屋で寝たら、足の踏み場がないからな」
「そもそも女子が一緒に寝ようとするんじゃない……」
ギシギシと鳴る板張りの階段を上がり、「それじゃあおやすみ」と小声で別れる。目を擦りながら最上階の扉を開くと、恐らく入浴している間に秋が整えてくれたのだろう、真っ白な柔らかい布団が2人を出迎えた。
「は〜! もうダメ、目が開かない……」
「んぁ……私も……もう限界かも……」
最後にもう1つ大きな欠伸。おやすみ、と眠気眼で電気を消し、布団に潜った2人はあっという間に寝息を立て始める。
途中、居酒屋から帰ってきた木枯らし荘の住人が階段を登ってくる音や話し声が響きはしたものの、その日の部活と夜更かしですっかり深い眠りについた子供たちの目は、朝まで覚めることはなかったという。