立ち去る女を後ろから抱きすくめる男。別れの辛さを押し殺し、名残惜しさに唇で触れた髪が揺れ、恋人たちは再会の約束を交わしそれぞれの戦場へ戻っていく。
──そんな恋愛ドラマのような光景を間近で見てしまった子供たちは、多少個人の差はあれどかなりテンションが上がっていた。
「美人でおっぱい大っきい彼女がいるって完全に勝ち組じゃね!?」
「着替えてグラウンドに集合!」と鬼道の険しい視線から逃れるように号令を掛けた円堂に従い部室へとんぼ返りした選手たち(依織を除く)は、早速先程の2人のことを話題に上げた。
目を輝かせ、真っ先に見て思ったままの声を上げたのは浜野である。
「しかし意外だったな、鬼道監督……ああいや、鬼道さんに恋人がいたなんて」
「仕事が恋人って人かと思ってました」
浜野の中学生感満載な感想は聞かなかったことにして、仲間たちは着替え始めながら会話を続ける。
円堂とはまた違ったタイプの身近な大人、自分にも他人にも厳しいスパルタな鬼道があれほど懸想する恋人がいて、しかもそれが更に身近なチームメイトの親戚だとは思いもしなかった。
「そう言えば鷹栖が入部したばかりの頃、音無先生が遠縁に当たるとか言ってたな」
「言ってた言ってた。いずれ結婚するからって意味だったのか、あれ」
既に遠い記憶を掘り返して納得する。直接的な血の繋がりはないかもしれないが、遠縁と言えば遠縁である。円堂や春奈のあの反応を見る限り、2人の付き合いはかなり長いのだろう。
「そう言えば、依織が鬼道さんと知り合ったのは小さい時だって言ってました。お姉さんの紹介でサッカーを教えてもらってたって……」
「ああ……あの話か」
以前依織から聞いた過去の話を天馬が話題に出すと、剣城が納得したように呟いた。
もっとも、あの話をした依織は『姉さんからの紹介』と言っただけで2人が恋人などと言う話は出さなかったのだが、それも彼女が織乃と鬼道の結婚に難色を示していたからこそなのかもしれない。どうしてそこまで気に入らないものがあるのか、それこそ彼らには検討もつかないが。
「い〜な〜、俺も可愛い彼女が欲し〜〜」
「まだ言ってんのか、浜野」
一足早く着替えを終えて、椅子の上で胡座をかいている浜野に倉間が呆れた目を向ける。
「浜野くんの場合、可愛いさ以前に釣りに付き合ってくれるような子じゃないとダメでしょうね」
「あ、それ! 速水それ重要!」
眼鏡を押し上げる速水に、浜野は流石!と指を指す。趣味が合うのは最優先事項だと鼻息を荒くする浜野に、何だよそれ、と眉をへの字にして笑った。
「サッカーより釣りが重要なのか?」
「当然サッカーも重要に決まってんじゃん!」
やや食い気味に言い返す浜野の慌てた反応に、部室に軽い笑いが広がる。
それが落ち着いた後、彼女と言えば、と思い出したように天城が隣にいた車田を見下ろした。
「車田、この間1年の女子と仲良さそうにしてるのを見掛けたド。ひょっとして彼女なんだド?」
「はぁっ!? な、何の話だよ!」
「え、何々、どういうことです天城先輩!?」
「えっとな──」
「余計なこと言うなって天城!!」日に焼けた肌を赤くした車田が天城の背中に飛びかかってヘッドロックを掛ける。
落ち着けよ、と困った様子の三国が諌めるのを眺める傍ら、彼女かぁ、と天馬は小首を傾げた。
「俺にはまだよく分かんないなぁ」
「ええ? 天馬くんには空野さんがいるじゃん」
「葵のことは大事だけど、彼女とかではないもん」
ここで恥じらいもなくさらりと『大事』と言えるのが天馬だな、と信助と輝は顔を見合わせる。
一方で、狩屋はつまらなさそうに鼻に皺を寄せた。
「けっ! そう言ってる奴らが案外一番早く結婚したりするんだよなぁ」
「そう言う狩屋くんは?」
「ああ、ダメだよ狩屋は。クラスの女子の前ではまだ猫被ってるもん、付き合っても多分すぐフラれちゃうよ」
「ちょっと信助くん酷すぎない!?」
俺だってその内彼女の1人や2人、といじける狩屋に「それじゃ二股だろう」と着替えを終えていつもように襟を立てた剣城が小さく突っ込む。
それをしっかりと聞き取ったのだろう、狩屋は猫のように目を細め、その矛先を剣城へ向けた。
「剣城くんはどうなのさ、そう言う話ないの?」
「ない」
「あ、剣城くんは依織ちゃんと付き合ってるんじゃないかってよく噂されてるよ」
剣城の即答に被せるように言ったのは輝だった。
当の剣城はそんな話は初耳だったようで、切れ長の目を見開いて「は?」と口を丸く開ける。
「時々クラスの子に聞かれるんだ、あの2人付き合ってるの? って……あ、だ、大丈夫! 多分付き合ってないって毎回答えてるから!」
「多分って」
溜め息と共に剣城が少しだけ赤くなった顔を片手で覆う一方で、「依織が彼女になったら尻に敷かれそうだなぁ」と信助は他人事のように呟いた。
「おーいお前ら、いつまで着替えてるんだ?」
そこで待ちかねた円堂が部室へ戻ってきた。一同は「はい!」と慌てて声を揃えると、身支度を整え部室を後にする。
サロンへ出ると、既に準備を終えた依織とマネージャーたちが仲間たちの到着を待っていた。
全員が揃ったことを確認し、じゃあ行くか、と円堂は先陣わ切ってグラウンドへ向かう。
その道すがら、歩きながら鬼道と円堂が話し込んでいるのを確認して──浜野が依織の横へ並び、小声で囁いた。
「なぁなぁ鷹栖、お前の親戚のねーちゃんってどんな人なん?」
「はぁ。浜野先輩もですか」
やや疲れたような溜め息を吐く依織に、「『も』って?」と後ろにいた倉間や速水も首を傾げる。曰く、別室で着替えている間に水鳥たちから散々質問攻めされたらしい。
「どんなって言ってもねえ。あの有兄さんが骨抜きにされるような人だって言ったら納得します?」
「納得するような……しないような」
倉間は眉をすがめて前を歩く黒い背広姿を盗み見る。鬼道はまだこちらの様子に気付く様子はない。
「少なくとも、先輩方が思ってるような人じゃないって言うのは確かですかね」
「え? 美人巨乳秘書って認識じゃダメ?」
「おい浜野、セクハラ」
明け透けな浜野に依織の肘鉄が飛ぶ。鈍い呻き声を上げて歩みを止めた浜野に入れ替わり、依織の隣に追い付いた天馬がずっと気になっていた疑問を口にした。
「さっきも思ったんだけど、依織は鬼道さんたちが結婚するの嫌なの?」
「嫌って言うか……」
ぎゅっと眉間に皺を寄せて、依織は鬼道の背中を睨む。
『この人はね、お姉ちゃんの……えっと、一番好きな人。恋人の、鬼道有人さんって言うの』
顔を赤らめた織乃からそんな紹介を受け、鬼道が照れを隠すように咳払いをして(顔が赤いのは隠せなかったが)よろしくな、とこちらと目を合わせるために片膝を突いたときのシーンはまだ昨日のことのように覚えている。
本当の姉のように慕っていた織乃から『好きな人』と紹介されて登場した鬼道に、幼心にまるで彼女を盗られたような気持ちになったことも。
「……別に結婚してほしくないわけじゃねーんだよ。ただ何か、姉さんが有兄さんのモノになっちまうのが気に入らないって言うか……天馬なら分かるだろ?」
「え?」
「秋さんがどっかの馬の骨と結婚することになったらモヤってするだろ」
天馬は目をぱちくりさせて、顎を摘まみ考える。
白いウェディングドレスを着て幸せそうに笑う秋。その隣に、今頃アメリカで活躍している茶髪の青年を思い浮かべて。
「うーん、普通に秋ネエたちが幸せになるなら俺は嬉しいけど……」
「私の心が狭いみたいな言い方はやめろ」
「実際狭いんじゃね?」
脇から口を挟んだ狩屋の鎖骨辺りに裏拳を繰り出す。
その呻き声が聞こえたのだろう、ふいに前方の鬼道が振り返った。
「依織、何か余計なことを言ってないだろうな?」
「なぁんにも言ってないですよー!」
一瞬苦虫を噛んだような顔をして言い返した依織に、鬼道は一応のところ納得したのだろう。無言で前に向き直った鬼道に気付かれないよう、依織は顔をしかめて唸った。
「……やっぱり気に入らねー!」
「そんなこと言わずに認めてあげなよ」
「ヤダ。姉さんの婚約指輪が結婚指輪に変わるまでは、絶対に認めない」
珍しく子供っぽく駄々をこねる依織に、天馬は少し不思議な気持ちになりながら苦笑した。