「良いんですか。部外者がいたらお邪魔になるのでは?」
「いえ! そんなことありませんよ」
寧ろきっと気が引き締まると思います。
──言い掛けた言葉をぐっと飲み込んで、円堂は「ありがとうございます」と小さく頭を下げる鷹栖に笑い掛けた。
せっかくだから練習を見ていったらどうか。娘との再会を終え、ひとまず御鏡家へ挨拶に行こうとしていた彼をそう言って引き留めたのは鬼道だった。
マネージャーたちの座っている位置から少々離れたところへ腰を降ろした彼は、さてと隣に座った鬼道に目を向ける。
「あの時はしてやってくれたな……と言うべきかな、鬼道くん」
「依織きっての頼みでしたからね」
あの時、とは依織が鬼道たちに協力を仰ぎ、稲妻町に戻る手筈を整えた時のことを指す。
当時、依織が通っていた九州の小学校の卒業をあと1年控えた状況で突然転学したいと言い出したときには驚いたものだ。
だが、東京には依織が小さい頃仲良くしていた太陽がいることも知っていたし、長期休みに稲妻町に戻っている間仲の良い友達が出来たのかもしれないと判断した鷹栖は、娘を独り暮らしの姪に預けることに些か不安はあったもののそれを承諾した。
ただそれが、彼女が自由にサッカーをするために張ってきた伏線の内の1つだとはその時は思いもしなかったのだが。
「あの子は中々強かに成長したようだ。誰の影響かな……」
「さあ、誰でしょうね」
2人の脳裏に浮かぶのは、柔らかに有無を言わさぬ笑みを浮かべる織乃とその母である。
ふ、と口角を緩めた鷹栖は、もののついでのように続けた。
「そうだ──織乃ちゃんから君たちの結婚のことも聞いた。姪をよろしく頼むよ」
「勿論です。……式には出席していただけますか?」
「ああ、当然だ」
スケジュールは調整しよう、と快く頷いた鷹栖に、鬼道も頭を下げる。鷹栖が何よりも仕事を優先しがちなのは、鬼道もよく知るところだ。その彼が一も二もなく頷くと言うことは、娘と改めて話して心に少しゆとりが出来たのかもしれない。
その娘はと言うと、父が見ていることを全く気にする様子もなく、いつものように元気よくフィールドを走り回っている。
先程2人で何を話していたかは分からないが、父のお咎めなしでサッカーが出来るのが余程嬉しいのだろう、時おり──本当に一瞬見せる笑顔に、茜がシャッターを切る音が響く。
「依織のやつ、ちょこちょこ普通に笑うようになったよなぁ」
「そうですね。せっかく可愛い顔してるんだから、もっと笑顔でいれば良いのに」
少し離れた位置に座る水鳥や葵の会話が聞こえたのか、鷹栖の唇がギュッと真一文字に結ばれた。彼をよく知らない人間が見れば何か怒っているのかと不安になるかもしれないが、何のことはない。単純に顔が緩まるのを我慢しているだけである。
「ねぇちょっと依織ちゃん、おじさんめっちゃ怖い顔でこっち見てるんだけど!?」
「あ? お父さんの顔が怖いのは元々だよ、気にすんな」
「そういう意味じゃなくてさぁ!」
まさか今繰り広げているボールの競り合いが気に入らないのでは、と狩屋は1人怯えているが、依織から見れば父はただ表情が緩まらないよう敢えてあんな顔をしているのだと十分分かっている。
説明するのが面倒なので、わざわざそれを伝えはしないが。
「ほらほら、余所見すんなって!」
「あっ、ちょ、ずりいぞ!」
肩を震わす狩屋の横を、ドリブルですいとすり抜けて行く。
狩屋があまりにあっさりと抜かれたことに虚を突かれ、反応の遅れた信助の頭上を飛び越えたループシュートがゴールネットを揺らした。
「良いぞ、鷹栖!」
「どーも」
駆け寄ってきた倉間とハイタッチ。自慢げに胸を聳やかす依織に悔しがる狩屋の肩を、油断しすぎたなと霧野が叩く。
楽しそうだな、と思った。男子に負けず劣らず気勢を上げて走り回る娘の姿を、どうして自分は今まで頑なに見ようとしなかったのだろう。
確かに彼女は亡き妻とよく似てきた。それでも、幼少期の頃からろくに外を走ることすら出来なかった妻と、今必死にボールを追いかけている娘は違う人間だと言うのに。
「(本当に──この歳にもなって、反省することばかりだ)」
自分に呆れ、苦笑が漏れる。
依織はそんな父の様子には気付かず、仲間たちに囲まれ意気揚々とまたボールを追いかけ始め──そこで、彼はハタと思考を鈍らせた。
「──よし、一旦休憩!」
円堂の声と同時に、春奈がホイッスルを鳴らす。
どやどやと戻ってきた子供たちはマネージャーからジャグとタオルを受け取り、先程のミニゲームやプレーの感想を言い合い始めた。
そんな中、そっと父の隣に並んだ依織はそっと顎を上げ彼の様子を窺う。
「で、どう。何か感想は?」
「……ああ、凄いな。試合を見た時も思ったが、みんなよく体力が続くものだ」
「鍛えてるもん」
誇らしげな娘に一瞥を向け、鷹栖は口をへの字に曲げた。
そして、小さく咳払いで喉を整え、あくまでももののついでのように──続ける。
「依織……サッカーとは、あまり関係のないことなんだが」
「? なに」
「……部員の中に、お前と付き合っている子はいたりするのか……?」
「はぁ?」目を皿のように見開いた依織の声に驚いたのだろう、どうしたどうしたと仲間たちがキョトンした風にこちらを振り向いた。
鷹栖は気付いてしまったのだ。サッカー部の中にも女子はいる。だがそれはみんなマネージャーであって、依織以外の選手は全員男子だと言うことに。
依織も年頃の娘だ。最近の子供は進んでいると言うし、彼氏がいたとしてもおかしくはないだろう。そしてそれが、日頃から共に同じ時間を過ごし深い絆で繋がっているサッカー部員の中にいる可能性は非常に高い。
「…………いるって言ったらどうするの?」
「何?」
半眼でこちらを見上げる娘から、弾かれたように男子たちへ視線を移す。元々鋭い目付きが更に鋭くなり、子供たちはギョッと肩を竦ませた。
──誰だ。誰が娘と付き合っているんだ。
先程仲良さげにハイタッチしていた先輩か、それともあの少女のような出で立ちの先輩か、あの背の高い同級生か。
次々と視線を移していくその目は、獲物に狙いを定める猛禽類のようである。
仲間たちが目に見えて怯えているのが分かり、依織は大きな溜め息を吐いて父の背中を叩く。
「お父さん、嘘。嘘だから」
「……嘘?」
す、と目付きを(僅かに)穏やかにして、彼は依織を振り向いた。
依織は呆れたような視線を父に向け、眉間に皺を寄せる。
「私に彼氏なんているわけないでしょ。ほんと冗談通じないんだから」
「そ、そうか……」
見るからにホッとしている父に、依織は再度溜め息を吐いた。
今まで父からこんな話題を振られたことがなかったため、どんな反応をするか気になってあんなことを言ってみたが、まさかあんな顔をするとは。
過保護だとは思っていたが、これはいつか本当に彼氏が出来たとき苦労しそうだ──そんなことをぼんやり考えていると、そっと近付いてきた天馬たちが依織の袖を引いた。
「あの、依織。おじさんどうかしたの?」
「……私が部員の誰かと付き合ってんじゃないかって思ったんだと」
ええ? と天馬は目をぱちくりさせて鷹栖を盗み見た。鷹栖は「心配の仕方が御鏡のお義父さんと似てますね」と鬼道にからかわれ気恥ずかしげに苦笑している。
「依織ちゃんに彼氏なんて、そんなもん出来るわけイデデデデデデデッ」
「それはまだ分かんないだろ狩屋く〜〜ん?」
半笑いのところへ仕掛けられた容赦のないアイアンクローに響く悲鳴。振り向いた鷹栖がそれを見て顔をしかめた。
「依織、やめなさい。友達を苛めるんじゃない」
「はーい」
すました顔で手を離し、依織はツンと狩屋からそっぽを向く。
全く、と呟く彼に、葵が恐る恐ると言った風にも見える様子で話し掛けた。
「やっぱり、依織に彼氏が出来るのは嫌ですか?」
「ん? ああ、いや……そう言うわけではないのだが」
鷹栖はちらりと依織を──それを取り巻く1年生たちをちらりと見て、難しそうな顔で鼻の先を掻く。
過去事情があって構ってやれなかった期間もあったが、男手一つで育ててきた大事なひとり娘。いつか嫁に出す日が来るだろうとは分かってはいるものの、それでも。
「……寂しい、とは思ってしまうかな」
「そう言うもん?」
「そう言うものだ」
首を傾げる依織の視界の隅で、鬼道が小さく頷いている。幼い頃からよく知る仲だ、心境としては父と似通っているのかもしれない。
「じゃあ、もしもこの中で本当に依織ちゃんの彼氏が出来た時は……?」
「その時は……寂しいが、依織の親としてしっかり挨拶をしなければならないね」
続いた茜の問いに真剣に答える鷹栖の目はまたもや鋭くなっていて、それを見た男子たちは『自分には関わりのないこと』と思いながらもついつい身を震わせたのだった。