13

「──おい、鷹栖!」
「あ?」

入部テストから一夜明けた次の日の朝。
欠伸混じりに登校してきた依織は、席に着くなり背後から聞こえてきた剣呑な声に振り向いた。

「何の用だよ、……えーっと……小手先?」
「小手川だ、コテガワ!! 昨日、ホームルームでクラス全員の自己紹介があったろ!?」

歯を向いて怒鳴る小手川に、声がデカい、と依織は顔をしかめて耳を軽く塞ぐ。
自己紹介したと言っても、そう一朝一夕で覚えられるはずがないだろ──依織の正論にぐっと口をつぐんだ小手川は、話を変えるように軽く咳払いをした。

「昨日の入部テスト! あの受かった2人……お前の友達らしいな」
「……そうだけど」

依織は眉を顰め、ちらりと教室の外に目をやる。
ドアの隙間から、人影が2つ──昨日入部テストに落ちた2人が、こちらの話に聞き耳を立てていた。

「(なるほど……)」

彼の言わんとすることを察して心の中で呟いた依織は、椅子に座り直して小手川をしっかりと見上げる。
小手川は少し鋭くなった彼女の目にやや怯みながらも、口を開いた。

「あいつら2人とも、どっからどう見たって初心者だった! きっと、コネがあったに違いないんだ……そうだろ?!」
「…………」

ぎゅう、と眉間に皺を寄せた依織はじっとりとした目で彼を見上げ、次にドア越しの2人を見やる。
依然として疑いの態度を変えない小手川に彼女はとうとう立ち上がり、自分よりも幾分か背の低い彼を見下ろした。

「あのさ。お前、それ本気で言ってんの」
「な……何だよ、当たり前だろ!? コネでもなかったらあんな奴ら」
「じゃあ、逆に聞くけど」

言葉尻に被せるように言って、依織は小手川の胸元をトンと指で押す。
少しよろめいた小手川に彼女は続けた。

「昨日のテストで、お前らが天馬たちより優れてたっていう証拠でもあんのか?」
「っそ、それは……」

小手川の声音が揺れる。
依織もただぼんやりとあのテストを眺めていたわけではない。確かに、プレーに関して小手川たちと天馬たちの実力は殆ど同レベルだ。
だが、彼らが不純な動機で入部テストを受けたことも、神童が本気を出したことでやる気を失ったことも、彼女の目はしっかりと捉えていた。

「気合いも足りない、技術も足りない。寧ろお前らが受かる自信があったことの方が私はびっくりだよ」
「っこの、さっきから言いたい放題言いやがって!」

堪忍袋の緒が切れたのか、ドアの向こうから隠れていた1人が教室に飛び込んできた。
「あ、おい金成!」金成と呼ばれた彼は褐色の肌を怒りに上気させて、依織の胸ぐらに掴み掛かる。

「それ以上バカにすんなら、女子でも容赦しねーぞ!!」

怒りに赤黒くなった顔でがなりたてる金成に、異変を察した教室がにわかにざわつき始めた。
依織は慌てる様子もなく、顔をしかめ煩わしそうに溜め息を吐くと、自身の胸ぐらを掴む彼の腕を握った。

「別に、バカにしたつもりはないよ。それに、そっちが喧嘩売るってんなら買ってやる」

ただし──言いながら、依織は腕を掴む手にぐっと力を込めた。瞬間、足払いを掛けられた金成の体が、ふわりと浮き上がる。

「いっ……!!」
「──手加減してやる気は全っ然、ないけどな」

ドスン! ──と、埃っぽい床にひっくり返った金成を見下ろし、依織は軽く鼻を鳴らして言い放つ。
正直、姉さんに昔習ったことがこんなところで役に立つとは思ってなかった──頭の隅でそんなことも思いながら。

「くそ……」
「おい」

ふいに、何か言いかけた金成の声を誰かが遮る。
不機嫌そうに振り返った3人は、途端に顔をひきつらせた。

「邪魔だ。どけ」

──剣城だ。時間の規則はしっかり守るのに、と依織は8時10分を指した時計を見上げ、半ば関心したような顔になる。
居心地悪そうに顔をしかめた金成が「覚えてやがれ!」と三下のような捨て台詞を吐きもう1人を連れ立ち逃げ出すと、小手川はばつの悪そうな表情でそそくさと自分の席へ戻って行った。

「よ、剣城。おはよう」
「……ああ」

挨拶の間も少し短くなった気がする。
依織は満足そうに1人頷くと、中途半端に引いていた椅子に腰を下ろした。

「あいつら、随分お前のこと苦手みたいだな。昨日何かあったのか」
「別に。ぐちぐち鬱陶しかったから一言釘刺してやっただけだ」
「何て?」
「『お前らが受からなかったのはあいつら以下だったせいだ』」

昨日3人に言い捨てた言葉をそっくりそのまま繰り返すと、依織は一瞬目を丸くした後、「全くだな」とニタリと笑う。大凡、女子とは思えない悪い顔である。

「……それより」
「あ?」
「何でお前は俺に構う」
「……暇だから?」

曖昧な答えに剣城はあからさまに嫌そうな顔をすると、「聞いた俺がバカだった」とぷいとそっぽを向いた。
依織は秒針が動くのを眺めながら、気にせずに続ける。

「つーか、剣城も何だかんだで真面目だよな」
「あ? バカかお前は。俺のどこを見たらそうなるんだ」
「そうやってちゃんと反応するとことか」

間髪入れずそう答えると剣城は一瞬ぽかんとして、ついに黙り混んでしまった。
少しからかい過ぎたか。ほんの少し反省して、依織は背もたれに体重を掛けながら欠伸を手のひらで隠す。
どうしてだろうか、始めはあんなに関わり合いを持たないようにと考えていた筈なのに、気付けば自分から突っ掛かりに行ってしまう。

「(私は多分、知りたいんだ)」

彼が何を想い、ボールを蹴るのか。その真意がどこにあるのか。依織は眠るように、静かに目を伏せる。
2人のやりとりをクラスメイトたちが遠巻きに物珍しそうに眺めていることには、剣城しか気が付かなかった。




「ねぇ依織。今朝男子と喧嘩したってホント?」

昼休み。天馬たちに誘われ屋上で昼食を取っていた依織は葵の言葉にポカンとした。

「何ソレ」
「え、何って……1年の間でちょっとした噂になってるよ」

3組の女子が男子3人と喧嘩したって──そう答えたのは信助である。
「まぁ、違うなら良いんだけど」少し安心した風の葵に、依織はもぐもぐとハムスターのような顔でメロンパンを咀嚼した後、あっと声を上げた。

「あー……あれか」
「え、ホントだったの!?」

天馬が箸からブロッコリーを落としそうになりながら目を丸くする。
正直、喧嘩にカウントする必要がないようなちゃちなものだったたけど──平然と言って退けた彼女に、葵が呆れたように溜め息を吐いた。

「で、大丈夫だったの? 怪我しなかった? 相手の人」
「そっち?」

改まって尋ねた天馬に、信助が頬をひきつらせる。しかし、天馬の表情はどこまでも真剣だ。

「だって、依織って変に強いんだよ。前だって、ガキ大将相手に……」
「変は余計だ」

ピシャリと天馬の言葉を遮って、依織はパックのオレンジジュースを啜った。
信助はへー、と依織を窺い、首を捻る。腕の筋肉が常人より発達しているようには見えないし、何よりこんないつもぼんやりとしている人間が喧嘩に強いとは、到底思いがたい。

「信助、今何か失礼なこと考えなかった?」
「か、考えてない!」

ふと視線を感じた依織がすうっと目を細めると、信助は慌てて首を横に振った。

「まぁ、あれだな。きっと闘争本能が優れてるからとか、そんな理由だろ」
「そうなの?」
「いや知らねえけど」

「テキトーに言っただけ」曖昧に首を振り、依織は残ったメロンパンを口に押し込む。
──実際は、昔から身近にそういうこと≠教えてくれる人間がいたからだけれど。そんな言葉は、口の中のものと一緒に飲み込んだ。

「アッ、闘争本能って言えば!」

しばし昼食に没頭していた天馬が突然声を上げた。口の横にハンバーグのデミグラスソースがへばりついている。

「今日、初めての部活だけどさ……試合とかにはいつ出れるようになるのかな?」
「さあ?」
「しばらく無理じゃない? だって、まだ新入部員だもん。まずは基礎体力作りからとか……」

信助が弁当箱の端に残った米粒を拾い上げながら、考え考え答えた。
基礎体力ねぇ、と独り言ちた依織は妙に苦々しい顔になって空を仰いでいる。

「でも、頑張ってればいつかきっと試合に出れるよね!」

何とかなるさ! 天馬がそう言った次の瞬間予鈴が鳴り響き、4人は慌てて後片付けを始めた。
──というか、部員がごっそり減ってしまった今のサッカー部では、新入部員だろうと試合に駆り出されることになるのでは?
依織がそのことに気がつくのは、授業が終わり掃除の時間を迎える頃である。